マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

インド

インド―チェンナイ 60年の奉仕

1949年10月30日、フランシス・T・ロシェ司教に、マリアの宣教者フランシスコ修道会がツチコリン教区に迎えられてから、60年が過ぎました。60年後の今・・・

聖ヨゼフ・ハンセン病院は、社会から見捨てられた人々への奉仕を60年続けてきましたが、その歩みは、み摂理によるものでした。例えば、患者さんたちのお米を買うお金が全くなくなってしまい、銀行に借りにいき、順番を待っている間に、ちょうど同じ額、10,000ルピーの寄付が届いたこともありました。

この病院は、1949年、小さな家で、15人の患者をお世話したことから始まりました。次第に、内外の恩人たちの寄付などによって、施設が充実し、聖ヨゼフ・ハンセン病院が発展してきました。その間、20,000人以上のハンセン病者の兄弟姉妹がここで治療を受けました。治療後、社会復帰のための職業訓練や、土地、家、教育のための無利子ローンも準備され、家族のもとで、幸せに暮らしている回復者も大勢います。しかし、社会や家族に受け入れてもらえない回復者もあり、現在65人が、私たちと一緒に住んでいます。

ここに来る患者たちは、それぞれ厳しく苦しい体験を背負ってきています。しかし神様は、ここで彼らの人生の悲しみや重荷を、新たな喜びで満たしてくださいます。その中からナラヤニさんの分かち合いを紹介しましょう。

「私は、幼い時この病気にかかり、水を汲みに外に行くことも、川で水浴びすることもできず、親戚の集まりにも、お寺参りにも行くことができませんでした。母と私は、本当に悲しく、だれにもこのことを話すことができず、夜二人で泣いたものです。そして、悲しみのあまり、母は若くして亡くなりました。そして、私は27歳のときにここに連れてこられ、今は80歳です。愛は何にもまさります。私はここで本当に大きな愛を体験しました。人生の最後まで、ここに留まりたいと思っています。」

最近では、ハンセン病者が少なくなってきたので、2003年に、社会からも家族からも見捨てられているHIV/AIDS感染者のための病棟を開きました。かつてのハンセン病者のように、感染者たちは、この病気のために、周りから忌み嫌われていますが、この病院に入ったときから、彼らは尊厳を持った人間として大切にされていると感じることができます。

2009年の60年祭は何回も行なわれました。10月2日は、現在この病院にいる人々とその家族のお祝い、そして10月11日は、病院を退院した元患者さんたちのためのお祝いです。彼らは「もとの家」に帰り、そのお祝いをしたいと切望していたからです。皆で再会を喜び、食事をともにし、お祝いの記念品が配られました。そして、10月24日には、多くのFMMが集まり、ツチコリンのイボン・アンブローズ司教のミサが捧げられました。そのミサには、多数の司祭、恩人、友人、姉妹の親戚、近隣の修道者、スタッフ、現在と昔の患者など、本当に大勢の人々が参加しました。司教は、FMMの60年にわたる「貧しい人々の中の最も貧しい人々」への寛大な奉仕に感謝されました。

60年祭にあたり、熱心さと寛大さをもって献身した先輩のシスターたちに感謝し、私たちも、そのシスターたちのように、これらの最も小さくされた神の子たちへのミッションを、愛のうちに続ける決心を新たにしています。

Sr.Florine Monis fmm