教皇ヨハネ・パウロ2世は、マリー・ド・ラ・パシオンの列福式において次のようなことばを述べられました。
マリー・ド・ラ・パシオンは自分を駆り立てた真理への渇きを潤してくださる神にすっかり捉えられ、自分たちの宣教の中心に祈りと聖体をおきました。彼女にとって聖体の礼拝と宣教は融合されて、一つの働きとなったからです。情熱と大胆さをもって、観想と活動の召命を一つに合わせ、世界宣教の必要に応えました。
創立者をとおして与えられたこの賜物を現代に生きる私たちは、今日も聖体を観想することによって宣教への活力を汲み取り、聖体の礼拝をとおして私たちの存在全体を主への賛美、奉献、とりなしとして捧げるのです。
救いの神秘は聖体(Eucharistia)のうちに実現されます。聖体祭儀(ミサ)と聖体の礼拝から私たちの生活全体におよぶ観想的で、かつ、使徒的な活力が湧き出ます。
キリストを観想するとき、私たちは兄弟のもとに出かけたいと思うようになり、人々の中に隠れておられるキリストの現存を見出します。 また、人々は私たちを再びキリストを観想するように駆り立てるのです。
イエスは聖体のうちに生きておられます
いのちを与える恵みは 絶えず世に注がれています
永遠の鏡の前に あなたの心をおきなさい
永遠の鏡の前に あなたの魂をおきなさい