-シスターの子ども時代は? わたしは7人兄弟(男2人、女5人)の5女、末っ子です。小さい時に、姉を一人亡くしました。気がついた時は、姉・兄3人共、上の学校に行くために、都会に行っていました。休みの時に帰って来るだけでした…
どうしてFMMに?Sr.大木マリアの巻
*シスターのご両親の事を教えてくださいますか? 私は東京の大森で生まれました。父吉章は貿易商でした。祖父が 海軍の「軍鑑総監」とかで「日本は将来、世界に進出するのだ」と言い、中学校からはマリア会の暁星でした。在学中はカト…
大雪の日の奇跡 ー チュニジア
2017年1月14日(土曜日)、チュニジアでは「ジャスミン革命」6周年をお祝いしていましたが、突然の大雪になってしまいました。突然の大雪に多くの人々は、立ち往生し、泊まる場所を探し求めました。その時の様子を、Sr.Bru…
FMM日本管区の歩み‐38
東京大司教区から国際病院設立の呼びかけを受けて 会長のMサン・ミッシェルのもとに届いた呼びかけのなかに、東京大司教区のシャンボン大司教と青年医師の戸塚文卿師のそれぞれから寄せられた国際病院設立の要請がありました。本会にと…
シスター アポリナリアの思い出
1963年9月、有期誓願式後から、私はSr.アポリナリアの共同体に入れて頂き、良いお手本を見せて頂けたことを深く感謝し思い出をわかちあいます。最初の面接で見つめられた銀色の瞳に、小学3年の夏休みの終わり頃、中国済南市でお…
Sr. マリア濱﨑セリの巻
昨年の12月10日100歳のお誕生日をお祝いしたシスターマリア濵﨑セリに聖母の園老人ホームでショ-トステイをしているあいだに、数回に分けてインタビュー致しました。 ― シスター濱﨑の出身地はどこですか? 長崎県の北松浦郡…
レインボー移住者センター ― 韓国
1992年に外国人労働者を受け入れるようになって以来、多くの外国人が韓国に入ってきました。出生率の低下や高齢化によって、労働人口が減り、また「3D(汚い、難しい、危険な)仕事」が敬遠される中で、外国人労働者の数が増えてき…
FMM日本管区の歩み-37
日本の共同体は、本会の来日25周年記念の年を迎えると、熊本と札幌を中心に宣教の活動範囲が一層広がっていきましたが、本会全体としても1926年に開かれた総評議会のもとに新しい時代を迎えて新しい歩みを始めていました。 アジア…
亘理の七つの喜び(第7話) 最終回 ―戦国時代―
2017年4月7日 福者マリア・アスンタの祝日に、亘理修道院創設3年目に入りました。苦楽をともにした3姉妹、互いによーくわかり始めました。 ある日のお茶の時間のことでした。 Sr.A「紅茶とコーヒーどちらがいい?」 Sr…
お母さんの恩返し
今、「受け入れの家」という、私たちの修道院の続きで、生活困難者のために解放しているところに、新しくイタリア人の母と二人の息子(17歳と12歳)が入ってきました。 お母さんは、貧しさからドラッグの売買に手を染め、逮捕され、…