Sr.マリア・テレジア岸田宏子の巻
*洗礼のきっかけは何でしたか?
私は東京文京区に生まれ、5人姉妹の上から二番目。父は宗教には無関心な人で、今でいうインテリアのお店をしていました。母はお寺の娘で10人兄妹のうち5人がお坊さんになっています。ですから私が初めてキリスト教と出会ったのは、戦争中に家族で軽井沢に疎開していた時でした。戦禍を逃れて一家で東京を離れましたが、東京大空襲で家もお店も焼けてしまい、終戦後もしばらく軽井沢に住んでいました。戦後で子どもの遊び場など何もない時でしたが、近所にあったプロテスタント教会が子ども達を集めて、手芸やお菓子作りなどをしていたので、妹たちを連れて行ったのが初めての「教会」でした。その後しばらくして、別の教会に行くようになりましたが、それがフランシスコ会の「聖パウロ教会」でした。そこでは伝道師の女性がいて、子ども達に聖歌や教理などを教えてくれました。私は中学生になっていましたが、その頃たぶん街頭テレビかなにかで戦災孤児についてのニュースを見たんでしょうね。とても強く印象に残って、こういう子ども達のお世話をしたいと思うようになりました。そして中学卒業を前にして、神父さまにその事を話したところ、横浜にある愛児園という施設を紹介してくださり、友達と一緒に見学に連れて行ってくださいました。そこで初めて出会ったのがFMMのシスターでした。あの時は外出用の黒い服を着ていたので、何だかおっかないなぁ…というのが最初の印象でしたが、結局友達と二人でそこに勤めることになり、働きながらシスターに教理の勉強をしていただき、その年のクリスマスに受洗しました。
*ご両親の反対などはなかったのですか?
母は当然賛成ではなく、キリスト教なんて何か気持ちの悪いものぐらいに思っていたようでした。そして私を何とか高校に入れたいと考えていたみたいですが、私自身は妹達のこともあり、やはり進学より早く独り立ちすることが家族のためと思っていましたので、さっさと一人で決めてしまいました。今思えば親不孝だったかもしれませんけど…。父は戦争で家も店も一瞬にして失ってしまったショックが大き過ぎて、すっかり無気力になってしまい、それどころじゃなかったという感じ…ほんとうに何もかもが戦後の混乱期でしたね。
*修道会に入ろうと思ったのはどうして?
愛児園ではFMMのアスピラント達と一緒の寮に住みましたので、聖務日課やミサにも参加し、あの祈りの雰囲気が大好きでした。そしてあるシスターに私が5人姉妹だという話しをした時に、「一人ぐらいシスターになったらいいわね!」と言われて、その時から「ああ、私もシスターになれるんだ…」と、ぼんやり思うようになりました。そして2年後に、たいしてわけもわからず「修道院に入りたい」と願い出たところ、まだ受洗して間もないということで、結局勤め始めてから4年後に志願者になりました。
*その後はどんな生活でしたか?
当時は志願者や修練者の人数も多かったですから、とにかく流れに乗ってみんなでわさわさしていたという感じですけれど、ある時創立者の伝記である「聖体の使者」という本を読んで、自分もハンセン氏病の患者さんたちのお世話をしたいと思ったことを覚えています。そのために自分に何ができるということもなかったんですけど、とにかく食料困難の時代でしたから、患者さんたちにおいしい物を食べさせてあげたいと思ったんです。そして、初誓願を立てる時にそれを希望しましたが叶わずに、札幌のベビーホームへ派遣されました。
それから3年後に26歳で終生誓願を立てた後は、准看護婦をはじめに、高校卒業、検査技師と、次々に資格を取るための勉強が続き、全部で10年近くかかったんじゃないかしらね。ようやく資格を取り終えた頃に、韓国のフランシスコ会がしていたハンセン氏病施設から、看護婦を派遣してほしいという依頼があり、管区長が姉妹たちを募集したんです。ずっと前からの願いでしたし、幸いその時には看護婦の資格もありましたので、すぐに応募し、もう一人の姉妹と一緒に韓国に派遣されました。それから25年間、韓国管区で働くことになったというわけです。
*韓国での思い出は?
韓国人の家族の絆の強さや、年長者への尊敬の態度などに学ぶことがたくさんありました。“人情”に触れる体験というのかな。私は聖書でもイエスが弟子達の足を洗ってくださる「洗足」の箇所が大好きなのですが、人が相手を大切にして尊敬しているって、ほんとに美しいことだと思うんですね。最近は私たちの社会が、互いを生かし合うよりも、負かすことでやっきになっているように感じられることが度々あり、そんな時、韓国での25年間を通して、私の皮膚に伝わってきたことの大切さを考えさせられています。
*いま振り返ってみて、迷いや悩みは?
韓国の施設では当時300人以上の患者さんたちに2〜3人の看護婦というような状況でしたから、迷ったり悩んだりしているヒマはありませんでしたね〜。むしろとてもやりがいのある生活でした。私はそれまで家庭でも職場でも、当然修道生活でも女性の中にいることが多かったんですが、施設ではフランシスコ会の兄弟たちと一緒に働きましたし、患者さんたちも男性の方がずっと多く、重症でない限り色々と作業を手伝ってくださいましたので、彼らから男性の視点というか、たくさんのことを教えてもらったと思います。それはつい目先のことばかりになりがちな私にとっては、とても新鮮で、貴重な体験でした。
ただ、いま振り返るとずっと働きづくめで、祈りをおろそかにしてきたのでは…と思うことも度々あります。日本に戻って、現在は時間もある生活ですが、実際に祈りの時間が生活の中に根を下ろしていることの大切さを痛感しています。祈りによって生活は整ってくるんだなぁ…と。日常の中できちんと立ち止まって考える時間を持ちながら、これから祈りを深めていく生き方をしていきたいと思っています。