Sr.マリア・サントスの巻
*どんな子ども時代を過ごしましたか?
私は、アビラの聖テレジアの出身地近く、スペインのカスティーリャというところで生まれました。ず〜っと麦畑が広がる、広々としたとてもきれいなところで、地平線がすぐ近くに感じられ、夜は星が降るようでした!昔の人達は真っ暗な平地の夜道を歩く時、星をたよりに道を進んだとか、お祖父さんが星の話しをたくさんしてくれたので、三人の博士の話しなどを聞いた時、すぐにピンときましたね。私は8人兄弟の上から3番目。夕食の後お皿を洗いながら、一人が当番でロザリオを唱えたり、一緒に祈ったりと、とても熱心なカトリックの家族のなかで育ちました。
*修道生活を考えたのはいつ頃でしたか?
育った土地や環境の影響か、子どもの頃から自分の中に3つの世界への憧れみたいなものがあったような気がします。教会の雰囲気や満天の星空など、どこか神秘的な世界。また、いつも家族や友達などと交わっている世界。そして、まだ誰もやっていないことをやってみたいという冒険の世界。だから、人形に向かって話しかけたり、詩を作ったりするのが好きだった一方で、友達と一緒にスポーツをするのも、自然の中で隠れ場所をつくったりして遊ぶことも大好きでした。それでも今から思えば思春期だったのか、わけもなく苛立ったり、あせったりという時を過ごしましたが、ある日学校で神父さまからアフリカの国の独立のドキュメンタリーを見せられ、その歴史や背景など色々と学んだ時に、自分がいる世界の狭さ、悩んでいたことのちっぽけさなどを強く感じて、早く広い世界に出たいと思うようになりました。そして学校の先生になるための勉強が終わる頃、たまたま家にあったマリア・アスンタの本を読み、彼女の中国での体験にすっかり魅せられたんです。これが初めてのFMMとの出逢いでした。それでFMMのスペイン管区に入会したいと手紙を出しました。いま振り返ってみれば、FMMの聖体礼拝における観想的な部分と共同体の生活、“いつ、どこにでも、誰のところにでも”という派遣のあり方などが、私の3つの憧れの世界にぴったりだったんですね。
*日本への派遣はどのように?
初誓願を立てた後、勉強の期間が2年位あり、その後日本への派遣を受けました。私の初めの望みはアフリカに行くことでしたけれど、修練期に会の精神などを学んでいく中で、どうしても…というこだわりはありませんでした。当時アフリカにはスペイン人がすでに多く派遣されていましたが、日本には誰も行っていませんでしたから、FMMの国際性、多様性を大切にするために必要な派遣として納得しました。もう一人の姉妹が一緒に派遣されることになり、2人でマルセイユでフランス語を半年勉強した後、ローマの会長に会いに行きました。会長からは「日本文化への尊重、適応」に努めるように言われましたけれど、ちょうど第Ⅱヴァチカン公会議の前でもあり、それまでの「ヨーロッパ主導型」からの変化の時だったんですね。私は何より言葉についての心配が大きく、とても怖かったので、もし日本語をどうしても覚えられなかったら帰ってきてもいいかと聞き、会長はいいと言ってくれました。それからマルセイユに戻り、船で日本へ旅立ったんですけど、当時は特別なことでもない限り、家に帰るということはできませんでしたから、もう一生家族と会えないと思って、船の汽笛が鳴った時には心臓が割れるかと思いましたね。そうして日本に到着してから初めの3年間は、とにかく適応のために必死で、何だか自分自身でなかったような気がします。その結果体調も崩しましたが、4年後に終生誓願を宣立し、その後スペインで神学を1年学ぶ機会を与えてもらいました。疲れてしまっていた私にとってこの1年の学びの時はほんとうに有難く、自分の初めの頃の夢や憧れ、希望をもう一度振り返って確認することができました。そして1年の終わりに、スペイン管区の管区長から、日本に戻るかどうかを聞かれた時、心から日本が私のいる場所だと感じて、「戻りたい!」と答えました。
それから日本に帰国してからは、不思議な事に日本語をはじめ、以前苦しみながら学んだあれこれが、自分の中にいつの間にかちゃんと育っていることを体験し、子どもの頃から私の中に日本文化の種みたいなものが蒔かれていたように感じました。お花見や座禅、和の心、自然を愛する文化など、じつは私の憧れの世界にぴったりだったんですね。
*日本での宣教体験は?
ここでまた自分の中にあるもうひとつの憧れ、冒険心みたいなものが働いて、何かまだ他の人がしていないような事をしてみたい!と思い、種子島で1年半、水道工事の現場で週に3日働きました。それから東京に戻って、施設からの青年たちを受け入れていた、車の板金、塗装工場で青年達と関わりながら9年間楽しく働きました。その後、自分の中に少し渇きを感じて、フィリピンで霊的な刷新のための1年間の研修をとり、帰国後はヴェトナム難民受け入れを始めたばかりの「あかつきの村」に派遣されました。それ以後、途中3年ほど離れましたが、今年で24年目になります。
私はどちらかと言うと、何でも先に深く考えたり、思い巡らしたりしてから行動するよりも、実際に行動し、生活していく中で、これはどうだろう?福音や会の精神とずれていないか?と振り返ってみることを繰り返してきたと思いますし、何よりも「生活の証し」ということを大切にしたいと思っています。
*振り返ってみて今思うことは?
私の道は決して“ホイホイ”ではなかったし、曲がったり、戻ったり、失敗もたくさん!!でも、ここまで歩いてこられたのは、やっぱり自分の中に見つけた憧れ、夢を持ち続けてきたから。それが神さまのプロジェクトであるなら、苦しみや難しさのなかでも、消えることのない望みや喜びがあるし、神さまご自身が導き、引っぱってくださるということを、ひとつずつ体験してきたんだと思います。子どもの頃の憧れから、少しずつ時間をかけて、「神さまが私をとおして実現しようとしていること」を探して、気づかせてもらいながら、いまは、ここあかつきの村の人達や姉妹達と“ともにあること”をいちばん大切にしたいと思っています。