マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

指輪の思い出

まだ会社勤めをしていた20代のある日、私は取引先に行くために地下鉄のホームに立っていました。ふと振り向くと、数十メートル先に紺色の修道服を身に着けた人が立っているのが目に入りました。「あ!シスターだ」。そうつぶやいた途端、鼓動が早くなりました。近くに行ってみたい!話しかけたい!どうしてシスターになったのか聞いてみたい! その頃、私はまだプロテスタントの信者でしたが、生涯をかけて神様の愛に応える生き方を探していたのです。実際にシスターを見たのは その日が初めてでしたが、シスターというのは、生涯を神様に捧げている人だと理解していました。

 とはいうものの、なかなか声をかける勇気が出ませんでした。じわじわと距離を縮めてみたものの、じっくり観察するにはまだ距離がある。 あー、電車が来てしまった! けれど、この機会を逃したら、今度いつシスターに会えるかわからない!いや、取引先に遅刻するではないか?待てよ、取引先よりも、シスターと話す方がもっと重要なんじゃないか?この出会いは、神様がくださったものではないか?少なくとも、修道院の場所を聞いておけば、いつか訪ねることができるかもしれないし。いや、いきなり声をかけたら怪しまれるだろうか?そんな葛藤が心で渦巻いたものの、ようやく決心がつき、反対方向の電車に乗ろうとしているシスターの後ろに並びました。

 しげしげとシスターを観察し始めた私は、その簡素な服装や持ち物、お化粧もしていないシスターの姿を見て、心がひかれました。「神様だけで十分なんですよね…」と心の中で話しかけたりして。ところが、シスターの手に光るものを発見し衝撃を受けました。 「えーーーー!シシシシ、シスターが指輪をしている!」と・・・心の中で絶叫。本当に驚いたのです。シスターなのに、どうしてアクセサリーを!? と。その頃の私は知らなかったのです。終生誓願を立てたシスターは、その約束の印に指輪をいただくということを・・・。

 その日、私はシスターの指輪に“つまづき”、声をかけずに列から離れました。もしかして声をかけていたら、私の誤解はすぐに解け、私は今頃、紺色の修道服を着たシスターになっていたかもしれません。あれから、20年以上がたちました。私もこの10月に、終生誓願を立てる恵みをいただきました。恋人たち、結婚した人たちは、指輪を見るたびに相手の愛を思い出すことでしょう。私も神様の愛を思い出しながら、いただいた指輪を見る毎日です。「愛する者よ、私についてきなさい」と呼びかけてくださる主イエスに、ふさわしい者になれますように。

Sr. C.O