マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

シスター段坂廣子の巻(どうしてFMMに?)

danzaka3- まず初めにどこでカトリックと出会われたのかお聞かせ下さい。

小学校2年生の時 家から歩いて10分ほどのところに教会が建ちました。友だちのお母さんにミッションスクールの卒業生の方がいて友だちといっしょに日曜学校に行くことになりました。メリノール修道会のアメリカ人の神父様がいらっしゃって楽しいことがいっぱいありました。特に夏休みにはキャンプやハイキング、クリスマスにはモミの木や、ベル、天使などの形をしたクッキー,聖劇・・・イースターにはきれいに飾り付けられた卵、別世界にいるようで、学校にもっていっては得意顔でした。物のない時代でしたから。お祈りを覚えてきたらご絵を一枚くださり、日曜学校を皆勤したらもっと大きなご絵がもらえました.公教要理で習ったことを2つほど今でも覚えています。神様はいつも見ていること、それに一人ひとりには守護の天使がついていて見守っていてくださること。私の天使はどんな顔をしているのかしらと思ったものです。小学校6年まで通っていました。

- ご家族について話してください。 

私たちは7人家族で女ばかりの5人姉妹。私は下から2番目でした。北海道の夕張に住んでいましたが、中学生のころ父の転勤で札幌に移りました。家庭のしつけはきびしく、上の姉たちが妹の面倒をよく見ていました。時には、姉たちが怒られているのを見て、うまく逃げたりしたものです。男の子に混じって、木登りや川下り、ザリガニ取りなどをし、お転婆で、のびのびと自由に遊んでいた子供時代でした。 

- 洗礼はどのようにして?

danzaka1高校を終わるころ女の子ばかりの家族なので、手に職をつけた方がいいだろうということで栄養士か教師になろうかなと思っていましたが、姉がある学校の入学案内書を持ってきました。そこにはシスター、寮生活、クリスマスキャンドルサービスの写真がのっていて私はその雰囲気に魅かれました。それは天使短期大学のパンフレットでした。札幌に家があるのに寮生活?両親はシスターたちの学校だからと入学を許してくれました。6人部屋で他人といっしょの生活はびっくりすることが多いでした。きれいに刺繍されたベッドカバーや明るい色合いのカーテン、優しそうなシスターたち、まるでおとぎの国にいるようでした。朝5時半起床、鐘の合図で点呼、10分間でベッドメイキング。点呼のあと「今日は洗面器をもってきてください」といわれて持って行くと清潔かどうかのチェックなど、日常生活の点検もありました。これらは病人の看護のために必要なことを学んでいたのだと気付かされました。門限は7時。厳しい生活でした。1年間はまじめに取り組みましたが、段々厳しさに嫌気がさしてきて、2年3年次には要領よく逃げたり抜けだしたり、門限破りをしたりなど、楽しい寮生活でした。けれども、何かにつけて「犠牲にしてください」、「奉仕してください」の連発に反抗心もありました。でもシスターの心にも少し触れました。

ある時、短大に入学後すぐだったと思いますが、靴を磨いていたとき、シスターが向こうから、通りすがりに「お元気?」と声をかけてくださいました。その時ふと「私シスターになるんだわ」という不思議な気持ちになったのでした。3年の終わりに「この学校は他の学校と違う。もう1年間、助産婦学校に行こう。」

「おっちょこちょいの廣子が赤ん坊を取り上げていると思うと命が縮まる。」と言う父の猛反対を無視して入学。その年の12月8日に洗礼を受けました。就職のとき、家から一番近い病院は天使病院。天使から逃げ出したかったのになぜか天使に就職することに決めてしまいました。当時日本一お産の多いところでいつも満員。夜勤のシスターは、茶目っ気のあるおだやかなシスター・クネグンダでした。シスターは忙しい夜勤中に少しでも時間ができると若い私たち助産師に仮眠をとらせ、ご自分は床磨き、壁磨きをしていました。よくロザリオを唱えていました。わめき騒ぐ産婦のそばについていて祈りながらさすっているシスター。暗い、静かなところで祈っている姿も度々目にしました。「これでいいの」、「今日もいい日だった」とのことばがいつも口から出ていました。こういうシスターの姿に何故か夜勤が楽しかったのを覚えています。

そのあと、研修のため東京聖母病院の寮に1か月お世話になっている時、数名のアスピラントたちを見て「あの人たちは別世界の人」と、何の興味もわきませんでした。ある時はアスピラントたちと一緒に日光に行き小山教会に宿泊してミサにあずかったとき「シスターにさせてください」と祈っている私。「でも違います。消してください」とすぐ必死で訂正している私がいました。研修を終え帰るとき、飛行機の中で光を浴びせられた感じがしたのです。それは2つの道が示されて、一つの道は暗い道、もう一つは光の道でした。私の道はこれなのだ!と思い、帰ってすぐ、シスター・クネグンダに話すと「あなたは結婚すると言ったでしょう」と言われましたが、3か月目位に「あなたは修道生活だと思う」と言われたので、自分の召命を確信するようになりました。

その後、管区長様に面会しましたが、「何年間天使にいましたか」と聞かれて、「学生生活を入れて9年です。」と答えると、「シスターの嫌な所もいい所も知っていますね。良いと思った時に入ってください」と言われました。その後、仕事で忙しい時にはそこに生きがいを見出すのに、休みで静かな時をすごしていると修道生活の魅力と呼びかけに心を動かされる、どちらが私の行くべき道なのか、そのうえ、親の反対もあって苦しい日々が続きました。シスター・クネグンダのことばに支えられてやっと入会の日を迎えました。ポストラントの制服に着替えてオラトワールで小さな式に与かったとき「私のいるところはここだったのだ!」との喜びが強くなっていくのを感じていました。

- 最後にシスターの使徒職のことについてお話し下さい。

初誓願をたてて聖母病院に分娩室の師長として派遣されました。33歳でした。危険、異常が常に伴う命の誕生・出産という神秘の中で、助産師、医師たちと喜び、苦しみ、悲しみ、感動を共にし、豊かな実り、やりがいのある使徒職でした。聖母は日本一分娩の多い病院でしたので、忙しいために、共同体での祈りなどに行けないこともありましたが、いつも姉妹たちに励まされ、皆の祈りに助けられた20年でした。大きな挫折と苦しみの時もありましたが、神さまから押されて修道生活に入ったのですから、きっと意味があると思って、苦しみを乗り越えてきました。

danzaka4その後、生涯養成を終え、再び聖母病院で、これまでの体験を生かし、病室をまわり、病人の悩み、異常児出産の母親の苦しみ、悲しみ、死に逝く人との関わりなどに寄り添って、耳を傾け、共に歩み続けていくパストラルケア(霊的ケア)を15年ほどいたしました。多くの人々との出会い、そして姉妹たちの祈りに支えられた貴重な体験をさせていただきました。今は神戸修道院に派遣され、修道院内で、高齢者と病人のお世話をしています。奉献生活を永年生きてきた姉妹方の姿には得るものが沢山あります。

教皇様は昨年の奉献生活の年のメッセージで「奉献生活者のいるところ、そこにはいつも喜びがある。」「もし、兄弟性を生きることができないなら、その人は修道生活は出来ない」と書いておられます。天使病院のあのシスター・クネグンダの姿こそ、「この方こそ本物のシスターだ!!」とあの時、私が思ったのは間違いではなかった、「あの方こそ本物の宣教者だったのだ」と、教皇様のことばを聞いて確信したのでした。

一人ひとりを見守っていることを小さい時に教えられたシスター段坂は天使の名前の付いた学校と病院で学び、働き、洗礼を受け、召命をいただかれたのですね。本当に守護の天使がシスターと共に歩み、道案内をしてくださり、神様と出会わせてくださったのを感じます。これからはシスターが周りの方々の守護の天使となってくださることでしょう。今日はありがとうございました