マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

亘理の七つの喜び (第四話)

3・11が今年も訪れた。各地で鎮魂と再生への希望をこめて祈りが捧げられた。

ここ亘理でも、2時46分には、サイレンが鳴り響き、黙祷が捧げられた。

5年前のこの日。愛する人を亡くした悲しみ、痛み、絶望を語ることはあっても、喜びに触れる事はできるのだろうか。

4-1亘理1美しい朝日とともに、この日が始まった。流された駅のロータリーでは亡くなられた人びとの数だけ、お地蔵さんが並べられ、次々と人びとがやってきては祈られる。やっと歩きはじめた子供も、杖をついたお年よりも、神道の宮司さんも、仏教のお坊さんも、そしてキリスト者も、宗教を越えて、すべてを越えて ひとつになって祈りが天にのぼっていく。

こめられた願いが黄色のハンカチにのせられて、風に翻る。手づくりの竹灯篭のなかで、光がゆらめき、祈りがたちのぼっていく。

まばゆい夕日の中で、3.11が過ぎていく。「あの日はもっと寒かった」と言って私の腕に、腕をくぐらせてこられたのは、ご主人を亡くされた仮設で出会った方だった。「もういい、じいちゃんが、いるところがわかったから」

十字架のむこうに復活がある。キリストの光が暗闇のなかでさんぜんと輝くことを信じていこ亘理4-2う。

クーロンヌ・フランシスケン(フランシスコ会の7つの喜びのロザリオ)

第四の黙想 博士らの礼拝におけるマリアの喜び (イエスの光が世にあらわされた)(Sr.M.・U)