マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

オブラ-ト修練院の開設

30-11925年 (大正14年) 12月8日、無原罪の聖母の祝日に、オラトワ-ルに集まった4名の志願者は、キノルド司教より志願者用のベ-ルを受け、修練長のMアポリナリアのもとで 修練院の生活を始めました。4名とも入会前に看護婦の資格を取得していたので修練院では事業の場で宣教に従事しながら人々の間に溶け込んでいく宣教者としての修練を受けました。

修練院での養成はフランシスコ会の強力な支持と助けのもとに着実に進められていきました。修練者たちはキノルド司教をはじめフランシスコ会の司祭や教会のカテキスタから「カテキスタ」の厳しい養成を受け、会の事30-3業だけでなく、当時、日本の全教会が一斉に開始した土曜・日曜学校や一般の福祉施設で多くの実地訓練を積み重ねました。事業の場としては1923年に始まった子どもの家、1924年に併設された授産所、そして、キノルド司教の要請で天使院に開設された印刷所などがあり、ほかにも北1条教会の司牧活動や無料診療所での医療奉仕にも従事していました。

こうして、管区には、熊本にある従来の修練院のほかに、札幌にオブラ-トのための修練院が新たに設けられました。戦後の変動する世界の中で行われたMステファナの公式訪問は 日本の管区に大きな転換期を印象づけました。1926年の総評議会で日本は新しい管区長を迎え、新しい時代に入りました。

昭和時代の幕開けに札幌で見られた本会の急速な浸透を見ると、その背景にはヨ-ロッパと中国から到着した会員4名による人材の補強とMステル・デル・ゼを修練長に迎えたオブラ-ト修練院の活性化があります。土地出身の会員が一人もいなかった札幌の共同体にオブラ-ト修練院が開設されたことにより、開発途上にあった北海道の宣教分野でキノルド司教が本会の福祉活動に抱いていた大きな構想は、計らずも着々と実現していきました。具体的には、30-2北1条教会の無料診療所での奉仕、天使院印刷所の開設と出版活動、そして 村民の要請に応えて始まった北広島村での福祉活動と修道院の創設などがありますが、事業の発展もさることながら、貧困家庭の訪問も含めて札幌周辺の宣教活動を語る時、20名近くいたオブラ-トの志願者、修練者、誓願者の献身もアグレジェの献身と同様見逃す事は出来ません。札幌のオブラ-トは、他国のオブラ-トのように少人数のオブラ-ト共同体をつくらずに 大きな札幌修道院で正規の会員と生活も宣教活動も共に分かちあっていました。