シスターテレサはロシアで宣教しているシリア人のシスターです。シリアのダマスカスの家族のもとに帰省している間に、中近東管区の管区長シスターナレーユから1ヶ月アレッポの修道院の手伝いをするように頼まれました。アレッポへの旅の様子を分かち合ってくださいました。
7月3日、午前8時にダマスカスから約330kmの距離にあるアレッポに向かって出発しました。普通ならバスで、4時間くらいで着くところですが、今の状況から10時間はかかるだろうと思っていました。
バスに乗ると、乗客たちが、皆、コーランやイスラムのロザリオを手にして、ずっと祈っているのです。もちろん私も同じように祈りました。きっとFMMのシスターたちや私の家族も祈ってくださっていたことでしょう。
ライフル銃を持った兵士達の中を通ってはいたのですが、静かに進むことができました。しかし、しばしば検問があり、身分証明書の提示を求められました。バスの中では、乗客たちにひっきりなしに電話がかかってきていました。私も、もちろんシスターナレーユやダマスカスのシスターたち、そして私の家族から安否を気遣う電話をいただきました。車窓から見える町の様子に、本当に心が痛みました。どこもかしこも戦争の被害を受け、建物という建物は、皆破壊され尽くされているのです。特に、国際ハイウェイの見る影もないような姿に、心痛みました。
夜の帳がおりましたが、全く動くことができません。バスの中で一夜を明かし、夜明けと共に動き出しました。その一夜、バスの乗客のお互いの支えあいはすばらしいものでした。携帯電話を持っている人が、持っていない人に家族に無事を知らせるために電話を貸したり、バスから降りて、食べ物を買いに出かけそれを皆に配ったりする人もいました。また、皆自分の持っているアラブケーキ、なつめやし、飲み物などをお互いに分かち合っていました。また親切にも、一夜の宿を提供してくださった村人もいました。朝10時にダマスカスに向けて出発し、だいたい夜8時ころにダマスカスに着く予定でした。帰りの道も危険に満ちたものでしたが、バスの中は、行きよりも和やかな雰囲気でした。乗客たちがお互いに親しくなっていたからです。近くに座る女性が私に「指輪は何の意味なのですか?」と尋ねました。彼女は、昔の私たちの学校の卒業生で、彼女の妹は私のクラスメートだということがわかり、電話番号を教えあいました。
ダマスカスの入り口で、私たちは、右も左も見てはいけない、またどんな動きもしてもいけないという命令を受けました。そしてバスは狙撃を恐れて猛スピードでダマスカスに入っていきました。
この旅の間、ずっと祈り続けてくださったシスターたちと家族に感謝しています。家に帰って、私の妹の小教区の教会で、私が無事でダマスカスに帰ってこられるようにと、私のために御ミサを捧げてくれたことがわかりました。本当に主に感謝しています。慈しみ深い神様に賛美と栄光がありますように。
Sr.Thérèse
								