中尾丸における施療院の歩み 中尾丸施療院の生活に大きな変化が見られるようになったのは、FMM来日3か月後の1899年 (明治32年) 頃からでした。この年は、日本と中国の管区長マリ・マドレヌ・ド・パジの初め…
FMM日本管区の歩み-6
FMMの福祉の原点となった「足を洗う」こと それから二週間後、フランシスコ会第三会員の聖エリザベトの祝日を迎えました。周囲の反対や拒絶に遭遇しながらもハンセン病者を母親のように労り彼らの友となった聖エリザベトに倣い、…
FMM日本管区の歩み-5
土地の言葉と生活習慣を学びつつ シスタ-たちが始めた貧しい生活様式には沢山の利点がありました。なかでも最大の利点は、近隣の貧しい人たちがシスタ-たちに気軽に近づき友達になってくれたことでした。シスタ-たちの余りにも貧し…
FMM日本管区の歩み-4
日本最初のFMMの家 1898年10月20日、いよいよ 極東の地にもFMMの修道院が開かれる日を迎えました。コロンブ院長は、胸をドキドキさせながら顔を紅潮させて家に入る5名の様子を当日の修道院日誌に次のように記録していま…
FMM日本管区の歩み-3
主のぶどう畑、宣教地・熊本へ 1898年10月19日、開設されたばかりの汽車に揺られながら、5名のFMMは幼きイエズス会のシスタ-の導きで最初の宣教地・熊本に到着し、市内にある幼きイエズス会の修道院に落ち着きました。翌…
FMM日本管区の歩み-2
マリアの宣教者フランシスコ修道会来日 1898年9月1日、マリ・ド・ラ・パシオンは日本のミッションのため神に選ばれた5名の会員をパリに集め、最後の諭しを与えました。 マリ・コロンブ・ド・ジェズ (フランス人) 26歳 …
FMM日本管区の歩み-1
マリアの宣教者フランシスコ修道会が日本で宣教の第一歩を踏み出したのは1898年(明治31年)10月19日、当時、日本に国立ハンセン療養所が一つもない時代に、余りにも非人間的な生活を強いられているハンセン病者を世話するた…