マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

FMM日本管区の歩み-4

日本最初のFMMの家

1898年10月20日、いよいよ 極東の地にもFMMの修道院が開かれる日を迎えました。コロンブ院長は、胸をドキドキさせながら顔を紅潮させて家に入る5名の様子を当日の修道院日誌に次のように記録しています。

慰めの聖母像

本会のシスタ-でこの家に入った人は まだ 誰もいません。日本で初めて開かれる家ですから、私たちが最初に入るのではなく 創立者のマリ・ド・ラ・パシオンに最初に扉を開いて頂きたいと思いました。それで、私達は門に入る前に創立者の写真を神父様にお渡しし、その後に続いて入りました。共同体の部屋には 思いがけなくも「慰めの聖母」と呼ばれるマリアの像が置かれていました。その前で、私達はアヴェ・マリアを3回唱えました。とても感動的でした。そこを通って仮聖堂に使用される部屋へ行きました。そこには祭壇と聖櫃がありましたが、聖櫃はまだ空っぽです。今夜私達は ここに泊まらず、市内にある幼きイエズス会の修道院へ戻ります。それで創立者の写真だけが琵琶崎のFMMの家に残りました。

その翌日、FMMは琵琶崎へ移りました。コ-ル師の厚意で、この家で初めて生活するFMMのために 幼きイエズス会のボルジア院長さまがこの貧しい家に一泊し日本での宣教体験をわかちあってくださいました。一夜明けて来院されたコ-ル師は小さな部屋の仮聖堂でミサをささげ、キリスト中心の共同体に神の祝福を注いでくださいました。最後に、シスタ-たちはマリアへの賛歌を歌い、「聖母のみこころ」に捧げられた日本のために祈りました。この家は、創立者の望みにしたがって、「日本の殉教者と訪問の聖母」に捧げられました。「日本の殉教者」に加えて「訪問の聖母」が選ばれたことをコ-ル師は ことのほか喜ばれました。というのは、中尾丸に購入した土地に待望のハンセン施設が開かれた日も、また 師がロ-マにある「聖母訪問会」の仲介で初めて本会を知った日も、「訪問の聖母」の祝日だったからです。

日本最初の修道院

日本最初の修道院

熊本に到着して1週間後、コ-ル師のはからいで 日本語の先生として送られてきた深堀詮朗師によって日本語の勉強が始まりました。その後間もなくクザン司教様が有安秀之進師をこの共同体の司祭として派遣してくださいました。こうして宣教活動の力の源となるキリストを中心とした共同体がつくられ、未知の国での宣教生活が希望のうちに始まりました。