マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

FMM日本管区の歩みー43(続き)

聖心聖マルグリット会「恵老院」の問題

本会が譲り受けようとしていた「恵老院」がいよいよ再設立という時になって、中国にいる管区長は、大司教から「老人ホ-ムの事業のことですが、補助金を受けるため11月10日までに少なくとも15名の老人と世話をする2名の修道女が必要です。臨時に修道女が来るようにしてください。」という趣旨の依頼状を受け取りました。それには「病院の建築に邪魔にならないように、老人の家を敷地の隅の方に建てたい」と具体的な考えまで書かれていました。管区長は2名のシスターの派遣を会長に願い、その結果、熊本修道院からカナダ国籍のシスターと札幌修道院からフランス国籍のシスターが恵老院で働くことになりました。

 

ところが、文化の相違から事態は思わぬ方向に発展していきました。同じ国内でも南と北と中央とでは、文化もメンタリティも生活習慣も、時には言葉さえ違うことがあります。熊本で南の文化に浸っていたシスターと札幌で北の文化に影響されてきたシスターたちは、それを東京に来て初めて体験したのです。「都会の、しかも上流社会のご婦人たちはこのホ-ムを病院とは別の場所に建てたいと思っている」という報告を受けた管区長は、その一か月後に中国から大司教に手紙でこう書いています。

 

この2人はこれから創設される病院のために喜んで出かけました。もう補助金給付申請の目的は達せられたのですから、2人を熊本へ戻したいと思います。この様な状況の中でこの事業が良い結果をもたらすのは非常に難しいと思います。婦人会の方々はとても親切なのですが、その抗議に逆らってまで自由に老人の世話をすることなど私たちには出来ません。残念ですが、老人ホ-ムを病院と同じ敷地に建てない方がよいと思います。

 

シャンボン大司教から届いた返事にはシスター2名の派遣に対する深い感謝と、2つの事業の為に共に祈るようにとの願いが込められていました。年が明けた1929年 (昭和4年) 1月9日、大司教は次のように書いています。

 

私たちの創立への望みは実現されると思います。どうしても実現されなければなりません。そのために一致して祈りましょう。病院が神のわざとなるように、神のために主の尊い御血によって贖われた人々のために光を灯し、善意を示し、犠牲を捧げ、譲り合ってまいりましょう。来春には新修道院の院長様が到着するとの知らせが ロ-マからありました。その頃にはあなた方もこちらにお着きになっていることでしょう。土地があなた方を待っています。到着までにあなた方がくつろげる家を準備しておきたいので どうぞ指示を与えてください。

 

シャンボン大司教は、婦人会とシスターとの仲介者となって、神の計画を実現したいという強い望みと賢明さで、いかなる意見にも影響されずに問題の本質をつかむことが出来ました。問題が起きるたびに、大司教と会長と管区長の絆は一層強くなり、一致してこの2つの事業を開く準備を進めていきました。中国にいる管区長から大司教へ宛てて書かれた10月11日付の手紙がそれを物語っています。

 

東京の初代院長は既に任命されています。現在ヨーロッパにおり、目下病院設置に役立つ情報を集めているところです。会長は東京修道院を「仲介者なるマリア」の保護のもとにおくと決めました。病院名について日本では事業名が非常に重要ですから日本人に響きのよい名前を大司教様につけていただきたいと思います。病院敷地内にバラックの家を何軒か建て、そこに老人たち(西大久保の借家に住む恵老院の10名)を移してはどうかという大司教様のお勧めに大賛成です。その家は病院建築の妨げにならないように敷地の隅の方に建てなければならないでしょう。東京創立が決定されたのは聖母月でしたからその保護のもとに万事良い結果に導かれることでしょう。

 

シャンボン大司教はM.クリゾストムの指示のもとに シスターたちが東京に到着したその日から修道生活が送れるように、すべてを整えていきました。姉妹たちが住むために司教館から守衛の住んでいた家を運びこみ、戸塚師も婦人会の手を借りて椅子、テ-ブル、家具、ベッドなどの日常生活に必要なものを揃え、あとは一行の到着を待つばかりとなりました。

 

1929年、本会は東京修道院の創設と東京大司教区の聖職者や信徒が長年待望してきた「国際聖母病院」の開設に向かって、具体的に歩み始める年を迎えました。病院建設に反対する住民運動や恵労院をめぐる麻布教会婦人会との間に生じた摩擦が尾を引きながらも、シャンボン大司教と本会の懸命な努力が続けられました。1月、M.コンソラトリスとM.リオバの2人が一足早く派遣されて来て、札幌修道院で日本語の勉強と病院運営や宣教生活に必要なことを学びながら、その日に備えていました。管区長のM.クリゾストムも院長に任命されていたM.サンタニェス(Marie de Ste. Agnes)よりも一週間ほど早く日本に着いて一行を迎えるつもりでいました。ところが3月の末に、M.サンタニェスが日本へ出発する前に中国を視察中、「勝利の聖母管区」の管区長に任命され、上海から急遽ロ-マ本部へ呼び戻されしまったのです。それでもM.クリゾストムは東京教区の要請に応えて神のご計画を実現させていきました。それから1か月後の5月10日、全てを摂理に信頼しつつM.クリゾストムは、ロ-マで修練を終えて帰国途上にあったM.被昇天(シスター林 京)と共に、北京から船で神戸に向かいました。