マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

西に榛名山

西に榛名山、遥か北には谷ヶ岳、土地の人々が「群馬の赤城おろし」と言っている赤城山からの強風。そして周辺には伊香保、草津、四万などの有名な温泉群・・・

渋川はそんな温泉地帯の入り口にある小さな町です。渋川駅に降りると右手に「カトリック渋川教会」と書かれた大きな看板が目に入ってきます。今年で創立63年の教会です。昔はフランシスコ会の司祭がこの近辺の司牧をしておられましたが、現在はさいたま教区が担当しています。教会としては小さな教会ですが、日曜日のミサには日本人、フィリピン人、インドネシア人そして最近はベトナムの方々も多くなり、国際色豊かです。信徒の75%は外国人で日本人は25%といった割合です。そんな訳でミサ中 朗読や歌は、日本語 英語 タガログ語そしてベトナム語が飛び交いますが「耳があっても、わからず!」という時がしばしばです。「平和の挨拶」では周りの人と握手をしたり、ハグをしたり…初めて渋川のミサに与る方はちょっと驚くでしょうが、喜びと平和がみなぎる瞬間です。国やことばは違っても心は一つ、参加者みんなが家族的な暖かさを感じる一時でもあります。

こんな渋川教会にEさんという信徒の方がおられます。私が数年前にここに来た頃からミサでお会いすると、いつも「私の唯一の望みは、主人が洗礼を受けてくれることです。どうぞ主人のために祈ってください。」と言われそのためのミサをお願いしたこともありました。お元気だったEさんが2年前、突然、腎臓癌と診断されました。その後脊髄にまで転移し、入退院していましたがついに下半身が動かなくなり、今は介護老人ホームで生活されています。面会には幸い、ご主人と3人の子供さん方が交代で行かれている様子ですが、家に一人残された87歳のご主人はどんなに淋しい日々を送っていらっしゃることかしらと気にかかっていました。するとある日曜日のこと、ご主人が息子さんと教会に来られたのです!それからは日曜日のミサにかかさず参加するようになりました。Eさんが「日曜日ごとにご聖体を頂きたいと望むので」と言って、息子さんがお運びしたり、また、息子さんがミサに来られない時は、まだ洗礼を受けていなかったご主人が(主任神父の特別の許可で)運ばれることも、たびたびでした。そんなある日、もの静かで無口なご主人が「洗礼を受けたい!」と言い出されたのです。

病床のEさんはびっくりするやら、嬉しいやら!今まで何年もの間、ご主人の洗礼を望んで祈ってこられたEさん、ひとりで自分の身体を自由に動かすことができなくなった今、Eさんは与えられた十字架の日々を信仰を持ってうけとめられ、神様は彼女のその信仰を顧みられ、こんな形でEさん家族に大きなお恵みを与えようとしておられたのです。Eさんは残念ながら洗礼式には出席することができませんでしたが、ご主人は今年4月21日復活祭のミサの中で洗礼を受けられました。6月には前橋教会で行われる堅信式で聖霊のたまものを豊かにいただき、教会共同体の中で幸せな信仰の道を、力強く歩んでいかれますことを祈っています。現在の病床のEさんに会う時、前よりも明るくなって、平和な気持ちで過ごされていることが伝わってきて、どんな状況に置かれても深い信仰に生きている方の姿は、美しく素晴らしいなあと感じさせていただいた出来事でした。

そして “ 神の計らいは限りなく 生涯 私はその中に生きる ” という聖歌が、ふと私の心に浮かんできました。                      

(Sr.Y.T)