マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

田舎の電車の中で・・・

今、私は、大人の数だけ自動車があると言われている群馬県に派遣されていますが、自動車の免許のない私にとって、移動の手段は、徒歩、自転車、そして二両編成のローカル電車です。都会のスピーディーな交通手段と比べると実にのんびりとしていますが、おもちゃのような小さなこの電車は、多くの出会をいただける恵みの場になっています。421日、復活祭の日の出会いを分かち合いましょう。

  復活祭の朝、いつものように、自転車で最寄りの駅まで行き、電車を待っていました。駅と言ってもホームがあるだけの無人駅です。めずらしく初老の夫婦がベンチに座っておられました、「おはようございます」と声をかけると、にこやかに挨拶を返して下さいました。村で見かけない方なので、「どちらからですか?」とお聞きすると、最近引っ越してきたばかりで、その日は、以前住んでいた家の片づけに東京に行くところだということでした。自転車を持って電車を待っている私の姿を珍しそうに眺めておられるので、「この電車は自転車を乗せられるので便利だ」などとたわいないことをお話ししていましたが、突然、奥様が、「ご家族はお元気ですか」と悲しそうな様子で聞いて来られました。その時電車が来たので、乗り込んでからお話しを続けると、最近息子さんを亡くされて、こちらに引っ越して来られたとのことでした。初対面で、何を話したらよいのかわからなかったのですが、ちょうど復活祭の卵を持っていたので、今日が復活祭であることをお話しして、卵を差し上げると、「何だか力を頂けたような気がします」と少し明るい表情になられました。それで息子さんとご夫妻のためにお祈りを約束しました。

  途中の駅でお二人を見送ると、時々出会うメキシコ人の女性が乗ってきました。日本人と結婚し、中2の男の子がいるお母さんです。前回会った時に御主人がガンの疑いで入院するので祈ってほしいと言われていましたので、御主人の具合を尋ねると、「ガンだったけれども、おなかを開けないで、ガンが取れた」ということで、「神に感謝!」と明るくおっしゃっていました。彼女は、日本に来て、だまされて風俗で働かされていた時に、プロテスタントの牧師先生に助けられて、もとはカトリックだったけれども、プロテスタントの教会に行っていること、そして今の御主人と結婚して、最初はよかったけれども、暴力を振るわれていることを以前話してくれたことがありますが、苦しみを抱えながらもいつも明るく「神様は、すばらしいね!」と言っている女性です。あふれるばかりの笑顔で「お祈りありがとう。復活祭おめでとう」と言われ、終点の駅で、別れました。

  教会では、復活祭のミサの中で小学生二人が洗礼の恵みを受け、大きな喜びの一日を過ごしました。

  そして夕方、また電車に自転車を乗せようとすると、いつも出会うおじいさんに出会いました。彼は、2年前に奥さんを亡くして以来、毎日「一日券」を買って、一日中、終点から終点まで、1時間あまりを往復している人です。家にいると「ばばあのことを思いだして辛くなるから」だそうです。相変わらず大きな袋をもって、にこにこしながら、「おばさん、今日は、キリスト教ではお祭りなんだべ。なんもないけど、これ」と言って一本のバナナを差し出しました。「なんで今日がお祭りだと知っているの?」と尋ねると、「駅前の教会の張り紙に『復活祭、どうぞお入りください』と書いてあったから」との返事でした。駅前の日本基督教団の教会のことでしょう。「それで入ったの?」と言うと「おら、ハイカラな所には行けねえから。でも、おばさんに会えっかなあと思って、バナナを買ったんだ」と言うのです。「おばさん」は私のことで、彼は、私がキリスト教徒だと言うことを知っていて、わざわざお祝いにバナナを買って、駅で待っていてくれたのです。私はまるで復活されたイエスと出会ったような気がして、本当にうれしくなりました。

  修道院に戻り、ご聖体のイエスの御前で一日出会った方々をイエスに捧げ、彼等のために恵みを祈りました。小さな電車に乗り、人々と出会い、話しを聞き、夜には、ご聖体のイエスの御前で彼らのために祈る、これが私の宣教生活です。この群馬の片田舎に派遣されたことを心から感謝しています。

                                    (Sr. N.H.