1929年5月25日に東京修道院は創設されました。今年で創立87年を迎えています。まず、どのように東京修道院が創設されたのかを見てみたいと思います。
本会の創立50周年の1927年(昭和2年)に会長M.サン・ミシェルは、フランシスコ会第三会員であった東京大司教区のシャンボン司教と戸塚文卿師から東京にカトリック病院創立の要請を受けました。戸塚青年は、イギリスのコールダッシュの本会の修道院で一人のFMMと出会い、それまでかたくなに拒んでいた司祭職へ方向転換していました。また、東京大司教区は、長い間、カトリック病院の必要性を感じ、その実現のために何度も試みていましたが、成功していませんでした。なお、大正11年頃より、麻布教会のカトリック婦人会の有志たちは、病院経営に当たる修道会をヨーロッパから招いてカトリック病院を建てようと、遠大な計画をもって、バザーなどを度々開催し資金を集めていました。
1927年当時は、未だ関東大震災の傷跡が残る状況下で、国際的なカトリック病院の設立を計画していたシャンボン司教と戸塚師は、フランシスコの精神をもって、国籍や宗教の区別なく、最も助けを必要としている病人や老人に救いの手を差し伸べる病院事業を望んでいました。これは、本会を東京へ招くことを意味していました。土地選びは、慎重に行われました。最終候補の2つの土地は、今の下落合の5000坪の広大な土地で一坪48円、もう一つは、明治神宮一帯の3500坪の坪150~250円の高値の狭い土地でした。シャンボン大司教は、病院建築のために広い土地が必要であり、資金的に神宮一帯の土地は、無理と考えていましたが、戸塚師は神宮一帯の土地の方が病院用地として適切であると考えていました。また、シャンボン大司教は、麻布カトリック婦人会経営の老人ホーム「恵老会」を本会に引き受けてほしいと要請していました。結局、今の聖母病院の土地が購入されることになりました。この同じ敷地内に、病院だけでなく、老人ホーム、学校、修道院等が建築されることになりました。
5か国6人の共同体で始まった東京修道院ですが、現在は日本人のみ18人で、聖母病院の周りに3つの修道院に分かれて住んでいます。一つの修道院に70名くらいのシスターが生活していた時もあったようですが、寂しい限りです。
私たちの生活は、祈りで始まります。木曜日を除く平日は、朝6時30分からミサと朝の祈りを聖母病院の聖堂で一緒に捧げています。夕の祈りは各共同体で祈っていますが、聖フランシスコの祝日など大きな祝日は一つの修道院に集まり、祈りと食事を共にして喜びと交流を深めています。
私たちの宣教の場は、病院(総合案内、通訳、パストラルケアなど)、老人ホーム、学校、刑務所での教誨師、要理教育など様々です。
昨年、私たちは韓国の姉妹たちとの交流の機会がありました。韓国の若い姉妹たちが研修のために来日したのです。2、3名ずつ分かれて各共同体で生活をしました。言葉や文化が違ってもFMMとして同じカリスマを生きる私たちは、すぐに打ち解け、和やかなひと時を過ごすことができました。
東京第二修道院では、20年以上続く「祈りの集い」が毎月第四木曜日に行われています。3つの修道院に加えて瀬田や三軒茶屋修道院の姉妹たちの協力を得ながら集いを続けています。各月の担当者がテーマを決めて祈りと分かち合いの時を持っています。テーマなど詳しくは、祈りの集い・黙想会のお知らせをご覧ください。
祈りたいと感じている貴女!是非 いらしてください。お待ちしています。