マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

主の平和

cat郵便受けの後ろにあるトタン屋根にだら〜っと横たわるノラ(たぶん)猫が出没するようになった。手を伸ばせばすぐ捕まえられるくらいの距離だというのに、まったく動じることなく、かえってこちらが驚いて声を上げると、「なにか?」と言わんばかりに、頭だけ持ち上げて一瞥するだけでまたすぐに寝る。いつ頃からか私たちは「社長」と呼ぶようになり、なぜか敬語で話しかけてたりして…。

初めの頃は、まったく何と図々しいことかと 文句を言ったりしていたのだけれど、だんだん、あの堂々とした腹の据わった感に不思議な力強さを感じるようにもなり、姿が見えないと「今日は出勤してないね…」と寂しくさえなってきた。

以前、ラジオ番組で聞いた有名な僧侶のお話しを神父様がわかち合ってくださったなかに、「腹が立つのは、腹がすわっていないから」という言葉があり、何だかものすごく納得したのだけれど、最近も神父さまのお説教での問い掛けが心に残った。「“主の平和”ってどんな平和なんでしょうね?」

世界中で起こっているテロの被害や地震などの大災害のニュースを見るたびに、何も意識せずに過ごしている「平和な日常」というものに気づかされるのだけれど、果たしてその時に私の意識にのぼっている平和は“主の平和”なんだろうかと考えさせられた。

ミサの度に数えきれないほど繰り返してきた「主の平和」という挨拶、でも私は「こんにちは」ぐらいの気持ちしか込めてこなかったように思う。イエズスが十字架上の死と復活をとおして私のために残し、私に与えてくださった「主の平和」をあらためて思い起こしていきたいと思っている。

(Sr.K.K)