マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

聖母の園 修練院『ナザレト』

のびしあ聖母の園の奥まったところ、マリ・ド・ラ・パシオンの家の隣にひっそりと佇む、養成の家『ナザレト』。赤い屋根の可愛らしい家をはじめて訪れた時、それまで修道院に抱いていたイメージと違って「え!これが修道院?」とびっくりしたのを覚えています。この家は、花壇や畑、自然がいっぱいの環境の中で、入会したばかりの修練者が修道生活の第一歩を踏み出すための場所です。しばらくナザレトには誰も住んでいなかったので畑は寂しい様子になっていましたが、今年は色々な野菜で賑わっています。ミニトマト、きゅうり、なす、しし唐など夏の定番野菜から空芯菜のようなめずらしい野菜、落花生、サツマイモ、サトイモ。畑上手な姉妹が心を込めて大切に育て、豊かな収穫が私たちを楽しませてくれています。また、きんかん、ラズベリーなどのジャム、初めての梅干し。聖母の園の自然を味わう、こうした恵みをみんなで分かち合っていただく喜びはかけがえのないものです。

畑の収穫ここで修練者は毎日様々なことをしています。掃除や料理など家の中のことから、畑仕事や作業、会の精神を学ぶための勉強、そして何にもまして大切な祈り…。温かい共同体の中で、姉妹の一人として共に祈り、共に働く。修道生活の基本をこの家で身につけていきます。ナザレト…それは、イエスが公生活に入られるまでの間、マリア、ヨセフと共に過ごされたところです。繰り返される日常、生活と祈りの日々、聖家族はそこで目立つことなくお暮しになっていたことでしょう。この養成の家は、そのことにちなんで『ナザレト』と名付けられています。修練者はここで、特に最初の一年間、社会との断絶の期間を過ごします。それまで当り前のように使用していた携帯電話やインターネットも使わない生活。修練院は、これまでのようにではなく新たな関わりを生きるように、そしてどんな時でも神のみに依り頼むことを知るように、一時的な断絶とある意味での孤独を味わいつつ、聖家族のように日常を生きる場なのです。そういう意味では、共同体の温かさの中にあっても、同時に非常に厳しい期間でもあります。断絶と孤独のさなかで、毎日ご聖体の主のみ前で祈り、社会とそして人々との心の交わりが深められていきます。以前にも増して、社会への関心を高めていく必要を感じずにはいられませんし、またどれだけ人々に対して無関心であるかを思い知らされもします。ご聖体の姿にまで小さくなられたキリスト、そこまで謙遜になられたイエスに倣って人々に自分を差し出していく。言葉ではとても美しいですが、現実に自分を小さくして差し出していくなどということは本当に難しく、心から神に依り頼むことがなければ、自分だけの決意や努力だけでは続きません。修練期は、そうした無力さを噛みしめる時期でもあると言えます。

無力感や惨めさゆえに個人的な葛藤に苦しんでいる時も、姉妹はお互いにさりげなく思いやり、助け合っています。現在、この家には5名の姉妹が生活を共にしています。日中、老人ホームや保育園に出かける姉妹もいれば、家の中のことをする姉妹もいます。全員が一緒にいられる時間は、共同の祈りである教会の祈りのひととき、そして朝食と夕食の時間。少しでも一緒にいられる時間を大切にしています。毎日、祈る時、食べる時、私たちは昨日よりずっと近くなっていくのです。どこの修道院でもそうですが、私たちはみんな、年齢も出身も個性もバラバラ。他人同士がイエスの名のもとにひとつに集められて「姉妹」として生活します。時には、お互いの違いに戸惑うことがあっても、共に生きるように集められた私たちは本当の「姉妹」になっていく歩みの中にある、そう信じてユーモアと笑顔で乗り越えていきます。楽しいときもそうでない時も、共に居るということを大切に、毎日を過ごしています。

ひっそりと隠れた生活をしている『ナザレト』ですが、それは閉鎖されている生活ではありません。逆に、外に向かって開かれた心を持っての生活です。明るく、朗らかに、風通しのよい共同体であるために、自分の殻から出て、すべてを全ての人と分かち合えるように。そのための修練院でありますように。