マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

Sr. マウゴジャータ マズルの巻

「住めば都」

ご家族についてお話してください

私は6人姉妹の上から2番目です。下の妹たちが生まれるまで4人姉妹のように育ちました。男の子は一人だけです。両親は共働きだったので、下の妹たちの世話は私達4人がしました。当時団地住まいだったので 隣近所でも互いに助けあったし保育園の送り迎えなども協力し合っていました。私は10月24日に生まれました。ポーランドでは冬生まれの子は2〜3か月して洗礼をうけるのが普通でしたので、クリスマスに受洗する予定でしたがその年はきびしい冬で、代父母が来ることができなくなったので復活祭に延ばしたそうです。
そうすると今度は母が病気になってしまったので、結局聖霊降臨の大祝日にやっと洗礼を授かりました。でも聖霊降臨の日に受洗できたことが私はとてもうれしいです。日本では幼児洗礼より大人の洗礼の方が多いようですが「洗礼までの道のり」の話を聞くととても感動します。それぞれ素晴らしい恵みだと思いました。


修道生活を考え始めたのは?

ポーランドはカトリックの国なのであちこちで、シスターの姿を見かけます。小学校では「聖エリザベト修道院」で宗教の授業をうけましたがその時のシスター達の姿は子供心に魅力的にうつりました。高校生になって宣教者になりたい!と思うようになりました。

私が所属していた教会は修道会の教会で、修道士たちをブラジルに派遣していました。初めて宣教師に会ったのは若い司祭がブラジルから帰国して宣教体験などを教会で話してくれた時でした。その頃から少しずつ宣教に関心をもつようになったと思います。

高校生の時、私の町グルジョンズに「マリアの宣教者フランシスコ修道会」(FMM)が創立され3人のシスター達がこられて教会で宗教を教えておられたので、私も週1回通うようになりました。そこで初めてFMMが宣教に熱心な修道会だと知りました。私のなかで宣教への望みがはっきりしてきた時だったと思います。FMMのシスター達は若者の黙想会や集まりを企画していたので、私も参加してFMMのことがもっとよくわかって、この修道会に入りたいと思うようになりました。私の町の教会ではご聖体が顕示されていて信者さんたちがその前でお祈りしていました。グレーの制服を着たFMMのシスター達もご聖体を礼拝しているのを学校の行きかえりに、よく見かけました。他の修道会のシスター達は見なかったので「ご聖体の礼拝はFMMの特徴なのだ」と段々わかるようになりました。


FMMに入会してから 海外宣教の夢はどのようにして かないましたか


私は海外宣教、特に南米にあこがれていました。
当時ポーランドでは南米の音楽がよく流れていましたから珍しいものではなかったのですが、とてもきれいだなと思い心にしみました。いつか南米に行きたいと思っていましたが、現実には台湾への派遣でした。

それで 英語の勉強のためイギリスにわたり、それからローマで準備していた時、外交上の問題があってポーランド人は台湾入国が難しいことがはっきりしました。その頃、日本管区はポーランド人2人を送ってほしいと本部に願っているとのことで、私達が派遣されることになりました。その日は12月12日で「グアダルーペのマリア様の祝日」だったので日本派遣は神様のみ旨だと感じました。

自分が選んで好きなところに行くと嫌なことがあっても文句はいえないけど、神のみ旨だと、神に文句が言えると思いました。もし大好きな南米だとスペイン語がある程度できたので、言葉やメンタリティーの面でも順応するのはやさしかったと思いますが「住めば都」!!です。聖母病院ではスペイン語を使ってたくさんお役にたてたと思うので不必要なものは何ひとつないと思います。私は南米に行かなかったけど、南米が私のほうにやってきてくれたと感じています。


日本での宣教について話してください。 

日本語はとても難しいでした。日本語とポーランド語では文の構造も考え方も反対です。でも漢字はとてもきれいだなと思ったし、発音は私にとってそれほど難しくはなかったのでその点は少し楽でした。私は「ことわざ」が好きなのでノートに書いて一生懸命覚えました。使ってみると日本人はびっくりします。外国人が日本のことわざを使うとは思ってもみないから、喜んだり驚いたりして、まるでゲームをしているようでした。日本にきて24年になりますが今でも日本語の勉強が必要です。この間ガソリンスタンドで「燃料」といわれて首をかしげていると「ガソリン」のことでした。共同体の買い物に行く時も実物をみせてもらってから出かけることもあります。日本は漢字文化なので大きなチャレンジでした。聖母大学の寮で働いた時も、学生たちとコミュニケーションできるようになるまでに時間がかかりました。物質的には豊かだけどこれは私の貧しさでした。でもとても大きな恵みでした。

また聖母病院で13年間働きました。死に瀕(ひん)している人と一緒に死に向かい、障害児の誕生に立ち合い、ガンと戦う人々と出会い・・・病院での体験はとても大きな宝です。その後、4年間ローマ本部でいろいろなお手伝いをして再び日本にもどってきました。今度は新しいチャレンジとして東京ではなく、札幌に派遣されることになりました。
ここは東京に比べると人間どうしのかかわりがもっと濃いように感じます。東京では道を聞こうとして日本語で話かけているのに「英語はわかりません」と言われてしまいましたが、札幌では地図を見ているだけですぐに話しかけてくれて教えてくれます。教会でもはじめてグループで勉強したとき、まるで前から知っていたかのようななつかしさや親しさがありました。今年9月で1年2か月になりますがポーランド人の子供3人の初聖体準備をしています。でもどこの教会にも知り合いがいるという感じでうれしいです。

最後に一言メッセージがあれば教えてください

札幌に来て、いくつかのグループと聖書のわかちあいをしています。聖書は本当にすばらしい!たくさんの方々に、聖書に親しんでいただきたいと思います。聖書は人生の指針になるし、自分の生き方の再確認もできるし、歩く道も示されると思います。

シスターに お名前の意味をお聞きしました。「マウゴジャータ」とはマーガレットの花の意味ですが もともとの原語はギリシャ語で「真珠」という意味だそうです。私たちは「ゴシカ」と呼んでいますが ご両親からは「マウガ」と呼ばれているそうです。