マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

たまねぎの思い出

cooking

修道院では多くの共同体でお食事当番というものがあります。以前は一つの修道院に住む姉妹の数も多く、台所仕事を使徒職として専門に行うシスターがいらっしゃったそうですが、現在は姉妹が交代で作ることが多くなっています。

私は入会するまで、ひとり暮らしはしていたものの、仕事が忙しいことを言い訳にして「帰宅してから食事の準備なんて無理!」と、ろくに自炊をせずに過ごしていました。入会後は包丁の持ち方から始め、今では何とか食事当番を果たすことができ、「おいしい」と言って食べていただく喜びをかみしめています。

入会したばかりの頃、野菜を切るスピードが遅すぎて、たまねぎを大量に切る時には特に苦労していました。そんな私を見かねてお料理名人の姉妹が切って下さることもしばしば。その鮮やかな包丁さばきに見とれていましたが、その姉妹の目から涙は流れてこない・・・この時私は、きっと料理が上手になればたまねぎを切っても涙が出なくなるに違いないと信じ、それが結構大きな動機となって、料理修行に励んだのでした。(後に、料理が上手な人でもたまねぎを切れば涙は出るという現実に気づきましたけれど。)

onion-dip2今も涙を流しながらたまねぎを切りますが、少なくとも私は料理をすることが好きになりました。姉妹が食べてくれる料理を工夫しながら準備する喜びを、包丁も満足に握れなかったこの私が感じるようになるなんて・・・と不思議に思います。神様はどんな状況でも人を変えて下さるのですね。世の中には色々な「証」がありますが、修道生活をするにも必要な力が足りなくてすべて一から学びながら歩んでいる私の証は、神様はどんな人であれその時々に必要な力をお与えくださる方だという神様の慈しみを、この身をもって証することだと思っています。(Sr. H )