マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

内戦後の連帯

ボスニアーヘルツェゴビナでは、内戦が終った後も苦しみが続いています。宗教を超えて、苦しむ女性たちとの連帯を生きる
FMMの紹介です。

 ボスニアーヘルツェゴビナの内戦が終結してからかなりの年月が過ぎ、人道支援グループの援助などによって、多くの家が新築されてきました。それで、最近では、スイスのお城のような家など、とても美しい家が立ち並んでいます。しかし、悲しいことに、多くの家が固く門を閉ざし、戦時の苦しい傷のためにそこに住む人々の心も閉ざされたままです。それらの美しい家の中に、どんなに多くの戦争や戦後の悲劇が隠されているのでしょう。戦後は、およそ50%の失業率に苦しみ、西洋の「死の文化」の影響の下で、心の空しさを体験して来ているのです。多くの人々、特に若者が、この苦しい現実から逃れるために、色々な「依存症」に陥ってしまっています。そして、それらの多くの苦しみは美しい壁の中に隠され、「いかがお過ごしですか。」という挨拶には、「まあまあですね」という曖昧な答えが、作り笑いと共に返ってくるのが常です。

 女性たちこそが、一番苦しんだ人々です。内戦によって夫や息子など愛する人々を失い、またレイプやあらゆる暴力を体験し、難民としての苦しみを味わいました。そして、それらの古傷の上に今は、更なる苦しみを体験しているのですが、プライドと羞恥心から、それらのことをすべて心の中に収め、口を開くことができないでいる人が大部分です。

しかし、新たな動きが始まりました。1年前、「いのち」というグループが始まったのです。そのグループは、あらゆる種類の「依存」を防止し、また依存者を支援して、受胎から死に至るまで「いのち」を守ることを目的としています。その創立者の一人は、薬物依存の息子を持つ母親で、彼女が、最初にその問題について公に話した人です。彼女は息子を「セナコロ」グループに送って助けを求めました。「いのち」には色々なグループがあり、Sr.アナ・アルベルティが、祈りのグループを手伝っています。祈りのグループでは、祈りの中で、女性たちが自分たちの苦しい体験を分かち合うように励ましますが、心を開き、聖霊の促しに身を委ねるためには、多くの時間と忍耐が必要です。心に苦しみを持っているのは自分だけでなく、周りの人々も同じように苦しんできたことがわかってくると、少しずつ、自分の傷について分かち合い、お互いのために祈りあうようになってきます。そして現在の苦しみの原因となっている災いに立ち向かっていけるようにすべての家族のために祝福を祈るのです。

イスラム教徒の間にも「スメジャ」という同じようなグループがあります。「スメジャ」は棄教を迫られて殺された女性の名前で、モスクで祈り、お互いに助けあい、困っている人々のもとを訪問することを目的としています。彼女たちの方から、あらゆる違い、偏見、憎しみを乗り越えるために、共に出会って何か行動を起こそうと、私たちに申し入れてくださいました。彼女たちは、3つの民族が分裂している現状の中で、まず、共に出会うことから始めたいと望んでいました。

そして初めての集まりが、私たちの修道院で2月29日に開かれました。まず自己紹介をし、それからそれぞれのグループの目的を説明しました。その後、おやつを食べ、歌を一緒に歌いましたが、次回の集まりはイスラム教徒のグループの方で行うことになりました。私たちは皆、苦しむ人々を助け、共に手を取り合って、より美しい人間的な社会を作りたいと心から強く望んでいます。そして、違いや偏見を乗り越える私たちの連帯によって、オドザクの町が、再び、幸せなすばらしい町になるように願っています。ある人が「戦後、私たちは、クロアチア人、ボスニア人、セラブ人になってしまって、人間でなくなってしまったようです。」と言っています。

イスラム教徒の女性たちとは祈りや信仰の形は異なりますが、神の霊であるキリストの霊が、私たち皆と共にいてくださると信じています。

Teresa Nowak, fmm