『南米』『先住民インディオとの連帯』長崎純心聖母会 アモレイラ修道院
セントロ・コムニタリオでは、経済的な理由で7歳〜14歳の子供60名を収容出来ずに、今年から、0歳〜6歳90名となりました。
ブラジルは、カーニバルが終わらないと平常に戻らず以前は「次の水曜日」の後は、お祭りはキッパリとストップしていたのですが、今はショー化して「次の水曜日」も「四旬節」もそれほど大切にされなくなりました。 また、(この時期になると)酒、麻薬、売春などとエスカレートしていき、人殺し、喧嘩、酔っぱらい運転と事故につながって行きます。 こういう中で聖別・奉献された者として生きていくことは、もっと意味があるように思います。ブラジルの教会のテーマは、先住民インディオとの連帯」です。環境問題も入っています。私達の教区は昨年から「ポピュラー・ミッション」を掲げ、教会から離れている人々へ、働きかける運動を始めています。また、老人司牧や子供司牧に熱心です。実際、貧しい家庭を訪問すると、すごい現実に出会って、自分の、生き方が問われてきます。そして、神様がどんなに貧しい人々を愛しておられるかが分かります。 「貧しい人は幸い」(マテオ5章)という箇所が、彼らの生活を通して理解出来るような気になっています。 『エンマヌエルホーム、18年ぶりに完成』フランシスコ会 加藤マヌエル神父
神様と多くの方々の協力援助で、エンマヌエルホームは昨年、18年ぶりに完成しました。
建物は、リマの日系人、カリタス・スイス、カナダ、とくに日本の援助で6年間で完成しました。同時に、この貧しい地区の子供達のために園内に保育所、ホームの近くに、文部省の認可と援助で設けられた学校の11校舎、健康管理のための小さな診療所を建てました。また、このホームを将来、自分達で維持して行けるように、1994年に若者達の「黙想の家」を、ホームの屋上を利用して建て、美容室、靴の修理、一昨年はパン製造工場、レストランも建てました。幸い、これらは、うまく運用されて、2002年正月からこれらの運営費でホームが賄われるようになりました。今、このホームで110人の子供達が元気に生活しています。 ペルーの経済情勢は依然として厳しく、昨年11月に落成した老人ホームに入居したいけれども入居費を払えない方が居ると思います。 若い時代に子育てや仕事を一生懸命やっていたが、晩年に社会情勢によって苦しい生活を、強いられているこの方々を、ちょっとでも余生を明るく、平和な環境で生かせたいです。 2002年1月28日
『人手不足でラパス支部を閉鎖』聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
今年も世界の各地で紛争が続いておりますがパラグアイも比較的平和な国ですが、経済的な貧困から泥棒、殺人、誘拐事件が次々と起こっています。「LA PA2(平和)」と名付けられた私達のコロニアでも、先頃、ドイツ人の家からトラクター1台が盗まれ、日本人の家に強盗が入り、単車を2台盗っていかれました。
カトリック国と言っても信仰は低調で、洗礼を受けただけでその後の信仰教育が不足しているとも言えます。2月から8月までレデンプトール会の司祭がラパスで新しいミッションを始められました。2週間前にカテキスタの講習会が行われ、貧しい農村地帯のカビリヤから熱心なカテキスタ達が58名集まりました。 2、3年前から青年運動も盛んになりました。このように司牧の面では一杯仕事があるのに、私の所属している聖霊奉侍布教修道女会は人手不足のために、今年一杯でラパス支部を閉鎖することとなり代わりの布教者を探しています。30年間、聖霊奉侍布教修道女会が経営していた幼稚園も、今年からは、スペイン語部門は公立学校に、日本語部門は、日本人会に委託しました。日本語部門は今年中は日本語学校付属幼稚園として、園舎をそのまま使っています。例え日本人会の経営としてもお祈りや宗教教育はしてもよいという条件で、私も今年一年は園長として残り、後任の先生を指導しております。 LAPA2幼稚園園児 −卒園式で− 『多数の死者、家屋倒壊した水書、子供達は…』礼拝会 斉藤 クニ子
先日は美しいカレンダーを有り難うございました。懐しい日本の山、海を思い出しております。こちらは相変わらずの不景気で、サンタクルスからの遠距離バスが、政府への反対デモのバリケードで不通になったり、ハンガースト、失業者、泥棒も増えています。そんな中で、自然も大暴れ、ラパスの街やビヤエミリア等が水害に見舞われ、家の倒壊や多くの死者を出しました。隣との境の塀が倒れ、水の大軍がこちらに流れ込み、一軒残らず浸水の憂き目にあい、保育園では子供達がおひるねをしていた時でした。子供も大人もショック、子供達は泣き出し大騒ぎでした。雨が上がっても、水がなかなか引かず、子供たちは川から流れてきた魚掬いに大喜びでした。
保育園の園児たち 2002年2月16日、水害で街は水浸し 『日本か?ボリビアか?ボリビア残留を決断』サレジアン・シスターズ 小浜 静子
皆様のお祈りとご協力によって元気に頑張っています。月日は早いものでボリビアに戻って1年が過ぎました。
(ところで)私達の修道会の日本管区の方針が変わることになりました。今まで私たちは、日本管区に所属しており、経済的なものは日本管区が一切負担してくれました。ところが、2002年から、日本管区の援助が打ち切られ、私たちは日本管区に帰属するか、ボリビア管区に所属するか、ボリビア管区に所属したら、一切、日本管区からの援助はない。ということになり、いよいよ決断しなければなりません。 これは、ローマの宣教本部の指令ですので、ずうっと祈り、神の御旨を探して来ましたが、Barrio D. B. Cの自立援助センターも援助が必要で、木村ドクターなどとの出会いなどを考えてみると、まだ、健康が続く限り、ボリビアの貧しい人々の間で働くことが、御旨ではないかとの結論に至りました。 最終的には、日本の管区長が来て話し合うことになっています。 《第2信》 先日は Barrio D. B. C の自立援助センターの Centro Medico 超音波器具購入などのためのご援助を誠に有り難うございました。センターの全職員、会員、木村先生ご夫妻ら一同心から神への感謝を捧げました。 (ところで)日本管区長とボリビア管区長も私どもの働きを視察し、大変喜んでくれ、現状を以前よりよく把握して下さり、新しい任務、サンフアン移住地の使徒職についても、何回かの会合を通して、見通しがついたのは、大変、良かったと思います。当分は試行錯誤もあると思いますが、神のみ旨が強く明らかになった今、ただ神の素直な道具に徹するのみと思います。 診療中の木村先生(右端)その左は奥様 超音波診療する木村先生 ジャングルへのミッション体験で現地の人と 学資援助しているボリビア人家庭(オキナワ第一コロニーで) 海のないボリビアではプールが大流行(自立援助センター) 『アフリカ』『神の愛を求めて2002年もチャドに生きる』ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬 小夜子
皆様のご活躍を「きずな」を通して非常に懐かしく、祈りのうちに感謝申し上げます。
「何をしたかが問題ではなく、どんな心でしたかが問題」と言われています。近頃、人々との出会いを大切にしようと心がけているのですが、その思いとは逆に、煩わしさを感じることも多いようです。この地の人々に寛ぎを与えるためには、言葉だけでは足りませんし、全ての人々の要求は受けられないし、宥めたり諭したり、今年で15年目を迎えるチャドで、毎日がチャレンジです。 ここ3カ月近く郵便局ストでライやギダリのシスターたちのところには、「クリスマスおめでとう」の手紙がやっとつい最近(届き)・・、まるきり何も受け取らず・・と呟いているところです。 ただ“忍”の一字です。 給与が遅配し、送金、預金、小切手などの中身が空だったり全面的に信用問題が内部的に問題となっているようです。こういうところは何かが変わろうとしているようです。 石油が出るということで大型トラックの運転手、溶接工を募集してもチャド人ではうまくいかず、採取された石油はパイプラインでカメルーンを通って海に出るということです。 自国で賄える物資の少ないチャドでは、多くの日常生活の糧はカメルーツから来ます。 しかし、果物一つにしても税関を通る時には3倍も値上がりするなど・・カメルーンとはあまり、うまくいかないようです。それならそれで、チャドがもっと自分たちの手足で動かなければと言いたくなりますが長い習慣とメンタリティを変えるには未だしで、まだまだ、国のことよりも、自分自身のことが優先しているのですね。チャドはこれから猛暑に入ります。 その日の糧にありついたら、チャドの人たちは、木陰で半日はおしゃべりをして、人によっては酔いしれ、寝そべって動きません。 でも、私はチャドに居ます。少数の青年たち、婦人連の良き協力者を得て、神様の働きかけによって、チャドの貧しい人、難民、気の毒な人々を、神がどんなに愛しておられるかを共に求めて、この2002年も頑張ります。そして、それが皆様の祈りと援助に支えられていることを、いつも感謝しつつ。祈りのうちに・・・。 2002年3月28日
このお便りが、Sr永瀬小夜子のチャドからの、最後のレポートとなり、4月5日、突然、天に召されました。 人々の心も荒れ果てた、現状に対するSr永瀬の警告と「聖なる遺書」です。 み魂の安らかならんことを。 (係) 『生活のアンバランスを』ショファイユの幼きイエズス修道会 大和 ひろみ
チャドの冬には、日本と同じく毎朝寒さに震えながら来る子供が沢山居ます。中には、下には何も着けずに、防寒着だけを着てくる子供もいます。朝の気温は15度くらいで、昼間は、30度近くになりますのでこれまた大変ですが朝の体操の時間に、土煙を上げて、思いっきり走り回っています。ディズニー体操が大好きで毎朝、「レッツ ゴー ミッキー!!」と、大張り切りです。昨年は雨が多く、洪水で稲が流された所もありましたが、一昨年より少し、収穫が多かったようです。刈り入れた稲を束ねて積み上げている所がまだあちこちに見られます。昨年12月に大統領がライを訪問されました。その時に沢山の約束をして帰られました。
橋の建設、道路の修復等々、何時実現するのでしょうか? 私たちの町にはロゴーヌ川があり、雨期には川幅が1キロ近くなります。今は、バックという大きなイカダにモーターが付いたような舟で自動車ごと渡してくれます。 人だけなら、ピロッグというカヌーで渡れます。日本のような文化圏に住むものには考えられないことでしょうが、それでもチャド全体からみると大きな発展です。ライでも、発電機やソーラーシステムのある建物には、電話やファックスが引かれるようになりました。しかし、一般の町の人々の生活は以前と同じで、生活のアンバランスを感じます。 『アシジの聖フランシスコ栄養失調児センターとして発足』マリアの宣教者フランシスコ修道会 黒田 小夜子
2001年10月、重症のチフスで1カ月、病床で大変御無沙汰しました。
ブルキナ・ファソ、BOBO−Dionlassoの栄養失調児センターへのご援助を頂き、早速、農業用トラックを注文しました。 大変な忍耐の末、2002年1月三菱の中型トラックが到着しました。現在試運転中ですが2カ所計20ヘクタールの仕事のために大変助かっています。 2001年11月24日、センターは日本をはじめ世界からの多大な援助のお陰で「アシジの聖フランシスコ栄養失調児センター」として誕生し、BOBO の司教様、市長、アビジャン駐在日本大使館などからの多数のご出席のもとに開場式を行い、テレビでブルキナ・ファソに全国放送されました。センターは、貧しい家族との共同作業によって医療、食料、教育に係わっており、活動分野は大幅になっています。 『アジア』『障害児問題をセミナーで熱心に討議』聖母カテキスタ会 浜谷美佐美
知的障害児学級「愛の園学園」では、「会」からの援助金によって、不備だった水道を整備し、電話の設置、夜間、強盗、毒蛇コブラの害を除くために設置が必要だった外灯工事をすることが出来、夜も安心して休めるようになりました。また、子供たちに必要な教師、保母さんも増員しました。今回、とくにニュージーランド人の講師4人をお迎えして3日間、父兄、教師、保母さんのためのセミナーを開きました。 メダン市内の10校から98人が参加し、熱心な討議が行われました。討議の中で、「何故、このような障害児が生まれたのか?」という質問が出され、講師側から「母体の健康管理が不十分、特に出産時における「医療管理の不足」が指摘され、「(生まれた)子供達には罪がない。これらの子供達は生涯、受難を担ってこの世の罪の償いをして生きている。神様は彼等をこよなく愛しておられる。現実を、家族全員が理解し、受け止め、愛と忍耐と希望をもって、家族が一つになって、励まし合い、子供の生涯を助けて欲しい」と講話を結ばれました。
メダン教区内にある神言会管区のベラワン地帯全体を受け持っておられるたった4人の司祭、修道士、シスター、カテキスタ、一般信者が一つになり、来る日も来る日も宣教に挑戦しておられる姿を見るにつけ、私達も祈りとミサで司祭方と心を一つにしています。 『ヨーロッパ』『世紀の数字遊びと世界平和への祈り』コンベンツアル聖フランシスコ修道会 瀧 憲志
21世紀2度目の復活祭を迎えました。
世界中の人々が新世紀こそは秤和な世紀を・・」と大きな期待をもって迎えた新世紀でしたが、またまた、戦乱の世紀の様相を呈してきました。「テロ対策」という名の戦争が世界中に蔓延しています。なんとも哀しい現実です。 戦争推進者達と正気で付き合っていると、彼らに振り回されて窒息死しそうです。 ここらで頭を冷やして平常心を保つために、数字遊びをしましょう。 2000年(ジュビレオ)のクリスマスは、2000年に1度のクリスマスということで、なにか改まった心境で祝った人々も居たようですが、クリスマスは2001年も、1999年のクリスマスも歴史上は1度きりしか巡って来ないクリスマスですよね。 とろこが、1001年に1度とか110年に1度のクリスマス(復活祭)というのがありますね。今年は2002年です。前から読んでも2002、後ろから読んでも2002、千の位と一の位が同じ数字で、中の数字二桁が00の年は、1001年に一度しか巡って来ません。また、千の位と一の位が同じ数字で、中の二桁も同じ数字(例えば1991年)という年は110年に一度巡って来ます。また、前世紀と次世紀の変わり目(例:1991−2002)には、千と一の位が同じ数字で、中の二桁が同じ数字という年が11年後に巡って来ることになります。 縁起をかつぐのではありませんが、20世紀末(1990年まで)に生まれ、現在も存在している人達(私たち)は、短い人生の問に、1001年に1度、110年に1度しか巡って来ない年の両方共に巡り合っています。 1991年と2002年です。 「幸運な巡り合わせ」と素直に受け止めて(幼な子のように)この恵みを感謝しながら「世界の恒久平和」を祈りたいものです。 2002年1月24日に教皇様の呼びかけで世界中の諸宗派の代表者達がアジアで「世界平和祈願集会」を開催、数千人の平和を願う人々が参集しました。アシジ市民の多くは自宅のテレビの前で、会場の人々と心を合わせて、祈りの集いに参加していました。 総ての披造物(無生物までも)を兄弟姉妹と呼んで、皆と心と声を合わせて神を賛美しながら「主の平和」を訴え続けた聖者フランシスコのお墓の傍らで、これまでに3度「世界平和祈願集会」が開催されています(1986年、1993年、2002年)。問題の当事者達が「力と力で解決」するのではなく、平和的な「話し合い」に目覚めるように、教皇様のご意向に合わせて「世界平和」を祈ります。 |