『ザ・メッセージ』(海外短信)
『ボリビア・サンフアン移住地の思い出』聖母病院産婦人科 大森茂・美穂
昭和46年に、現在のJICAの嘱託医として、ボリビアに赴任しました。サンフアン移住地は、アマゾン河の支流のヤパカニ河の流域にあり、亜熱帯気候の土地。当然、多くの昆虫や爬虫類が生息しています。中でも、特に、恐ろしいのがアリです。アリと言っても種類はいろいろですが、兵隊アリのような大型のものから、極小のアリまであります。これが集団で移動する時は、その通った跡には、総べての生き物が死骸となって残ります。
一度、我が家の中をアリの大群が通過したことがあります。その間、通り過ぎるまで外に避難していましたが、後に残ったものは、蜂や鼠、ゴキブリ、蜘蛛などの死骸でした。 ある時、我が家の僅か一坪程の洗面所を覗いたところ、壁や床や天井が真っ黒になり、何やら動いているではありませんか。よく見るとそれは全部ゴキブリでした。ゾッと身の毛のよだつ戦慄を覚えました。これも、やはり、縁の下をアリの大群が通過した時、ゴキブリの巣が襲われて、床の隙間から洗面所に逃げ込んだものと判明、戸を僅かに開いて、手だけを入れ、バイゴンという殺虫剤のスプレーを数分聞出しっ放しに噴霧……間もなく、パタパタと音がして、壁や天井が元の白さに戻りました。床を見ると、なんとゴキブリの死骸が積もっており、後で一匹、一匹摘んで数えたところ3百匹以上、佃煮にするほど取れました。 話は変わりますが、これも、やはり、アリの話……。 教会から診療所に往診の依頼がありました。急ぎ駆けつけてみると、ベッドに大男の神父、パドレ・フェルナンデスが横たわり瀕死の容態で、顔面蒼白、全身等麻疹、血圧には殆ど測定不能のショック状態でした。よく聞くと、足を小さな一匹のアリに刺されたとのこと。直ちに点滴輸液等の処置により、一命を取り止めました。 蜂ならぬ蟻の一刺し……アリの恐ろしさを痛感した、ボリビアの思い出でした。 『海外宣教者の皆様へ』会員 牧野俊雄・ゆみ子
私達は、「海外宣教者を支援する会」のメンバーです。いつも、皆様のことを思う時、不思議と小さい頃のことを思い出します。
自分より力の強い人、自分が出来ない問題もすぐに解いてしまう人、初めてのことにも、恐れずに立ち向っていく人、とにかく、自分には出来ないことをやる人は、小さい時からすごい人たちだ≠ニ思っています。 キリストが「宣べ伝えよ」と云われたことを、そのまま、体を張って実行している皆様はすごい人たち″です。 おやすみになっている時も「今日、怪我をした子供はどうしているだろうか」とか「あの子供達に、もっと満足な教育をしてあげたい」また、「どうしたら、あの人たちは自活出来るようになるのだろう」とか、いつも、人のことを心配していらっしゃるのでしょう。反対に、自分の生活のリズムが崩されるのが嫌だったり、人見知りが強かったり、まして、飛行機が怖いなんて云っている私達には、とても出来ないことばかりです。 そういうことは、愛と使命感に燃えて、しかも、度胸のある人達に、全てお任せしようと、心の中のずるい部分で考えています。 皆様に頑張って下さいなどと、偉そうなことは何も云えないのですが、お手本に近づきたいと願っています。どうぞ、お手本の皆様、これからも、よろしくお願いします。 『Sr小田、Sr片岡、TVで紹介』11月10日(金)午後9時から放送されたフジテレビの番組「白衣の天使・密着24時〜エチオピアの村に、生涯捧げた日太人看護婦」で、エチオピアの病室でナースとして活躍、宣教しておられる、マリアの宣教者フランシスコ修道会のSr小田美津江さんと片岡圭子さんの活躍ぶりが、女優竹下景子さんのレポートで紹介された。シスター小田は、首都アジスアペパの南プシエロ・ヘルスセンターですでに6年間、現地の患者たちと接している。 このセンターに来る患者には脳性マラリア患者が多い。運び込まれた時、すでに脳を冒されている19歳の青年、結核、腸チフス、脳性マラリア患者らで、ごった返している外来待合室、脳性マラリアで入院した妊婦(のち母子とも死亡)の治療と、シスターたち(5人)は、休む暇もない。月4回は青空検診にも出かけるシスター。 また、プシェロ・ヘルスセンターから、さらに30分山に入った、ゴサ診療所のナース、シスター片岡圭子さんも、人手不足のセンターの手伝いに来るが、このゴサ診療所には、まだ電気も引かれず、暖房は暖炉、ある日、担ぎこまれて来た赤ん坊の大きな火傷の治療をするシスター、ゴサ診療所も、センター同様、数少ない医療陣、ナースで多くの患者たちの治療に当たらねばならない。 暗い患者たちの表情と、対照的に、いつでも明るい無邪気な子供たちの笑顔。ナースになる時「勘当する」とまで云った父が、ナースの戴帽式に参加してくれて嬉しかった、と語るシスター小田と、「日本の家族が心の支え」「家族の愛は強い」と語るシスター片岡の言葉が、映し出される患者たちの映像と相挨って、観る人に、ヒューマンな大きな感動を与えたドキュメンタリーだった。 (編集部)
なお、この番組をホームビデオで収録したビデオテープをご希望の方は、「日本カトリック移住協議会」(〒一三五・東京都江東区潮見町二丁目十番十号・電話=03-五六三二-四四四二)へ。
テープ代・郵送料計六百円でお送りします。振替用紙を同封しますので、お払込み下さい。 『ECHO』
『講演会『遣わされた者の声〜宣教者の報告〜』』「会」の主催による帰国宣教者″の現地報告が、10月21日(土)午後一時半から、東京・四谷の「雙葉同窓会館」2階ホールで開かれた。講師は、一九八六年から8年間に亘り、ガーナで宣教、今年3月からはカリタス・ジャパンの要請で、ザイールのルワンダ難民キャンプに調整員として派遣され、自らも銃撃の恐怖にさらされた、神言会の菊池功神父、一九八一年、西アフリカ・シエラレオネに入り、十四年間、現地で福音宣教に当り、今年一月、身辺に迫った危険を避け、上司の命でローマに避難した御聖体の宣教クララ修道会のシスター鶴田順子で、お二人の語られる現地情勢は、余りにも激しく、生々しく、マスコミも報道しない現地の実態を報告、また、秘められた、殉教にも近い死を遂げた青年の話など、聞く者に大きな驚樗と感動を与えた。『キャンプが消えた!!』神言会 菊池功神父
「…(ルワンダでの)大きな問題は、ツチ族とフツ族という二つの部族の対立だ、ツチ族は少数部族、フツ族がマジョリティの部族だ。ルアンダて内戟が始まったのは、一九九〇年十月だ。この内戦の直接のきっかけは、実は教皇のルワンダ訪問(同年九月)だったという話を聞いて驚いた。教皇が来るということで、3万人ほどしか居ない軍隊、警官が首都近辺に集中した。国境地帯の警備が手薄になった隙を突いて、チャンスをねらっていた30年はど前、ルワンダを追い出されたツチ族のゲリラが、10月にルワンダに攻め込んだ。これが四年問にわたる内戦の始まりだったという訳だ。ルワンダの司教たち(9人)は、フツ族の大統領に近い立場をとっていたので、去年四月以降、3人が殺された。
一九九四年四月六日夜、国連の仲介による和平交渉帰りのフツ族出身のハビ・マリアナ大統領と、隣国ブルンジの大統領が乗った特別機が、首都のキガリ空港に着陸直前、何者かが放ったロケット弾で攻撃され、大統領機は自宅の上に落ち、二人が暗殺された。…ルワンダ政権内の穏健派の女性首相まで、真先に殺されるなど、その後3カ月間に、ほゞ50万人が殺されてしまったという。そのような中で、昨年7月4日に最終的に首都キガリがツチ族の愛国戦線によって攻略され、新政権(ツチ族)が樹立された。フツ族の政府軍と政府関係者を先頭に二百万人近い種族が、周辺の国に難民として逃げ出し始めた。…ルワンダとザイールの間にキプ湖という湖があって…南にプカブという町がある。…その町のビラバという村に難民キャンプがあり、シスター、ボランティア、一般信徒らがクリニックなど手伝うためにキャンプに行った。…しかし、このビラバのキャンプは、今は消えてなくなった。 消えてなくなった理由は…攻撃を受けたため閉鎖して、さらに、山奥に移ったからだ。ビラバには当初一万三千人ぐらい難民が居るという話だったが、実際に行ってみると、七五〇〇から八千人ぐらい。国連からテントや食料の配給があるので、二重登録しているわけだ。この七、五〇〇人の人が、国立競技場のグラウンドぐらいの広さの所に、ビニールシートを木に通しただけのテントに住んでいる。非常に住環境が悪い所だ…千五・六百メートルぐらいの高地だが雨が多く湿気が多い。…今年の四月十一日夜十時十五分頃キャンプ近くの司祭館で寝ていた時、ドーンという音がし、事故かと思ったが、矢庭にダダダと機関銃を撃つ音がして来た。…銃声は約2時間休みなく続いた。30人ぐらいの難民が司祭館に逃げ込んで来た。 彼らの話を綜合すると、ボート3隻に百〜二・三十人の兵隊が乗って居て、キャンプの端から攻撃、36人が死んだという。 そういうことがあったので、キャンプは七月末で閉鎖し、八月はじめに、そこから80kmほど離れた山奥のチマンガというキャンプに強制的に移動した。このため、ビラパのキャンプは消えて、今はない。…銃撃の最中、廊下に坐っている難民の人たちを見て、もしも、この建物に兵隊が来て、「難民を渡せ」と云った時、われわれ神父は、何と云うのだろうかと考えた。…「どうぞ連れて行って下さい」と云うのか、「いや、そうはさせない」と云わざるを得ないと思う。…そのままで相手が引き下がる訳がない。答えは一つしかない。「難民を殺すな」と前に立ちはだかるしかないだろう。非常に大きな決断を迫られた。…今、ルワンダ国内のヒラルキーはガタガタだ。 神父は殆ど居ない。帰ると逮捕されるおそれがあるので帰れない。帰れない最大の理由は、どちらにしても逮捕されるおそれがある。虐殺に手を貸したという理由で逮捕されるのだが、虐殺を見て、シスター達がそれを止めなかったといって逮捕される。虐殺が行われたのは、教会や修道院が多かったので、それを止めなかったという理由で逮捕されるのだ。ツチ族とフツ族の部族対立は、今後も、続くであろうし、難民はゲリラや予備軍だと、ルワンダ政府はみている。このゲリラ予備軍の難民を、カトリック教会やNGOはサポートしている。教会やNGOは政府に反対する勢力であると非難しているので、今、ルワンダ国内で、カトリック教会が何かをしようとしても、非常に難しい状況にあると思う。」 ルワンダ情勢について語る菊地功神父 『病気は悪霊憑き?……難しい初期衛生教育』御聖体の宣教クララ修道会 鶴田順子
…私はシエラレオネに派遣されるまで、この国を全然知ることもなく、前もって勉強するという余裕もなく、15年前に日本を発ちました。…(シエラレオネでの)私の仕事は、プライマリー・ヘルス・ケアをやって来ました。シエラレオネは乳幼児の死亡率が高い。乳幼児死亡率は、5人に1人、23人に1人は産婦が亡くなる、そんな状況の中で、どのようにして乳幼児死亡率を下げるか、衛生教育をやろうかというのが、プライマリー・ヘルス・ケアーです。「椅麗な水とは」、「トイレに行って手を洗う」「清潔」とはーと教えるのですが、識字率23%ぐらいで、殆どが字を読めないので、それらを理解させるのは大変です。とくに女の子には教育を受けさせたがらず、15歳ぐらいになると直ぐ結婚させてしまう。お産や、介助の方法、薬草の使い方など外国人には秘密に教えているので、相手のメンタリティを考えないと分からない。その種族の言葉でないと分からないので、むしろ、現地のスタッフに教え、彼らが自立して発展するようにしなければなりません。いろいろな病気の予防知識を与えるようにしているのがかなり成功して、新生児破傷風などは殆ど見なくなって来ました。最初、シエラレオネに行って吃驚したのは、病院に来る子供が次々と亡くなっていくことでした。熱のある子を、母親が、布で二重、三重にくるんで病院に連れて来る。待っている間に子供は、母親の腕の中で死んでいるが母親は気がつかないのです。また、早いのは生後、2〜3日で新生児破傷風が起き大体死んでしまいます。新生児破傷風では、殆ど百%亡くなってしま,つ。
一例だけ助かった例がありました。この赤ちゃんは「家でお産をしては駄目」と事前に言い聞かせていたのですが聞かず、家でお産をし、2〜3日してから「子供の様子がおかしい、乳を吸わなくなった」と病院に連れて来ました。新生児破傷風です。入院させたのだが、母親は「もう助からない」と感じたらしく、子供を連れて、夜、逃げ出してしまいました。アフリカ、シエラレオネでもそうですが、病気は悪魔に悪霊がとり憑くのだという考え方があります。(因みに、彼らにとってサバンナは神聖な場所になっており、その神聖な場所で秘密宗教、カルト的儀式を行う。また、悪魔の住む所という考え方もある)。病気で入院しても病院にお金を払うという考え方がない。病院はカトリックのミッションだから、無料で治療してくれるべきだという観念で「お金を払うのはイヤだし、どうせ子供は悪霊に憑かれて助からないのだから」と、夜、逃げ出してしまう母親が多いのです。この赤ちゃんの場合、その母親の家に行き、もう一度病院へ連れて来るよう促し、母親は嫌々ながら子供を連れて来て、幸い一命は取りとめ、今13歳ぐらいになっているはずです。シエラレオネには17の部族が屈ます。私の居た所は、テムニー族というのが多い、北西部の、ギニアとの国境に近い地方です。 そこで、アフリカ大陸の一部だから戦争が、リベリアなどであるとすると、戦争の影響は、すぐ、シエラレオネにも及びます。リベリア、モンロビなどからも随分、難民が入りました。シエラレオネに親戚などが居ない人は、難民としてキャンプに収容されます。船に二千人ぐらいの難民が乗って来るが、不衛生で、コレラなども発生します。国際赤十字の人なども、難民の世話や食糧の配布というのが本来の仕事なのに、船の中で、コレラなどで亡くなった人たちの死体の埋葬(が仕事)だと云われていたのは、三年前の話です。 カトリックの病院も全部閉鎖された状態に追い込まれています。 ガンビアという所でマリア布教修道会のシスターが捕虜になり、また、パンダマというのは、シエラレオネの中で、一番綺麗な、近代的病院と云われていたが、二年前に、キャンプで一万人ぐらいの難民を世話していた聖霊奉侍布教修道女会の神父が、病院の前で殺されました。新設のクリニックで私たちの会のシスター8名が捕虜になり、草原に置き去りにされました。 唯一残っている、ルンサにある神のヨハネ会のブラザーたちの病院では、患者よりも難民が多く、難民にまず食べさせることが毎日大変だとしうことです。その他、やられていない病院でも、機能が低下しています。」最後に、Sr鶴田が紹介した、撃ち合いに巻き込まれて捕らえられ、仲間に入ることを強要された、現地人の牧師の息子で、カトリックの求道者であったアブーという青年(日本の高2〜3年ぐらい)の、殉教にも等しい壮絶な死の実相の赤裸々な話は、会場の聴衆達の胸に大きな衝撃と感動を与えた。 シエラレオネ情勢の報告(Sr鶴田順子) Sr鶴田順子=一九八一年九月、西アフリカ・シエラレオネへ。約十四年間、助産婦およびマベッセ村での教会活動。一九九五年一月、内乱のためローマ本部へ避難。一九九五年七月帰国。現地では助産婦、マタニティ・クリニックなど担当。 『会員数』(個人・法人・賛助)計二、〇九五『海外派遣宣教者紹介』サレジオ会 ぺドロ・バルカザル神父 〜ソロモン諸島ガダルカナルへ〜 サレジオ会 田中行広修道士 〜ソロモン諸島ガダルカナルへ〜 聖ドミニコ女子修道会 田井千鶴子 〜カナダへ〜 『帰天』聖母カテキスタ会のシスター・アグネス・中島邦が去る10月19日、ブラジルで帰天されました。み魂の安らかならんことをー。 アグネス中島邦
『編集後記』五〇〇〇人以上の死者を出した一月の「関西・淡路大震災」をはじめ、「地下鉄サリン事件」、「要人の暗殺」等々、一九九五年は、ただ上いまさに、カオス(混沌)の海に、人々が漂流い、浮き沈みしたとも云える一年でした。このような不安と暗い日々の中で、世界各地で、貧困、病い、差別等と斗い、また、内戦による身の危険を顧みず、神の福音の実践に従事、また、その聖業を支援しておられる方々の上に、神の豊かな恩魔と、皆様の御健祥を祈りつつ「きずな」53号をお届けします。善き主の御降誕をお迎え下さい。 (山鳥) |