『アフリカ』『いま、試練の時』御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
一週間おくれて、シエラ・レオネに到着しました。
今年は教師不足に加え、三人の休暇を余儀なくされたため、毎日が、目の回るようです。 今、私たちにとって試練の時のようです。病気のシスター方は、皆ほがらかに、すべてをまかされています。 頂きました小切手は、今年2年生になるエリザベト・コロマという少女が頂くことになりました。 私がローマから遅く着きましたので、寄宿が一杯になってしまい、今学期は入れず、空き次第エリザベトは寄宿に入りますので、2学期、3学期の寄宿費を貯えておくつもりです。 最近のシエラ・レオネは、サラリーは、いっこうに上らないのに物価は上昇の一方、援助を必要とする生徒がどんどん増えて困っています。寄宿生の場合、月謝、教科書、学用品、寮費、その他を含め、年間五百ドルかかります。通学生の場合は、二八〇ドルぐらいです。 このようなわけで、エリザベトは、現在、通学生として、皆様の愛の贈物を使用させて頂いております。 イタリアから戻ったはかりで、アフリカのきびしさを強く感じています。そのうち、また慣れてゆくでしょう。 ※「会」からの支援に対して、心からの感謝を記したエリザベト・コロマさんからの英文の手紙が同封されておりました。(編集部) 『ガーナの子らと共に』マリアの宣教者フランシスコ修道会 梶川邦子
一九八〇年五月に、西アフリカのガーナに派遣されてから早や3年の月日が流れました。(中略)私が今居る所は、ガーナの北西部、オートボルタとの国境に近いジラパという広大なサバンナの中の小さな村です。…四〇年前に、私の属するマリアの宣教者フランシスコ修道会のシスター達が来て、木の下で始まった小さな診療所と学校のお手伝いをしたのが、現在のジラパ・ホスピタルと、私のいるセント・フランシス・セカンダリースクールの起りです。
学校も今は公立校になり、五百人近くの女子生徒をあずかる寄宿制の学校になって発展しています。…私の仕事は、ここの高校生に英語と英文学を教えることですが、何分、日本人の私が英語を教えるのですからたいしたことが出来るわけはなく、限界を感じながらの必死の努力が、せめてもの伝えられることかもしれません。 ガーナは今…話に聞く日本の戦後の状態のような物資不足とインフレ、毎年、貸し出される教科書はボロボロで…一人一冊ずつあたれは幸い。ノートもペンも…まず国内での入手は難かしく…期末テストは印刷用の紙も底をついて、問題はすべて黒板に書かれました。 先生たちも、夜なべ仕事用のランプの灯油がない。赤ペンがないからと職員会議で嘆きます。 一昨年から全国一斉に学校農園が義務づけられ…私の受持の1年生はピーナツ畑でした。この時はかりは私が生徒で、生徒は皆先生となり、少しでもおかしなことをすると「シスター、日本ではピーナツはそうやって植えるのですか」と聞かれ、畑仕事の知識皆無の私は赤面の連続です。 私が属する共同体は私の他に、ガーナ人、インド人、イギリス人の姉妹たち、3人のガーナ人の志願者が生活を共にしています。 4カ国の私たちが共に一つ星板の下で暮すことには、さまざまの食い違いもあり、ゆずり合ったり、許し合わなければならないことは山ほどありますが……ヨーロッパからは強い信仰、インドからは深い祈りを、アフリカからは明るさと忍耐を教えられています。 『送られ、遣わされた者として』マリアの御心会 本間良子
日本で、多くの宣教司祭やミッショナリーから受け育てられた、キリストへの信仰を、今は「送られ、遣わされた」者として、この国の人たちと一緒に生きています。
…「世界に生きる」の中の、南米、あるいは、僻地にいるシスター達の書かれたものには、ここの生活と共通することも多く、励まされる思いです。 若い召命、健康で、開かれた精神を養ない、その土地の言葉と、習慣を学べるしなやかさを持ち、キリストの愛に燃える青年が、引き継いでくれることを日本の教会に期待しています。 『中米』『活動会の支えに使命を』レデンプトリスチン修道会 佐藤淑子
カリブ海に浮ぶ小さいハイチに参りましてから、もう7年すぎました。なぜ、観想会がと皆様は思われるかもしれませんが……貧困のどん庇にあえぐ人々……この地に根強くはびこっている、ボードウ教のため、精神的、道徳的に迷っている人々のため、またそれと共に第一線で働いておられる数多くの司祭、修道女、宣教師、宣教女方のため…観想の祈り、働きによる使徒職を果しています。
司教様の許可の下に、修道院の中に、活動会のシスター方で黙想を希望する方々のため、部屋を準備してあります。 第一線で、霊的に、体力的に使い果したシスター方は、一日または二、三日、十日間を私どもと共に祈り…また第一線に戻られます。 すっかり力を戻されて勇ましくお帰りになられるシスター方を見る時、私どもは使命の重大さを深く考えさせられ、私どもも前進する力を得ることが出来ます。 この貧しい国でも物資の値上りはものすごく、5年前、一万円ぐらいで一年間の教育費に当てられていましたが、昨年から一万五千円から二万円(年間)かかります。 『アジア』『留学の間に涸れ井戸に』聖心侍女修道会 千葉桂子
2カ月近く留守にして戻ってみますと、井戸(ポンプで汲み上げる)も乾いて、飲料水なども他所からいただいたりして、落着かない数日を過し、今日、やっと普通に近い生活を始められるようになりました。
日本の教会内で宣教に関心が大きくなっている様子を「絆」などを通して知ることが出来、大変、嬉しく思います。 新学年度が始まり、また75名の寮生が戻ってまいり、彼女たちに本当に正しいカトリックの信仰が育っていけはと思います。そして将来を負う人が、正義を実践してほしいと願っていますいま。 『スラムからの立退きを迫られて』援助修道会 勝谷久子
六月の中頃、パンダカンの汽車の駅の近くに引越しをしました。
貧しい地域で、子供たちもー杯溢れているという感じです。 ローラ・ローラ(おはあさん)と呼ばれてドキンとしましたが、もっと人々の中に近く生活できる喜びでもあります。 さて、3月にお送りしました品々、大変ご苦労をおかけ申し訳けございませんでした。すべてが立派な日本の中で、こちらの品物は本当に価値の低いものと思いますが、スラムのお母さん達が作っているものを買い、協力することによって、アジアの人々と連帯して頂きたいと思います。フィリピンのお母さん達も、日本の方々に使って頂けることを誇りに思い、精一杯、頑張っておられます。 スラムの方々にとっても仕事もなく洗濯かタバコ売りかで生活を支えようと思うと、本当に大変です。ご主人も仕事のない人も多く、また、低賃金で、沢山の子どもを食べさせてゆくのも厳しいものです。今、このスラムも立退きをせまられていますが、行く処も決まらず、不安の中で日々生活しています。 『明るい患者さんたち』マリアの宣教者フランシスコ修道会 芹田安子
私の居ります聖心園は、四盲人ほどのハンセン病患者さんの村で、神父様、修道士さんら5名、シスター5名が居り、一般職員は6名、他は、患者さん方の協力によって生活しております。
お年寄り、盲目の方、義足の方等が多い共同体ですが、98パーセントがカトリックの信仰を持ち、明るく、楽観的で、訪問される方々が驚かれ力づけられるそうです。 日本でよく知られているラザロ村は、京城で北の方ですが、私の所は南の方で、釜山からですと、4時間ぐらいです。 『一日5時間、教壇に立って』ベリス・メルセス宣教修道女会 清水靖子
日本滞在中は、一方ならぬお世話になりました。心よりお礼申し上げます。おひとりおひとりのお心づかいとご親切を、決して忘れることは出来ません。
サイパンでの祈りの中で、皆様のために、そして、その大切なお仕事のために、神様の豊かな祝福と恵みを願っております。 私は新任地サイパンでの毎日を…新しい経験のうちに過しています。勤務先の学校は、チャランカアという、サイパンの中心部にある、モンテ・カルメルというカトリック系の高校で、男女共学です。毎朝7時15分に学校が開始、私は宗教と日本語を教え、毎日、約5時間、教壇に立っています。 『南米』『カンピナスに日系新司祭』愛徳カルメル修道女会 大西綾子
再渡伯して満6年を過しました。…仕事の少なかった始めの頃は…軒並み訪問も出来たのですが、近頃は専ら、日夜の日語教室と、若い娘さん、年輩婦人の方々のために手芸の集り、修道院の家庭的な仕事で精一杯の毎日でございます。
かねてより、この大きなカンピナスに日系司祭を与えられますよう取って参りましたところ、五月六日、カンピナスのロペス大司教様によって、山本いさお神父様が教区司祭として叙階され、めでたく、日系司祭が誕生しました。いさお神父様は、パラナの山奥で、6歳の時からご両親や御兄姉と共に耕地の労苦を共になさり、20歳にして、ようやく勉強することが出来るようになったと云われます。 叙階されてからすぐ、宣教師大会にご招待しましたところ、日伯司牧協会も、突然の新司祭の出席に大喜び、いさお神父様も、ご満足して帰られました。 『子供向けカトリック誌を』礼拝会 三輪和子
今、午前中は公立の幼稚園で働き、午後は日語学校の小学2年生に日本語を教えております。なにしろ一年中、とても暑いので、子供達も7時間授業が大変、現地と日本人の子供たちと調和しにくく、教育の点で頭を痛めることもありますが、頑張っております。
こちらの子供達は、わりと、日本から、いろいろの本を送って頂いて読んでおりますが、カトリック的なお話しの本とか、子供の雑誌などとても少ないので残念に思っております。 |