『アフリカ』『共同祈願は、ニュース提供の場』クリスト・ロア宣教修道女会 前川春美
…私は、こちらザイールに当修道会 の初めての日本人として派遣され、早くも三年目を迎えようとしています。
国が広いことと、交通機関の整備がおくれていることも原因の一つでしょうか、首都キンシャサでお目にかかった大使館員の方を最後に、今日に至るまで日本の方にお目にかかるチャンスがありません。私たちの会は、ここでは病院・診療所・産院・学校に奉仕させて頂いています。朝・夕の教会の祈りの共同祈願は、新しい身近なニュース提供の場でもあり、例えば産院で働くシスターは、新しい生命の誕生に喜びと感謝を祈り、病院のシスターは、手術成功の感謝であり、亡くなった方の永遠の安息を願う…こんな毎日です。 今年の御復活祭は落葉が舞い、日本の秋を感じさせます。 『欲しい薬は、日本では時代遅れ』マリアの宣教者フランシスコ修道会 福永順子
…予定どおり、成田、ローマ、ザイールへと…一月二十七日無事、今回の休暇帰省が終り、二月一日から、また、もとの仕事に戻りました。…ザイールへ帰って参ります前に、東京で、医療機械を購入し、アスピリン、ペニシリン、マーキュロ等、本当に初歩の薬剤を求めようと思いましたが、日進月歩の日本では、それらはすべて時代遅れで製造していないとか、こちらで探さざるを得ませんでした。
…東京で求めたものは持てるだけ自分で持ってこなければなりません。といいますのは、送ると受取るまでに中味が大分抜かれていたり、全く失くなってしまうというケースが多いからです。 …修院でも病院でも、私の持って帰った少しの物に大変喜んで下さり…日本の方々に感謝しております。 『ARTICLe15!餅でラジエターの穴ふさぎ』マリアの宣教者フランシスコ修道会 中村寛子
…ザイールに来まして二年半以上になり、今、ボマという港町(海ではなく、大西洋から河口60キロ遡ったザイール河の)、今は寂れていますが、昔、主都だった所で、身心障害児のために働いています。小学校で6歳から柑歳まで一五〇人の子どもたちが居ます。
半分は小児麻痔の肢体不自由児の一年生から六年生までの普通教育クラス、他にろう児たちのためのクラスなどがあります。 十年くらい前、迷信のため、家の中に隠されていたり、厄介者になっている子供たちが自立出来るように、修院の中に洋裁や手芸を教える教室を開いたのが、はじまりで…今のような学校になり、親たちの考え方も変って来て、自分たちから入学を頼むようになり、毎年、入学者が増える有様で、嬉しい悲鳴を上げています。 …他のアフリカ諸国の例に洩れず、ここザイールもインフレで、庶民の生活は苦しくなる一方で(す)。この中で生活するために、憲法にのっていない条文article15″というのが、人々の口に、しょっ中上ります。何が何でも、何とか切り抜けよう″というものです……お話ししましたように児童の増加で3教室の建物を建てはじめました…本当はまだ不足なので…多分、出来上った時、また別のを建てなくてはならないだろうと思いますけれど…。 建築はセメントのブロック作りからはじめます。以前は、雨が降るたびに、傾斜の多い所で、雨と共に砂が学校に流れ込み、おびたゞしい砂が下水を詰らせ、いつも掃除が大変でしたが、この砂が天からのもらい砂≠ニ分り、すでにその砂で4個のブロックが出来ました。雨が降る度に神さまありがとう″と言っています。この砂が一番多く集まる所は、校門の外側、強いて云うなら公共の地で、他の人も目をつけて砂を取りに来るのですが、この時にアルティクル15≠ェ効力を発するのです。「誰がここを掃除しますか?私達でしょう〜」と、絶対に縄張りを主張して譲らないのです。生き延びるために、図々しくということを学んでいます。 私の経験の第2は、主都のキンシャサに旅行して帰る途中、…ちょうどボマに出発するザイール人の神父様の車に同乗することが出来ました。ボマの百キロ手前に差しかかったところ、一つの村の近くで、3頭の山羊が急に勢いよく道路を横切り、避けることが出来・・なくて、二頭轢き殺しました。持主は、肉は高く売れますから被害はなくても、車は前のバンパーが曲り、ラジエターを傷つけ、あちこち穴だらけで、水が全部流れ出て走れなくなりました。山羊の持主は車の修理代を請求されるのを怖れて逃げてしまいました。…私たちは途方にくれてしまったのですが、反対方角から来た一台の車がとまり、運転者は「アルティクル15、心配しないで」と集まっていた数人の若者たちと、曲っていたバンパーを直し、神父さまに何か話し、神父様は一人の若者に何がしかのお金を渡しました。しばらくすると若者はシクワンガ″といって、この地方の常食で、マンディオクの粉を練って、ちまきのように葉っぱに包み、蒸したもの 〜どこでも売っている〜を一本持って来ました。腹ごしらえをして修理に取りかかるのかと思っていたら、このシタワンガ(餅に似てます)をちぎっては、ラジエターの穴を塞ぎはじめました。私は唖然とすると同時に感心してしまいました。穴がふさがった所で、川から水を汲んで来て、ラジエターに入れ、30分後に出発することが出来ました。二時間後、修道院に着いた時、一滴の水洩れもなく、何とか切り抜けました″……。 『子どもたちは、食べること第一?』ショファイユの幼きイエズス修道会 三宅陽子
…私の幼稚園も、昨年の十二月より、新しい園舎に可愛いい机や椅去qも入り、子どもたちも毎日喜んで通っております。遊具は何もありませんが、砂場で、あるいは広い庭を駆け回り楽しんでおりますが、何よりも嬉しいのは給食時、それを当てに(して)来る子もおります。…子どもたちにとっては、食べることが第一の目的かもしれません。(二月二十四日)
『収穫は多けれど……』ショファイユの幼きイエズス修道会 有園順子
…こちらは、昨年の多降雨量のため、寒さが例年よりも一カ月余長く続き、二、三日前から急に気温が上って来たように感じています。
…シスター三宅は幼稚園で、私は小学生の図工や洋裁を片手に、婦人方の生活向上のために村々を回っています。 AUTO-PROMOTIONという教区の意向に従って、一人々々が他者に依存することなく、生活に責任がとれるよう共に反省し、考え、前進出来るように努力しています。シスター脇山は、シスター永瀬のバカンスの間N'Djamenaで、彼女の仕事を引き受けています。 シスター脇山、内田、大湾は、ご復活後、ライから50キロ離れたギダリという村に、スイス人のシスター方の後を引き受けることになっています。ムンドラ教区はとても広く、五月にはドゥバ教区が誕生し、私たちはドゥバ地区の管轄になりました。収穫は多けれど、働く人は少なし″といったところです。いつか、日本人の神父様方も応援に来て下さることを、いつも希望して居ります。 一九八八年六月一日号からきずな″を頂いておりませんが絶版になったのでしょうか。 二月二十五日 『薬もなく、子どもの教育低下が心配』援助修道会 柏瀬百合子
…日本の美しいカレンダー…ありがとうございました。サバンナの止荒涼とした景色の中では、日本の四季折々の…風景を想像することが難しいのですが、カレンダーを眺めて「あゝ、日本は今、桜の季節だ。若葉の季節だ」と思い出すことが出来ます。こちらはいま雨期で、涼しい日が続いています。…雨期になりますと病院に来る患者が減ります。というのは、畑の仕事が忙しくなるからです。病人は後回しにされるので、病気が重くなったり、慢性化した患者が運ばれて来ることになります。雨期になると、肺炎、脳膜炎、火傷の患者が増えます。風邪をこじらせたり、雨で、外で料理が出来ないため、家の中で火を使うようになるからです。…今年は幸いにコレラの患者が出ませんでホッとしています。タンザニアでは相変らず薬がありませんで、いつも外国から購入することになっています。
船便ですと港まで一カ月ですが、港から私たちの所に届くまで、大変な時間がかかることになり、最近は少量づつ航空便にしています。度々、最寄りの空港ではなく、とんでもない所に届いてしまうの汲ナ、荷物の引取りに大変なお金と時間を使うことになってしまいます。…毎週、現地人スタッフと……運営委員会を開いていますが、現地の人にマネージメントを教えることは、一番難しいようです。 …どうしても外国の援助に頼る依存型になってしまう憤向です。 …タンザニアで、もう一つ気になることは、子どよじたちの教育の低下です。…20年かけて統一して来たスワヒリ語を話せなくなっている子どもが多く…心配です。私が住んでいるこの小教区でセカンンダリースクールを建てる話が、持ち上っています。村人たちは牛を売って資金集めを始めました。二年がかりになるようです。 『ありがとう!やっと車が』聖パウロ女子修道会 鈴木寛子
…種々の手続が済み、三菱の代理店を通じて車が届き、支払を済ませてからも、車のナンバープレートがなかなか箕えず…お古衆参りの末、やっと、十二月二十三日に…箕えました。…早速、活用させて頂いております。車なしでは動けませんので、車を頂けましたことは、大変、大きな助けです。私どもの、おんぼろ革では遠くまで行けませんでした。これからは、もっと広範囲に活動することが出来ます。
やっと車が!ウガンダSr鈴木 『南米』『嬉しい宣教師の出会い』マリア会 青木勲神父
…二月十七日から二十日まで、純心のシスター、パラグアイのシスター山田とドモニコ会 のシスター中村、氏家さんを訪問しました。
やはり、宣教師の出会いは嬉しいものがあります。みな、自分の所で文字どおり孤軍奮闘”、霊的にも渇きと飢えを持っています。 一月九日から十六日まで、ブラジルの宮崎カリタス修道女会の黙想を手伝いました。心の絆、霊的生活と宣教師同士の存在のレベルでの共通感が、出会いを通して、言わず、語らず通じるものがあります。 ……祈りと感謝の祭儀が、新しい勇気とバッテリーとなります。 物の不足より、者の不足、それ以上に霊的種の不足というところでしょうか。 『アマゾンに日本人入植続く』フランシスコ会 小川満神父
四カ月も続いた昨年の早魅にも拘らず、その後の大雨によって順調に育って来た大豆も、空前の大豊作とさわがれながら…収穫期に入りました。(しかし)東北ブラジルでは再び早魅が、南部の一部では大雨が、早魅が、そして大寒波や雹が襲い、折角の大豆や棉が全滅の危機に脅かされています。しかし、ここ南マット・グロツン州はインフレのほかは全てが順調に進行しています。
……マット・グロツン管区といっても、ドゥラードス市とその近郊、半径二五〇キロ範囲内に16の日系移住地があり、そこに生活する日系人は、千五百家族、約六、五〇〇人にもなります。…日本人会のない地区や、十数家族の単位で入植している日系人がかなりあり、それらは、この統計には含まれていません。さらに州都のカンボ・グランデ市には現在…二万五千人は下らない日系人が住んでいます。 そのほかにカンポ・グランデ周辺には、小野田少尉の住む移住地を含め、十指を越える日系移住地もあり、それらみなが私の宣教対象となります。さらに、そこから五百キロ北に上ったアマゾンの入り口付近にも日本人が入りはじめています。 家庭訪問、ブラジル・マリリア市Sr佐藤 『牧師一家の改宗』マリアの宣教者フランシスコ修道会 佐藤和
…私も昨年暮で、日本を出て、満30周年を迎えました。
昨年、マリア聖母婦人会創立30周年の祝いの折、一牧師さん御家族の改宗は、すべてを忘れさせる程の一番大きな慰め、よろこびでした。…今度も、日本に帰省して居ります間に、ブラジルでは、クルゼード(ブラジル通貨)のゼロが三つとれたり、物価の再凍結等(ありました)…。出発前の時に違わず、苦しい状態に追いこまれているようで(す)。…このたびは、聖書、聖歌集等…ありがとうございました。奥地の方では高価で手に入り′にくいので助かります。…。 『百一歳、日本移住者受洗第一号・大橋栄作さん』マリアの宣教者フランシスコ修道会 桝谷節子
…ペルーに到着して二カ月半…いま、四月からの新しい派遣地アマゾン地帯の町イキトス行を待っているところです。この二カ月半、いろいろ印象深いことがありましたが、とくに百一歳になられる日本人移住者・大橋栄作さんのことをご報告したいと思います。
…ご存知のように、ひどいインフレ、テロ、暴力の絶えないペルーの状況です。その中で、大橋さんのことは、喜びのニュースとしてペルーの各TV、新開で報道されました。 …ペルーへの日本人移住はラテンアメリカの中で第一番に実現されましたが、大橋さんは七回目の移住者として、明治四十二年(一九〇九)にペルーに渡っで来ました。徳島県からの移住者として…一カ月半の船旅をし、カリヤオの港に着いて以来今日に至るまでの80年間、日本に帰ることはありませんでした。昔のことですから日本との通信もとれず、大橋さんもご家族の方も…お互いに亡くなったと思っていました。ところが昨年、ペルーを通りかかった福島通信の記者の方が大橋さんのことを聞き…日本に帰ってから家族の方を探したのです。すぐに反応があり、妹さん、弟さんをはじめ、たくさんの親戚の方たちから手紙や写真が届きました。当時4歳だった一番末の妹さんは84歳でご健在。…栄作さんは海岸地帯の砂糖キビ株ィで働きはじめ、その後、言葉を覚えなければどうにもならないと、三年間家庭に入ってボーイを勤めました。はじめて北米から自動車が入って来たのを見て、自動車修理の仕事で独立、以来、働き続けました。ペルーに居る限りは宗教もカトリックでなければ人の信用もないと改宗を望み…ペルーの日本人最初の受洗者となりました。 今も寝る前には、必ずロザリオを祈って寝るとのこと。釣が大好きで昨年までは海に出ていたということです。かつては、20数キロの獲物も釣り上げたことがあるそうで…がっちりした(その)手は、印象的でした。 4月l日 『完成間近、エンマヌエルホームありがとう!』フランシスコ会 マヌエル加藤神父
…皆様に頂きました援助金で、エンマヌエルホームの建物は完成に近く…また医療センター、チャペル(兼講堂)そして小さな司祭館は、半分以上完成し …七月ごろに完成する見込です。
…いま、私たちが気になっているのは、ペルーの経済状況です。政府は報道機関を通じて、四、五月にはペルーの経済は安定すると報じています。その証拠に昨年の暮一ドルが二、四〇〇インティだったのが、いまは二三〇〇インティで、ペルーの経済は立ち直るとのことですが…誰も…信じていません。……もう一つ気になる現象は、大学を卒業したばかりの若者達や結婚したばかりの人が、国外脱出をしていることです。それはペルーに仕事がない、経済危機とインフレで生活が出来ない…ペルーに…見切りをつけて…日系の若者たちも多く日本へ出ています。いま、ペルーの日系人協会では移住紳周年記念を計画していますが、私たちの事業も移民鋤周年事業の一環としてペルー国民に、このエンマヌエルホームを贈呈したいと思います。 『経済悪化で、生活も苦しく』天使の聖母宣教修道女会 井上優子
…ペルーへ派遣され、二年五カ月になりました。今日、皆様から車購入資金を頂いたニュースを、日本の私たちの姉妹を通して知らされ、感謝で一杯です。一人のこちらの姉妹がこの知らせを聞き、「日本のキリスト者の率は低いけど、なんと大きな支え、働きをするのでしょう」と感激していました。
…昨年七月頃から……ペルーの経済状態が悪くなり…一般市民…貧困者(の)毎日の生活が不安定になって来ました。…日系一世の方の話しですと、今までにない悪い状態に来ているということです。旧市街地にはスペイン風の壮麗な建物が並んでいる一方、簡単な竹細工の四角面の家が、禿山に建ち並び、貧富の差のひどいのに驚きます。…仕事がなくなり、会社の倒産、住む家のない人々、テロ、物乞い、泥棒の多いこと……治安は悪化する一方です。……将来、この国を支える幼児には、栄養不足、教育不足です。学校に行きたくとも、ノート、鉛筆、その他無く、学校へ行きたがらず、…本当に残念でなりません。…言葉、生活習慣の違う中で、貧困者対象のセルビシオ・ンシアールの仕事をやっていますが、物価高のために配る物が少なくなりました。これから先…どうなるか分りません。…診療所を持つ私たちの姉妹は薬不足で悩んでいます。薬、食糧、服、靴、そして山の上に住む人々には、水、電気もありません。水は買うのですが、食事の用意のためという人々が多いのです。 …ペルーは99%はカトリック信者ですが、いま、沢山の宗教がこの国に入って来ています。日本から(も)驚くほどの宗教が入っています。…私たちの仕事は、夕方から夜の九時半、十時ごろまでで、その間にあるミサは、日本で味わえない家庭的雰囲気のあるミサです。貧困者の家はエステーラ(竹細工)、私たちの教会もエステーラ。リマでは、時たま、ガルアという細かい雨が降るくらいですから、彼らは、ガルアのために、天井にダンポールとピエールを張hンめぐらす簡単な家です…夜のミサはローソクの光だけです。天井の穴から見える星空は特別です。 『『邦人青年が日本へ出稼ぎに』立派な聖堂も完成』礼拝会 斉藤くに子
…奨学金を本当に有難うございました。大分、物価も上昇して日本人の若者が日本に出稼ぎという状態が続いております。せめて高校は卒業してからと思いますのに、学業半ばで働きに行きます。頂きましたお金は高校生二人と中学生一人に届けました。ラパスとコチャパンパ、サンファンで勉強しております。
礼拝会小野さと子…忙しさに追われて…お礼が遅れ申訳ございません。皆さま方の祈に支えられて、サンファンの四人のシスターたちは、元気に頑張っております。「支援する会」より昨年ご寄付下さいまして、立派な聖堂兼サロンが完成し、感謝のうちに活用させて頂いております。 完成した聖堂兼サロン 『革命で、教会も自由に』聖霊奉侍布教修道女会 宮入きわ子
…パラグアイのために大箱3個の包みを送って頂きありがとうございます。包みは無傷のまま手許に届きました。沢山の衣類は貧しい人々や病人のためにと、カリタス診療所と市立病院に持って行ってあげましたところ大変喜ばれ(ました)。
こちらは、二月二日〜三日にかけて革命がありました。数時間のうちに…新大統領に変りました。三十五年間、あちらこちらの町や場所に…前大統領(ストロエスネル)の名が使われていましたが、すべてこれらは取り除かれ、新しい名で呼ばれるようになりました。 イグアスに近いストロエスネル市は「東の都市」と呼ばれます。 閉鎖されていた新聞社やラジオ放送局などはすぐに再開され、言論の自由が許されるようになりました。教会も、自由に自己のつとめを広げ、教え、説教することが出来るようになりました。新大統領は…ローマカトリック…を国教としていくことを宣言しています。 …この度の革命は、ほとんどの人々が知らないうちに起きた出来事であって…一般の国民は一日〜二日、ちょっと不安であったくらいで、三日目からは平常に戻りました。…昨年十二月二十九日、アスンシオンで叙階されたイエズス会の松浦神父様はお元気で…一月一日にはご両親のおられるピラポ移住地の教会で初ミサをたてられ、…エンカルナシオンにもミサに来られ、日本で覚えられた正しい日本語を使って…とても意味深い説教をして下さり、信者も喜んでいました。…寂しいことに日本に帰国する人が次から次へとあり、日系人は少なくなって来ています。 『中米』『一時間の山道を学校に通う子どもたち』無原罪聖母宣教女会 本郷幸子
…昨日、白衣の主日(四月二日)、ハイチ(で)は、また、クーデターが起りました。…三年間に五回目のクーデターです。機銃の音が、胸の底まで響いて来ます。…いつも会 報、カードお送り下さってありがとうございます。似たような問題を抱えていられる中南米の宣教者の方々と連帯しながら、また、支援(して)下さる皆様とも連帯していることを力として…励みたいと思います。
十一月四日から、任地が変りました…新任地ポーサルユは八千名の人口で、西南のカイ市から三十キロぐらいの所、海辺の貧村です。 台風の季節には被害を蒙るらしく、椰子の坊主が目につきます。修復されないままの家屋が点在しています。海辺に網を干している漁師が数軒あり、漁のあった時、歌声が聞えて来ます。「魚がとれたよ!入れ物持って、買いに集まって」という歌だそうです。 漁といっても、釣道楽の人が、家に持ち帰るぐらいの量で小魚ばかりです。築地の魚市(場)のかけ声と、なんとちがいの大きいこと。つつましい彼らの収入源です。歌声の上った日の夕方、一人の婦人が、胴回り30センチ、体長70センチぐらいのカツオ一匹を売り撃ノ来ました。4ドルで。このカツオ、口に入りませんでしたが、なじみある魚に出会え、いつか口にすることを楽しみにしています。 こちらでの私の仕事は、午後の学校と云って、識字教育を子どもにする仕事です…字がある程度書けるまではノートは使わず、板書きで練習です。消したり書いたりで、チョークの粉が黒い顔につき、勉強に熱のあるところをみせてくれます。小さくなったチョークを食べている子も居ました…新学期(十月)には三十九名の子どもが来ていたようですが、現在、二十五、六名です。幼ない時期に栄養に欠けた子、空腹でよじ通って来る子、早朝から、云いつけられた仕事をこなしてくる子…これらの子どもが通って来る向学心に…私の方が、沢山教えられています。…皆様の暖かいご援助が、こういう子どもたちの教育費、教師の給料、裸足の子の履物、支度費、食べ物代になっております。…復活祭前に、子どもたちの環境を知るために家庭訪問を始めました。一時間以上の山道を、村まで二時間の勉強のために通って来ている子ら…ただ敬服の気持です。日曜日に教会に行かせたいが、履物も…着物がない(の)で、教会から遠のいている人も屈ます。日曜日、この国はミサに着飾って来るので、持っていない人は自分の場がないことになります。食べなくても着るものに目がいく国民のようです。これも、教会が持つ、一つの悩みです。 『アジア』『公所(巡回教会)で喜、苦の分ち合い』聖ドミニコ宣教修道女会 大西元子
韓国では、司祭の居ない教会、司祭が巡回する教会を「公所」と云っております。私たちは.毎日曜日、司祭を助けて公所に行き、集まっている信者達とミサを共にしながら…生活を分ちあっています私たちは毎日曜出かけますが、信者たちは月一回、ミサにあずかることが出来ます。年一回、無料の診療奉仕が行なわれ、必要な薬が配られます。…私たちは江原道といって、経済的に一番貧しい教区に住んでいます。どこにでも見られる現象ですが、都市集中化で、農村で私たちの働ける場所は大きいです。教理の勉強、聖歌指導、初聖体の準備、何よりも、生活の喜び、苦しみを分ち合い、国の風俗、習慣を学べることが大きな喜びです。
『黙想の家で、志願者とともに黙想』御受難修道女会 長谷川税子
…クリスマス以来、カレンダー、「きずな」、海外宣教者たちの名簿までお送り頂き、ほんとうにありがとうございました。国を離れていて、思いがけず…ご親切をいただく時、とても勇気づけられ、もう一度、力を新たにいたしました。…もっと早く…お便りをと思いながら、何しろ小人数なので…今日になってしまいました。
…「きずな」を拝見して、韓国に居る私たちよりも、はるかに祖国の現状からかけ離れた、本当に大変な…所で、明るく、勇敢に働いていらっしゃる宣教者の方々に頭が下ります。 私どものところ、今、志願者が三人です。黙想の家には、霊肉の憩を求めて、…多くの方々が入れ替り来られ、主のお恵みを受けて社会に戻られます。それ以外には、観想会なので、祈りと催いにつたないながら励んでおります。 …今ごろ、日本では、美しい桜が咲いているでしょう。そのなつかしい景色が、目に浮んで来ます。それを見た時、イエズスの美しい復活の姿と、新しい命を思い出していました。 皆様方から私のために、日本の聖母子のカレンダー、そして、その後、日本の宣教師の名簿(その中に私の名前まで書いてある)を送っていただき…本当に思いがけずとても嬉しいでした。私にとって日本は、いつまでも、とても壊しい国として、心の中に残っています。 四月十日 『秋の聖体大会を前に…』御聖体の宣教クララ修道会 小川和子 山崎三恵子
…他の宣教者の皆様の活躍を「きずな」で読んで、とても励まされました。私たちはこちらに来て一年が経ち、…元気でハングル語の勉強に取り組んでいます。韓国の教会は、いま、秋の聖体大会を前に、熱心に祈りと犠牲を捧げながら準備しております。日本からも司教様方、信者の方々が大勢いらっしやることでしょろ。本当に、ご聖体のうちに一つとなり、兄弟的交わりを通して、信仰と愛を深めていくことができますよう、大会の良き実りを互いに祈りましょう。一九八九年二月
韓国の志願者たち 『巡回教会が小教区に昇格』聖母カテキスタ会 浜谷真佐美
…三月五日に、私の受持地域、マルトウブン・パウロカトリック教会では、ダトバラ大司教様の祝別による教会献堂式が行なわれ、七百人以上の信者が集まりました。式後、バタック特有の祈りの踊りが、大司教様をはじめ、レセプションが行なわれ…朝から夜八時まで(の)大事業でした。…ところで、この巡回教会が、小教区教会に昇格することが、ほゞ、決定されました。信者一同、張り切っております。…まだ、手不足の地域なので、マリア会が…協力を…申し出てくれました。
『二人だけの共同体で…』守護の天使の姉妹修道会 猪原映子
…昨年4月の終りにフィリピンに来まして…一年になろうとしています。ダパオ市で…ピサイヤ語学校を卒業し、この一月からミンダナオ島サンボアンガ・テル・スル州のイピル教区にある山の中の村レイク・ウッドに住んでいます。一応、ピサイヤ語学校を卒業したと云っても、まだまだ言葉は不自由ですし、人々の生活習慣もよく分りませんので、少しづつ、村の人々と交わりながら、彼らの中に入って行く努力をしています。たった二人だけの共同体(スペイン人シスターと私)会として、はじめてこちらに送られた私たちです。
私たちの村レイク・ウッドはさらに山奥の村々と(レイク・ウッド小教区に属している)合せて人口約2万人、その30多が少数民族のスバノ族です。ここの大きな問題は道の悪さと交通の不便さです。 雨が降りますと、山道はドロドロになり、一日一往復の村と外の世界を結ぶジープも通らなくなり、主要道絡までの14キロを四時間近くかけて歩いて出ることになります。それでも、人々は貧しいながらも達しく生きており、彼らと一緒に居て、人間の心の豊かさについて教えられることばかりです。三月二日 |