『宣教』海外宣教者を支援する会 マリアの宣教者フランシスコ修道会 新井宏子
海外宣教者を支援する会の集りに出席させて頂くようになってから数年になりました。その間に、多くの宣教者にお会いする機会に恵まれ、…あちら、こちらで活躍していらっしゃるその様子を伺い、それぞれに自分自身をまる出しにして「今」生きているその意気ごみと、神様が、こんな私を使って下さるという喜びいっぱいの、その姿に接し、心躍るものを感じています。…久々に日本の地を踏んだ彼らが「海外で生活する私たちに、見も知らない方からのお便り賜物、「祈っていますヨ」という心こめたその声に支えられているのです」と口を揃えて仰言る時…(そこに)率直に、明るく生き抜いている彼らの秘訣があるように思い‥未だ知らない宣教師達へ送る愛の声援をもっと大きくし‥このような愛の往復書簡が、内外にいる者同志の心と心を固く結び、相互にキリストの愛を育て、私たちの生活を福音化していると言えます。
数年ぶりに、親しい友人が、政治的、経済的、宗教的にも非常に厳しい状況にある宣教地から帰国し…いろいろな話に花を咲かせている時、そこの姉妹たちが彼女に寄せている信頼感と、共同体に宿っている暖かいものを感じ「あなたって、皆から大事にされているのね!」「そう、とても大事にされているのよ」と、臆せずに言う彼女が誇らしく、幸せそうな彼女に再会した私は、とても嬉しく思いました。その後、しばらくの滞在の間、彼女が示した私たちへの心遣い(誰にも大切な人としてかかわっている)は、大事にされているということを証明しているかのようでした。 宣教は、すでに自己から出ることであり、新しい一致を求めて、他者に向う旅です。私どもの修道会の創立者、マリー・ド・ラ・パッションは、こうしたきびしい宣教生活における生き方を次のよう用に言っております。 「小さな共同体の中で、また、派遣された土地で関わる人々の申で、兄弟のように愛し合って生きること。自分のため、お互いのために、いつもシレネのシモンのように、また、誰よりも、病んだ霊魂たちに、もっと母親らしく、母性的に寛容をもって欲しいと願っています…さまよい歩いたり、闇の中を歩いている人々を押し潰してしまうことのないよう…優しさと繊細さをとくに大切に…」宣教者たちとの出会いによって、彼らの豊かさから、私自身の貧しさを新たに発見したと同時に、宣教へと奪い立つ勇気も頂きました。それぞれに遣わされたところで、神がお選びになった兄弟たちと精いっぱい生き、お互いに支援しあいながら、宣教の旅へと出かけていきたいものです。 『第十六回役員会報告』一九八六年第一回(通算十六回)の役員会が、十二月二十五日血゚後六時から中央協議会々議室で開かれた。審議、決定案件等は次のとおり。@機関紙「きずな」についてー海外からの帰国宣教者たちの話からきずな″によって身近かに支援を感じ、宣教者相互の連帯感も生れているとの報告があった。また、14号については「エコー」(国内会員)の声も増え。率直な意見も述べられており、今後もさらに、海外、国内に広く呼びかけることになった。 A援助要請―別掲六件について審議、いずれも承認した。援助要請に対応する今後の援助のあり方について、次の点を再確認した。
『支援・援助(1986.3)』
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