トップ会報『きずな』14号目次 > 本文
KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』






『司牧の帰りはいつも真夜中』

〜ボリビア〜
サレジオ会 司祭倉橋輝信
 ボリビアには六年前に赴任しました。ボリビアは、最初アフリカの一部と思っていました。ある信者が邦人司祭を送って下さいと、石神司教様に頼まれたということです。私は、現在、六十万人の人口を持つサンタクルスと、サンファンの間にある、モンテーロという小さな町の、サレジオ会の中学校で働いています。下手なスペイン語で(いろいろ間違いも多く)ド一うぞお掛け下さい″というのを間違えてイスを持ち上げて下さい″と云ってしまったこともありました。
 学校では、宗教と音楽を教えていますが、学校の先生たちは音符が読めません。学校でミサを捧げ、毎週二百人以上の信者の告解を聴き、ここから、長崎、北海道の人たちのサンファン移住地、サンタクルス地区を司牧していますが、いつも帰るのは夜中となります。
 移住協からガソリン代のご援助を頂いておりますが、走行距離は一週間で一〇〇〇キロ、この半年だけで、四十万キロも走りました。
 サンファンは、今年、入植三十周年を迎え、盛大な式典がありました。五十キロ離れた所には沖縄移住地もあり、今年から、プロテスタントとカトリックの二つの地域に分れた、その地区への司牧のために、も出かけています。
(帰国談・取材文責編集部)壁AIRMAIL紙用






『一日に12人の幼児が墓に』

〜ボリビア〜
メリノール女子修道会 大薮愛子
 二年前に日本を発ち、ニューヨークのメリノール会本部に一年滞在し、昨年四月(一九八四年)にこちらに参りました。五カ月間、スペイン語の勉強を終え、十二月より、ここ熱帯地で僻地のリベラルタという所で仕事を始めました。三万人ぐらいの人口で、そのうち約三千人の日系人たちが、あちこちで貧しく暮しております。少し日本語を話せる人が五〜六名いらっしゃいます。ここの人たちはとても暖かく、親しみやすいためか、短期間で多くの人々と知り合いになり、今では、もう何年も前からここに住んでいるような感じで、言葉はまだ不自由ですが、お互いに苦しみ、悲しみ、喜びを分ち合っております。プエプロ・ヌエヴォという所(町はずれで徒歩で20分)で、一つの信仰基礎共同体のグループを一昨年始め、毎日曜日に集っていますが、少しづつ軌道に乗って来ました。九月に、スラム街の火事で全焼、十八家族が着のみ着のままで苦しんでいました。そこで、ある日曜日の集りの時、グループの一人がみ言葉の分ち合いで「み言葉に耳を傾けるということは、そのみ言葉を私共の生活において行動に移すことなんだ」と。すると、さっそく次の日の朝、八時に全員集合し、祈りを通して聖霊のお力をお願いして後、二名づつプエプロ・ヌユヴォの村を一軒づつ頭を下げて物品回収に四時間歩き回りました。まだ猛暑になれていない私は全く倒れそうでした。しかし八十歳の老人も含めて、みなさん笑顔で十二時半頃に大きな荷をかかえ、汗だくになって戻って来るのをみて、本当に感謝いたしました……。
 …他の時は貧しい家庭をあちこち訪ねておりますが、多くの病人や死に直面している人々に出会います。そういう人たちを病院に連れて行くのですが、手遅れのため、一週間以内で、この世を去って行く人も居ます…とくに幼児の死亡率の高いこと。ある日、一日に十二人の幼児が墓場に送られました。





『日本から見守られて』

〜ボリビア〜
宮崎カリタス修道女会 ボリビア第2コロニア修道院一同
 私たち国外の宣教者たちのために、日夜、あたたかいご奉仕、ご協力、本当にありがとうございます。また、海外宣教者を支援する会も発足し、日本の教会からも見守られているという力強さを感じ、大変ありがたく、うれしく思っております。個人的にも見も知らない方から「シスターのために祈っています」というお便りを受けた時には、嬉しさと緊張で、胸がつまる思いでした。
 ますます宣教の使命感に駆りたてられる思いです。これからも、皆さまのお祈りと、励、ましに支えられて、励みたいと思います。






『ブラジルに二十五年』

〜ブラジル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会
 …今年、ブラジル・サンパウロから約五百キロのマリリア市に、F・M・Mが招かれ、創立者の一人として来てから私も25周年を迎えました…二十五年…いろいろのことが走馬燈のように胸をよぎりますが、今はミッショネールとしての恵みと感謝だけです。
 主は私共のグループの中から、来年度二人の神学生を召し出しの慰め、喜びを準備して下さいました。貧しい家の子供達なので、霊的に、物質的にも援助を続けたいと呼びかけております。この先の長い道のりを、主のみ声に忠実に従い、困難を乗り越えて行けますように、どうぞ、ブラジルのミッションのため、召し出しのため、お祈りお願いいたします。






『幼児たちのキリスト降誕劇』

〜ブラジル〜
ベタニア修道女会 ブラジル修道院一同
 …たくさんの方々の協力によって、スラムの中に保育園が開園してから六カ月になり、現在、二歳から六歳の子供たち三十五名を預かっております。十二月十八日、今年最後の日、一カ月近く練習した聖劇(キリスト降誕劇)を全員参加ですることが出来ました。
 はじめてのことで、子供たち、よい思い出になると思います。
 次年度、スラムの人たちの要望に応えて、定員六十名をめざしています。現在の場所が狭いため、スラムの人たちとの話合いで、遊び場をつくる予定です。また、母親たち、若い人たちを対象に、縫物など教えることも考えています。






『母親たちが仕事を分担して』

〜ブラジル〜
聖心侍女修道会 日高和子
 私たちがこのスラムに関わるようになってから、今まで知らなかった人、無関心だった人たちが、貧しい人たちに目を向けるようになったことは、たいへん嬉しいことです…。
 …今年(一九八五年)は…恵みの年で、よいことよじたくさんありました。先週、カテキスタの一人は、私がテキストを準備するようになってとても教えやすくなったこと、子供が集中するようになったと言い、私を喜ばせました。…十一月末には幼稚園の最後の父兄会をし…母親六人からなる幹事会を発足しました…幼稚園も三年目を迎えます。一年目は…すべて新しい体験下…なので…何の会も発足せず…月一回の父兄会をよく利用…二年目は、この小グループの発足を念頭に、今回私のプランをみんなに話した時、七名の人達が、9そのメンバーに立候補しました。このうち…四人をすぐ選出し…後日、残りの二人を私が選び、すぐ集まりを持ちました。…今まで、私が何から何までやっていた仕事を分担してくれるグループが出来たのは嬉しいことです…みんな、メンバーになった誇りと責任そして葺びを現わしていました。…(一九八五年は)今までになく毎日のように雨が降り、いたる所ぬかるみになってしまいました。
 …お掃除のおばさんがガラス窓を拭こうとしたら…古くなっていたパテと一緒にガラスも落ち…新しいのを入れるために頼んだ人は、一カ月になろうとするのに、まだ現われないので、ついに私がガラス屋に行き、ガラスとパテを買い、とりつけました。余りよい出来ばえではありませんが、そのうち上手になるでしょう。…こんな事までしているので、私が、いつも忙しいわけがわかるでしょう。






『アフリカ』






『子供は教会大人はモスクへ』

〜シエラ・レオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 鶴田順子
 …きずな″が送られて来る度に、祈りの、目に見えないですが、強い力を感じています。…国が違い、働き場所が違いましても、確かに私たちは一つであると思います。
 こちら、シエラ・レオネは、最近、新しい大統領に代りました。
 平和のうちに代りましたことを感謝しています。
 私の居るマベッセネの村は、ハマルタンというシーズンに入り、急に活気づいています…男性のポロ結社や女性のブンド結.社による伝統的な秘密儀式が盛んで、毎日、毎晩、ドラムと歌声が聞えています。私達外部わ者は入れないものです。
 ポロによるデイープルは、沢山のカラフルな布切れを体中につけ、頭の部分には鏡をつけて、村中を練り歩きます。
 …村人はイスラム教徒が多いですが、土着信仰とキリスト教も受け入れている感じです…子供たちは教会へ、大人はモスクへというのが村の人たちの割り切り方のようです。






『ありがとう!!ノート』

〜シエラ・レオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 …皆様のご協力のおかげで、私どものノート不足は…今年はおろか来年までも十分のノートを頂くことが出来、感謝いたしております。エリザベトも、三年生は無事通過出来そうです。のんきなこちらの生徒も、三年になるとかなりきびしく、一学年留年は普通で、五年間をストレートで終るのが少ないのですが…日本の皆様からのご支援を無駄にしてはいけないと、彼女も頑張っております。現在二学期を終えて、三学期に入ろうとしています…時価は、八倍にはね上っていますが、幸い、ドルに関係ありませんので、一年間の学費は例年と寮費(三食付)いっさい五百ドル、約12万円でしょうか。






『アジア』






『ファティマの聖母行列』

〜フィリピン〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 上田二三
 …去る十月十三日は聖母マリア様がファティマにご出現下さいました記念日でしたので、こちらで日本のご協力を頂いております生徒、学生たちの提案により、私どもの町の一区域を、等身大のファティマの聖母マリア様を先頭に、…カセットによって先唱されます、マリア様の聖歌を歌いつつ、ロザリオをも、声高らかに唱えながらの行列で、学生たちが百五十名以上、就学前の子供たち五十名、学童、大人の男子、女性百五十名の参列者方で、道の両側では、家族方が見て下さいました。各自は手に手に紙製の小旗を持って…フィリピンはカトリック故、このような私どもグループで行列が出来たのでございます。マリア様にお取り次ぎをお願いします事が、沢山ございます、このごろです。






『ジョギングスーツ大喜び』

〜フィリピン〜
ルンン日比友好協会 寺岡マリヱ
 …私たちの会も人数が多くなり、毎月の第二日曜日の集会には、百人以上の出席です。これもみんな、シスター海野様のご努力のおかげでございます。お送り下さいましたお荷物六個受けとりました…グリーンのジョギングスーツで、大喜び…会員の青少年に分けてあげることが出来ると、嬉しく期待しています。
 …日本の皆様方のご協力、ご援助に力づけられ、私たちも一生懸命に生きて行くことが出来るようになりました。今年も六十七名の大学生と九十八名の高校生、それに四十名以上の現地女子の奨学生が学校に行っています。






『小学校、幼稚園でも落第!!』

〜ネパール〜
ノートルダム教育修道女会 今村精子 河瀬須恵 金谷美代子 田中笹子
 …バンデイブールのノートルダムスクールでは、十二月初旬に終業式を行ない…ました。五月に開校したため…七カ月しかありませんでしたが、子供たちはよく学び、鉛筆の持ち方さえ知らなかった子供達が、ネパール語と英語のアルファベットや文章が読み書きできるようになり、数学や足し算、引き算も出来るようになりました。
 十一月には広場で運動会を催し…親子ともども大変楽しい半日を過しました。また、十一月末には学年末テストを行ない、成績表を渡し、進級、落第の通知を致しました。幼稚園や小学校で落第させるということは、日本では考えられないことですが、ネパールでは日常茶飯事となっています。…国王の外遊だから、先生のストだから、農繁期だから、祭だから…と休校や勝手休みの多いネパールでは、在籍、即進級というわけにはいかないようです。ですから成績票を受け取る時に進級か落第かを確かめることが常識となっておりわが子や近所の子が落第しても驚ろきません。
 …新入学希望者の受付は街に公告を貼り、入学テスト期日を知らせて、準備万端整えて待っていたのですが、誰も来ませんでした。
 その理由は、まず公告を見ていない、読めないということもあるのですが、長い休みの前に手続をして、月謝を先払いする人は誰もいないとのこと。学校が始まってから、慌てて申込に来るのが通例だそうです。






『ヨーロッパ』






『繁栄のかげに精神的乏しさ』

〜西ドイツ〜
宮崎カリタス修道女会 上村清香
 …いつもきずな≠ご送付頂き、宣教地の皆様のご熱意に鼓舞されるとともに、日本の皆様の暖い愛の支えを感謝しています。
 物質繁栄のかげに、精神的乏しさを感じられる…ドイツです。
 以前、ケルン大司教区と東京司教区の友好のしるしとして派遣され、働かれた聖心の布教姉妹会のシスター方の後を継いで、その使命と責任を感じながら、私共の存在を通して、キリストを証し、また、教区への感謝が出来ますことを願いつつ、日々の奉献生活をして、宣教生活に励んでいます。






『分ち合いの宣教へーフランス』

〜フランス〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 本瀬文子
 「きずな」をありがとうございます。
これを読みながら、キリストから委託されている宣教を、ある人々は国境を越えて、ある人々は自国にとどまり、自分の生活の場において、精一杯、洗礼の召命を生きている姿に…励まされています。
私はフランスでの本会の修練院で、初期養成チームの一員として生活しながら、要理教育と教区の宣教促進の仕事にたずさわって居ります。
 現在のフランスの教会は、与える宣教だけではなく、アフリカ、アジアの若い教会との分ち合いの宣教に目覚め、同時にカトリック教国といわれている教会の宣教に力を注ぎつつあります。






『再び、チャドへ』

ショファイユの幼きイエズス修道会 三宅陽子
 一年ぶりに、なつかしいチャドのライにあるわが家へ帰った。
 近所の子供たちは「ミヤケ、ミヤケ」「ボン・アリーべ」(お帰りなさい)と、遠くの方からも駆け寄って来る。…私が休暇で日本に帰国していた間、ここは内戦にまきこまれ、人々は殺され、そのうえ、飢餓により、老人、結核患者、乳のみ児、子供たちがその犠牲となった。私を迎えてくれた人々の顔にも当時の深い傷あとが刻みこまれていた…。しかし飢餓は終っていない…今日も空腹をかかえて声もなくしゃがみこむ婦人、化膿した足の痛みに泣いている…少女、双生児をかかえ、食物がなく、やって来る母親…衣類にまで手が届かず、これでも身にまとっているのだろうかと思われる人々…病院に行くお金がない人…が私どよじの所に来る。毎日来る人々の中で「この修道院がなければ死んでいたでしょう」といいながら、自分が…もらった食物を、他の、より貧しい人々に惜しげもなく、自然に分け合っている…「世界のみんな兄弟さ、話す言葉は違っても」…この言葉には実感がある、かつて、ムンドゥの子供が「私は、どうしてチャドに生れたの〜」とシスターに質問したという。この子供の言葉が忘れられない。
 なぜなら、私は日本人として生まれなければならなかった権利も義務よじない。
 しかし、事実として日本人である。
 「もし、私がチャド人として生れていたならば…」と思うと、より深い、連帯感に満たされるのである。
(日本カトリック移住協議会機関紙「国際理解を求めて」より要約・転載)