『南米』『多雨で綿不足、インフレの中で』淳心会 マルゴツト神父
…パナラは…厳しい夏でした。雨が多過ぎて、綿の収穫が失敗して、皆、困っています。労働者達は…給料を…毎週獲った綿の量によって支払われますので…雨の日、その次の日に、道か泥のために不通になると…トラックが走らないので…仕事のある日が非常に少なくなって困るのです。…今年の「兄弟愛運動」のスローガンは、「飢える人にパンを」と云うのですが、アモレイラでも、今年は飢えとの戦いになります。インフレも大変です。例えば、学用品の値上げは三百%です。私が学校へ送る30人の子どもの学用品は、ノート、鉛筆、消しゴム、鉛筆削り、ボールペンだけで五十万クロゼイロ、学校の制服などを入れたら全部で二百万クロゼイロぐらいになります。食事と薬も大変です……お蔭さまで、貧しい子どもの「基礎教育学校」も、さまよう人の宿も殆ど出来上り、来月には出来ると思います。…長崎純心会のシスターの仕事と、問題が多いのに、彼女達の陽気さと、勇気を出して頑張っていることに、とても感心しています。
『50名のシスターが活躍』愛徳カルメル修道女会 白浜光恵
…愛徳カルメル修道女会の、ブラジル管区は、10のコムニティから結成されていて、北はベルナンブユ州から、南はバナラ州まで、約50名のシスターたちが、あらゆる分野で働いています。……ここ、クリチーバ市からベルナンプユ州の首都レシフェまで三千キロ余りあります…貧しい人々の中で奉仕するシスター達は、久しぶりに再会すると、黒く日に焼け、なんとなくやせているものの、希望に満ちた喜びが感じられます。
『靴みがきのアソシエーション』援助修道会 滝沢きよ子
…私達の住んでいる…地区の優先課題「未成年者を守る運動」が、一黒人司祭を責任者としてサンパウロの靴みがきのアンシューション″として発足しました。孤児を含む貧困未成年者には黒人が多く、生活…のために働こうとしても、大人たち、警官遠からいじめられ、また、地下鉄やバス等は、靴磨き台を持っての乗車は断わるため、困った一少年が、一黒人司祭に商売道具を預ってほしいと頼んだのが、この運動の始まりでした。恵まれない多くの未成年者を見守るためにセンターとなる家慶を購入する目的で、リファを発行し、私達も、知人、友人、信徒に…協力を求めました。貧民窟に住む子供達は、駐車場のない墓地、観光地などで駐車する車に寄って来て交渉します。…「車を見ているから千クロゼール下さい」「向う…では五百クロゼールだったよ」と云えば、五百クロゼールで交渉成立……この子供達は後で受け取ったお金を何のために使うのでしょうか。親に云われてそうしているのでしょうか。学用品、靴…をE早っためでしょうか。サンパウロ都心では、外観には現われないコルチッン(裏長屋=老朽家屋を仕切って何家族かが共同で住むのを蜂の巣$カ活と呼んでいます)に全市民の約四〇%に当る三三七万人いることになっています。市内にある貧民窟に九万戸の板小屋があり蜂の巣≠ヘ十二万五千戸です……これらの住民の大部分は…出稼ぎ移民で、20%は字が読めません。市民の約半分に近い人々がこうした窮状下に生きています。…ブラジルは、国土、豊かな資源を有するにもかかわらず…インフレから生ずる…問題をかかえて苦しんでいます。…昨年度は二二三%のインフレ率。ブラジルはどこへ行くのでしょうか。このような背景の中で、ブラジル司教団は一九八五年七月十六日〜二十一日に、聖母の町アバレシーダで開かれる第11回聖体大会へ向けて…準備のため……「飢える兄弟にパンを」をテーマに意識化をはかっています…ブラジルの現状は北部…の二二〇〇万人以上…が五年間も続いて早魅に苦しみ…とくに子供の70%は栄養失調です。四百万人は回虫病、三百万人はシャガス病一万七千人は毎年結核にかかっています……。
『ついに、永住ビザを!!』聖心侍女修道会 日高和子
…私は無事、バレイラスに着きました。……私が日本訪問中に…永住ビザの許可が下り……バレイラスに着いた翌日、また千キロの一人旅をして、永住ビザを受け取るために、サルバドールの連邦警察へ…出頭…心配したほどのこともなく、永住ビザが手に入り…私はすぐ警察の近くにあるカテドラルに、お礼のお祈りをしに入り、…しつかりと、失くさないよう気をつけて帰りました。
…なぜなら、(ある)イタリア人の神父様は…永住ビザが手に入った喜びに有頂天になり、その日のうちに、パスポートと一緒に盗まれてしまったからです。 …こうして、私の長旅も、やっと、無事に終りました……。 『奇蹟的な教皇様ペルー訪問』三位一体聖体宣教修道会 斎藤万里子
…暗いニュースめ中で…素晴らしい≠フ一語に尽きた出来事は、教皇さまのペルーご訪問でした。キリスト様の再臨に会ったような夢のような…五日間でした。…群衆は、その昔、キリスト様を追ったように、教皇様の御姿を追って過しました。
…例えば、リマ市の競馬場での集りは、夕方7時頃始まるのに、朝の8時に集合、持つのはビニール袋にサンドイッチ程度、透き通ったプラスチックびんに水だけ、あとは写真機バッグ、その他は持ってはいけないという厳しい条件で、炎天下に持つのは考えられないような苦業でしたが、それにもめげず、青年の集いには百万人、家庭のミサには二百万の人々で、さしもの競馬場も埋めつくされました。ペルー人のどこから、あれ程の忍耐力と統制が生まれたのか…とそれだけで奇蹟を見る思いが致しました。 ペルーでの教皇さまの日程は超人的で、海抜四千メートル以上の、寒さ厳しいクスコから、テロリスクの本拠地、暑いアヤクチaに飛ばれる…というように東西南北を翔けて、一日に数カ所の市で司式なさるというスケジュールでした。…教皇さまの命を賭けての御言動は人々の心を大きく揺さぶりました。すべてが、教皇さまに惹き5つけられておりました。 『困った人に、見えぬ授けが…』聖心会 平尾道子
…多くの、周りに住む人々の生活は苦しく…少し援助している女性の家は水道代が払えなくて、水を止められてしまいました。彼女の家は床が土で、屋根が充分でないので…なんとかセメントで床を塗りたいと懸命に働いていますが、…思いがけなく、まわされたお金で…床が塗れたので、涙を流して喜びました。…誰がまわして下さったのか知りませんが、神様はご存知です。もう一人の料理を手伝って貰っている…女性は、長い間、腹部の手術の必要をこらえて、五人の子供と老母を抱えて働いていました。…運よく夏体中であり、子供達も馴れない手つきで…働きました。…手術の輸血の血液も、ここでは自分が用意しなければなりませんが、援助資金も底をついた時、思わぬ小切手が舞い込んだこともありました。こうして、一家は……苦しいながら、母親の誕生祝いをしました。お祝いにケーキを持って私共修院一同が挨拶に行きましたが、翌日、そのお母さんが…「あまりケーキが美味しいので…シスター達にも食べて貴いたい」とその半分を持って来たのです。食べ盛り五人と老母を入れて七人なら、いくらあっても充分でない…のに、貧しい人は、分ち合うことを知っています。
『パラグアイは、これから』聖霊奉侍布教修道女会 上杉もと
…私は昨年八月にパラグアイ宣教任命で、こちらに参りました。
…今でこそ、地平線まで続く、すばらしい大平原は移住者の入植なさった二十五年の昔は、密林で、あらゆる危険と戦いながら、家族の腕にだけ頼っての労働の明け暮れだったそうです。…一世の方々…スペイン語を学ぶなどの余裕もなく…今も、まだ当時のバラック建ての生活に甘んじながら厳しい自然と斗っている様子です。…昨年、私がこちらに参りましたちょっと前に…電気が入り、各家庭でもテレビ、ビデオなどの電化製品が入り、淋しい道も明るく電燈が輝やき、まるで町のようで、「パラグァイもこれからです」と、皆さん、目を輝かしていらっしゃいます。 …私は六十二歳という年令でこちらに参りました。昭和十九年に女子医専を出まして、名古屋の聖霊病院にだけでも三十年間、眼科医として働らき、…ラストコースが、このパラグァイ宣教…でした。 …資格の問題で医療活動は難しく、…今も、まだ許可が下りません7が、(それを)伝え聞いて、この小さな修道院を訪ねて下さる患者さんも多く、診療ではなく「お話を聞いて、どうしたらよいか」、それだけでも、日本語で説明してもらえたという安心と喜びを、私も、患者さんと共にしております。……(金永・上杉) 『日本人への召命』聖霊奉侍布教修道女会 林静子
…昨年十二月…品田豊さんが叙品され…今…ピラポ教会の助任として活躍されております。この地区で唯一の日本人司祭で、一カ月に一回、私達の移住地にも、日本語のミサをたてにいらっしゃって下さっております。やはり、日本人の一世にとっては、歯切れのよい日本語の説明が聞きやすく、皆さん喜んでおります。…その他には…ピラポ移住地出身の…杉浦さん…とおっしゃる神学生が……ただ今ブラジルで神学を勉強されております。…神学課程が終れば…二、三年して叙階される予定です。…このようにして、ぼつぼつでございますが、日本人のために働く方の召命がございます。シスターは私達の移住地出身の若い方(23歳)上村八重子さんが今年、聖霊奉侍布教修道女会で初誓麻をお立てになりました。…「先生の日」(4月訪日)には中学校、小学校の先生方、生徒、父兄方が集まって御ミサがありました。やはり、カトリック国ですから、公立の学校でも、何かの行事の時にはミサがつきもので、中には、御ミサの間に卒業証書を受けとる式などがございます。
『アジア』『教区レベルの奨学制度誕生』聖母訪問会 山下正子
…先日、イサベラ教区の一高校の卒業式に参列する機会を得て出掛けました。式は感謝のミサの中で行なわれ…神の恵みによって今日の喜びの日があること…新しい出発の日であること「感謝」「喜び」「分ち合い」というテーマ。さすがにカトリック国の卒業式だなという印象を受けました。ところが、実際にフィリピンで、小学校卒業後、高校に進学出来る子はわずか。…その上、大学まで進める子はもっと少なく…昨年、司教、シスターが委員となった教区レベルの奨学制度が誕生し…手始めに9名の奨学生を受け入れ、日本の皆様から頂いた費用を使わせて頂いています。…支給される額は、授業料だけの人から、交通費、下宿代、学用品代、被服費と、人によって異なります。まだ十分な費用がないので、多くの人を受け入れることは出来ませんが…学校に行きたい子供たちを一人でも増やしていきたいと願っています。この奨学生達は、長い休みの時、時間のある時に、出身の教会の手伝いをすることによって、学びつつ共同体に奉仕することを体得しています。
『人々に、まだ戦争の傷痕が』神言会 竹山光雄
…あわただしく現住地に転任しました。…私が前に居たのは信者数八万人と云われている都会の大きな教会でした。新しく来た教会は、マニラからバスで2時間、そして、船で2時間余、さらにバスで1時間余かかって着く田舎の教会です。ミンドロ島はマニラの西南に位置する、フィリピンで五番目に大きな島だそうです。私の今居る教会は、ンコーロという町の中心部にありますが、ほとんどの人々(町の人口約二万五千人)が、教会から遠く離れた村々に住んでいます。そこで、私たちが、殆ど毎日、どこかの村へミサに出かけますが、同じ所へは、一カ月に一度しか行けません。
…前の教会では、英語で殆どの用が足りましたが、今ではすべて、タガログ語です。半年間の研修を受けましたが、未だに、思ったこ6との土10も言えずにいます。……この島で日本人司祭が働くのは、私が最初でしユうが、戦争の傷あとを人々の心の中にまだ見ることが出来、つらくなります。 『寄贈の車椅子は「トヨタ号」』マリアの宣教者フランシスコ修道会 海野常世
…車椅子を頂きました時…小学校の生徒さんからのものと分りましたので、生徒さん宛に手紙を書きました。…この頃は…小包を受け取るのも、難しくなり、ちょっとしたことで税金の対象になりますので、大変、困って居り、学生奨学金援助…と分って葺えるまで…センフェルナンドの倉庫に積んであり、渡して頂けませんでした。
…毎日のように何人もの人が、食物を求めて修院に参り…修院の前と後ろの病院で無償で診療して頂き…処方箋を持って(医薬分業なので)来て、薬を買って下さいと願う人等、次から次へ参ります。 …車椅子は歩けない年寄と、ガンで足を切り落した二人が、代る代る用いさせて頂いております。名前も「トヨタ号」と自分たちでつけました。 『全快・大歓迎を受けて帰る』聖母カテキスタ会 浜谷真佐美
(*嶺編集部註・Sr浜谷は、昨年九月、手術のため一時帰国され全快され、再びインドネシアに赴任されました)…一月七日にメダンについて、二週間半、休養をとりました……。
…次第に調子が出て…順調に生活出来るようになりましたので…現地に向うことになりました。…バスで、メダンから八時間、夕方にはラウデスキーの、なつかしい、偉大な自然と、人々の待つ村に着きました…バスから降りると…子供達や大人、老人方、沢山の出迎えを頂いて、「もう、すっかり良くなったのか」「戻って来てくれてよかった」と握手したり、抱擁したり、荷物を持って行ってくれたり、…こうして、すぐに、私の第一日が始まりました。……連日、夜になると、訪れて来る婦人方や子供達に、写真を見せたり、お話しをしたりで、テンヤ、ワンヤでした。 …日曜礼拝の前に、バタックカロの習慣に従って、病気回復の祈りがあり、全信者からの祝福を頂きました……。 「インドネシアの土になりたい」…いまインドネシアでは、外国人宣教師をなるべく少なくしようとしています。…その第一に、国籍を捨てて、インドネシア国籍にするようにとの命令が出ています。老令者の宣教師は、いつ帰国するのかと問われています。 …私達がインドネシア国籍になると…これは大変ありがたいことですが、はたして何年後にそうなるのか、国籍が取れるまでどうなるか、もし、永久に取れないとしたら……宣教師として、何とつらいことでしょうか。今考えただけでも断腸の思いがします。……出来るものなら、インドネシアの土になりたいのです……。 『今年は、ポリネシア召命の年』天使の聖母宣教修道女会 杉本美佐子
…ポリネシア諸島のカトリック教会は、宣教の歩み、一五〇周年を祝ったばかりの…教会ですが…一九八五年の国際青年の年に当って、今年は、若者を対象として司祭、修道者の召命を考える年としたい旨、大司教教書が出されております。これに先だって…(今年)一月には、地元八人目の新司祭が誕生しました。現在、こちらには大神学生五名、小神学生三十名ぐらい居り…子女のために入会希望者を養成している家には、十二人のお嬢さんが共同生活しております。
…去年の九月ごろから、私は私立の信者の子供達(8〜10歳)のM・E・l(Le Mouvement Eucharistque de Jeunes)を毎週行なっています。これは、祈り、み言葉による生活の分ち合い、ゲーム、キャンプ等ですが、ここからも召命の芽生えがあることを期待しています…。 『アフリカ』『言葉の不安を越えて・青年達と』マリアの宣教者フランシスコ修道会 玉木志津
…私は昨年七月ガーナに着き、初めてのアフリカの生活が首都アクラより約五百マイル北西、プルキナ・ファッンとの国境近く(の)ジラパで始まりました。そこのセカンダリースクールで教えながら、こちらの生活、習慣を学ぶためのオリエンテーションの時を過しております。…最近、土地の若者のために働く機会を頂き、少し忙しくなって来ました。この教区は一九二九年に、初めてのミッシiナリーを迎えてから五十五年…十年前に一人のブラザーが…若者のための…グループを作りましたが…(その)ブラザーが一時帰国となり…その仕事を私が続けることになりました。
…まだ…土地の言葉、ダガリ語もよく使えない状態で、どうなるのか多少の不安もありますが、ともかく若者達と一緒に村を回って食事を共にし、土地のお酒(ピート)を飲んで、彼らの生活、カルチャーを学ぶことから始まりました。…若者と云っても、皆おじさんみたいな方ばかりで、こちらが習うことの方が大です。 『ネパールからこんにちわ』ノートルダム教育修道女会 今村精子 河瀬須恵 田中笹子 金谷美代子
…遠隔地に住む者にとって…知らない所で、支援者の居てくださることに、力強い励ましを感じております……(河瀬)
ネパールから、今日は!!”…生活、文化、宗教こそ異なるけれど、人々の心は同じです。ネパールの人々との交わりを通して、キリストの愛を伝えて行くことができますように……(田中) …カトマンズでたった一つの教会ですが、土曜、日曜ごとに信者が一堂に会し…典礼に合わせて…お祝いが出来るので感謝しております……(金谷) …教会では、ネパール語の御ミサ、セントメリーというカトリック女子校の講堂では、英語の御ミサがあります。われわれは、ネパール語の御ミサに与かります。この頃、ネパール語が、大分判るようになりました……(今村) |