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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声


シエラレオネからのお便り(ルンサにて)

御聖体の宣教クララ修道会 シスター根岸 美智子
  はるか海を越えた後援者の皆様
  暑中お見舞い申し上げます。日本はまだ梅雨の最中で雨がたくさん降っているそうですね。お元気でいらっしゃいますか? こちらも雨期の真最中。 と言いましても、シエラレオネの雨期はとても長いのですが、雨が降ってばかりというのではありません。先週などは3日も雨が降りませんでした。 また降っても、一日中降ることはありません。今日は朝雨でしたが、もう止んでいます。でも、雨期になりますと、湿気が100%となり、すべてがかびてしまいます。油断出来ません。
  今月は歯医者さんの体験をお話します。シスター白幡さんが日本に休暇で帰られる前に小包で頂いたおせんべいを少し分けてくださいました。喜んで学校に持って行き、机の引き出しに入れ、忙しさについ忘れてしまいました。わずか数日後でしたが、あれこんな所におせんべいと、大喜びでかじったとたん、湿気てしまっていたのでしょう、硬くて、かみ砕いたのはいいのですが、たった数本しか残っていない歯が音もなく欠けてしまいました。しまった! 泣いても後のまつり。
  数日歯欠け婆さんで過ごしましたが、やはり人の前で話す機会の多い私ですので、しかたありません。決心してフリータウンの歯医者さんに行ってきました。歯医者さんはフリータウンには3軒位あるそうです。その中で一番評判の良い歯医者さんへと連れて行って頂きました。シエラレオネとしては立派な家柄の歯医者さんで、ヨーロッパ並みでした。びっくりしましたのは、すぐ根を抜いてくださり、新しい歯をつけてくださいました。たったの1時間ですべてOK。大喜びでルンサに戻りました。 夜になって、婆さんシスターの私、入れ歯を洗いましょうとしましたが、外れません。ヒヤー! ハンダづけでもされたのでしょうか! 必死にとろうとしましたが、痛くて抜けません。入れ歯は両側がすれて、かなり痛みます。まるで窮屈な靴を24時間履かされた気持ちでした。
  とうとう我慢できなくて、今週もう一度行ってきました。歯医者さんは笑って、親切にどうして外すのか、そのコツを教えてくださいました。以前のように簡単ではありませんが、もう大丈夫です。安心して、またルンサにもどりました。
それにしても、アフリカの歯医者さんの早業に感心しました。この歯医者さんの父親はお医者様で宣教師が来る前は、村を巡って往診して、一日を過ごしたそうです。家族は医者、薬局、すべて医療関係に携わり、モーガン家といえば、この国では有吊だそうです。この歯医者を含め、子弟は皆ドイツや英国で医学の勉強をしたそうです。
  とにかく、その後、痛みもほとんどありませんし、大丈夫です。保険なしですが、大体8千円位でした。大助かりです。でも、シエラレオネの歯医者さんにはまだ貧しい人の姿は見られません。治療費8千円を一度に支払えませんから。貧しい労務者にとってはほとんど1か月分の給料です。待合室を見回しますと、ほとんどの患者さんが余裕のある人のように見えます。これは私の心を痛めます。いつになったら貧しい人が歯医者さんに診て頂けるようになるのかなあと。歯が痛いときは我慢、我慢。治らなければ抜くしかない。これが一般の人達です。一日も早くカトリックの病院などに歯医者さんが来られますようお祈りくださいませ。
  現在こちらでは中学部の3年生が卒業国家試験と呼ばれる試験を受けています。同時に職業センターでも国家試験が8日から始まりました。土曜日も試験があります。大忙しの毎日です。お祈りくださいませ。
  数日で学年度が終わります。今年度も皆様、ご支援をありがとうございました。皆様のご支援で生徒は皆元気に試験にのぞんでおります。通知表は昨日生徒に渡されました。1クラスの3分の1は落第です。小学校で基礎が充分教えられていないので、村から来る生徒にとっては本当に苦しいのです。基礎がなければどうしようもありませんので、しかたありません。でも適材適所を考慮する必要があるので、ある生徒には洋裁や美容科に進みなさいと説得しています。成績の良い生徒は奨学金がいただけます。しかしセンターで学ぶ普通の生徒を支援してくださる組織はほとんどありません。日本のご理解ある皆様に助けられ、かろうじて私達のセンターは続いております。感謝の気持ちでいっぱいです。貧しい生徒は学校が終わると頭にかごを載せ、果物や野菜を売り歩かなければなりません。家族を助けるためです。夜は石油ランプの石油さえ充分ではありません。ですから優秀な成績を望むのは無理なのです。でもがんばっています。皆様これからもどうぞお祈り、ご支援よろしくおねがいいたします。
      7月17日から、こちらの修道院では年の黙想が始まります。それでこのお便りを急いで書いています。
   
2010年7月14日

                 

フィリピンからのお便り(南コタバトにて)

御受難修道女会 シスター田中 久美子
  †主の平和   皆様、お変わりございませんでしょうか。「きずな《111号を送って頂き有り難うございます。「きずな《を通して、海外で宣教者として働いておられる方々の大変さ、ご苦労、それにもまして、信仰の深さ、困難に立ち向かって行く殉教者のような強さを感じることができます。   私たちのいる南コタバトは比較的平和なところです。でも生活はだんだん厳しくなり、無職の人も多いようです。日本も厳しい状況にあることを聞いてはいますが。   そんな訳で、昨年は敷地内に番犬として犬を放していましたが、数ヶ月の内に3匹も失いました。調べて見ましたら、外部から毒入りの餌を投げ入れられていたこと、敷地と外部を堺とする壁にも穴が開けられていることに気付き、ショックでした。犬も大切な役目を果たしてくれるので、今新しく番犬たちを訓練中です。どうも目当てはホスチアを焼く機械のようで、スクラップとして売るためのようです。でも私たちにとってこの機械はとても貴重なもので、ホスチアが作れなくなると、私たちの大きな司教区だけでなく、隣接の司教区にも大変な影響を及ぼすことになります。外からもわざわざ買いに来られる方々 おられるのです。
2010年7月20日

                 

ハイチからのお便り(一時帰国中の東京にて)

クリストーロア宣教修道女会 シスター須藤 昭子
  去る1月12日にハイチ共和国で震度7.00の大きな地震がありました。私は30余年ハイチにおりましたが、その間3回ほど軽い地震があったくらいで、ハイチには余り地震がないとの印象を持っていました。でも近年に大きな地震があるでしょうとは聞いていました。
  あの日私は日本にいました。本当は今年の3月ごろ休暇で帰える予定でしたのに。なんということでしょうか? もし当日ハイチにいたら、たしかに、あの時間帯では私は修道院の2階の聖堂にいたでしょう。そして、今回ハイチで見たのはすっかり壊されてしまい、瓦礎さえ取り除かれていた修道院の姿でした。神さまはまたも私を生き永らえさせてくださったのです。どうして、神さま?と聞きたくなりました。貴女の命はあなたのものではない、との返事が聞こえそうです。主は与え、主は取り去られる。生も死も、私たちは愛である神様のみ手の中にあることを再び強く感じました。
  4月20日から2週間ハイチに視察に行きました。覚悟して行ったのですが、やはりショックでした。幸に地震のあった日、GEDDH(脚注)のメンバーは日本人2人と共に接木の講習会中で、私のいた病院の庭にいて全員無事でした。勿論自分の家が倒壊したメンバーもいます。彼らはその中にあって活動を止めませんでした。地震後はすぐに医療チームのテントに病人やお産の婦人を運んだり、テントや食糧を配るのを手伝ったり、めざましい活躍をしたとのことです。嬉しかったのは、現地に一緒にいた日本人からそのことを聞いたのです。
  幸に椊林をした場所は無事に残っています。持参した5,000ドルのうち、シグノ・サナトリウムの患者さんの食糧援助のため、GEDDHの活動にすでに出費したものの補充、それぞれに1,000ドルをあげて、あとは現地にいる会計担当のシスターに今後の必要のために預けてきました。皆様有難うございました。私のハイチ帰国は9月末か10月には実現できそうです。神様、ありがとう!皆様ありがとう!
  注記:GEDDH=Groupe Ecologique pour un Developpement durable en Haiti(ハイチにおける持続的発展のためのエコロジー・グループ)
2010年7月某日



南アフリカからのお便り(リムポポ州にて)

聖霊奉侍布教修道女会 シスター吉田 彰子
  海外宣教者を支援する会の皆様
  皆様お元気でいらっしゃいますか? 日本は猛暑が続いていると聞きましたが。ここ南アフリカは冬の寒さが緩んできたところですが、この頃また朝晩に気温が下がり、体調管理が難しい季節です。
  定期的に「きずな《やカードなど心を込めて送って下さり、本当に有り難うございます。
  私は1月末にボツワナから南アフリカに転任となりましたが、初めのロンドン・ミッション(アドレスで言えば Ofcolaco )から4月にまた別の共同体に転任となりました。6月1日からここ Levubu に住んでいます。同じ教区ですが、車で3時間以上も離れているところです。でもアフリカのイメージからは離れているような、緑が多く、バナナ、マンゴ、オレンジ、アボカドなどのプランテーションが盛んな地域です。新しい住所を下に書いておきます。
  私の使徒職は修道院の会計、それに孤児・病弱児プロジェクト(OVC)そして、現地語の勉強です。少しずつ馴れてきました。想像力が足りないので、子供たちに何をどうやって教えてあげたらよいか困っています。でも、色々な形で人々が協力して下さるので、助かります。
  この度は任地の変更お知らせまで。どうぞお身体を大切に。お祈りとご支援に感謝をこめて。
2010年8月3日


ボリビアからのお便り(サンファンにて)

サレジアンシスターズ シスター小濱 静子
  海外宣教者を支援する会の皆様
 遅くなりましたが、日本カトリック海外宣教者を支援する会事務局長の故ローシャイタ神父様のご逝去の知らせに驚きました。日本に帰国しても、元気な神父様の姿を拝見できないことは、とても残念です。事務局の皆さんはさぞお寂しいことでしょう。神父様の日本での宣教活動と日本の土となり、特にこの会のお陰で、いろいろとご援助を頂きましたことにこころより感謝申しあげるとともに、神父様のご霊魂の永遠の安息を心よりお祈り申しあげます。
  先日は、サレジアンシスターのボリビア宣教女のために、交通費援助金をご援助下さり有り難うございました。お陰さまで、わたしたちも、元気に無事に、宣教の日々を過ごしております。安全ということ、無事であるということがどんなに有り難いことか、ということを日々実感する毎日です。
  先月のことですが、サンタクルスにあるイエスのカリタス修道女会の黙想の家で行われた黙想会に出掛けました。その出掛けた水曜日の夜、私が住んでいるサンファンの信徒会館に盗難があったと連絡をもらい、一時帰りました。入り口の鍵を壊し、私の事務所や寝室の引き出しをみんな開けて、お金を探したようです。幸い金も物も無事でした。本当に油断大敵です。私自身、2月にサンタクルスのタクシーの停留所で強盗に直撃されましたが、同僚のシスターも、J神父さまも、教会も修道院も、盗難の被害を受けています。
  今年も皆さんの祈りと援助に支えられ頑張ろうと決心し、サンファンでエコロジーの計画を立てていました。日本の管区長とボリビアの管区長が同時に視察に来られ、良い仕事だから、共同体を作るがよい、3人の姉妹で一つの共同体を作るように、人材を本部に要請すると話されて、帰られました。しかし、いつになっても猫の子一匹も来ません。今年の復活祭を終えると、私は落ち込んでしまいました。もうボリビアでの宣教は諦めて、数年の後には帰国することを考え始めました。丁度、復活後の第2日曜日にボリビアの管区長がサンファンを訪問することになっていましたので、土曜日の夜は、帰国の予定とその後のことをお願いする考えをまとめて休みました。ところが、日曜日の明け方夢を見ました。わたしは、ボリビアの若者たちの真ん中で頑張っているようでした。そのとき側から、黒いスータン姿の神父様が、大きな声で「シスター・マリア、前に進め、前に進め《と叫びました。私その声でびっくりして目覚めました。その声はスペイン語でなく、イタリア語です。黒いスーダン姿の神父様は、ボリビアで見たことはありません。日本で出合ったイタリア入の神父様方でもありません。しかし、何だか見たようで、親しみを感じるのです。そして若くて生き生きしています。誰だろう、そしてようやく気が付きました。ドンボスコの若い時の写真を思い出しました。そうだ、ドンボスコだ。今年の3月にサンタクルスでドンボスコのご遺物を迎えて、サンファンでも荘厳なミサを捧げ、私はそのミサの準備をしました。「ああ、ドンボスコはあの時私を見たのだ《と私はびっくりしました。そして、昨夜の考えを改めて、管区長にはサンファンのエコロジー計画を話しました。神様のみ旨は、自分の計画ではなく、神の道具として命の続く限り働くようにということでした。どうぞ皆さん今後ともどうぞ宜しくお願いします。
Sr小濱1  Sr小濱2
写真-1:サンファンの婦人会の皆さんとコチャバンバに巡礼に行きました。 写真-2:コチャバンバには高さ13mのイエスの大きな像が建てられています。
2010年8月11日


ボリビアからのお便り(ペルーのアレキーパにて)

聖パウロ女子修道会 シスター清田 光子
  海外宣教者を支援する会の皆様
  8月ももう少しだけで終わってしまいます。私が日本で過ごした1か月の休暇は夢のように過ぎてしまいました。6年目の帰国で、あれこれと思いがけないこともありましたが、シスター方のなつかしい姿に接して、身心共によみがえったように感じました。そして、やっぱり私は日本人であることを認識し、再び宣教地に向かう力をいただきました。
  ボリビアに帰る途中、ペルーのリマに立ち寄りましたが、私たちの地方区長さんから年末までアレキーパ(注:ボリビアに近いペルーの町)の書院の手伝いをするようとのことで、今、アレキーパにおります。その後、ボリビアのコチャバンバに帰ることになると思います。丁度、当地ではアレキーパ市創立470周年を祝っております。8月15日はとても盛大なお祝いがありました。
  私たちの修道会もペルーでの創立50周年を祝わせていただきました。クラシック・コンサートでは、モナステリオ・デ・サンタ・カタリーナ修道会の美術館を借りて、盛大に行いました。幸い協力者の方々がよく準備してくださったので、2人だけの私たちは本当に助かり、感謝しております。
  その後、8月9日から15日まで司教区の“Ser mujer, Ser consagrada” というテーマの講座が開かれ、私たちも書籍の展示即売も兼ねて、参加することができました。
  こちらは冬の季節も終わり、毎日良い天候の中に過ごしております。海抜2,350m、気温は15~24度です。アレキーパ市は火山石で建てられた建築物が多く、白い町と言われています。日本の富士山に似た、ミスティと呼ばれる山を朝夕眺めながら、祈りと宣教に力を注ぐことができる恵みはとても大きなことです。聖パウロが生涯をかけてイエスを告げた姿を思い浮かべずにはおられません。
  それでは、今日はこれまでにしておきます。これからもまた機会を見ながらお便りさせていただきます。
Sr清田1   Sr清田3
アレキーパの書院でのお手伝い    富士山に似たミスティ山
  
2010年8月23日