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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声


ペルーからのお便り(チクラヨにて)

礼拝会 シスター 川俣 恭子
  みなさまお元気ですか?
  ここチクラヨ市に移ってきてから1年3ヶ月がアッという間に経ちました。と言っても、初めの3ヶ月は休暇を頂いて日本に帰国していたので、正味1年間のチクラヨ生活です。昨年の今頃は桜と若葉の美しい日本でゆっくりと休暇を楽しんでいたのですネ。いろいろな方との出会いを懐かしく思い出しております。また2年後の再会を今から楽しみにしております。
  私たち礼拝会はこのペルー北部の地方都市チクラヨに来てから6年になります。ここでも私たちは貧しい虐げられた女性たちを援助するために微力ながら働いております。規模はずっと小さいのですが、リマ市と同じように、若い女性たち(特に売春して糧を得ている女性たち)の自立援助のために、美容師の技術と工業ミシンの技術を教えるクラスを無料で提供しています。また、特に教育が遅れている人のためには初等教育のグループも始めました。
  初めにこの街に自立センターを創立するために来たシスターたちは、市のほぼ中心に2階建ての適当な家を見つけました。内部を改造して、3階を建て増して、1階は教室とシスター達の生活費を稼ぐための小さな喫茶店を整えました。そして2階と3階は修道院として新しい生活を始めました。この貧しい国の他の町々と同様に、この街にも沢山の貧しく虐げられた女性たちがいます。シスターたちは疎外された女性たちを探して、毎日街路に出かけました。
  現在は、プロモトーラ(売春少女たちを定期的に病院の検査などに連れて行く仕事)として働いている元売春婦の2人の婦人が彼女たちを探して、私たちのセンターにも連れてきてくれるので、私たちは以前ほど夜の街に誘いにでかけることはやっていませんが、クラスに来ている少女たちの問題解決のために家庭訪問などを主に行っています。
  リマの少女たちと比較して、知的能力が低いせいか、美容師養成には21人来ていて、狭い教室は一杯ですが、工業ミシンのクラスには今年は5人しか来ていません。これは多分卒業後に就職する縫製所がリマほど多くないのが原因だと思われます。それでも、このクラスは少ないけれどもとても充実していて、今年はとても速くミシンの扱いを覚えたので、生産する段階に入りました。今は、手提げ袋を250個作っているところです。また、そろそろ寒さが来ますので、トレーナーなども作って売る予定です。先生として働いているアメリアはこの訓練所の第1期生ですが、少女たちと気持ちが通じるのか、とても忍耐強く、上手に教えています。
  この午後の自立援助センターとは別に、4年前から、貧しくて他の有料の保育園に子供を預けることができないお母さんたちのために、ほとんど無料の保育所を始めました。朝8時半から午後2時まで、3歳児と4歳児、22人を預かっています。
  児童教育は礼拝会の使徒職ではありませんが、午後のクラスに来る未婚の母親たちの訴えを聴いた結果、必要に迫られて、開設したものです。創立と運営のために、寄付してくださる方を探して、探して、やっと何とか運営しています。スペインやフランス、それに日本からも多大なご寄付を頂きました。有り難うございました。
  貧しい母親からは、甘えの気持ちにならないように、1日1ソル(約32円)で、月20ソルを月謝として払わせていますが、それさえも払えない全額免除の母親が3人、いつも遅れ遅れでやっと払っている人が3人います。1ソルや5ソルの硬貨を握りしめてやって来る彼女たちから受け取るのはほんとうに心が痛みますが、自力で生活を切り開いていく生活態度を身につけさせるための訓練だと思ってやっています。また、22人の内4人は他の保育園にも行ける程度の経済力があるのですが、特に私たちのところを希望したので、月30ソルを払ってもらっています。それでも、パンとミルクの簡単な朝食と昼食も与えているので、月謝だけではどうにもならない経営状態です。従って相変わらず外国からの寄付金に頼っています。世界経済の危機が始まった時、もしかしたら寄付金が止まって、もう続けられなくなるのではないかしらととても心配しましたが、何とか今日まで続いています。神様がもう少しやってみなさいとおっしゃっていらっしゃるのだと信じて、すべてをお委ねしております。
  午後の自立援助センターはまったく無料なので、全面的に他からの援助に頼っている状態です。保育園同様に毎日1ソルでも少女たちに払わせようかと思ったこともありましたが、お金を払ってまで来ようとする人はほんの少ししかいないのが現状です。売春という簡単にお金を稼げる方法から離れさせるのはほんとうに難しいのです。忍耐と愛情ある抱擁だけが徐々に徐々に彼女たちの心を変えることができるのです。私たちはこの仕事も神様のみ旨にお任せして結構呑気に構えてやっております。
  昨年は、美容室に5人、縫製所に3人を就職させましたがその後2人は脱落してしまい6人が何とか続いています。時々、職場訪問して励ましていますが、安い賃金で長時間の仕事なのでとても満足しているとは言えません。日本のように女性のために多くの仕事がなく、パートなどもないこの国の社会事情ですから、福祉の整った日本に住んでいらっしゃる皆様には想像できないことと思いますが、若い貧しい女性たちが生きていくのはほんとうに難しい現状です。 今日は明後日の母の日を先立ってお祝いしました。ペルーの人々は母の日をとても盛大に楽しく祝います。お母さんを招待するために何日も前からプログラムを準備して、踊ったり、歌ったりゲームをしたり、とても楽しそうです。もちろんプレゼントも用意します。保育所の幼児たちも母親たちを招待して踊りを披露しました。3歳4歳のチビさんたちはただ突っ立っているだけみたいな踊りでしたが、お客さんたちは手拍子や拍手で大満足でした。おやつをいっしょに食べてから、手作りの変てこな赤いハートのカードをもらって嬉しそうに帰りました。
  午後は、センターの母の日のお祝いでした。今年は平均年齢が低くて、母親の生徒は少なく4人だけでしたがセニョリタたちもみんないっしょに踊ったり歌ったりしてほんとうに楽しそうでした。最後に私たちが用意した大きなケーキをたらふく食べて大満足で帰りました。経済的には貧しいセンターですが、時々こういうささやかな行事をして、みんなで大騒ぎをして楽しんでいると自然に心が通じ合って、過去の悲しい経験で凍り付いてしまった心が少しずつ解けてくるのです。暗かった顔つきが変わり、目に輝きが戻って、笑って話すようになる日がもうすぐ来るでしょう。それは私たちにとって大きな喜びと感謝の日です。
  というわけで、私はここで責任者兼小遣いとして駆けずり回っている充実した毎日を送っております。毎朝、ご聖体の主に賛美の礼拝を奉げて一日のお恵みを願ってから、チビさんたちや売春少女たちの中にいらっしゃる同じキリストに出会いお仕えするために喜んで1階に降りて行きます。神に感謝!
   
2010年5月7日

                 

カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)

信徒宣教会(JLMM) 高橋 真也
  ☆ 自分の足で立つ
  私達JLMMは、公立小学校と教会の識字教室に通う子ども達のために通学船による送迎を行っています。しかし今は、湖の水が少ないために通学船の底がすってしまったり、スクリューに魚の網やプラスチックのゴミなどが絡まってしまったりするために、送迎を行うことが出来ていません。例年と比べても雨が少なく、異常気象なのでしょう。雨季まではあと1ヶ月ほど。通学船がないために学校に行けない生徒達のことが心配です。どうにかしようと、村長さんに相談してみました。彼は「今回の問題は自然がもたらした問題なんだし、保護者を呼んでみんなで考えて解決方を探さなきゃ《と提案してくれました。
  自分達で何とか問題を解決しようとしていた私にとって、その提案は目からウロコでした。私達は子ども達のために通学船を用意してあげて、安い料金で乗せてあげて、その上問題が起こったら、自分達でがんばって対処方を探して…と、本当に至れり尽くせりのサービスを提供しています。でもその一方で、通学船利用料未払いといった問題があります。他の個人がやっている通学船の3分の1の利用料で送迎をしてあげているのにも関わらず、ほとんどの親が支払いをしておらず、支払いの催促状を出しても効果がありません。なのに、何かこちらに上備があって送迎が滞ったりすると、たちどころに文句を言って来たりします。そういった依存体質を作ってしまっていたのは、私達なんだなと反省させられる思いでした。
  早速その日の午後、保護者を集めてミーティングを行いました。集まった保護者は10人にも満たない数でしたが、そこでは活発な意見交換が行われ、通学船の運転を再開出来るようになるまで、舟を持っている子が持っていない子の送迎を手伝ってあげながら、自分達で舟をこいで通うという結論に至りました。村長さんは村人達が自主的に出した決定を喜んでいるようでした。村人が自分の足で立っていくことを心から願う、何とも頼もしい村長さんです。
  これから私達教会のメンバーも村の人達と協力し合いながら、子ども達の教育を妨げる問題について考え、その解決に取り組んで行きたいと思います。
高橋1 高橋-2
たくさん子どもが乗るので底をすってしまう通学船  背中にびっしょり汗をかいているのが村長さんです

2010年5月16日

                 

シエラレオネからのお便り(ルンサにて)

御聖体の宣教クララ修道会 シスター根岸 美智子
  お元気でいらっしゃいますか?こちらはいよいよ雨期がやってきました。7月8月は雨がかなり長く降り続きますが6月はまだ一日のうち雨がやってくるのは2度位、それも強く1時間くらい降れば、後はまた晴れるという感じですので、オートバイに乗って学校に出かける私も、雨が降ると止むまで待って、修道院にもどるという具合です。ただ道が悪いので雨が降ると、ぬかるみが多く、かなり気をつけないとタイヤがすべったりしますので、注意しなければなりません。なにしろ若くないお婆さん運転ですから、亡くなった両親もはらはらしながら見守ってくれているのでしょう。相変わらずおてんばは治りませんよ、守ってくださいねと父に話しかけながら出発します。   日本はいかがでしょうか? もう梅雨に入りましたでしょうか?   こちらシエラレオネは相変わらず、最貧国のレッテルは頂いておりますが、それでも少しずつ進展しています。戦争が終わったというだけで大きな進歩です。もう一つ大きな発展を止めている原因は上正です。大統領さんなかなか良い人で一生懸命やってはくださっていますが、多くのお役人さんは相変わらず、自分のポケットばかり考える人が多く、それが上から下まで続きますから、これが一番大きな障害になっています。上思議に人々は貧しいと互いに助け合いますが、一度地位を築くと、利己主義の悪魔が働き出すようです。良心が麻痺してしまうのでしょうか?   私たちの新しい中学は2007年から始まりましたが、いまだに承認されません。建物も教師もない学校がお役人にお金を出してサインをもらってしまう。それに比べればカトリックの学校は素敵な校舎、設備をもちながら、未だに承認されていない。心付けを出さないからと言われます。私達は直接文部大臣に会いました。そしてかなり文句を申し上げましたが、回教徒の文部大臣は、笑顔で直ぐどうにかしましょうとおっしゃってくれましたが、いまだに承認頂いていません。そのくせ、すべての活動に学校の吊前は入っています。つまり承認すると、教師の給料や生徒の学費など、中学の場合は支援しなければならないからです。カトリックだから自力でやってくれる、という考えがどこかにあるのではないかと思います。気の毒なのは教師です。大学を卒業して3年も働いているのに採用されないからです。お給料は日本の皆様によって今年も支払われておりますのが現状です。深く感謝申し上げますと共に、どうぞ一日も早く中学が承認されますようにお祈りくださいませ。中学生の安い月謝では用務員の給料を1か月支払えば、全部終わってしまうという苦しい現実にいます。   残念ながら泥棒さんが多いので、夜の夜警も3人必要です。昼間の門番,校庭整理、清掃、用務員は必要です。マリアイネスではこれらの用務員8人が働いています。このお給料も外国からの支援なしには学校はやっていけない状態です。しかし希望を失ってはいけませんね。今年こそきっと良い知らせを受けるでしょうと願っています。   これから3年生が卒業国家試験に臨みます。全員OLGの吊前で試験に臨みます。無事合格しますようにお祈りくださいませ。7月にはスペインからドクターのシスターに引率されて、12吊の医学生や看護学生、その他の若者がやってきます。この人達は私どものマイル91という所にあるクリニックで実習します。良い体験となり、これからの人生の指針となりますようにお祈りくださいませ。ヨーロッパや日本は文化こそ違いますが生活レベルはあまり変わりません。しかしアフリカの生活はそうはいきません。その貧しさにびっくり、また、いろいろな事にショックを受けるようですが、最後は泣いて別れを惜しみ、必ずその中の数人は、また戻ってきます。幸せは物ではなく、愛なのですね。人間的ふれあい、奉仕の精神、愛を学ぶ場所はアフリカにあります。生きる喜びは神様の愛に生きる事と私は固く信じ続けています。皆様の貧しいアフリカの人々を手伝いましょうという尊い愛はやはり神様の愛に通じますね。ありがとうございます。愛であり、真理である神様の祝福がつねに皆様お一人お一人の上にありますように。
2010年6月16日

                 

 

カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)

信徒宣教会(JLMM) 高橋 真也
  ☆『弱さは祝福』
  私達JLMMカンボジアのメンバーは、自分達で毎年黙想会を企画しています。今年は日本から千原通明神父様(イエズス・マリアの聖心会)をお招きしました。黙想会のテーマは、『弱さは祝福』。私達の社会通念ではマイナスと思われているような欠点や弱さも、神様の恵みが働くために与えられた祝福なのだということを、神父様の講和から教えられました。自分の力に頼る生き方から、神に頼る生き方へ転換することが、キリスト者にとっての大切な回心だという気づきの機会が与えられたことに、本当に感謝でした。
  今回の黙想会で活動のことを振り返るようなことはほとんどなく、私が活動で関わりを持っている水上村の人々の顔が浮かんできたのは、黙想会が終わる前日の夜だけでした。それまではただひたすらに自分と神様との関係を深めていました。神様に、至らない自分をいっぱい謝りました。JLMMのミッショナリーとして、日本の皆様からの祝福を受けて派遣されたのに、こちらに来ても何も変われていない、頑固だったり怠け者だったりうそつきだったり卑怯だったりする恥ずかしい自分がいます。そんな自分自身にあきれたり、責めたりすることを度々繰り返していたのですが、「どうか自分を責めないで下さい《という神父様からの言葉に、慰められ、癒されました。情けなくて道にうずくまっている自分を、そっと抱き起こしてくれる『良きサマリア人』のようなイエス様の愛。弱い自分にくじけて倒れそうになる時、ご自分のもとへ招いて休ませて下さるイエス様の心遣い。それを、神父様を通して感じることが出来ました。神様がその暖かい手で、傷ついた心に触れて下さったような気がした、そんな黙想会でした。
  疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。
  わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。
  そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
  (マタイによる福音書 11章28*30節)
  イエス様はご自身の生き方を通して、深い安らぎを得られる生き方へ招いて下さっています。そのイエス様の息遣いを聞ける良い耳を持っていたいなあと思います。
112-1 112-2
自らの体験を交えた講話は胸に染み入るお話ばかりでした  現地で活躍するシスター方も一緒に参加されました

 
2010年6月17日