トップ宣教者の声 > 2007年10月
KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声


フィリピンからのお便り(ボホール島にて)

クリスト・ロア宣教修道女会 シスター高島 紀美
  海外宣教者を支援する会の皆様へ
  フィリピン・ボホール島バガカイに建てました「祈りの家」の土台崩れを止めるための工事が完了しましたので、ご報告いたします。
海外宣教者を支援する会から2007年9月25日に本件に関し、土台土砂崩れ修理工事の援助金を工面していただきましたことにより、その他の援助機関からも不足金をいただくことができました。
  一番大切な場所の土砂崩れ部分を補修するのに、ずいぶん長い期日が掛かりましたが、今のところ完全に崩れを止めることができました。これも一重に海外宣教者を支援する会、並びに会を支える方々のお働きによるものと、私たち関係者一同、感謝申し上げます。 必要な工事に支払った金額を証明する書類と共に、工事が完成しました現在の写真を同封いたします。感謝を込めて。
    
写真1写真2
左から炊事場、食堂、事務室、集会室、チャペル手前の白い部分は土砂崩れを止めるため
写真3写真4
土台を石とコンクリートで固めた手前の小山は土砂崩れを止めるため

2008年5月5日



パラグアイからのお便り(ピラポ移住地にて)

聖霊奉侍布教修道女会 シスター林 静子
 †願わくは、至聖なる三位一体の神が私たちの心の中に生きますように!
  海外宣教者を支援する会の皆様
  三位一体の祝日おめでとうございます。何時も「きずな」をお送りくださいまして、ありがとうございます。また、2日前にエンカルナシオンでカトリック雑誌の入っている小包便を受け取りました。船便ですので、時間が掛かりましたが、「カトリック生活」、「あけぼの」、「聖母の騎士」など、こちらでは貴重なものをお送りくださいまして、ありがとうございました。
  すでにご承知と思いますが、4月20日にパラグアイで大統領選挙が行われました。この度は何か月もかかって、この選挙が民主的に行われるように、よく準備されておりまして、公正な選挙が実施されました。62年間も続いた赤党が敗れて、元司教のルゴ氏が大統領として選ばれました。長い間の赤党の独裁政治が敗れたわけで、この間多くの不正なこともありました。ルゴ司教様もよく祈った後に、この国を改善するために立候補され、国民の支持率も高かったのです。聖職者である司教様が政界に進出することは、前代未聞の出来事ですが、国民の90%以上はカトリック信者の国ですから、選挙の結果、大統領として選ばれました。
  今までルゴ氏は何回か暗殺を企てられたこともありました。貧しい人の味方になって、パラグアイを良い方向に向けようと努力されています。
私たちもお祈りして、この選挙がスムーズに行われるように努めました。司教様方も国民が冷静な態度で選挙をするように、何回も呼びかけました。新大統領は8月15日に就任されます。たくさんの問題を抱えた国です。失業者が多くて、ブエノス・アイレスやスペインに出稼ぎに行っている人も多数おります。選挙の時には、ブエノス・アイレスから汽車に乗って、3千人のパラグアイ人がかけつけましたし、世界中に離散している人たちが応援しました。南米諸国の人々も選挙が公正に行われるように監視しておりました。カトリック教会側としても、ルゴ氏を応援しております。
  私たちの学校にも貧しい家庭の子弟もかなりおりますので、月謝を上げずに、やりくりをして経営しております。今日5月14日は、パラグアイの独立記念日で、市役所の主催で祭典があり、幼稚園児から高校生まで行列をいたしました。その後、母の日のお祝いを教会のサロンで行い、生徒が唱ったり、踊ったり、詩の朗読をしたりして、お母さん方を喜ばせました。
(以下は6月7日付のお便りによる)
  聖堂小学校のためのご支援を受け取りました。有り難うございました。ご照会のあった先生の数は14名で、生徒数は250名です。小学校3年生と中学1年生のグループの写真、並びに5月14日の独立記念日に幼稚園児も参加して行列をした時の写真を同封します。もう一つ、昨年聖週間の黙想会の時に写した先生方の写真も同封します。都合で先生全員が参加することはできませんでした。中央におられるのは、神言会の神父様で、黙想会を指導して下さいました。
    
小学3年中学1年
小学3年生グループ  中学1年生グループ
独立記念先生方
2008年独立記念日にピラポ聖堂幼稚園と小学校の先生方
2008年5月15日と6月7日



シエラレオネからのお便り(ルンサにて)

御聖体の宣教クララ修道会 シスター根岸 美智子
  アフリカ大陸を踏んでから32年になります。聖フランシスコに憧れていた私は、彼がハンセン病を恐れ逃げ出したい気持ちを抑え、患者を治療し、それに接吻をしたとき、完全な喜びを得たということを知リました。当時の私にとって何がいやなことかといえば、アフリカに行くことで、考えただけで背中が寒くなりました。しかし、それに挑戦しようと、アフリカを志願しました。神様の愛は無限に深く、その愛の流れに乗って、そこにある宝も見えるようになりました。貧しいアフリカ、戦争で打ちのめされ、恐怖で逃げ回りました。しかし、その中にも神様の深い愛と人々の愛をいただきました。貧しいながらも平和になった今、つくづく思うのは、私たちアフリカ宣教師はアフリカにいながら、同時に神様は日本、そして世界中の皆様への宣教師となることを望まれているのだということです。神様は愛です。愛を行う人は必ず愛の神様に出会い、神様もそのまなざしをそれらの人々から離されません。
  アフリカに出発するとき、全く考えてもいなかった出来事がありました。貧しさで苦しむ人々をどうにかして助けたいと、シエラレオネのことについて日本の新聞に書きました。それは大きな輪の広がりになり、多くの人がアフリカの貧しい人々に目を向けるようになりました。その中で愛の行為を通して神様に出会った方もありました。九州の曹洞宗の信者さんで、カンボジアに物質支援をしていた方が、ある日、朝日新聞のシエラレオネの記事を読んで感動し、これからシエラレオネの子どもたちを助けましょうと決心されたそうです。シスターを助けるには教会にも出かけなければと思い、やがて教会に行きだし、ご主人も共に一家全員で受洗。そして教会のために、アフリカ支援にと尽力されています。このように関心を持ってくださる方が関西にも関東にもそして日本中におられ、カトリックの雑誌や新聞、テレビなどによってシエラレオネを知リ、貧しい宣教女にすぎない私の手紙を喜んで受けてくださり、帰国したときは私の体験談に耳を傾けてくださり、愛の奉仕を続けてくださっています。もし私がアフリカに行かないで、ずっと日本にいましたら、これらの無数の善意の皆様とも出会うことはなかったのでしよう。今、大きな喜びを持って私はアフリカだけでなく日本の宣教女でもありますと申し上げます。神様の小さな道具としてシエラレオネに、そして日本に神様の愛の福音を告げることが許されることを深く感謝する次第です。シエラレオネはまだまだ、貧しく、特に今年は食糧不足で苦しんでいます。でも、平和であることがどんなにすばらしいことか、この平和が続きますようお祈りくださいませ。それには引き続き日本からの愛の支援を仰がなければならないことでしよう。これからもよろしくお願い申しあげます。
2008年5月19日