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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声

パラグアイからのお便り(ピラポ移住地にて)

聖霊奉侍布教修道女会 シスター林 静子
†主はまことによみがえり給うた アレルヤ!

 海外宣教者を支援する会の皆様、ご復活おめでとうございます。お元気でいらっしゃいますか。
 日本も桜の花が満開の頃と思いますが、南半球にありますパラグアイは秋の初めで、朝晩少し涼しくなりました。
 何時も「きずな」をお送り下さいまして、ありがとうございます。世界各地で苦労して働いていらっしゃる皆様のご活動を拝見して、大いに励まされております。
聖週間に私たちのピラポ・コロニアでは枝の主日から始まって、色々の行事がございました。聖金曜日には昨年から聖霊会のシスターが指導して、十字架の道行きを戸外でいたしました。
 服装も2千年前のイエズス様の時代にあわせ、青年たちが配役を決めて、何日もかかって練習しました。ピラポの警察の前に午前8時に集合し、約1kmくらい離れた距離ですが、14留の場所は各家庭に頼んで、準備しました。
 雨の降りそうな天候でしたが、自分たちの息子や娘たちが役者として出場するので、親たちも協力してくれました。警察も交通整理を手伝って下さいました。聖書朗読、歌、祈りなど交互に入って、とてもよい道行きでした。ゴロゴロと雷の音も聞こえましたが、どうにかお天気も持ちこたえ、14留を終え、第15留を聖堂の中で始める前に大雨となりました。皆が教会に飛び込んで、祈りが終わったのは、午前10時過ぎでした。神様が私たちの十字架の道行きを支えて下さった、無事に祈りができてよかったと、皆が口々に神様を賛美しました。
 聖土曜日の夕方から復活祭の朝4時半のミサまで、PASCUA JOVEN(青年の復活祭)が徹夜で行われました。指導はピラポの主任司祭のホセ神父様、聖霊会のシスター一人、ヴィンセンシオ会のシスター一人、それに学校の先生とかカテキスタの子供たち、教会委員の皆さんが協力して下さいました。雨がよく降ったため近隣のカピリヤの青年たちは出席できませんでしたが、41名の若者が集まりました。ピラポ教会では初めてのことで、これまではエンカルナシオンなどの大きな町の催しに参加していました。残念なことに、この青年の復活祭に日系の青年たちは参加しませんでした。夜の催しですと父兄の協力がないと出席できません。花火大会とか太鼓の披露会など日本的な行事には、日本人ばかりでなく、現地の人々も参加しますが、移住40年、50年を過ぎてもカトリックの行事にはまだまだ馴染めないのかも知れません。
 今年のご復活にはパラグアイ人の教え子(幼稚園2年生)1名が洗礼を受けました。小さい時に母親が殺害され、父親はスペインに出稼ぎに行って不在。おじいさんやおじさん、おばさんたちに育てられています。素直に育ってくれることを念願しております。
 宣教者を援助する会の皆様の上に神様の祝福を祈りつつ、ペンを置きます。


2007年04月10日




ドイツからのお便り(デュッセルドルフにて)

聖パウロ女子修道会 シスター比護 キクエ

 ご復活おめでとうございます。お元気で日々をお過ごしのことと思います。私もお陰さまで元気です。
 3月初めにイタリア人神父様の指導でドナウ川のほとりにあるベネディクト会で、今年の黙想をしました。大変な田舎で汽車とバスを何回も乗りついで、やっとたどり着きました。4000年の歴史を持つ美しい地で、歴史の重みを感じました。
 主の復活の喜びが世界中の人々に行きわたりますよう祈りつつ。
2007年04月




カンボジアからのお便り(シェムリアップにて)

ショファイュの幼きイエズス修道会 園田 国子

皆様のご支援に支えられ、宣教活動にはげんでいます。たくさんのお祈り、ご援助ありがとうございます。
今日は近ごろのカンボジアの教会について紹介します。カンボジアには3つの教区、すなわちプノンペン教区、バタンバン教区、コンポンチャム教区があります。私たちはバタンバン教区シェムリアップ教会で働いています。初めて5年前に教会を訪れた時はシェムリアップ教会とチョンクニア教会だけでした。今ではタオム、クナトムイそれにトンレサップ湖の水上にプレックトア教会があり、来年あたりもう一つ水上に教会が増える予定です。
このプレックトア教会について分かち合いたいと思います。ある日、突然ある婦人が神父様に会いに来られ、村に教会を建てて欲しいと懇願されたそうです。この婦人は12、13歳で洗礼を受け、ポルポト時代にはバタンバンに強制疎開し、その後水上村プレックトアに30年間住んでいるそうです。子供が骨折して、シェムリアップの子供病院に来て、教会があると聞き、捜しに来られたそうです。
神父様は司教様に相談され、2、3年後に教会を建てることになったそうです。このことを伝えると、30年間クリスマスの集いをして、待っていたので、2、3年待つことはたいしたことではありませんと、涙を浮かべて言われたそうです。この村でたった一人の信者さんですが、年に1回ずっとクリスマスのお祝いをしていたそうです。
でも、司教様の許可が早く出て、去年12月に教会ができました。この教会をつくる時、この村では材木の値段が高いので、別のもう一つの村(B村)で建てることになりました。B村の人々は教会ができるのを見て、カトリック教会ではないかと言い、十分たちは信者だと名乗り出たそうです。なんとここにはたくさんのベトナムの信者さんがいました。この婦人の叫びが新しい信者の発見につながっていきました。この喜びはシェムリアップ教会からバタンバン教区へ、そしてプノンペン教区へと広がり、カンボジア全土に広がっていきました。
現在、プレックトアには求道者が多くて、要理勉強には20、30人のおとなが集まるそうです。B村の方はごミサに参加できるようになり、大喜びだそうです。
神様のみ手をこの出来事の中に見ながら、私たちも生きています。カンボジアの教会はまだ幼いですから、どうぞお祈りください。
2007年04月




ハイチからのお便り(カパイチエンにて)

レデンプトリスチン修道会 飯村 美紀子

海外宣教を支援する会の事務局の皆様
お元気に主のご復活祭をお迎えになられましたでしょうか? 海タトにおります私どものために、いつもご配慮くださいますことに心からの感謝を致しております。また一昨日には、お送り下さいました種々の雑誌が無事に届きまして、併せて感謝を申し上げます。
 今年のご復活祭のごミサには百名ほどの方たちが来られて、私どもの聖堂はほぼ一杯になりましたが、治安の良いときには、もっと多くの方たちがごミサに参加なさるのですが、残念ながら今、夜間は危険なために、参加を控える方が多いのです。
 私の住んでおりますカパイチエンの町は、車のクラクションや、あたり構わず鳴り響くミュージック全く賑やかなのですが、それとは裏腹に、貧困の中に生活にする人々は苦しんでおります。また10年ほど前から町には水道水が全くなく、井戸のない家庭では、遠方の川まで衣類を洗いに行かねばなりません。その上、暗殺や拉致事件もありますので、全く油断はなりません。人々が安心して暮らせる日が、一日も早く訪れますようにどうぞお祈り下さいますように。
 事務局の皆様の上に、ご復活の主の喜びとお恵みが、豊かにございますようにお祈り申し上げております。どうぞお元気で、ご活躍下さいますように。

2007年04月