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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声

ブラジルからのお便り(パラにて)

大阪聖ヨゼフ宣教修道女会 シスター馬場 美保
 お幼きイエズス様の祝福と平和が多くの困難のうちにある人々にも豊にとどきますように。
 皆様のご活躍ご支援をこころより感謝申し上げます。多くの方々に支えられながら、今年は保育所に2教室と多目的広場が増築されました。新年度より112名の子供が受け入れられる予定です。
 コピー機の援助許可を「きずな」で今日知り、シスターたち初め職員、神父様も大喜びです。多くの方々の善意が子供たちの成長に大いに役立つよう、大切に利用させて頂きます。有り難うございまいした。感謝とよろこびのうちに。
“おすまし”の子供たち
03年12月撮影
多くの方々の援助で長年待っていた念願の2教室と多目的広場の増築が完成しました。
シスター手作りのユニフォームで一寸“おすまし”の子供たち。
2004年01月02日




ソロモンからのお便り

サレジオ修道会 司祭 飯田 徹
主の平和と善

海外宣教者を支援する会、スタッフの皆様、

新年明けましておめでとう御座います、2004年が海外で宣教に従事する者達にとって、また支援してくださる皆様方にとって良い年で有りますように。 何時も「きずな」を世界の僻地ソロモンまで送ってくださり、深く感謝しております。「きずな85号」を読んで思った事を、今回の「ソロモンにも目を向けてください」として、送ります。また私の拙い文を取り上げていただきありがとう御座います、これで少しは、ソロモンと言う宣教地が在る事を知って頂けたと、喜んでおります。

「ソロモンにも目を向けてください」

 「きずな85号」で、山田神父様(イエズス会)が東ティモール行っている「トイレプロジェクト」の経過報告記事を読み、うらやましく思いました。と言うのは、支援する会から資金援助を受けたからと言うのでなく(本当はちょっぴり、そうなのですが)、東ティモールの人々が切実に保健衛生の面から便所を必要と考えている事です。
 ソロモンでは市外区域の住宅を除き、地方の村落には便所と言うものが有りません。私は各部落への巡回時には体調を整えて出かけるのですが、催す事が有り、それが小の場合は部落を取り囲むジャングルに入り済ませます。ところが体調を整えきれず降り加減で、巡回中に大を急に催した事が有ります。無いと知りつつ、村人に「便所は何処」と聞くと、「ブッシュ」と答えて、ジャングルを指します。解っている事とは言え「やっぱりそうか」と思いながらジャングルを分け入り、適当な場所で「例の姿勢」を取り、「あー!間に合った良かった」と思った瞬間、蚊の猛攻撃。不安定な姿勢で蚊を追い払いながらの用足しです、そして用を足し終えた時には露出部を数箇所刺されていました。場所が場所だけに掻き毟るわけにも行かず、痒いのを我慢しての秘蹟執行となりました。
 その様な事が有った後、村人達に便所の必要性について質問したのですが、帰ってきた答えは、「有れば良いけれど、お金が掛かるし、それよりも何が欲しい、かにが欲しい、あれも必要、これも必要」と言った答えが返って来ました。村人達にとって、不便さを感じていても、便所に関してはジャングルで間に合っているのです。
 実際、村落内に便所を造るとしたら、生活用水の井戸との関係から場所が制限され、保健衛生の面からも密閉式浄化槽つきの便所となってしまい、可也の高額に成ってしまいます。村人達にとってそれだけの金額があれば先ずは何が欲しい、と言う事になってしまいます。
 便所に限らず、村落に住むソロモンの人々の保健衛生の面から生活改善をすべき場所は沢山有ります、しかし、ソロモンの人々が切実にそれを望んでいなければ、余計なお節介になってしまいます。やはり基礎教育の充実を通して、子供達から、考え方を変えさせて行かなければならないのでしょうか。
 これは蛇足になってしまいますが、ヘンダーソン(首都ホニアラの東の郊外10kmの所で、ソロモンで唯一の国際空港が有り、サレジオ会の運営する職業訓練校がある。)で浄化槽よりも海側に井戸を掘ったところ、微かにですが匂いがして、飲用に適さず、洗車や庭用に使っています。
 蛇足の蛇足、現地人のシスター達は平気で部落巡回を引き受けてくれますが、オーストラリアやニュージーランド、その他から来ているシスター方を市街地の教会で見かけても、部落巡回しているのを見た事は有りません。
2004年01月05日




韓国からのお便り(忠北清州市にて)

御受難修道女会 シスター長谷川 税子
 いつも「きずな」を、そして今年もとても美しい日本のカレンダーを有り難うございます。とてもきれいな色合い、日本の美しい自然と雰囲気を想い出します。そして、国外の私たちのために、一生懸命お祈りくださり、ご支援くださっている日本の皆様方のことを感謝いたしております。
 言葉や生活習慣は違っても人々のうちにご託身なさった同じイエズス様が生き、働いて、ご降誕の事実を生き生きと証しして下さっているのを感じます。よき新年と残るご降誕節をお過ごして下さいますように。
 「きずな」を通じて、たくさんの困難と喜びを受けながら、地球のあちこちで兄弟愛を生き続けてくださる皆様方に励まされて、主のおぼし召しを果たして行けますよう、これからもお祈り下さいませ。
 私たちは韓国で創立以来16年を迎えていますが、建物はもともとおもちゃ工場を改造したものなので、今年こそは旧い建物をこわして、立て直そうと希望しています。お祈り下さいませ。各地で働いていらっしゃる宣教師の方々に感謝し、心からお祈りさせていただきつつ。
“韓国御受難修道女会のカード図柄
韓国御受難修道女会のカード図柄
2004年01月10日




カメルーンからのお便り(オバラにて)

シャルトル聖パウロ修道女会 シスター 田中 一栄
 このたびはカンレダーをお送りいただきまして、ありがとうございました。「きずな」を受け取るたびにお礼の手紙と思いつつ、次の「きずな」を受け取ってしまい、いつも失礼しておりました。
 現在カメルーンのここオバラは乾季でで、特に今年は雨が一滴も降らず、なやましい日々が続いております。
 私はカメルーンの首都ヤウンデから車で約50分ほどの町オバラで男女共学のコレージュ(中学相当)をしている修道会におります。
 私が6年前日本を出発する時、聞いた話ではオバラは豊かな町で、電気も水もあるということでしたが、実際は停電と断水の連続です。
 生徒たちは一見豊に見えますが、ほとんどの生徒は毎日朝食をとらずに、登校し、雨季には一日に一食、乾季には三日に一食しか食事がとれないという家庭環境の中におります。
 修道院の私共は、幸い一日に三食食べることができますが、日本では考えられない食事です。それでもカメルーンのシスター方の話しでは、一般家庭よりまだ良いほうとのことですから、想像に絶するものです。
 幸いにカメルーンは内戦、戦争がなく、ある程度安定した政治情勢ですが、また見方では利益になるものが何もない国(ダイヤモンド、金、石油)なので、安定しているとも言えます。
 送って下さる「きずな」を読むたびに私は勇気をいただき、もう少しここカメルーンで生活することができると思い、一歩踏みだしております。本当にありがとうございます。
 私は今年5月中旬に一時帰省の予定をしております。その折には、日本カトリック海外宣教者を支援する会に伺い、お礼を申し上げたいと思っております。
 では今年も良い年でありますことを祈りつつ、皆様方にお目にかかれる日まで。祈りのうちに。
2004年01月17日




ペルーからのお便り(リマにて)

礼拝会シスター 川俣 恭子
 「リマの街角から」(その1)
 私は礼拝会のシスタークララ川俣です。7年間、ボリビアのサンファン日本人移住地で働かせて頂いた後、ペルーの首都リマ市に移って来てもう1年半が経ちました。昨年、休暇で帰国した際にやっと日本語のパソコンを買って来たので、これからは少しずつこの極度に貧しい国のことをご紹介致しましょう。
 私たちの修道会「礼拝会」は、聖マリアミカエラが1856年にマドリッドの街角に立つ売春婦たちの保護と更生を目的として創立されました。売春という悲惨な仕事は世界中至る所、貧困のある所には必ず存在して多くの女性たちを傷つけ、犠牲にしているのです。ご聖体のうちに現存される主キリストを昼夜礼拝すると同時に、人々、貧しく疎外された人々、特に聖創立者が命を懸けて愛された貧しさ故に売春している女性たちの中におられる主キリストと出会い、奉仕することは、カトリック教会をとおして神様から与えられた私たちAdoratricesの使命です。この難しい使命を携えて、私たちは4年前にこのリマ市にやってきました。なぜなら、この大都会には街中到る所で、昼前から夜まで、壁にもたれて客を待っている女性たちを見かけるからです。この街も又、他の中南米諸国と同様、一握りの富者と、無数の貧者で構成されています。
 私たちは、港に近いCallaoに、更生機関のINABIFから委託された18歳以下の売春少女たちの入寮施設を運営していますが、街の中心から遠いし、年齢の制限もあるので、通いでやって来る女性たちのために、2年前に、私が現在住んでいるリマ区の家を購入しました。もう何年も使っていない古い事務所でしたが、少し手を入れたら何とか住めるようになりました。1階が訓練所、2階がシスターたちの住居になっています。小さなオラトリオも作って、霊的生活の中心であるご聖体も安置しました。ガレージだったところを改造して、私たちの生活の糧を得るために小さなreposteria(パンとお菓子の店)を経営しています。
 訓練所(と言っても、たった2部屋ですが)では、月〜金曜の2〜6時まで、工業ミシンとコンピューターを教えています。現在、10代から40代までの貧しい女性たちが20人位やって来ています。昨年末で2期目のコースを終了し、1月はお休みで、私たちは今ちょっと一息というところです。
 ペルーの首都リマ、ここには、都会の貧困、想像を絶する恐ろしいほどのミゼールの中で、今日の1食のために自分の身体を売って小銭を稼いでいる若い女の子たちが街角にあふれています。真面目に働きたくとも仕事がないのです。売春婦と呼んで蔑むことが誰にできるでしょうか?もし私たちも同じ赤貧の中に生まれていたら…。足を棒にして歩き回っても、1銭のお金も手に入らなかったら…。これしか方法がなかったんです、とみんな泣きながら話してくれます。その中で、ほんとうに止めたいと考えている娘だけを訓練所に誘います。多くの娘はもう諦めてしまっているからです。
 工業ミシンやパソコンを無料で教えています。彼女たちの話を聞いてやります。小額ですが、医療費や生活費を援助してやります。大海に1滴の水という仕事ですが、1人でも新しい生活に出発するなら、神様に感謝しています。今、私はこんな生活をしています。困難な仕事ですが、とても満足して奉献生活を生きています。サンファンとはまた違う味の喜びの日々です。皆さま方からはいつもたくさんのお祈りとご援助を頂いております。ありがとうございます。どうぞこれからも続けてお祈りくださいますようにお願い申し上げます。
 私からも、皆さま方の暖かいお心に神様が豊かなお恵みをもって報いて下さいますように、遠いリマからお祈りを捧げております。
 では、次回まで、どうぞお元気で。
“訓練所のシスター川俣
訓練所のシスター川俣
2004年01月23日