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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声

ペルーからの便り

エマヌエル 加藤神父
 月日が経つのは早いもので皆様とお会いしてから、すでに1年近くになりますが、昨日今日のような気がします。皆様、お元気にお過ごしのことと思います。神様のご加護で私も元気に、聖務に、また目下貧しいペルーの方々のための事業に頑張っています。
 年の暮れは感謝を表すのに一番適している時期だと思います。もちろん、感謝は、私たちを創造し、摂理的に見守ってくださっておられる神様に第一に向かうべきでしょうが、私たちエンマヌエル協会の者は、特にこの長年の間、惜しまず支えて下さった日本の皆様に感謝の意を表さねばならないと思います。しかし、それを表すのは難しいので、多くの方々に読んでいただけるこの手紙を通じて、この17年以上の間に、みなさまの限りないご協力、ご援助で建てました建物を簡潔に示すことによって、それを表現できたらと思います。
 1981年、リマ市内のあちらこちらで、すでに現れていたストリートチルドレンを収容するための施設を企画しました。当時、比較的裕福に暮らしていたリマ市の日系人の経済援助を仰いで、予め政府から無償で頂いた土地に、1983年4月3日定礎式、そして3ケ月後に第一工事を終え、そこに2人のシスターと8人の子供でその施設をスタートいたしました。これがエンマヌエルホームの発端です。
 当時、ペルーの経済が悪化し始めましたので、私たち日系人の祖国である日本に援助を求めたらと言われ、日本に参りました。それから今年で17年にもなりなりますが、皆様にはこれだけの期間、継続的に助けていただいたのです。
 日本では当時バブル経済の時代でしたが、知人の司祭、シスターと信者の方々が暖かい援助の手を差し伸べて下さったお陰で、20年計画で始めた事業を6年で完成し、1989年8月18日、日本移住90周年に、私たち日系人を暖かく迎えて下さったペルー人に、感謝の気持ちを込めて、贈呈いたしました。96人の子供たちが暖かい雰囲気の中で生活できるだけの建物を建てました。同時に、この地区の貧しい人たちにも役立つための保育所、国立校のほとんどの校舎を建設し、小さな診療所も設けました。
  後に、子供たちの実地教育とこのホームの経済的自立のために、若者たちの黙想の家、美容室、靴の修理場、レストラン、パン製造工場、それと最近コンピューターの教室も設けました。
この事業を認めて下さった区役所は、事業拡張のために3千坪の土地を寄贈してくれました。
悪化の道を辿って行くペルーの経済と失業が故に多くの若者、日系人も例外ではありませんが、各自の家庭の経済を支えるために国外に去って行きます。聞くところによりますとこの10年間に2百万人以上の人たちがペルーを去って行きました。
これまで比較的裕福に暮らしていた日系人も、長引く不況と失業のために貧しくなってしましました。その煽りを受けたのが老人でした。20年前に協力を惜しまなかったこの人たちのために、やはり日本の皆様の援助で、2千坪の土地に44人収容できる老人ホームを建て、すでに今、ここに5人が宮崎カリタスのシスターのご協力によって元気に余生を送っています。
 40年前の軍事政権の農地改革の失敗に続いて、他の政権の農地政策の失敗が重なって、農業に見切りを付けた農民たちは、海辺の町、特にリマの郊外の砂漠地帯にどんどんと下がって来ます。50年前50万人しかなかったリマに今800万人以上が住み着いています。20年前、砂漠地帯だったこのエンマヌエルホームの周辺には多く見積もっても1万しかいませんでしたが、目下、この地区に30万人以上が住んでいます。政府が国の土地に進入しても良いという許可を与えたために、リマ周辺は殆ど一杯になり、目下進入できるのはこのホームの近辺だけです。
 1万人を目標に建てたエンマヌエル診療所は、容易に想像出来るように、小さくなってしまいました。当初から、やはり日本の知人である医師たちを頼って、この診療所のために中古の医療器具を探しました。また、ロータリークラブ、そして特に、ここ5年間ペルーの日本大使館の無償援助で、この診療所の基本的な科の医療器具が揃い、その上、目下27人の良い医師(うち15人が日系人)が献身的に診察して下さっています。そのお陰で、去年から毎日120人から130人の患者が来院しています。毎日80人の患者を受け入れるために建てましたこの診療所は、目下パンク状態です。
 そのため今、エンマヌエル協会では、特に新診療所建設を優先課題としています。老人ホームの一角に千坪の土地が残っていますので、この診療所の予定地として決めてあります。また、その設計と予算も用意しています。そして神様のご摂理に任せながら、日本とカナダの財団やNGOに呼び掛けているところです。
 末筆に、感謝を込めて書きましたこの手紙が皆様のお手元に届くころは、慌ただしい年の瀬だと思いますが、その中で良いクリスマスと良い年をお迎えできますようお祈り申し上げます。
2002年11月
ホームの様子1
ホームの様子1
ホームの様子2
ホームの様子2




シエラレオネ

御聖体の宣教クララ修道会 シスター 根岸 美智子
はるか日本の後援者の皆様
 いかがおすごしでいらっしやいますか?日本はもう美しい紅葉の頃でしょうね。こちらはいつもですと10月未はもう乾季で雨はほとんど降らないのですが、アフリカも気候が異常になっている証拠なのでしょうか?雨季は非常に遅く来たそうで、毎日のように雨が降ります。特に雨季の最後の印、例年ですとこれは9月なのですが、10月末になっても毎日ものすごい雷雨がやってきます。耳をつんざくようなはげしい音、思わず首がすくんでしまいます。上州っ子の私ですが、群馬の雷もルンサに比べますと顔負けです。よく落雷しますので危険です。
 湿気は100パーセントですので、すべてにかびが生えてしまいます。日本と違いお金のきたないことはあきれるほです。一寸気がつかないでいますと真っ黒にかびが生えてしまいます。お金にかびが生えるとはお金持ちのようですが、皆がそうですからどうにもなりません。何でもしっとりとしてしまうのです。乾季が来ればこの問題は解決します。
 職業センターは日本でいえば家庭科、商業科専門の高等学校のようなものです。普通高校を希望する生徒が絶対数をしめていますので、これに入れない生徒がこちらに来るので、このようなメンタリティを変えて行きたいと望んでいます。それには色々の面で向上を図らなければなりませんので大変です。とにかく頭よりも手に職をということで、頑張っています。商業科の生徒はタイプライター・会計事務など始めました。
 幸い神父様がイタリアから6台のタイプライターを揃えてくれましたので、かわり番に使用しながら練習しています。家庭科はミシンを10台やはりイタリアから神父様が揃えてくださいました。これもかわり番こで練習しています。その他、石鹸作りや染色をやっています。2学期にはパンつくりもやりたいと思っています。机も椅子もまだありませんが、一応100個の机を男子職業センターに注文しました。私達も石鹸づくりや染色が上達しましたら、市場に出したいと願っています。まだまだ使い物になりそうもありませんが、とにかく夢を大きくしてがんばります。
 小学校低学年は午後1時半に授業が終ります。子供達ははちきれるほど大きな声で歌を歌い、2列に並んで帰宅して行きます。この歌声は町中ひびきます。人々はルンサに子供達の歌声が戻ってきたので大喜びです。この歌声はここ数年聞くことができなかったそうです。泣き声と悲鳴、鏡声ばかりの毎日でした。今はおいしい給食でおなかいっぱい、子供達は幸せなのです。
 皆さんありがとう。これからも私達のミッション、そしてこの貧しい人々を支えてくださいませ。本当にありがとうございます。今一番苦しんでいますのは、まだお医者様がいないことです。毎日のように子供達、若者達までがどこかで亡くなって行きます。昨日も私達の小学校の給食係の息子が亡くなりました。日本でしたらこんなことはないでしょうに、と悲しく思います。ここでは心臓発作でも腎臓炎でも、病気になれば死ぬしかありません。病院がないということ、お医者様がいないということは、悲しいことです。日本から短期間でもいいからお手伝いに来てくださらないかなあと、つい考えてしまいます。一日も早く、ブラザー達が来て、病院が再開されますようにお祈りください。私達シスターも診療所を一日も早く開きたいと望んでいます。ではまた皆様ごきげんよう。神様の祝福がお家族皆様お一人お一人の上に豊にあ りますように 感謝のうちに。
2002年11月




インドネシア

御聖体の宣教クララ修道会 シスター服部 麗子
海外宣教者を支援する会 御一同様
クリスマスと新年のおよろこびを申し上げます。
お元気でお過ごしのことと存じます。今年は大変お世話になりました。心からお礼申し上げます。病院建築もやっと目処がつき、皆様のご寄付のお陰でベッドを購入しました。写真を撮りましたので、近いうちにお送りすることが出来ると思います。
先ずはご挨拶まで。
(ビザのことでシンガポールに来て、投函します。)
2002年11月




ペルー(アレキーパ市)

聖パウロ女子修道会 シスター松崎 信子
毎回お送り頂く「きずな」本当にありがとうございます。いつも心にとめながら、ひとことお礼することもせず、失礼いたしております。長いこと外国いますと日本人との出会いも少なく、「きずな」は私の唯一の楽しみです。皆様ご苦労様、ありがとうございます。そして、すべてのそれらの働きのむくいは神さまがかならず与えてくださいます。
島本大司教様のご死去について、心からのおくやみとお祈りをささげながら・・・失礼いたします。
御国が来ますように働きつづけましょう・・・深い愛をこめて。

実は私の住所がかわりましたので、お知らせとお願いまで・・・新しい住所は次の通りです。
Hna. M. Rita Matsuzaki
Hijas de San Pablo
Apartado 126
Arequipa - PERU
2002年11月10日付




ボリビア

扶助者聖母会 シスター山口 多香子
日本は冬支度に入られたことと存じます。いつも「きずな」をお送り頂き、Sr小浜、Sr漢那とも三人で力づけて頂き感謝しています。
どの宣教地でも必死にお働きと、それを支援しておいでの「会」の皆々様、協力者の方々の温かき真心に心をうたれます。
私もボリビアに再度参りまして、教育レベルの向上に気がつきました。それと日本人移住地の高齢化を感じました。経済は貧富の差が目立つことと、社会犯罪が多発していますことは、心が痛みます。日本の中古車がものすごく多く、タクシーがいっぱいです。
今日はお礼かたがたとご報告です。三人で協力して日系人の方々のため宗教的働きをしていますが、コロニア沖縄第1では4人の受洗11月10日は12名の受洗がございました。これも日本の皆様方のお祈りとご支援のたまものと深く神に感謝いたしました。交通費が高くなっていますので、「きずな」から頂きました支援金がどれほど有難く助かっているか知れません。ご老人は待っていて下さり、「とても待ったよー」とか「今日は来ると思っていた」とか「丁度来てほしいと思っていたんだ」と言われ、ガンバラクッチャーと元気を出しています。かしこ
2002年11月11日付