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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アジア』






『祈りの家にべッドをありがとう』

〜フィリピン・ボホール島〜
クリスト・ロワ宣教修道女会 高島 紀美

 昨年12月末に東京の本部から、フィリピンのバガカイの“祈りの家”のベッド購入のための申請に、支援金をいただける旨の報告があり、私たちはどんなにうれしかったことでしょう。
 早速ベッドの製作に入ってもらうことができました。心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
 実は、私たちの“祈りの家”の外観はとても美しくてホテルのようですが、今年3月中旬になっても、内部は未完成のままなのです。でも、1月に入りますと待ちに待った人々から、とにかくざこ寝でもよいから使わせてください、との問い合わせがクリボン教区へ次々あり、私たちも大あわてでした。すべて不完全のままでしたが、2007年2月10日タリボン教区の各教会代表信徒3人と限定した上で、合計50名で1泊2日の集いから始めました。集まった方々の喜びと感謝は如何ばかりだったことでしょう。
 その後は学校の生徒の集いが多く、中学生位の子供の集い、ハイスクール生70名〜90名、それに大学生の集いなどです。フィリピンでは3月で学校は夏休みに入るので、その締めくくりのために祈りの集いを行なうようです。
 私もこのような“祈りの家”での勤めは初めてだけに、貧しい人々を受け入れる施設のあり方の難しさを感じる入り口に立って、貴重な経験をさせてもらっております。まだまだ資金不足で施設の内外とも完全には整っておりませんが、ベッドが購入できたことによって、“祈りの家”を開くことができ、「支援する会」のお働きの大きさに心から感謝申し上げております。

業者による組立てベッドの運び込み
業者による組立てベッドの運び込み






『1人の婦人の願いから新しい信徒発見』

〜カンボジア(シェムリアップ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 園田 国子

 皆様のご支援とたくさんのお祈りに支えられ、宣教活動にはげんでいます。
 今日は最近のカンボジアの教会について紹介します。カンボジアには3つの教区、すなわちプノンペン教区、バタンバン教区、コンポンチャム教区があります。私たちはバタンバン教区のシュムリアップ教会で働いています。5年前に初めて教会を訪れた時はシェムリアップ教会とチョンクニア教会だけでしたが、今ではタオム、クナトムイそれにトンレサップ湖の水上にプレックトア教会があり、来年あたりもう1つ、水上に教会が増える予定です。
 このプレックトア教会について分かち合いたいと思います。ある日突然、1人の婦人が神父様に会いに来られ、村に教会を建てて欲しいと懇願されたそうです。この婦人は12、3歳で洗礼を受け、ボルボト時代にはバタンバンに強制疎開させられ、その後水上村プレックトアに30年間住んでいるそうです。子供が骨折して、シュムリアップの子供病院に来て、教会があると聞いてさがしに来られたそうです。
 神父様は司教様に相談され、2、3年後に教会を建てることになったそうです。このことを伝えると、30年間クリスマスの集いをして待っていたので、2、3年待つことはたいしたことではありませんと、涙を浮かべて言われたそうです。この村でたった1人の信者さんですが、年に1回ずっとクリスマスのお祝いをしていたそうです。
 その後、司教様の許可が早く出て、去年12月に教会ができました。この教会をつくる時、この村では材木の値段が高いので、別のもう一つの村(B村)で建てることになりました。B村の人々は教会ができるのを見て、カトリック教会ではないかといい、自分たちは信者だと名乗り出たそうです。なんとここにはたくさんのベトナム人の信者さんがいました。この婦人の叫びが新しい信徒の発見につながっていきました。
この喜びはシュムリアップ教会からバタンバン教区へ、そしてプノンペン教区へと広がり、カンボジア全土に広がっていきました。
 現在、プレックトアには求道者が多くて、要理勉強には20〜30人のおとなが集まるそうです。B村の方はごミサに参加できるようになり、大喜びだそうです。神様のみ手をこの出来事の中に見ながら、私たちも生きています。カンボジアの教会はまだ幼いですから、どうぞお祈りください。






『きれいな水が飲めることをめざして』

〜カンボジア(コンポンルアン)〜
日本カトリック信徒宣教者会 高橋 真也

 今回は、水上村で新しく始めることになった『浄水プロジュクりについてお伝えします。大きな湖の上に浮かぶ水上村というと『ひょっこりひょうたん島』のような島を想像されるかもしれませんが、そうではなく、屋根がついている舟の家がたくさん集まって、1つの村となっているのです。住民のはとんどが、カンボジア人ではなくベトナム人です。雨季と乾季で大きく水位が変わる湖ですので、舟の家もしょっちゅう引越しを繰り返します。季節によってどの辺に村があるのが一番便利かを、住民は熟知しています。水上村は、とても不思議な所です。
 どこに村が移動しようと、解決しない問題、それは『きれいな水を確保する』ということです。水は常に身の回りにあるのですが、『きれいな水』が無いのです。
 人が暮らしている限り、毎日たくさんのゴミが出ます。家畜や人間の排泄物、洗剤や油やボートのガソリン、昆虫や動物の死骸などなど、全て垂れ流しにするしかないのです(ゴミを回収する業者など昼いません)。そんな水を水浴び、洗濯、食器洗い、料理や飲み水として使用しているのです! カンボジアには大小あわせて300の水上村があるといわれていますが、特に自分の活動しているコンポンルアンという水上村は、他の水上村に比べて、1600世帯とたくさんの人が密集して生活している所であり、また水の流れも少ない所ですので、とても水質が悪いのです。
 生きるために必要不可欠な水が汚染され、健康に著しい悪影響を及ぼしています。湿疹や赤痢、腸チフスなどが多く、特に水に対する免疫力がまだ無い乳幼児などは、下痢を頻繁に繰り返し、脱水症状に陥いることによって生命の危険にさらされています。住民のはとんどは、沖にある水を汲みに行って、それをさらに明磐(みょうばん)を使ってかき回し、不純物を擾拝して飲んでいます。でもその水は、バイキンが消毒されたわけでもなく、明磐を使っているために胃が荒れてしまう、よくない水です。
 どうしたら住民はきれいな水を手に入れられるのでしょうか?「ゴミを減らすキャンペーンを始める」「家庭用の水のろ過装置を配る」「水をきれいにする働きを持つ植物を植えてみる」などなど、今まで様々な方法が頭に浮かんできましたが、どれも実行に移したものはありませんでした。が、しかし、今月から新しいきれいな水を手に入れるためのプロジェクトを、始められることになったのです。
 そのプロジェクトとは、水上村に浄水装置を設置し、湖の水をポンプで吸い上げ、マシーンを使って浄水し、主因家庭や乳幼児を抱える家庭を対象に、手に入れ安い価格で提供するというものです。また、きれいな水の提供にあわせて、水のよりよい活用法や知識を得るための衛生教育活動も行っていきます。
 『きれいな水を確保する』という夢を実現するためのこのプロジェクトに、『海外宣教者を支援する会』や『今井記念海外協力基金』(三菱UFJ信託銀行)が助成金を出してくださいました。皆様からの支援金も使わせていただいています。まだ浄水装置を設置するための工事を始めたばかりのこのプロジェクトなので、進めていく上で大変なことも多いと思います。うまくいかないこともきっとあるでしょう。でもそういったことへの恐れよりも、きれいな水がもたらす恵みの大きさへの期待がとても大きいです。いつの目か皆さんに、きれいな水を手にして喜ぶ、水上村のみんなの笑顔をお伝えできればと、夢見ています!







『中南米』







『治安の悪さと貧困と』

〜ハイチ(カバイチエン)〜
レデンプトリスチン修道会 飯村 美紀子

 海外におります私どものために、いつもご配慮くださいますことに心からの感謝いたしております。一昨日には、種々の雑誌が無事に届き、併せて感謝を申し上げます。
 今年のご復活祭のごミサには100名ほどの方たちが来られて、私どもの聖堂ははば一杯になりました。治安のよいときには、もっと多くの方たちがごミサに参加なさるのですが、残念ながら今、夜間は危険なために外出を控える方が多いのです。
 私の住んでおりますカバイチエンの町は、車のクラクションや、あたり構わず鳴り響くミュージックで大変賑やかなのですが、それとは裏腹に、貧困の中に生活にする人々は苦しんでおります。また10年ほど前から町には水道水が全くなく、井戸のない家庭では、遠方の川まで衣類を洗いに行かねばなりません。その上、暗殺や拉致事件もありますので、全く油断はなりません。人々が安心して暮らせる日が一日も早く訪れますように、どうぞお祈りくださいませ。






『大豆を基礎食品としたプロジェクト』

〜ブラジルから(サンバウロ)〜
宮崎カリタス修道女会 白澤 康子

 ブラジルの3月は夏の真っ最中、暑い日照りの中で生徒たちは元気で勉学に励んでいます。教育はすべての土台であることを信じて、全人教育に挑戦する毎日です。
 この度は当校のプロジェクト“生命の尊重”の設備費にご理解と寛大なご支援をいただき感謝の念にたえません。何事にも困難が伴いますが、皆様の愛の眼差しに包まれて、勇気と力が湧いてまいりました。日々小さな歩みではありますが、大豆を基礎食品とした豆乳、パンを手始めとして健康司牧にあたっています。幸いに当地の人々は大きな関心を示しています。コストも少なくてすむことは、この他の人々にとって大切な条件であります。
 さらに、神様からいただいた命を大切にすることが、すべての善に及ぶことも理解するようになっていくことを期待しながら、励んでおります。
 私たちを支援してくださる貴会が神様の祝福で満たされますように祈りつつ。

焼き上がったパン
焼き上がったパン






『毎年新学期は大混乱』

〜ブラジル(アモレイラ)〜
長崎純心聖母会 堂園 みつ子

 寒い日本から暑いブラジルへ戻りました。日本では皆さまに大変お世話になり、それぞれの場で温かく迎えてくださり感謝しています。自分でもびっくりするはどの出会いがあり、貴重な体験をすることができました。また、飛行機から見た富士山は本当に美しく荘厳でした。生まれて初めて見た思いでした。寒さと静けさの中でゆっくりお祈りできたことも大きなお恵みでした。
 さて、アモレイラは恒例の事ながら、新学期はいつも職員がはっきり決まらず困っています。今年は6名が町役場の方から退職させられたまま、交替が来ません。新しい子供たちは母親と離れて不安で泣きます。こちらは顔と名前がはっきりしない上、シャワーでユニホームに着替えると、帰りに自分の服にとりかえる時は、誰の服かわからなくなり、職員不足のあおりもあって、私たちの頭はもうメチャクチャでした。「もうこれ以上どうしょうもありません」と叫んだら、助け人が現れて80%解決。これでなんとかと思っていたら次ぎの困難が現れて、100%解決は不可能ですね。
 夏休み中に改築した乳児室が明るく清潔になりました。今年は保育カリキュラムを充実させ、バザーを準備し、金曜日の「月の市」も品物を豊かにして、とあれこれ計画していますが、なにしろ暑くてたまりません。一日中動いていると夜は眠るだけ、こうしていろいろ遅れていきますが、時が満ちればどうにかなると、広い心で受け入れていくことにしています。全ては神様の計画で進んでいるのですから。
 動き回って疲れきってしまう前にまずお祈り、神様に祝福していただけば全てはうまくいきます。本当のところ休暇の40日間のブランクは大きくて、こちらのペースに戻るのに時間がかかりました。体力的にも、精神的にも。
 毎日お祈りの中で皆様の上に神様の祝福をお願しています。神様は良い方ですからきっと恵みをドンドン降らせてくださっていることでしょう。

多忙な1日、ひとときの冥顔
多忙な1日、ひとときの冥顔






『新学期の準備で大忙し』

〜ブラジル(サンバウロ州)〜
宮崎カリタス修道女会 浜辺 春子

 おかげさまで私たちは元気に2007年をスタートすることができました。先日はすてきなカレンダーが2冊届きました。一日一訓、格言入りのカレンダーをパラパラとめくりながら、1つ1つの言葉に感動と力がわいてきました。また、美しい日本のマリア様の小さなカレンダーを1人1人に送ってくださいまして、ありがとうございました。ブラジルの人たちも日本のマリア様は美しいとほめてくださいました。
 2月に入り、ラールサントアントニオ(福祉総合施設センター)では、3月に始まる新学期の準備に毎日追われています。4つのプロジェクト(児童の部、青年の部、児童労働保護の部、家庭的養護施設の部)のマトリクラ(登録)を終え、今日から2週間をかけて家庭訪問をします。特に児童の部では、新入学者は定員30人となっていますが、マトリクラは130人と膨れあがっています。家庭訪問はそのために丁寧に行ない、ない頭をひねって本当にこの施設を必要としている児童を選び抜かなければなりません。聖霊の導きがありますように願いながら。
 このプロジェクトを始めて3年目となりますが、貧しい子供たちが施設をよく利用し、学力的にも体力的にも力をつけ、1人1人が確実にすてきな笑顔と自信をつけています。家庭内でも多くの問題を背負いながら、子供なりに自分の道を見つけ始めたばかりですが、未来に希望をかけて今を共に頑張るだけです。いただいたカレンダーの格言に毎日励まされながら、みんなで頑張って神の国のために働いていきます! 日本の子供たちの未来のため、そして皆様の上に神様の豊かな祝福がありますように、遠いブラジルからお祈りしております。





『青年たちの十字架の道行き』

〜パラグアイ(ピラポ移住地)”
聖霊奉侍布教修道女全 林 静子

 日本で桜の花が満開のころとなりますと、南半球のパラグアイは秋の初めで、朝晩少し涼しくなるのです。いつも「きずな』をお送りくださいましてありがとうございます。世界各地で苦労して働いていらっしゃる皆様のご活動を拝見して、大いに励まされております。
 聖週間に私たちのピラポ・コロニアでは枝の主日から始まって、色々の行事がございました。聖金曜日には昨年から聖霊会のシスターが指導して、十字架の道行きを戸外でいたしました。服装も2000年前のイエズス様の時代に合わせ、青年たちが配役を決めて何日もかかって練習しました。ピラポの警察署の前に午前8時に集合し、約1kmの距離ですが、各家庭に頼んで、道行きの14留の場所を準備してもらいました。
 雨の降りそうな天候でしたが、自分たちの息子や娘たちが役者として出場するので、観たちも協力してくれました。警察も交通整理を手伝ってくださいました。聖書朗読、歌、祈りなど交互に入ってとてもよい道行きでした。ゴロゴロと富の音も聞こえましたが、どうにかお天気も持ちこたえ、14留を終えて第15留を聖堂の中で始める前に大雨となりました。皆が教会に飛び込んで、祈りが終わったのは午前10時過ぎでした。神様が私たちの十字架の道行きを支えてくださった、無事に祈りができてよかったと、皆が口々に神様を賛美しました。
 聖土曜日の夕方から復活祭の朝4時半のミサまで、PASCUA JOVEN(青年の復活祭)が徹夜で行われました。指導はピラポの主任司祭のホセ神父様、聖霊会とゲインセンシオ会のシスターが1人ずつ、それに学校の先生とかカテキスタの子供たち、教会委員の皆さんが協力してくださいました。金、土と雨がよく降ったので、近隣のカビリヤの青年たちは出席できませんでしたが、41名の若者が集まりました。
ピラポ教会では初めてのことでしたが、日系の青年たちは参加しませんでした。夜の催しですと父兄の協力がないと出席できません。花火大会とか太鼓の披露会など日本的な行事には、日本人ばかりでなく、現地の人々も参加しますが、移住40年、50年を過ぎてもカトリックの行事にはまだまだ馴染めないのかも知れません。
 今年のご復活にはパラグアイ人の教え子(幼稚園2年生)1名が洗礼を受けました。小さい時に母親が殺害され、父親はスペインに出稼ぎに行って不在。おじいさんやおじさん、おばさんたちに育てられています。素直に育ってくれることを念願しております。
お便りお待ちしています!この秋、この支援する会は創立25周年を迎えます、同時に年4回発行の『きずな』も記念すべき100号となります。会員の皆様、そして宣教者の皆様、この会の活動について、また『きずな』紙面についてのご意見やご感想、ご要望など、ぜひお寄せください。7月15日頃までにP16にある住所へお送りください。ファックス、メールでもどうぞ。

2000年前の十字架の道行きを再現した青年たち
2000年前の十字架の道行きを再現した青年たち






『アフリカ』






『信頼されている「シスターの診療所」』

〜カメルーン(ドゥアラ)〜
援助マリア修道会 佐藤 浩子

 長らくご無沙汰してしまいました。昨年は1年間、東京在住でした。時間が十分あるので支援する会にお礼を兼ねてご挨拶をと思いながら、目先のプログラムに追われてすっかり忘れてしまいました。申しわけございません。
 さて、こちらに帰り、熱い太陽と人々の温かさに迎えられ、ホッと一息ついているところです。診療所は相変わらずの状況です。毎日200人近い人が治療にやってきます。すぐ近くに公立の診療所がありますが、こちらは20人くらい。
「シスターの診療所」の方が信頼されているようです。
 現在は一般の診療に加え、2年前から結核とエイズの診療が加えられました。結核患者の40%はエイズ患者です。この5月から、エイズの治療薬が無料になるらしく、病人にとってほ大きな希望です。この5年間で薬の代金は激安になりました。これに伴い、病気発見のためのテストも安くなり、人々の病気への意識も変わりました。以前は、“エイズ”は“死”の宣告でしたが、今はまじめに薬の内服を続ければ、長生きできるようです。
 さて、井戸掘りのために支援する会から援助をいただきましたが、今も毎日、新鮮な水を使用でき、病人の治療に、また地域の人々の飲料水として大変ありがたく思っております。『きずな」を見て住所の変更を知りました。これからもご活躍されますようお祈りいたします。






『60歳で貧しい孤児になった心境』

〜ザンビア(ンドラ)〜
コンペンツアル聖フランシスコ修道会 久保 芳一

 日本から世界中に宣教師として羽ばたいている皆さん、お元気ですか。今日は私の苦いザンビアでの体験談を分かち合いたいと思います。
 私は2月19日、修練長のアンセルモ神父の車に便乗して首都ルサカにやって釆ました。
 実は、その4日前に事務局のザンビア人神父から就労許可書が去年の10月21日に切れているので、更新の手続きをするように、さらに、10年で期限切れとなる「パスポートを先に更新するように」と言われておりましたので、私は最高裁判所の裏手にある日本大使館で降り、パスポートの係官の事務所へ直行。幸い同郷(熊本)の親切な領事さんが対応してくれました。しかし、案の定「気をつけた方がいいですよ。つい先頃も、22年もザンビアに滞在していたデンマーク人が国外退去させられたばかりですから」と心細い話。もし自分がそうなったら、その時はその時で仕方がないと腹を決めながらも、「もしやの時は助けてください。電話番号を教えて」と紙切れにメモしました。パスポートの申請用紙に記入、サインをして、連絡待ちとなり、領事事務所を辞しました。
 さて、これからどうなる?一抹の不安を感じながらも、あとは神様に任せましょうと、ルサカの郊外にある聖ボナベンツラ・カレッジへ宿を求めて向かいました。そこはフランシスコ会、カブチン会、コンペンツアル会の3派の神学生が100人ほど合同で哲学を学んでいる大神学校で、近隣のモザンビーク、タンザニア、ケニヤからも学生が来ている寄り合い所帯です。
 その夕方、アンセルモ神父の紹介で移民局の検察官ビーター・サルマイという中年の男性に会いました。彼と夕食を共にしたのですが、ピーターは2人のイタリア人神父と3人のザンビア人神父を向こうに回して、私を彼の左、奥さんの右の席に着けましたので、びっくり。そして「やあ、非常に懐かしい。久保神父は、私が小神学校の時日本からやって来て、19年前はとても若かった。その後、彼は今どこにいるのかと聞いても、友人たちは誰も答えてくれなかった」と言って握手し、私の手を放しません。私は小神学校が本部修道院のあるンドラにあったのは憶えていますが、誰がいたのかは全く記憶にありません。ピーターは哲学の2年生まで聖ボナベンツラ大神学院にいて、退会し、その後移民局の就職試験を受けて合格、今は結婚して、10歳の男の子と8歳の女の子父親なのです。
 しばらくして、アンセルモ神父がピーターに、私の件について説明してくれました。ピーターは「19年間もザンビアで働いているのに、どうして国外退去させられるか。久保神父のことだから絶対大丈夫。自分が責任を持ってやるから、明朝8時過ぎに書類を持って出頭するように」と言ってくれました。私はその夜、床についてからも「神に感謝」とロザリオを繰りながら眠りました。
 翌朝、オーガスティン・ムンガという、エルサレムで3年間聖書を勉強した若い神父が私を車で移民局まで送ってくれました。ムンガ神父は現在教区と我々の大神学校で教えながら、神学生の係をしていてとても忙しいのですが、日本大使館、移民局、カトリックの事務局など、何回も車を運転し、係官とかけ合ってくれました。そこで私は、彼の車のガソリンを満タンにし、60ドルを燃料代として寄付、移民局に手続き料として203ドル、日本犬便館にパスポートの更新代として130ドルを支払いましたので、私のポケットの中は全く心細くなりました。
 ところで、日本では「団塊の世代」とか言って、2007年に大量退職とか、NHKの放送で聞きましたが、昭和22年のベビー・ブームで生まれた私も、その中の一人です。両親は数年前に亡くなり、天国へ。今、私は持ち金はなくなり、労働許可書も切れて、国外退去の寸前、アフリカの空の下で全く心細くなり、ふと、私は60歳で貧しい孤児になった思いがしました。
 翌日の灰の水曜日に大神学生がフットボールの試合をするので、サッカーシューズを寄付してくれとムンガ神父が言うので「私はもう60歳の孤児で、金もなく自己破産状態。日本の友人たちに手紙を書いてみるが、どれだけ助けてくれるか分からない。今年は休暇の年に当たっているけれども、飛行機の切符を買う金もないので、日本に帰れない。いっそのこと、ザンビア管区に移籍した方がよいのでは」と冗談を飛ばしました。ボロポロのシューズを履いているので、支援してやりたいのですが、新品のシューズは40ドルもします。気の毒ですが、今の私にはどうにもなりません。貧しい人を助けるどころか、今は自分が生きていくためのお金もなくなったのです。
 実はその日の朝、ミサの福音(マタイ6の1〜6)を聞いて、「私は金や物を配るためにザンビアに来たのではない」と少々開き直っておりました。「では何のために来たの?」と自問自答。「ザンビアの人々に秘跡を授けるために?」などと考えたりしてみました。
 翌々日の木曜日の午前中、日本大使館から電話あり、午後にパスポートを発給するので、出頭するようにとのこと。次の週になると言われていたので、やあ、神様の助けが始まったと、神に感謝。パスポートを受領した後、私は大使館の窓口で熊本出身の係官に一枚の写真をみせました。それは私がいつもお祈りの本の間に挟んでいる、半分シロアリに食われたような写真で、天草五橋を渡った崎津にある19世紀末のフランス人宣教師ハルプ神父の墓をお参りした時のものです。墓前に祈っている私とマリアの宣教者フランシスコ修道会のシスター高木とドクターのシスター板倉の3人の写真で、この写真をきっかけに我が修道会の熊本や奄美における活動について少しばかりの宣伝をしました。
 日本大使館を後にして、ムンガ神父はルサカの町の中心街で車を駐車し、20分はど用事をしている間、私は車の番をしていました。その時ミスター・ルングという男性が単に近寄ってきて、「私は移民局のシニア・オフィサーでピーター・サルマイの上司だ。娘が結核を病んでいて、薬代が35ドル必要、マイロ(ベンバ語で明日のこと)返すから貸してくれ」と言うのです。マイロというのは借金する時、よく使う危ない言葉です。すかさず、私は「50ドルしか私は持っていない。これで私はンドラまでバスで帰らなければならいない」と説明。それでも男は言い張るので、私は半信半疑で35ドルを渡したのですが、心は不安でいっぱいでした。騙されたらどうする?
 その後サルマイに電話したところ、ミスター・ルングは彼のシニア・オフィサーであることが確認されました。「あ−よかった。本当だった。断っていたらどうなっていたか。新パスポートは入手したのでOK。ミスター・ルングに金は戻さなくてもよい」と言って、電話を切りました。またもや、神様が私を助けてくれた。宣教師の汗も思いがけないところで報われると神に感謝。
 その日の夕方、宿舎のテーブルの上に置いてあった新聞の見出しを見ました。「日本円で70億円の債務を日本政府がザンビア政府に対して取り消した」とのこと。こんな記事を読んでいるから、ザンビア人は私のところに援助を頼みに来るんだと苦笑しました。ザンビアに1人しかいない日本人宣教師は、大金持ちのはずということでしょう。
 夕食の後、大神学院の庭を散策しながら、南十字星を見つめ、今回お世話になった方々のためにたくさん感謝のロザリオを唱えました。2週間後に労働許可書が入国許可書に替わって発行されるという情報を得て、元神学生のピーター・サルマイの事務所を訪れ、深くお礼を言いました。そして、首都ルサカを後にして、1000km先の聖カレンバ・ミッションに向かいました。