『出会い』上智大学名誉教授 水野 一
人生において出会いほど大切で、不思議なものはないと思う。それは日本風に纏えば、「縁」であり、西洋風に言えば「神様のお導き」である。私がローシャイタ神父と初めてお会いしたのは、1950年代初頭、東京外国語大の学生時代である。来日2年目でまだ神学生だった同神父が、もう1人のブラジル人神学生と一緒に、北区西ヶ原の母校を訪れた時である。ドイツ系ブラジル人三世の同神父は、見上げるほど背の高い好青年だった。 ローシャイタ神父はその後、広島を経て欧州へ向かい、アイルランドの首部ダブリンで英語と神学の勉強をし、1955年に同地で神父に叙階された。叙階式には故国ブラジルから親族は誰も出席出来ず、代わりにダブリン駐在のブラジル領事夫妻が立ち会ったと聞いている。このあと、ドイツ語をマスターするため、祖父母の祖国であるドイツを訪問、各地で研修を受けた。そして1957年にようやく日本に帰国し、再び広島のエリザベート音楽大学で教鞭をとっていた。 こうした中で、1952年に第2次大戦で中断していた日本人のブラジル移住が再開されたのに伴い、上智大学外国語学部にポルトガル語学科を新設することになり、その準備のため1959年、ローシャイタ神父が広島から東京に呼ばれたのである。同神父は岡年4月、まずポルトガル・プラジルセンターを発足させ、新学科の基礎作りを行なった。そしてこうした準備期間を経て、1964年4月、同センターが母体となってポルトガル譜学科が設立され、ローシャイタ神父が初代学科長に就任した。 私の方は在学中、佐野泰彦先輩(当時外務省勤務)をリーダーとするカトリック研究会に所属するとともに、講師として西洋宗教史を教えていた、ドイツ人司祭のべッイコーファー師(その後イグナチオ教会主任司祭)の指導の下に「ラテンアメリカ宗教史」について卒業論文を書き上げた。これが縁となり、私は1953年3月卒業後、公教要理を勉強し、同年末カト研の仲間とともに受洗した。 私の家族はプロテスタントから改宗した母が熱心なカトリック信者で、その影響で末弟の水野克彦が上智大で神学を修めたあと、フランシスコ会の神父となった。私も同会の瀬田分教会で、ポーランド人のゲラルド神父から厳しい信者としての心得を学んだのは実に幸せだった。 私は東外大卒業と同時に日本経済新聞社に入社し、外報部記者を経て、同社が設立した日本経済研究センターに出向、多忙な日々を送っていた。そうした中で、1965年に東外大から上智大ポルトガル語学科教授に迎えられた佐野泰彦先生の招きで、学園紛争中の1969年、私も同学科の教員となった。その前にローシャイタ神父とは上智大で、実に15年ぶりで再会を果たしたが、すっかり貫禄のある立派な神父となっていたのには驚いた。当時の学生に聞くと、同神父の授業は大変厳しく、授業時間に遅れた学生は教室に入れなかったという。 ローシャイタ神父は2005年7月28日、司祭叙階50年を迎え、その金祝ミサが故郷のブラジル南部リオグランデドスル州フェリスで、親族をはじめ多数の信者が出席する中で行われた。その際、配られたカードにはイエズス会の創立者聖イグナチオ・ロヨラの肖像とともに、「キリストの計り知れない富について、異邦入に福音を告げ知らせるという恵みがわたしに与えられました(エフェゾ3・8)」と同神父の心境が記されていた。 今回、私はローシャイタ神父の依頼により、最初の日本人宣教師としてブラジルに派遣された中村長八神父(1865−1940)の伝記(2005年ブラジルで出版)の邦訳を引き受けたが、「生ける聖者」と皆から尊敬を受けた中村神父に関する論文を書き、初めて日本にその足跡を紹介したのは、ほかならぬローシャイタ神父である心なお邦訳は近く、長崎の聖母の騎士社から出版予定である。〔V.ローシャイタ「ドミンゴス中村長八神父〜ブラジル移民の父〜」水野一編『日本とラテンアメリカの関係〜日本の国際化におけるラテンアメリカ〜』上智大学イベロアメリカ研究所、1990年、74-81頁参照〕 『第23回運営委員会議事録』日時:2006年12月12日 (火) 18:00〜19:00 場所:四谷SJハウス会議室 議事: I. きずな97号について 今号は「エアメール」へのお便りが少なかっので、当初12ページを予定していたが、最終的には16ページとなり、見開きで写真のページができたこと、最後のページに例年通りクリスマスメッセージを載せたことが担当者から報告された。 II. きずな98号について @巻頭言は、水野一さん(上智大学名誉教授)にお願いすることになった。 A原稿締切りは2月10日、発行は3月1日、発送作業は3月7日(水)の予定。 III. 援助審議 @ボリビア・サンタクルス州のSr.松下春江(宮崎カリタス修道女会)から、昨年に引き続き奥地14地区の宣教活動のためのガソリン代1年分、2400ドル、および青年リーダーとカテキスタ養成のための交通費、旅費、2000ドルの申請があった。今年度もスムーズに活動できるよう4400ドルの援助を決定した。 Aシエラレオネ・ルンサのSr.根岸美智子(御聖体の宣教クララ会)から、今年度も発電機用の重油1年分の費用として30万円の申請があり、承認した。この発電機は当会で支援したものである。 BブラジルのFr.有木勲(日伯司牧協会・PANIB会長)から、ネット上にパニブ独自のサイトを設定する設備投資の費用として2000ドルの申請があった。若い世代との交流を目指してより幅広いコミュニケーションの場を提供する活動であるため、援助を決定した。 CブラジルのSr.白沢康子(宮崎力リタス修道女会)から、サンマテウス学校で大豆を基礎食品とする健康法を重視して、豆乳やおからからさまざまな食品を製品化させることになり、そのための機具購入費として6002ドルの申請があり、承認した。 Dフィリピン・ボホール島のSr.高島紀美(クリスト・ロア宣教修道女会)から、ボホール島司教からの依頼で「祈りの家」を造ったが、そこで使用する4種類のベッド44台とサイドテーブル8台が必要であり、その費用として546,000円の申請があった。検討の結果承認した。 Eカンボジアの高橋真也さん(信徒宣教者会)から、(1)識宇教室用通掌船維持費900ドル(2)公立小学校用通学船維持費1250ドル(3)浄水装置設置費用2300ドルの申請があった。検討の結果すべて承認した。 FタンザニアのSr藤岡正恵(聖フランシスコ会病院修道女会)から、婦女子への裁縫教育(将来の自立のため)のための足踏み式ミシン、付属品、電気変圧調整器の購入費として5万円の申請があり、承認した。 iv. その他 @3月10日(土)に当会事務所が、六本木のフランシスコ会聖ヨゼフ修道院内に移転することに決まった。 〒106-003 港区六本木4-2-39 Tel. 03-5770-8753 Fax. 03-5770-8754 (3月12日午後3時から開通) A原のり子さんが会計係の補助として復帰することになった。 B「聖母の騎士社」編集部から、海外で活躍する邦人修道女を紹介してほしいとの依頼があり、それに協力した。 C次回の運営委員会3月13日(火)に四谷SJハウスで行う予定。 |