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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』






『寛容をテーマにした読書会の取り組み』

〜コートジボワール(ダブゥ)〜
クリスト・ロア宣教修道女会 勝 ひとみ

 こちらコートジボワールは2002年9月以来、国が2つに分かれて3年が過ぎました。政府軍と反乱軍との関係はますます悪くなり、武装解除のプログラムは一応あるのですが、そこにフランス軍と国連軍が入り込んで、緊張状態が続いています。
 それでも、そんなことは大人の世界のことで、子供たちは生き生きと毎日を過ごしています。このような状況の元ですが、今年も4つの村の9つの小学校、450名を対象に読書を通して平和に貢献する活動をいたしました。今年の読書会のテーマは「寛容」。ユニセフの作った寛容と平和の教育プログラムを参考にして、その中の『Le petit garcon bleu.(小さな青色の男の子)』という絵本を取り上げました。「いろいろ違うところもあるけど、みんなで仲良くやっていこう!かえって違いがあるからいいんだ!」という主旨の本で、今日のコートジボワールにピックリということで、この本をメインに読書会をすすめました。
 今学期(04年11月〜05年6月)は図書館利用者も含めて、1000名余りの児童生徒がこの本を読みました。まさに平和の「種」です。うまく育ってくれたらいいのですが。そして、6月14日には9つの小学校が一つに集まり、「Plaisir de lire.(読書の喜び)」と題して、本の祭典を催しました。500名の児童生徒と100名近くの父兄、先生、それに「小さな青色の男の子」の作者も来てくださり、楽しく、有意義な一日を過ごしました。
 しかし、本の購入先の出版社の一つが倒産し、別の会社に吸収されました。60%の学校が閉鎖しているので、経営がとても難しいようです。こんな時だからこそ、教育に力を入れるべきだと思い、ますます努力したいと願っています。次年度は、HIVポジティブの小学生が増えてきている状況を考えて「ともに生きる」をテーマに、本を選びたいと思っています。すでに1冊「ローリーの木(Un arbre pour Laurri.)」を選びました。経済が悪くなると、治安も悪くなり、人の心もすさんできます。よい本を通して少しでも心が豊かになりますように願いながら、その活動を続けていきたいと思っています。






『貧しくても喜びに満たされている人々』

〜ケニヤ(ナイロビ)〜
神言会 佐藤 新

 司祭叙階の後、ケニヤに派遣されてから早いもので二年が過ぎ、こちらの気候、生活習慣、そして何よりこちらの言葉に徐々に慣れつつある今日この頃です。『きずな』を送ってくださり感謝しております。世界中で活躍されている先輩方の活動を知り、大変励まされます。
 私はナイロビ市内のソウェトという、いわゆるスラム街にある小教区で働いています。小教区の仕事といえば典礼行事の企画からエイズ関連のセミナー、ありとあらゆる相談事など、次から次へと尽きることがありませんが、そんな合間を縫ってはソウェトの中を歩いています。そして、様々な理由から学校に行けない子供たちや両親のない子供たちの話を聞いて、どのようにして力になれるかを、これはやはりケースバイケースで模索しています。それぞれの子供の置かれた状況を詳しく知るというのは非常に根気と労力の要る作業ですし、やっとの思いでサポートを受けられる施設を見つけた矢先に、その当人がいなくなるといったこともあり、なかなか簡単ではありませんが、その分やりがいがあります。
 それに何よりも、ソウェトの人たちの貧しいながらも喜びに満たされて生きるたくましい垂に力づけられて毎日を過ごしています。






『25年前3人の宣教者がチャドへ』

〜チャド(ライ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 チャド・ミッション一同

 いつもお祈りとご援助をいただき心から感謝いたしております。数年前からこちらでも衛星放送でニュースを見ることができるようになり、世界の動きからとり残されないですむようになりました。11月19日私共は、本会がチャド・ミッションに参加して25周年を祝う恵みをいただき,ご支援くださっている皆様への感謝の思いを新たにしております。
 1960年に独立国家として歩み始めたチャド共和国は、1972年クーデター後の内戦で荒廃し、教会や修道院もその難を免れず、信徒たちは牧者のない羊の群れの様相を呈していました。1977年にチャドの教会からSOSの呼びかけで、3人の姉妹たちがローマを出発してカメルーン経由で、24日もかかってライの修道院に到着しました。この日からの修道院の記録によって振り返ってみると、求められ、待ちわびていた人々の中に入った喜びと、クーデターの後遺症的な時々起こる銃撃、少なくともライのミッションには侵入しなかったとはいえ、修道院の垣根の傍らに倒れた死者や負傷者を介抱し、逃げ込んできた住民をしずめることもあり、数週間の避難の生活を余儀なくされるなど、さまざまな明暗の日々で織りなされています。最初のミッショネールの一人は、日本管区を代表してSr.アンネット・ベルベでした。病気による帰国や交互に取る休暇のためにその後、Sr.井手愛子が、続いてSr.三宅陽子(2005年帰天)がチャド入りしました。さらに2年後の1984年10月にSr.有薗順子が、ライで一人だけになっていたSr.アンネットのもとにたどり着き、神様の憐れみを賛美しあっています。
 この年は反政府集団を掃討する作戦で、ライ市も全住民の招集があり、知らずに家に残っていたために撃たれるなど、人々は恐怖のために農耕作業もできず飢饉に見舞われました。この時期一時帰国したSr.三宅は、日本の善意の人々に救援を呼びかけ「支援する会」の皆様をはじめ、日本赤十字社からなど多大な援助をいただき、ライ地区の人々の窮状が救われました。
 1985年4月、当時のイッセンナプレ大統領がライ市を訪問し、各階級の代表者たちとの会見があった折、カトリック代表団は聖フランシスコの『平和の祈り』をSr.有薗の手から贈呈しました。これは慰めとなる記録でした。
 現在、ライに地区本部を置き、13名が首都のンジャメナに1つ、約45km離れたチャド南部のギグリの2つの共同体持ち、さらにンジャメナとライの2教区で教会の各種司牧活動に協力しています。特に本会の使命である「キリスト教的教育、病者、小さい人々への援助」に力を注いでいます。
 1988年にSr.アンネット、Sr.永瀬小夜子(2002年帰天)によって引き受けられた首都ンジャメナの宿泊センターは、チャド教会全休にとって縁の下の力持ち的存在となり、チャド教会への出入りのミッショネールたち、各種の会合、研修のために首都に集まる教会関係者のオアシスの役目を果たしています。
 ライ市では、カトリックの「キジト女子小学校」での教育に初めから関わりを持ち、早婚の女性たちの意識開発に力を入れました。特に教育施設に恵まれない村落の女生徒たちのために24人収容の寄宿舎、小6から中3までの生徒、さらに召命の識別を望んで入寮している7名の高校生などの指導、小教区の各種団体の活動への参与など、司牧活動の広範囲にわたって関わっています。帰天したSr.三宅が青空教室から始めた「レーヌアンチェ幼稚園」は、20年目を迎え、幼児100人を受け入れて、3人のチャド人の先生と共にSr.大和、松山が心を注いでいます。
 1989年4月に、ギダリの診療所を引き継ぐため、Sr.脇山、内田、大湾が派遣されました。診療所の計画的なワクチン接種についてのSr.大湾の努力、その後を引き継いだSr.入江の活動は高い評価を受け、それを支えてくださる「支援する会」の援助は大きな力です。また、ほかの日本の団体からの支援で「富士図書館」が建設され、ギダリの人々の知的向上のエネルギー源となっています。
 25年間のミッション活動のすべてを取り上げることは不可能ですが、3人の本会のチャド・ミッショネールであったSr.クロデイア、永瀬、三宅が、天の主のみ傍から私たちを見守っておられるのを感じます。そしてこれらのすべての活動はフランス、日本、カナダ管区の修道会全会員の協力、また私たちの訴えに心の耳を傾けて聞いてくださった後援者の皆々様と共に実現してきた活動であることを思い、チャド・ミッションの一同、心からの感謝をお捧げし、父なる神様の豊かな祝福をお祈り申し上げます。
 現在のショファイユの幼きイエズス修道会チャド・ミッションの日本人7名は次の通りです。
ライ支部:Sr.脇山 ミキコ、大和ひろみ、平静代、松山浩子
ギダリ支部:Sr.入江多嘉子、
ンジャメナ支部:Sr.有園順子、日置マリエ






『命の危険を感じながらの日々』

〜ウガンダ(コティド)〜
横浜教区 本柳 孝司

 いつも会報を送ってくださりありがとうございます。日本は、この冬は寒さが厳しいと聞いていますが、こちらウガンダは乾季の真っ最中で、枯れた草が黄金色になって大地を染めています。
 こちらでは、大統領選、議会員選、地方議員選を控え、政情が不安定な状況です。ここコティド県でも8月の下旬から再び家畜の強奪戦が始まり、過去数年間で最も激しいようです。その混乱に乗じて、車両への銃撃、殺人などの犯罪が多発しており、私の住むロヨロでも、この3か月間に5回ほど、近隣のある部族が村を襲撃しています。私もコティドへ移動中に、家畜の強奪を終えたその部族の戦士に、銃口を向けられたことがあります。
 人々は、いつ命を落すかわからない状況の中で生活しています。特に銃を持たない女性、老人、子供たちが大きな重圧を受けています。しかし、このような状況を作り出しているのは、彼ら自身の戦士たちであるということも忘れてはならないでしょう。彼らは被害者でもあり、加害者でもあります。そのような中で私は、常に命の危険を感じながら緊張した毎日を送っていますが、元気です。






『ケモンド村の夜の星の輝き』

〜タンザニア(ケモンド)〜
聖フランシスコ病院修道女会 藤岡 正恵

 お元気ですか? スワヒリ語のコースを終えてケモンド村に戻ってきました。雨季が終わり、畑の一角に植えている蓬科のアーテミシアを刈り入れ、日中の強い陽射しのもとでマラリアのための薬茶を作っています。3か月半の留守中、手入れ無しでも結構育ち、落ちた種から次の世代が10センチほどに育っています。ケモンド村の夜空は星の輝きで満ちています。オリオンの三つ星の間に星雲が横たわり、名の知れぬ数々の星がその存在を競っているかのようです。
 クリスマスを前に教会の3つのコーラス・グループが連日、ドラムが中心の聖歌の練習に励んでいて、例年であればしばしば激励の声を掛けに行くのですが、今年は急遽帰国した姉妹の留守番役もしてなくてはなりません。一度降ると川になるマーケットまでの細道を、次の雨季までにと溝堀が中心の道普請で、毎日が昏区け足で過ぎていきます。おまけに、鉄製の頑丈なはずの網戸が5年にしてたがが外れたり、一日に約300人の喉を潤す簡易水道の蛇口がたて続けにこわれたり、水圧が落ちて鉄錆色の水に変わったりのアクシデント続きでした。
 せめて夜だけは、の願いもむなしく我が家の番犬のけたたましい吠声、夜が明けて納得!30センチもの鼠が一撃で仕留められていました。さすが逞しい我が家のワンチャン、しっかりとガード役を果たしていたのです。忙しくこんな毎日を送っています。







『生年月日問答』

〜シエラレオネ(ルンサ)〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子

 この1年もあっという問に過ぎました。ふり返りますといろいろなことが――悲しい大きな事故、災害、恐ろしいテロなど、世界のニュースを見ていますと、どうしてこれほどと嘆きたくなります。
 こちらの私の周囲の人たちは私より後から生まれましたが、多くの人が私より先に神様に召されてゆきます。つい最近まで元気一杯で働いていた青年、娘たちが、今は過去の人となってしまいました。シエラレオネの平均寿命は38歳です。この数字をどうやって出したのか、私にはわかりません。何故ならほとんどの人が自分の誕生日を知らないからです。
 降誕祭に因んで、今日はこちらの人々のお誕生日について書きましょう。自分のお誕生日を知っている人はほんの少しで、はとんどの人が知りません。毎年のことですが、生徒の調査書で一番困るのがこの生年月日です。はとんどの生徒が知りません。「何歳ですか?」「18歳です」、「何年に生まれましたか?」「1993年!」、「冗談でしょう、それでは12歳ではないの、あなたはもっと年を取っていますよ」「あそうか。知りません」、「お誕生日は?」「ハイ、月曜日です」、「いつの月曜日なの?」「知りません」。これがいつも繰り返される会話です。
 先日保険会社から調査が来ました。通常保険は60歳までなので私は必要ないのですが、現職の校長を続けていると、この保険金を政府から自然に引かれています。外人の私にはお金などもどってきませんが。書類には自分の生年月日のわからない人は、その欄に母親の名前を書いてくださいとありましたので、年齢を書くとまためんどうくさいので書かずに、母親の名前を書いておきました。愉快で顔がにやにやしてしまいました。日本では考えられない愉快なことです。こちらで人々は私を10歳から15歳位若く見てくれています。いっまで続くでしょうか?神様におまかせしています。
 今年も暖かいご支援をありがとうございました。たった3人の修道家族から今年はなんと12人とふくれあがりました。このうち6人がナイジェリア人のシスターでアフリカ色の濃い修道家族になりました。未来のアフリカの建設には、やはりアフリカ人のシスターが一番よいのかもしれません。残念ながらシエラレオネ人のシスターはまだとても少ないのですが、平和が続いたらきっとベアトリスやジョセフィンに続くシスターも誕生することでしょう。お祈りくださいませ。






『アジア』






『志願者と一緒に祝ったクリスマス』

〜タイ(バンコクにて)〜
聖パウロ女子修道会 阿部 羊子

 皆様お元気ですか。こちらでは今年、待ち望んでいた志願者第1号をさずかり、5人家族でクリスマスを祝いました。とってもうれしいです!姉妹たちと初心に帰って、よき手本になるように努めながら、未来のパウロの娘を見守り、育てています。名前はアティタヤー(太陽)、20歳。中学生の頃、タイの女子パウロの本を読んで知り、パウロのシスターになりたいという志を燃やし始め、ずっとあたためていたのだそうです。誠実さ、謙虚さ、信仰深い両親に恵まれた、奉献生活の召し出しです。
 パウロ書院が誕生して2年3か月。“星のように静かに、確かに…”奉仕を続けて、喜ばれています。この世界一小さい書院は、カトリック総合病院のミニマートの一角にあります。今年は、次のような出版物を提供しました。
 ☆“Finding your way through grief”(英・タイ語ポケット版)5000部
 ☆福音書(タイ語)“感動のイエスの生涯”(文庫版 368頁)5000部
 ☆VCDアニメ 十戒(タイ語吹き替え)
 ☆VCD十戒(英語版)
 現在、“Women and Men in the Bible”(聖書人物物語)を劇画集全8巻で準備中です。
 教会の福音を宣べる使命を強く感じ、仏教の国でどのように喜びと平和の福音を人々に届けたらよいのか、絶えず模索しています。貧富の差は大きく、都会のほんの一部の層が高度成長に走り、電気もない不便至極なところが限りなく続いているのが現実なのです。この国の隅々まで知りたいと思い、機会を作っては出かけるようにしていますが、タイは広大な国ですね。これからもタイのお米をたくさんいただいて、イエス様への思い、人々への思いを深く強く持って、燃えて、奉仕していきたいと思います。






『昨年の活動報告です』

〜パキスタン(ファイサラバード)”
マリアの宣教者フランシスコ修道会 岡野 真弓

 昨年もたくさんの方にご援助いただき、また、地震の際には励ましとご心配いただき、ありがとうございました。皆様からのご援助で続けている活動状況をご報告します。
(1)結核プロジェクト
 患者さんの診察、検査(レントゲンと血液 検査)をし、抗結核薬を差し上げています。2か月前から治療を始めた腸結核の6歳位の女の子は、高熱も腹部症状も軽くなり、本当に元気になっています。また、3〜4か月前から治療を始めた肺結核の8歳位の女の子は、発熱と痩せてきたことに学校の寮のシスターが気づき、当院へ送られてきて治療が始めら れました。父親が結核なのに治療をせず、何度薬を渡しても途中で止めてしまうとのことです。病気への理解の不足が、家族内感染や小さな子供の発病につながっています。この子の場合は寮で気がつかれ幸運でした。治療開始後1〜2か月で、発熱も咳も改善し、今回外来に来た時は、体重が増えて顔がふっくらしてきました。
(2)訪問診療プロジェクト
 週1回、病院から車で約20分のところにある教会内の診療所での診察、検査(尿、血糖検査)、当座の薬の無料配付をし、当院へ紹介した場合は、外来での診察、検査の半額援助をしています。ここでの活動の主な目的は、訪れる近隣の人々に必要な医療上のアドバイスをすることと、女性への健康教育です。妊産婦健診の必要性、妊娠中の注意などを説明します。また、薬に頼るばかりでなく、食事や運動の大切さの説明もします。毎週、20〜30人くらいが訪れます。前述の腸結核の女の子はここで発見され、当院へ送られてきました。
(3)付属助産婦学校援助
 援助により、教師の給料と学生の学費が賄われています。また日本から助産婦教育用モデルや医療掛図も購入できました。寮のベッド25台も新しくなりました。近隣の村からの貧しい家庭の女性(主に18歳〜22歳位)54人が学んでおり、食費、学費は無料です。来年から政府の方針により学生数が72人に増えるため、学生寮と教室の拡張を計画中です。
(4)当院入院患者の支援
 手術等の高額治療が必要な貧しい人が、善意の方々からの基金で助けられています。健康保険制度がないため、貧しい人が重大な病気になると大変です。当院で入院費や手術代は無料にしたとしても、薬はバザールから買ってこなければならないため、この基金で助けられています。
(5)若い女牲への教育援助
 2004年の帰省中にいただいた2つの教会からのご援助で、2人が高校過程(FA2年過程)で、5人がカテキスタコース(1年)で、3人が英語コース(1ケ月)で学ぶことができました。この国で上級教育を受けるのに英語は必須です。
(6)地震被災者への援助
 10月の地震では当院は直接の被害を受けませんでしたが、被災者へ毛布や食料、薬品を送りました。また当院の看護師シスター1人と、当院で活動中の日本の海外協力隊員2人がイスラマバードで援助活動をしました。また11月にはアポタバードのカトリック教会へ必要な食料を送りました。これらも皆様からのご援助によっています。
 今年も私たちがそれぞれの場で、望まれていることを喜んで果たしていくことができますように願っております。






『バコロド便り』

〜フィリピン(パコロド)〜
善きサマリア人修道会 鈴川 良

 新学年も始まりたくさんの生徒、学生で溢れているバコロドよりお便りいたします。大規模な自然災害、終わりの見えない爆弾・自爆テロ、反体制デモに明け暮れる世界、この中にあって皆様からの変わらない温かなご支援を受けて、ここでの活動を継続させていただけることは素晴らしいことです。本当にありがとうございます。
 先ず、善きサマリア人幼稚園では、自然児そのまま天真欄漫の子供たちが、毎日の生活、多くの行事、年4回のテストなどを経て、昨年3月19日に第一回卒園式を挙行できました。一人ひとりがメダルをいただいて、卒園証書を受け取ったとき、本人はもとより保護者・関係者の喜びは言葉に表せないほどでした。そして、6月6日から新しい園児を迎え、第2年目が始まりました。普段ニックネームだけで呼ばれている子供たちが、フルネームで呼ばれ、誰のことかわからなくて、返事のできない様子は本当に微笑ましいものでした。今年は130名の子供たち、スタッフは園長のSr.レオニー、教職員のSr.迎、Sr.ジェルミナ、その他の先生や助手の方々で総数6名になりました。
 コンセプション教会付属幼稚園でも3月17日、12名の子供たちが、角帽とガウン姿で卒園しました。3月末から4月初めにかけて小学校、高校、大学の卒業式があり、コンセプション、ヘンリエッタ・ヴィレッジの奨学生が、それぞれ卒業証書を手にすることができました。特にヘンリェツタの高校卒業生17名のうち1名は、サリュクリアン(総代挨拶者)といって、次席で卒業し、メダルと大学からの奨学金予約証書を受け取りました。
 一昨年来、たくさんの海外からの訪問を受け、この地域訪問や幼稚園での手伝い、子供たちや保護者との交流が深められました。奈良教会からはの2人の大学生、佐世保シナビス会は会長、副会長様をはじめ各小数区の代表の方々、聖和女子学院から先生と生徒さん、また、オーストラリア善きサマリア人高等学校代表の先生方、長崎教区の下口神父様は英語での日本昔話や手品を携えて、さらに、オーストラリアと日本の大学生も2月から3月にかけ滞在、皆さん多くのことをを体験されたと思います。
 「幼稚園」という大きな奉仕職の出現で私たちの活動範囲が狭められたと思われるかもしれませんが、Sr.ユーゲニーの母親学級も始まり、また制服の園児からは見えない子供たちの置かれている日本では考えられないような貧しさ、複雑な家庭環境、弱い立場に直面し、人々とのかかわりは一層深くなっています。と同時に時には自分たちの無力さをもろに感じさせられます。
 修道会としての一番の喜びは2人目のフィリピン人の会員Sr.ジェルミナ・トカマの初誓願でした。4月30日(土)、ご両親、家族、修道家族の見守る中、会長ソニア・ワグネル、主司式者アジ神父の前で力強く、イロンゴ語で宣誓しました。初期養成責任者Sr.後藤の指導と共同体の交わりの実りでした。Sr.ジェルミナは今年、不法定住者キャンプの訪問を続けながら、週3日は幼稚園を手伝っています。昨年からSr.フラン・ノランが再び着任し、6月からは教区の神学校でも教えており、私たちは7名のメンバーとなりました。「刈り入れは多いが働き手は少ない(マタイ 9:37)」とのみ言葉と共に、これからも霊的にも物質的にも続けてご指導、ご支援くださいますようお願いします。






『フィリピンに派遣されて25周年』

〜フィリピン(ケソン・シティ)〜
聖心侍女修道会 千葉 桂子

 ごぶさたしております。例年のように美しいカレンダーのカードをありがとうございます。そして『きずな』も。いつも皆様のお祈りと協力に支えられて、私のフィリピンでの生活は25周年目に入りました。日本のように季節の変化がないため、年月や季節が過ぎてゆくのが感じられません。しかし、もう5人の大統領を経験してきて、いつも誰が大統領になっても変わりばえがしません。落ち着いた政治ではなく、いつも引き下ろそうとすることばかりです。特に、カトリック国でありながら、あまり清廉な社会ではないということです。私たちはいつもカトリック、キリスト教的、福音的な精神が浸透するように祈っています。私の活動が多岐にわたっているので、かなり忙しい毎日ですが、皆様のお祈りに支えられて、元気に過ごせていることを心から感謝しております。神さまの豊かなお恵みをお祈りしつつ。






『ミルクのご支援ありがとう』

〜カンボジア(プノンクラオム)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 園田 国子

 シェムリアップ州にあるトンレサップ湖の近くの村プノンクラオムに来て、ちょうど3年が過ぎました。子供たちの衛生教育から始まった活動が、現在プレスクールに発展してきました。
 地域の家庭訪問をしているうちに、赤ちゃんの栄養不足、死亡率の高いことを知り、どうにかできないかと考えました。そのころにミルク配給の援助をお願いしたところ、援助していただきとても感謝しています。
 この地域のお母さんは、母体そのものの栄養不足があるので、乳が十分出ません。この写真のお母さんも10日経っても乳が出ないといってやって来ました。赤ちゃんにとっては唯一このミルクが命の源ですから、とてもよく飲みました。生後3か月頃からお母さんも母乳が少しずつ出るようになりましたが、風邪などを引くと、また出なくなります。ミルクを補給しながら、今もう7か月日になりますが、大きくなってきました。
 このような家庭が多く、現在10件はどに援助しています。6か月過ぎると、ほとんどの母親も母乳が出るようになりますので、ミルクの補給は、1年間をメドに行なっているところです。赤ちゃんはお陰様で、健やかに育っています。時には、病気がちでひ弱な赤ちゃんには、1年を過ぎても、補給することもあります。本当にこの子供たちの命が、このミルクのお陰で救われて、元気で生きています。本当にありがとうございます。簡単ですが、お礼と報告まで。

7か月になりました
7か月になりました






『南米』






『幼稚園一期生が成人して受洗』

〜パラグアイ(ピポラ)〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子

 こちらパラグアイで宣教するシスターたちは、お陰様で皆元気です。ただ一人、日系人のために働いていらっしゃる神言会のクルッカ神父様もお元気で、こちらに来られてもう40年にもなります。通常、毎日のミサはスペイン語でおたてになり、月に2〜3回日系移住地で日本人一世のために日本語でミサをたててくださっています。普段漢字を使わないために、だんだん忘れてしまい、読みにくくなったと言っておられます。
 毎週日本から送っていただく「カトリック新聞」を拝見して、日本の教会の動きも興味深く感知しております。また、『きずな』によって世界各地で働いていらっしゃる宣教者の方たちとの連帯ができ、心強く思っております。
 12月18日待降節第4主日に、パラグアイの3か所のコロニアで、日系信者さんたちの恒例の合同クリスマスを、今年はラパスでお祝いすることになりました。イグアズとピラポの信者さんたちは貸し切りバスでラパスに旅行いたします。ラパスでは大人2名と子供4人の洗礼式があります。大人2人は私のかつての幼稚園児でしたが、洗礼前の勉強に代父母さんと一緒に通って来ています。「シスター、覚えていますか? ぼくは幼稚園の第1期生でしたよ」との言葉に、やはり種蒔きをしておいてよかった、神様は適当な時期に発芽のお恵みをお与えくださるのだと痛感いたしました。
 写真は10月19日に初聖体を受けた中学生と一緒に写したものです。5名の内4名は日系3世、1名はドイツ人2世です。聖土曜日に受洗しておりましたが、その後勉強を続けて、10月に初聖体を受けました。来年はまた、堅信の勉強をする予定です。
 2006年が皆様にとって神様のお恵みにみちた年となりますようにお祈り申し上げます。








『コンピューターを購入し新学期を待つばかり』

〜ボリビア(サンタクルス)〜
宮崎カリタス修道女会 立石 順子

 この度は5台分のコンピューター購入費を援助してくださるとのこと、本当にありがとうございます。一足早いクリスマス・プレゼントをいただいたような、そんな喜びに包まれました。その日はうれしさに顔がゆるんでいたのではないかと思います。でも、ホッとする暇もなく、その翌日の土曜日にはカリタス学園、高校の第9回目の卒業式が賑やかに行われました。
 そして、ボリビア宣教40周年の記念行事ももうすぐクライマックスを迎えようとしています。40周年の歴史を振り返りますと、この歩みがどれほどのお恵みであふれていたことか、神様の不思議なご計画くに導かれて、多くの方との出会いそして支えられてきたことかと、驚きのうちに感謝する思いでいっぱいです。私どものよき理解者である「海外宣教を支援する会」の皆様の励ましとご支援が私たちの元に届く度に、また『きずな』を通して海外で働く宣教者の活躍を読むたびに「よき羊飼いのように神様はいつもそばにいて、私たちの声を聞き分け、その必要を知り、助けを送り、養ってくださる」と元気づけられるのです。
 この度の支援により、コンピューターを購入することができ、新学期か始まるのが楽しみになりました。生徒たちの喜びの声と笑顔を思い浮かべながら、準備ができるというのは幸せなことです。この喜びが支援してくださる方々に届きますようにと願っています。






『大切なものはシンプル』

〜ブラジル(パラナ州)〜
長崎純心聖母会 堂園 みつ子

 2005年、お陰様で私達はブラジル宣教25周年を迎えることができました。25年前(1980年10月)に佐々木神父様・故マルゴット神父様の要請をうけて、私達6名(高平、田中、谷口、堂園、浜元、松永)の純心聖母会会員が、ブラジルバラナ州のサン・ジェロニモとアモレイラでご奉仕を始めました。日系ブラジル人のシスターも加わり、また、新しくクリチバの事業も増えました。
 25周年を記念してクリチバ、サン・ジェロニモ、アモレイラの町で、それぞれの持ち味でミサが捧げられました。これまでの25年間の感謝とこれからの25年の希望を持って歩んでいくために。しめくくりに総長・副総長と共に研修会を行い、これまでの25年とこれからの25年について祈り、分かち合いました。そのときに浮かんできたのが「大切なものはシンプル」という言葉でした。“大切な神様のみ旨を行うこと、聖母マリアにならって…”とてもシンプルです。でも簡単じゃない。だから祈らなければ!
 私達の社会は複雑です。シンプルな事を超複雑にしています。私達の心も体も複雑です。このことが物事を簡単に見ることを難しくしています。もし、これだ!という絶対的確信があれば迷うことはないし、苦しむこともありません。しかし、残念ながらあれもこれも大切に思えて、迷い悩んでいます。言語、文化、習慣の違いはすばらしいものですが、大きな十字架になることもあります。神様が招いてくださったという信頼がなければ、環境の違いを受け入れるのは苦しみになります。多くの宣教師の方がそうであったように、私達も人並みに苦しみ闘ってきました。と同時に貴重な体験によって神様と人への奉仕にますます励むこともできました。一人ひとりが役割をもって灯をともしていたら、複雑な社会の中でも本物が見えてきそうです。
 私達最初の6名のテーマソングは「森の水車」でした。コトコトコットン コトコトコットン森の水車は回り続けます。雨の日も風の日も、日々のたゆまない繰り返しが25年、50年、100年とつながっていきます。これからも神様と人々に信頼して歩み続けたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

私たちのテーマソングは「森の水車」
私たちのテーマソングは「森の水車」






『在ブラジル50年を顧みて』

〜ブラジル(タピライ)〜
神言修道会付属カテキスタ会 箕浦 まさ

 ブラジル在住50年の宣教生活、あっという間に過ぎ去った年月をふりかえり、今更のように深い感慨を覚えます。私を洗礼に導いてくださった神言会司祭、故ヨゼフ・バイエル師がいらっしゃらなかったら、私のブラジルでの宣教生活もなかっただろうと思います。また、当時の神言会サンパウロ管区長の英断がなかったら、私たちのブラジルへの召命も実現しなかっただろうということを考えますと、神様のふしぎな御摂理に打たれます。自分の生涯をふり返りますと、なつかしい思い出のひとこまひとこまが綾なすきれいな映像となって、脳裏に浮かんでまいります。
 日系人のために日本からのカテキスタを呼び寄せるということは、ブラジルで初めての試みであったと聞いています。そのための経費は、今は故人となられた有名な鐘ケ井農場の経営者、鐘ヶ井久之助氏のご寄付だったということで、ブラジルへ着いて先ず第一に鐘ヶ井氏のお宅へ伺ったことを覚えております。宿舎や活動のための資金などは、すべてバイエル師や信者(日本人とかブラジル人とかの区別なく…)の献身的なご努力によって賄われたのです。
 当時のブラジル日系人社会は、日本が戦争に負けたことを認めたくなかった勝ち組と敗戦認識派の負け組との二つに分かれ、まさに血を血で洗う激しい対立が続いていました。私たちがカテキスタとして呼ばれたのも、敗戦を身をもって体験してきた日本からの日本人として、何より確かな証人にもなれ、同じ日本人でありながら争う人々を一つに結ぼうとされる天の父の御計らいであったのではなかろうか、と思えるのです。
 私の最初の赴任地はサンパウロ州のサントアンドレ市でしたが、ここはこの勝ち組、負け組の非常な激戟地でした。私はこのサントアンドレ市をはじめ、サン・ベルナルド、サン・カエターノなどを5年間回らせていただきました。次いて、パラナ州アサイの日本人植民地に転勤、ここで6年勤めさせていただき、それからサンパウロ州タピライに転勤になりました。
 このタビライは、山の中の小さな町ですが、サンパウロ州の交通の要衝です。以来今日まで、私たちはここを本拠として、近郊各都市に出張する形で、宣教を続けてまいりました。この間、各地在留日本人の方々の共同体において、教理説明と洗礼や初聖体を受けられる方々の式典にあずかり、大きな感動や喜びをいただいてきました。こうして主は、私のような未熟で貧しい者にも、常に大きな励ましと恵みをお与えくださったのです。
 なお、この活動について書き忘れてならないのは、私のブラジル赴任より一足先にサンパウロ州のサントアマーロ地区で宣教活動を始められ、1年後、私の到着を待って、私と共にずっと働き続けておられる、Sr.マリアクリスチーナ野田芳子さん(神言会付属カテキスタ)のことです。彼女の、持病と戦いながらの宣教活動は、壮絶な日々でした。
 私共は、地道な働きのうちにも、各地の日系共同体の方々の善意に支えられ、それを中心に民族や世代を乗りこえて、強固な信仰の絆に結ばれ、平和と愛の社会をつくることに、すこしでも貢献できたとすれば、いのち冥加に尽きるものがあります。
 また、最も忘れてならないことは、この50年の間には多くのかくれた恩人の方々のお力添えがあったことです。宣教に従事する司祭方は勿論のこと、、日本内地の方々のご支援、とくに「海外宣教者を支援する会」会員の皆様からの絶大のご援助は、ブラジルのコロニアに忘れることのできない記念碑となって語り継がれてゆくに違いありません。主は、これらの方々の上に永遠のご褒美を用意されていると信じて疑いません。これからもどうぞお祈りとご支援の程、よろしくお願いいたします。






『オセアニア』






『雨季は雑草との闘い』

〜ソロモン(テテレ)〜
サレジオ会 飯田 徹

 こちらでは1988年に民族紛争があり、ガダルカナル島は政治や経済、流通機構が集中しているので大きなダメージを受け、そのためにソロモン諸島国全体が停滞してしまいました。しかし、昨年までにようやく混乱は収拾し、諸外国の援助を頼ってですが再建が始まっています。日本政府も本格的に援助に乗り出し、現在流通の要となるガダルカナル島内のメインロードの改修を行なっています。
 また、オイルパーム・プランテーション(油椰子の栽培・精油)の再建も本格化し、椰子の美林も復活しつつあります。−方、ゴールドリッジ・マイニング(オーストラリアの資本による金採掘・精錬)は再建を決定していますが、本格化していません。ガダルカナル島の二大輸出産業の一つなので、早く再生産が始まるよう願っております。
 現在ソロモンは雨季です。よい天気で暑いなと思っていると、一転にわかに掻き曇り、土砂降りの雨となり、気温は下がって過ごし易くなります。教会の庭に水溜りができたあと、カンカン照りになるとものすごい蒸し暑さとなります。これが二日周期くらいで繰り返されています。この雨季について観察していたら、太陽がソロモンの上を通り過ぎ、ソロモンよりも南側にある期間(ソロモンは南緯10度位に在り、それから南回帰線:23.5までを往復する期間)と雨季が重なっていました。雨期は太陽のプレゼントで、雑草は驚くはど成長が早く、草刈りが追いっきません。特にイネ科の雑草は特に生命力が強く、地面を削るように根っこから刈らなければならず大変です。本当に雑草を輸出できたなら、ソロモンの経済は潤うのにと、ため息をつく時期が雨季でもあります。