『アフリカ』『アフリカをもっと知ろう』今年はアフリカについて理解を深める機会に恵まれ、11月2日にアフリカから一時帰国中のSr.篠田とSr.根岸のお話を聞く会を開きました。お二人は群馬県の県立女子高校の同級生で、30年程前のある日教会でばったり会い、「あなた、いつ洗礼受けたの?」「あなた、いつ修道院に入ったの?」とビックリしたとか。その後、間もなくアフリカのアルジェリアとシエラレオネに派遣されるという不思議。お互いに内戦をくぐり抜けて現地の人々と共に困難を乗り越えてきました。『耳のお掃除もしています』マリアの宣教者フランシスコ修道会 篠田文江
1975年の春に日本を出てから30年、修道生活の大半をアルジェリアで過ごしている。人や文化、気候風土の余りの違いに、最初の4、5年間は真っ暗な中に一人追いやられた感じで苦しく辛い時期だった。看護婦として国立病院で働いたが、毎朝小児科病棟(40床ほど)に出ると、必ず赤ちゃんが亡くなっていて、1日に小さい子供が3〜4人亡くなっていく。病院には医者もいない、水もない。薬や器具もない。その中で気づいたことは、何もないところに行ったら、本当に自分自身何もない人間だということだった。そして自分の信仰、召命っいて目覚めることができた。 その後内乱が起き、テロリストの活動が盛んになった。外国人=クリスチャンを排除するプロパガンダが掲げられ、私たちはその対象になった。司祭、修道女の犠牲者が出るようになり、危険の中に留まるか、外国へ脱出するか、母国へ帰るか選ぶように言われ、私たちは相談し、祈った。そんな中、日々の神のみ言葉はまるで私個人に当てて書かれているように胸に迫ってきた。私は留まることを決めた。それまで「シスターは外国人」という存在だったが、困難なときに自分達と「一緒にいてくれる人」となり、土地の人との距離は一気に縮まった。人々も毎日危険な中を生きていて、お互いに助け合った。本当に土地の人に受け入れられ、家族のメンバーにさせてもらったという感じになった。 10年経ち、現在町はは少し落ち着いてきて、昼間はバス、タクシーも普通のルートを通るようになった。今はスペイン、スリランカ、韓国のシスターと4人で小さな家で生活している。その一部屋で子供たちに補習をしたり、女性教育をしている。イスラムの女性はほとんど外に出ずテレビ(外国の番組)を見ている。自分とかけ離れた生活と現実とのギャップの中で、少しでも希望をもってはしいと、編物、刺繍、ペインティング、結婚の準備の小物作りなどを、女性であることにもっと関心を持ち豊かに生きてはしいと願いつつ教えている。 また、1日一食食べられればいい方、という生活をしている成長期の子供たちに、朝、ミルクをコップ1杯飲んでもらうプロジェクトを始めた。毎朝、子供の人数分のミルクを届けたり、お店を決めて取りに行かせるようにしている。お金をあげると他の物を買ってしまうので。 看護婦としての仕事は、開業医の一室を借りて診療所のようないろいろな処置をして、自由に患者を診ている。血圧を測ったり、注射をしたり、耳の掃除をしたり、薬の飲み方の説明、腰痛の手当て法、家族の問題を聞くなど必要に応じてやっている。耳の掃除は大変好評で、耳が痛いといってかなり遠くからもやって来る。大抵耳が詰まっていて、耳掃除は誰もしてくれないので、お掃除すればよく聞こえる。皆とても喜んで帰る。 今、イスラムの世界にいる若い人の中にイスラム教はこれでいいのかと考える人が出てきた。隠れて神父や修道院を訪ねて質問したり、ディスカッションしたり、中にはクリスチャンになりたい、司祭になりたいという若者も現われている。大きな希望を感じている。 『心の垣根を開いて隣人を大切に』御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
シエラレオネは70%が回教徒(=イスラム教徒)だが、アルジェリアとは違ってクリスマスになると回教 徒も皆教会に来て、ラマダンになると、カトリックも一緒に祝っている。大統領は回教徒、奥さんはカトリックであり、国内では回教徒との間に緊張感や敵対心が全くなく、非常に友好的である。西アフリカに位置し、世界で一番平均寿命が短かく34歳である。子供がマラリアで死亡することや破傷風によってあるいは栄養失調による死が短命の原因となっているといわれている。 シエラレオネ人は非常に明るくて、ホスピタリティに富んでいるといわれているが、では戦争はなぜ起こったのか。種族間の戟いであるとか、回教とキリスト教の争いとかよくにいわれるが、どちらも正しくない。また、ダイヤモンドがあり金がある緑のシエラレオネが、なぜ世界最低国というレッテルを20年間貼られ、貧困で苦しむのか。 1998年には反乱兵に追われ、院長と神父様と3人で3日間ジャングルの中を逃げた。マラリアで39度の発熱の体に銃を突きつけられて死を覚悟したが、3人とも奇跡的に助かった。村の人々をはじめ多くの方々のおかげで、イタリアに脱出できた。なぜ助かったのかと思いっつ、聖務日祷を唱えたとき目にしたのが、「お前は死なず、生きられた‥.(以下続く)という詩篇の言葉。私が生きることは神様のみ業を告げるためだと自覚した。脱出するまで人々と共に戦火をくぐり抜けて苦しい生活を共にしたので、現地の人々とは自分の肉親以上の兄弟愛に結ばれたのを感じている。 戦争が終わり、ミッションが続けられるか確かめに現地に行った。食べ尽くして犬猫すら一匹もいず、何にもなかった。学校は反乱軍の司令部になっていたので、国連軍の空からの攻撃で破壊され、修道院はやっと建物だけ残っている状態。学校では机も何もないところに、200人くらいの生徒がいて現地の先生と勉強していた。私たちを見て飛び出してきて泣いて喜んでくれた。「もう行かないで!」と泣きすがる。こんな廃嘘になっても頑張っている姿を見て、断念するわけにはいかない。そうして4人が再びルンサに戻り、早く以前の状態で授業ができるよう努力している毎日である。 日本の皆様にメッセージを。私の学校にいる高校生100人は皆、反乱兵に親を殺され自分はレイプされたという暗い過去を持っている。しかしどんなに苦しい思いがあっても、彼女達は生きられたことに神様ありがとうと、感謝している。今生きている命の尊さを彼女達は教えてくれている。私たちは選んだわけでなく、神から命を与えられてこの豊かな日本に生まれた。いただいた命とその使命は一人一人違うもの。修道女として母親として教師としてというように使命=使途職を誰もが持っている。その使途職は与える喜びを感じ、人の幸せを喜ぶことから始まる。そのためにはまず、心を開いて貧しい人になることが大切。貧しい人には垣根がなく自由である。心を開いて誰でも受け入れていくこと。少々意に添わないことでも受け入れることができる強さ、力を神様に願うこと。一生けんめい頑張ってその役割をまっとうしたとき、「神様ありがとう、やりました」といえるのではないかと思う。 『南米』『ミカエラの家の女性たち−B』礼拝会 川俣 恭子
今年、日本は異常に暑い夏だったそうで、またその後には大きな台風が何回も日本列島を襲って来たと聞いております。被害者の方々に心からお見舞申し上げます。 3回目の冬のためでしょうか、お蔭様で今年は風邪も引かず元気に過ごしておりました。 「マリアミカエラの家」の生活は相変わらずの毎日です。午前中は掃除・洗濯など家の中の用事に追われ、午後は2時から6時まで通ってくるchicas(チカス:スペイン語で娘の意)の相手をしています。現在、30人位がレギュラーで通ってきますが、その他にも5人位はいつも新しく入ったり出たりしていてなかなか続かないのです。30人のうち半数以上は街角に立ってお金を稼いでいる女性たちです。子供や家族に食べさせるために仕方がないのですが、できるだけ早く止めたいと思ってこの訓練所に通ってくるのです。 私は教えているのではないのですが、ミシンをかけたりしながら教室の様子に気を配っていると、雑用に呼ばれてあっという間に時間が経ってしまいます。出席をとり、バス代の半額とおやつ代を手渡してあげるのも私の役目です。中にはこっそりとお金の援助を願ってくるchicaもいるので、よく事情を聞いてから、貸したり寄付してあげたりします。帰りには、教室とトイレの掃除を監督するのも私の仕事です。 うれしいことがありました。8月11日は聖クララ(私の霊名)の祝日でした。「パソコン」「ミシン」「美容」のクラスのchicasが感謝の言葉を述べて、詩の朗読や歌も歌ってくれました。特に「美容」のクラスのchicasが2日分のおやつを犠牲して集めたお金で買ったという花束を手渡してくださった時は、こんなことしなくてもいいのよと言いながら、とっても感激してしまい涙が出てしまいました。愛されていることをひしひしと感じました。私たちからも大きなケーキと温かいチョコレートの飲み物を振舞って、しゃべったり踊ったりしながら、とっても楽しく過ごしました。 この『マリアミカエラの家』も3年目になって、やっと少し軌道に乗ってきました。唯一の収入源のパンとお菓子のお店も、ご近所の皆さんからとってもおいしいと嬉しい評判をいただき、売り上げも伸びてパン職人と2人の売り子さんのお給料も払えるようになりました。 また、今年になってから、いろいろな援助もいただくようになりました。スペインから旅行に来たある神父様は、その小教区の信徒さん達に呼びかけてバザーの売り上げ金を送ってくださいました。そのお金で2月から「美容教室」のクラスを開くことができました。 また、リマ大司教区のトマシ司教様は私たちのこの仕事をとっても喜んでくださり、「カリタス・リマ」を通して古着や食料などをいつも贈ってくださいます。先日も、山ほどの布地を「ミシン教室」のためにくださいました。司教様はイタリア人のフランシスコ会士ですが、長く中国で宣教活動をされていたので、リマに住んでいる中国人たちの司牧者としてもすばらしい働きをなさっています。本当にお優しい方で、私たちの家に来ると、すっかりくつろがれて、まるで私たちのお父さんのようです。 この司教様が初めて私たちを訪問してくださった時、「何か必要なものがありますか」と言ってくださったので、院長が、「多くのchicasが未婚の母で赤ちゃんや幼児がいるのですが、保育所の費用は高くて払えないので、訓練所に来たくても来られないでいます」と申し上げました。「それではここに保育室を作ってあげましょう」と言われ、緊急一時保護のために使っていた部屋を2階建てにして、1階に保育室、2階を寝室にする工事をしました。8月25日の聖マリアミカエラの帰天記念日に、司教様のミサで祝別していただき、司教様の命名で『CUNA SANTA GIANNA』と名付けられました。聖ジャンナは最近列聖されたイタリア人の女医さんです。4人目の赤ちゃんを産む時に、赤ちゃんの命を救うために自分の命を捧げました。この家の若い母親達にもそのご保護をいただけるようにとの司教様の願いがこめられています。トマシ司教様にはChicasも私たちもほんとうに感謝しています。 また、この保育室のためにオランダのNGOが、保母さんの1年分の給料とベビーベッドなどを寄付してくださることになっていますし、アメリカ大使館からも見学に来たので、何か援助があるだろうと期待しています。私達は貧しくて何にもできないのですが、神様の御旨ならば、きっとこの仕事を続けていくことができると思って一生懸命働いています。 祝別された新しい保育所 『待望の雑誌が到着』神言会 北島 泰治
この度はカトリックの雑誌を多数お送りくださいましてありがとうございました。月例の信者の集いの席で開封させていただき、久々の日本の書籍を目にして一同、深く感謝いたしております。このような皆様の活動は、神様の恵みのたまものと確信しております。 日本を離れていますと、ニュースなどはNHKの国際放送で見聞きできますが、教会に関するニュースや雑誌などは本当に入手が困難なのです。ですから、本当にうれしく思っております。皆様のご厚意に感謝しながら、早速、各地区で回し読みできるように手配いたしました。今後ともどうぞよろしくご支援くださいますよう願っております。 家庭での勉強会 『たくさんの雑誌をありがとう!』マリアの宣教者フランシスコ修道会 佐々木 光子、佐藤 和
日本は今年猛暑だったそうですが、もうすっかり秋になっていることでしょう。 先日はお心込めてたくさんの雑誌をお送りくださいまして、本当にありがとうございました。月遅れのものとありましたが、私どもにとっては新刊同様のものばかりです。早速、サンパウロの共同体、マリリア市、ガルサのグループに有効に使わせていただいてます。特によい読み物に飢えていらっしゃる方々には静かなひとときと、ご自分の生活を調整するために大変役立っているようです。戦争のニュースや暴力、失業など不安で落ち着かない日々になりがちなので。何もお返しできない私たちですが、皆様のご健康とご健闘をお祈り申し上げます。 『中村長八神父列福調査のためにお祈りください』マリア会 青木 勲
中村長八神父 アルバレス・マシヤード市に「中村長八神父の列福調査委員会」が設立されてかなり経ちますが、来年同神父の65回忌を迎えるに当たって、その遺徳が広くブラジルはもとより日本でも知られ、一日も早く神様のしもべとして正式に教皇庁の批准を受け、将来「列福」、「列聖調査」へと進展しますようにとの願いを込めて活動しています。4月に亡くなられた長谷川一郎神父も、現在、目伯司牧協会会長の松尾繁詞神父も熱心な推進者で、この度、ご絵と祈りを届けてくれました。中村長八神父は日本で最初に渡伯した宣教者で、未開拓の原生林の真っ只中で神の国のために働きました。日本人移民はもとよりブラジル人にとっても「魂の父」として、救霊のために捧げ尽くした”偉大な日本人”なのです。お祈りいただけましたら幸いです。 「神よ、あなたは限りない慈しみをもって数多くの恵みを、あなたの僕(しもべ)ドミンゴス・中村長八神父に与えてくださいました。彼は牧者、旅する宣教者として隣人への愛のため、遠い道程(みちのり)を厭わず、福音の奉仕と人々の回心と魂の救いのために何百の村落をめぐりました。彼の謙遜、清貧、労働の模範にあやかる望みを私たちのうちに燃え上がらせてください。信仰と希望と愛徳を増し、私たちが強く望んでいるお恵みを与えてくださいますように。アーメン。 『巡回教会が17になっています』聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
3か月の休暇を終え、11月3日に名古屋空港を立ち、ニューヨーク、サンパウロ経由で2日かかってピラポに帰りました。7日にはピラポ教会に司教様がおいでになり、100名以上の若者に堅信の秘蹟を授けてくださいました。大勢の信者でお聖堂には入りきれず、マリア様のある広場で行なわれました。日本と異なり、こちらは若者の多い国ですが、召命は少なくなっています。信者の数に対して神父様や修道者の数が足りないのです。ピラポの教区でも巡回教会が17にもなっています。日曜日であってもごミサのないところがいくつもあるわけです。月の第何過の何曜日にというようにしてごミサがたてられます。 日本滞在中に送った荷物も着いており、『こじか』『家庭の友』『聖母の騎士』などの雑誌がたくさん入っていました。 今こちらは春の小麦の収穫が終わり、大豆を半分くらい植え付けたところです。よく雨が降るので順調に育っことでしょう。支援する会の皆様の上に神様の祝福がありますように。 『中米』『新しい政府に期待』ショファイユの幼きイエズス修道会 小森 雅子
先日、管区長よりオートバイ2台の援助申請のうち、1台分が受理されたとのうれしい連絡がありました。遅くなりましたが心からお礼申し上げます。 ハンセン病患者は貧しい地域に住む人が多く、その上道路や交通の便も悪く、2〜3時間もかけて病院に来ます。病院では患者の時間的、経済的、肉体的な負担を軽くするために、各地域に特別に養成した助手達を派遣し、薬の配布や衛生教育、健康管理などを行なっています。それにはオートバイが欠かせぬ交通手段なのです。こちらでもいっそうの努力をしますが、来年もう1台お願いするかもしれません。 ここドミニカ共和国でも経済状態が悪化していて、病院でも新しいオートバイの補充が難しい状況にあります。8月に大統領が変わったためか、急にドルが安くなっています。国内的にはよいことなのですが、市場の物価が下がらないのが気になります。また、このままだと外国人や観光客が減ってしまうのではないかと心配です。人々は新しい政府に期待をしていますので、少し明るい気分のようです。 日本の皆様の善意のお金をありがたく使わせていただきます。ありがとうございました。 特別に養成された助手達 『アジア』『誇らしげに登園した子供たち』善きサマリア人修道会 パコロド共同体 後藤 圭子、鈴川 良、迎 衛子
人々の平和への願いもむなしく、日々のニュースは爆弾テロ、誘拐、殺人、銃撃戦であふれています。平和への道が絶望的とも見えるこの世界の片すみで、多くの皆様からの善意のご支援とご指導により、経済的に恵まれない家庭の子供たちにしっかりした幼児教育をとの願いで、善きサマリア人幼稚園1(Good Samaritan Ki nder School)が誕生いたしました。今年はこの喜びのニュースを中心にバコロド便りをお届けして、日ごろの感謝とさせていただきます。 昨年10月から工事が始まり、5月22日(土)に落成式を行ないました。善きサマリア人修道会会長と日本地区責任者Sr.森川晴子のテープカットに続いて、十字架を先頭にその日までに入園手続きを終えた子供たちが保護者に手を引かれて、緑の美しい園庭へ入場。落成式のミサは、バコロド教区長ナバラ司教様とコロンバン会の神父様方による共同司式で、ミサ後に司教様は教室をはじめすべての施設を祝福してくださいました。 6月7日(月)いよいよ幼稚園が始まりました。初めてのことで戸惑いながらも、誇らしげに登園した子供たちを皆様に見ていただきたいと思いました。Kinder1(4歳〜5歳)、Kinder2(5歳〜6歳)それぞれ午前と午後の2クラスずつ、122名の子供たちです。中には13歳で初めて学校教育を受ける子供もいます。初日に早速3冊の教科書(算数、英語の読本と書き方)が手渡されました。ここは日本とは違い、幼稚園は小学校入学のための基礎学力を学ぶ場ですから、カリキュラムにはフィリピノ語、宗教、音楽、美術、日本語まで取り入れています。 子供たちにとってまず目を引くのは、緑の木々の中に点在する色鮮やかなスベリ台、ブランコにシーソーです。また、きれいな本棚に並べられた絵本にも強い興味を見せています。多くの子供たちにとって初めて使う水洗トイレは、よりよい社会人となるための第一歩でしょう。幸いよい井戸水を掘り当てることができ、しかも飲料水としても適しています。 また、奨学金プログラムを始めて14年となる「タリサイ・コンセプション」にも、地域の人々の“カトリック幼稚園を”との要望に応えて、教室が一つだけのかわいらしい教会付属幼稚園が開園しました。この幼稚園の建物も多くの方々からのご援助によるもので、感謝でいっぱいです。 先生は私たちの奨学生で昨年教育学部を卒業した青年です。そして今年も4月初め、20名が高校を、2名が大学を卒業し、6月から128名の元気な奨学生が新学年を迎えました。バコロド市内、海沿いの貧しい人々の住む地域のヘンリエッタ・ビレッジでも70名の奨学生が今年も勉強に励んでいます。保護者、奨学生との連絡をいっそう密にしていきたいと思います。 昨年度は幼稚園建設が活動の中心でしたが、海沿いの貧しい人々の住む地域への訪問は続けています。この4月から2年ノビスとなった現地のシスターが、Sr.鈴川と共に使徒職体験プログラムの一環としてこの地域への訪問を開始。イロンゴ語を母国語とするシスターの訪問は、お母様方にとって大きな助けです。彼女はまた、週1日は私たちの幼稚園で手伝います。養成チームのSr.後藤は、初期養成、修道会バコロド地域担当者としての責任ある役割を果たしています。 善きサマリア人修道会のフィリピン宣教15年後に、初めて修道会としての活動拠点を持ちましたが、”フィリピンの人々と共に住む”、“隣人としていただぐ,という初心を忘れず、これからも貧しい立場の人々の自立の支えとなっていきたいと思います。どうぞ今後も変わらないご指導、ご支援をお願いいたします。また、共に祈り、働き、歩む人々が必要です。神様のお望みならば働く人々を送ってくださるでしょう。 また昨年は世界情勢不安が大きく、休検学習へ参加してくださるグループがいらっしゃいませんでしたが、今年はぜひ多くの方がご参加くださるようお待ちしています。 |