『海外宣教者を支援する会創立20周年を祝って』長崎大司教区 島本 要
教会の歴史は「宣教の歴史」です。
聖霊降臨のあの日から今日まで、宣教の歴史は2000年に垂(なんな)んとしています。 この長い歴史に較べれば20年の歴史は微々たるものという人が居るかもしれません。 しかし、全く別の見方も可能なのです。 2000年の教会の宣教の歴史は、実は時代ごとに新しく湧き出る宣教の小川が支流となって本流に合流し、「宣教する教会の歴史」という大河を造って今日に到ったのです。 「会」も20年前から教会全体の宣教の歴史に合流し、大河の支流となって宣教の流れを強化するものとなりました。 キリスト教は、イェルサレムの教会をはじめ、どこの教会も皆、宣教者によって告知され、創立されました。 イエス・キリストはキリスト教の最初の宣教者です。父なる神によって世に遣わされた方だからです。「宣教者」とは「遣わされた人」を意味します。 イエズス会宣教師・フランシスコ・ザビエルによって福音の種が蒔かれ、発芽して今日に到った日本の教会も、今や、諸外国に宣教者を派遣するまでに成長しました。 第二バチカン公会議の言葉を使うならば、日本の地に「根付いた教会」となったのです。 第二バチカン公会議は、キリストの教会が、ある特定の地域に根付いたことを評価する基準として、次の2点を挙げています。 イ)教会活動に積極的に参加し、協力する信徒が居ること。 ロ)海外に宣教者を派遣する信仰共同体であること。 「海外宣教者を支援する会」は、その名の通り海外に派遣された宣教者を物心両面で支援する活動者の会です。過去20年の間、本会会員はその支援活動を通して、数多くの国々の人々と関わりを持ち、キリストの愛と信仰の絆によって結ばれました。 こうして教会の「カトリック性」を、ここに明確に具現化しているのです。「カトリック」とは「普遍的」「世界的」という意味で、世界の人々に大きく心を開いた生き方の表現なのです。 創立20周年の節目の年に当たって、創立者の故梶川 宏神父様と初代会長の故服部 比佐治氏に感謝の意を示し、ご冥福を祈りましょう。また、支援する会の趣旨に共鳴し協力して下さった方々に衷心より感謝申し上げ、更なる会員の増加に相努めましょう。 2000年前、「沖に漕ぎ出しなさい」と、弟子達に呼びかけられた主は、今日、また、私達を、宣教の大海原に招いておられます。主に全てを託して、新しい20年を目指して船出しましょう。 『創立20周年を迎えて』日本カトリック海外宣教者を支援する会 会長 V・ローシャイタ神父
「海外宣教者を支援する会」の創立20周年を祝って、島本長崎大司教様から、全教会の中での私達の「会」の役割について話して下さいました。私達は大変元気づけられ、今日まで、皆さんと一緒にこの仕事を続けられたことを、嬉しく、感謝いたします。
「全世界に行き、全ての者に福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16章15)というキリストのみ言葉に従って、5大陸で50ヶ国以上の国で、日本の教会から派遣された宣教者が三百数十人も働いています。 私達の「会」は20年しか経っていませんが個人、法人、賛助、その他のを含めた2239以上の会員は、イエズス様のみ言葉に従って、福音宣教に携わる宣教者達を支えています。私達の支援は主に次の3点に分けられると思います。 1.経済的支援(必要な所に出来るだけ) 2.精神的支援(「きずな」及び会員による文通などによる交流) 3.霊的支援(祈りによる) 私達に出来ることは僅かですが、宣教者の皆さんを思い出し、「祈る」ことは私の経験からも大切なことです。 ブラジルで50年もの間、毎晩、私と日本のミッションのために少なくとも「聖母への祈りを」1回は祈って下さっているおじいさんがいることは、私の慰めと力になっていることを何回も感じました。(注1) 会員ではなく、匿名で陰の力として長い間支えて下さっている方達のことも忘れることは出来ません。また、今は、天国で私たちを応援して下さっている故梶川 宏神父様をはじめ会員や宣教者の方達も、これからも見守って下さるよう祈っています。 運営委員として働いて下さっている皆様にも心から感謝すると共に、これからも変わらぬ、ご協力をお願い致します。 (注1)2000.6.1.発行。No.71参照。「きずな―祈りに支えられ」 ローシャイタ神父 ・・・明日、日本に向けて出発するというその日の夜、・・・電話がありました。知らない人が「是非お目にかかりたい」というものでした。暫く経って、一人の老紳士が修道院にやって来ました。(彼は)昔、弁護士をしていたという86歳のE・Gベッケルさんでした。彼は・・・こう言いました。「神父様が(初めて)日本に発たれる前に(イエズス会の学校)アンシェタ校で壮行会が開かれましたね。その時、私は「神父様と日本のために毎晩祈ります」と約束しました。この50年間、忙しい時も、病気の時もありましたが、祈りを欠かしたことはありませんでした。少なくとも「めでたし」の祈り1回しか出来ない時もありましたが、神父様と日本のために祈りました。これからも私の命のある限り祈りつづけます。それだけを申し上げたかったんです」と。私はこの話を聞いて感動しました。・・・この老紳士の心からの言葉を聞き、私をいつも支えて下さっていた一人の方にお目にかかる機会を神がお与え下さったのだと分かりました。 ― ― ― ― ― 『第5回運営委員会議事録』「会」の第5回運営委員会が、この程新たに「会」の顧問司教になって頂いた島本 要長崎大司教の出席を得て、2002年6月20日(火)午後6時から東京・四谷SJハウス会議室で開かれ、次の案件を審議、決定した。T. 2001年活動報告・決算(別項)承認 U.2002年活動計画 (1)創立20周年を記念して、ホームページを立ち上げる。(6月25日第1回検討会)担当:中谷神父、井上、八幡、諏訪各委員、協力者:村井 源神学生 (2)チャドから帰国したSr天野 洋子の後援会を開催する。(NGOの「緑のサヘル」も紹介。) 日時:9月28日(土)13:30〜17:00 会場:ニコラ・バレ(ショファイユの幼きイエズス修道会)9F講堂 東京教区報、カトリック新聞等に広告を出す。 V. 「きずな」79号について (1)15ページ掲載の帰天されたSr永瀬 小夜子(ショファイユ)のショファイユの幼きイエズス修道会)と派遣宣教者のSr山口 多香子(サレジアン・シスターズ)の写真の誤入れ違い掲載について担当者から陳謝。次回80号にお詫び・訂正記事を提出する。 (2)誤掲載を防ぐため、今後チェック体制を強化 W. 「きずな」80号について (1)80号は「会」の創立20周年記念号とする。 (2)「巻頭言」は島本大司教に依頼する。 (3) ショファイユの幼きイエズス修道会が出した「Sr永瀬」の追悼特集を転載する。 (4) 原稿締め切り8月10日、発行は9月1日。発送作業は9月4日(水)の予定。 X. その他 次回運営委員会は、9月10日(火)18時より、東京・四谷・SJハウスで開催。 『援助決定』(2002年6月20日分)1.ペルー:前回承認済みのマヌエル加藤神父(フランシスコ会)から出されていた日系人専用老人ホーム入居者3名分(経費負担できない人)の費用5,400ドル(727,110円)を新年度の会計から送金する。 承認。 2.前回承認済みのボリビア・サンタクルスのSr佐藤クニ子(礼拝会)から出されていた、母子寮に居る子供たちの養育費・学費6,000ドル(802,800円)と「会」が奨学金を出した大学生の卒論作成、教員資格取得のための費用2,000ドル(256,000円)の申請があり、検討の結果、援助すること。 承認。 3.ブルキナ・ファソのSr黒田 小夜子(マリアの宣教者フランシスコ修道会)から申請のあったトラック小型車の部品代、抗生物資、血圧計購入費援助として400,000円。 承認。 4.ボリビアのSr山口 多香子(サレジアン・シスターズ)から幾つかのプロジェクトのための多額な申請があったが、検討の結果、サンファン移住地事務所設置のための費用の半額2,500ドル(320,000円)、シスター3人分の交通費(ガソリン代を含む)3,000ドル分(384,000円)の援助。 承認。 5.インドネシアのSr浜谷 真佐美(聖母カテキスタ会)から多種類の事業への援助要請の中、@神学生10名分の奨学金904ドル(115,712円) Aマルトーブン教会の子供たちのカトリック教育プログラム費用700ドル(89,600円) B「愛の園学園」経費550,000円の中 100,000円の援助を決定。 総額:3,195,222円。 『2001年度活動報告』@現地からのレポートと国内会員からの通信などを掲載した広報誌「きずな」を年4回発行(75号='01年6月、76号=9月、77号=12月、78号='02年3月)し、国内会員と海外で働く宣教者に送付し、相互の交流と現地の宣教者の活動を日本の多くの人々に伝える役割を果たした。 A「会」の案内パンフレット「日本カトリック海外宣教者を支援する会ご案内」を3万部印刷、配布し会員の増加に資した。 (2)援助活動 世界各地の宣教者から申請のあった援助について役員会で検討し、緊急性、必要性の高いものを優先して、援助を行った。援助地域、援助総額、援助内容は以下のとおり。 @援助地域=モーリシャス、ブルキナ・ファソ、マカオ、インドネシア、マダカスカル、南アフリカ、イスラエル、パキスタン、ボリビア、日本;10ヶ国、16件。 A援助総額=16件・10,389,000円。 B援助内容=幼稚園教材費、知的障害児童への援助、病院ベッド購入費、布教用コンピューター購入費の一部援助、極貧家庭の医療費等への援助、等々。 (3)その他 一時帰国宣教者の事務局への来訪者多く、現地の宣教事情を聞くことが出来た。 その他、宣教者へのクリスマスカードを送り、国内会員との手紙による交流を図った。 『2001年度・会計報告』
『会創立20周年年表』「日本カトリック海外宣教者を支援する会」は1982年(昭和57年)9月1日、梶川 宏神父(故人・日本カトリック移住協議会・専務理事・当時)によって設立された。「会」が歩んで来た、その20年の軌跡を年表によって辿ってみる――。
『21年目の一歩』会員 樋口 百合子
この「会」が、今年、創立20周年ということで、何処かにしまった古いファイルを見つけました。その最初に「海外日本人宣教者を支援する会(案)の設立を考える会議事録」と書かれた少し黄色ばんだプリントがあり、1982年9月1日(水)、場所は四谷・中央協議会内、出席者は12名でした。発足からの20年を振り返ると、走馬灯のように様々な場面や多くの方々の顔が浮かびます。赤ん坊が産声をあげてから成人式までの20年も、沢山の人の関わりや手助けがあって、その日があるように「会」も多くの善意の人々に支えられて、今日を迎えました。
こうして、「会」は小さな集いから始まりましたが協力者や会員も増え、海外の宣教者との交流も「きずな」や帰国報告等によって日本中に輪が拡がっています。しかし、その陰には、年4回の「きずな」の編集、発送、援助物資の荷造り、会計事務、クリスマスカードを送っての精神的支援等々、沢山の働き手が、いつも、見えない所で働き続けていてくださるその力を忘れることは出来ません。昨年、「会」が独立した時も、事務所の移転、事務所の態勢づくり等、不思議にいつも助けられ、乗り越えることが出来ました。世界の各地で国境、宗教を越え、人々と共にキリストの愛に生き働く宣教者と、日本で教会や社会の枠を越えて「会」に繋がっている全ての人々との「絆」は確実に強いもになっています。 先に神の許に召されて見守って下さる方々、梶川 宏神父様、服部 比佐治初代会長、海野みづほさんと会員の方が、いつも私達の行く道を示し、応援して下さることを信じながら、今「会」を支える皆で、21年目の1歩々々を一緒に歩み続けたいと願っています。 |