『南米』『ブラジル宣教15年』マリアの布教修道女会 鹿山 ミエ子
…この間、待望のブラジル宣教地に着いたような気がするのに、早いもので、あれから15年が夢のように過ぎ去り、7月27日、ブラジルを後にし12月末に日本に帰る予定です。
私のブラジルの歩みを振り返ってみると、ブラジリアでのポルトガル語の勉強の後、サンパウロで2年間。そして、後は、ずっと、このパラナ州ロンドリーナでの宣教活動でした。 毎日、保育園の元気一杯の子供達の中での生活、家庭訪問、カテケージ、教会の活動と、実に豊かな、そして、沢山の恵みの時でした。最初の頃は、言葉に戸惑いながらも、ブラジルの人々の優しい、親切な交わりで、子供たち、人々から学びました。 …私はサンパウロ、パラナ州の他に、アマゾン奥地での宣教も見せて頂きました。何処まで行っても延々と続く、海を思わせるアマゾン河。ある日、大自然の素晴らしさを讃えながら、アマゾン河を遡り、奥の島のイマを訪問したことがあります。神父様、姉妹たちと一緒でした。出発になって、船のモーターがかからず、予定していたミサの時間から3時間遅れで着きましたが、人々は、なんと私達をずっと待っていて下さり、早速、一緒に感謝のミサを捧げました。人々の熱心な祈る声、楽器に合わせて、力いっぱいに歌う、歌声は、アマゾンの大自然の奥深くに響きわたって行くようでした。 人々との生活を通して、子供達からブラジルの教会から、沢山のことを経験し、学んだ私の宣教生活でした。 アマゾンの子供たちと…… 『応援の日本人宣教者が欲しい』聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
…今年の10月1日は「移住の日」で、今年は、2000年にあたりますので、特別に、この国の守護の聖人“カアクペの聖母”がまつられているカアクペのカテドラルに移住者連が集まりました。ポーランド、イタリア、韓国、日本、ブラジル、ペルー、アルゼンチン、チリ人など、それぞれの民族の守護の聖人の御像、ならびに国旗を持参しました。
パラグアイの三つのコロニア、ピラポ、ラパス、イグアスの日本人移住者たちも、それぞれのコロニアから大型のバスを貸切って参列しました。司式主任は、移住者を受け持っておられるClaudio Sirver。司教様で、その他にも数人の移住者担当の神父様が出席されました。 奉献の時は、それぞれの民族衣装をつけた、大人や子供が、農機具や農産物を捧げました。 ミサの主な言葉はスペイン語で、祈祷文は、各国語で唱えられました。 式後、各民族の踊りや音楽、歌などの発表会があり、私達のラパス・コロニアの日本人は、お揃いの浴衣を着て「炭坑節」を踊りました。 …パラグアイでは、只今、クルッカ・ホワキン神父様がお一人で、日本人一世の信者達の司牧に当っておられます。神言会のパラグアイ管区の副管区長、また、マリア・アクシリアドーラ教会の主任司祭もしておられます。一カ月に1回の日語ミサのために、三つのコロニアをかけ持って下さっておりますが、距離的にも100km以上も離れているので、忙しくて手が回りません。誰方か、日本から応援の神父様かカテキスタの方達が来て下さったら…と念願しております。 一世の信者さんは、やはり、告白などは母国語でないと出来ません。司牧のためには、どうしても、日本語の出来る神父様が必要な現状です。 〜炭坑ぶし〜のおどりの輪が…… 『ヨーロッパ』『アシジに巡礼、2000人以上』コンベンツアル聖フランシスコ修道会 瀧 憲志
…コンピュータ誤作動騒動やテロ活動の予告などで、不安のうちに、明けたジュビレオ2000も、その前半が平穏に過ぎ去りました。種々の混雑などもあって、平安無事に…とは言えないが、まあ、昨年末ごろに世界中の人々を不安と動揺に陥れた大事件が生じなかったことを神に感謝しましょう。
アシジは予想された程の巡礼団の訪問がなくて、一般観光客もユックリ名画を鑑賞するチャンスに恵まれています。ただ、巡礼団が殺到する日があって、終日、どのチャペル(聖フランシスコ大聖堂は、上下大聖堂の本祭壇の他に、5つの小聖堂の祭壇でミサが出来る)でもミサが捧げられている日もあります。 半年間に、日本から69グループ、1500余名がアシジを訪問しています。 6月の「国際聖体大会」参加のグループは、7つのグループで編成されていて、160余名の大きな団体で、アシジを訪問しました。 8月の「ワールド・ユース・ディ」参加の若者達のグループは、8グループ220名が、8月14、16日にアシジに巡礼、他にも4グループの巡礼がありました。 ジュビレオ2000のお恵みが豊かにいただけますように…。 定期的に「きずな」をありがとうございます。政治、経済、人権など困難な環境の下で、み国の建設に尽力されている同志たちのご苦労が、じかに伝わって来ます…。 『サラトフに初の小さな司教座聖堂』御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
ここサラトフは秋です。公園の木々も黄色くなり、沢山の落葉で一杯です。日本のような、鮮やかな紅葉はありませんが、結構、黄色い薫っぱの紅葉も綺麗です。もう寒いので、かなり厚い服を着て、皆歩いていますが、今頃を、“第二の夏”あるいは“婦人の夏”と言うのだそうで、ちょっと暖かい日が続くのだそうです。と云っても、暑いのではなく、空気が冷たくないだけです。でも、夜になるとかなり寒いです。ここサラトフは80年間、カトリック教会がありませんでした。共産政権の問、許されたのは、たった一つのロシア正教のカテドラルでした。
そこだけは、いつも開いていたそうで、後はすべて…政府に没収されました。このペレストロイカによってロシア正教は主な教会が戻りました。 そして、ロシア国教として勢力を持っています。しかし、カトリック教会は、ここでは、マイノリティで、未だにカテドラルは没収されたまま、映画館とディスコティックのようになっています。いつ返してくれるのか、一向に返す予定は、まだ見られません。 そして、やっと小さな土地をボルガ川の近くに下さいました。そこに、ドイツの支援で教会を…司教座聖堂ですが、小さな教会です。…10月15日、やっと長い間待っていた、小さな司教座聖堂か建立され祝別式が行われました。 ロシア全土の司教様4人とバチカン大使、そしてドイツの司教様と6人の司教様、ロシア正教の代表2人の聖職者、そして50人を超す神父様から成る式は、荘厳・盛大でした。 何しろ、200人がやっと入れる聖堂ですから、神父と修道者だけでほぼ一杯…とにかく、ロシアのカトリックが生まれようとしている、80年来の歴史の幕を開いたと云える感動的な光景でした。 ここサラトフ管区は気が遠くなる程大きいのです。何しろ、この広大なロシアには4つしか司教座がありません。こちらはロシアヨーロッパ側南管区です。祝別式に集まった40人位の聖職者も汽車で一夜ごしで来た人ばかり。狭い所で寝る場所もなく、私達の2DKの修道院も沢山のお客様で、シスターは小さな聖堂の隅で寝る騒ぎでした。 10月9日、嬉しいことに、パドヴァのピーター・カルサ神父からメールが届きました。 ステファニ神父と共に、シエラレオネのミッションを開いた84歳ぐらいの、聖人のような長老神父です。ルンサの土となることを心から望んでいました。今はパドワで元気で過ごしているようです。胸部に弾丸を受け、命拾いしたジュローム神父からも、メールが来ました。 フリータウン郊外のウォタールーという所で宣教、支援活動を続けています。何度も反乱軍にやられた危険な所です。 『アジア』『フィリピン・バコロドだより』善きサマリア人修道会 景山 ひろ
…フィリピン・ミンダナオ島での紛争が、なかなか和平合意に至らず、ご心配頂いておりますが、ネグロス島は今のところ平穏なので、ご安心下さい。
…フィリピンでは、6月から新学期が始まりました。…島民の大半が貧困あるいは極貧であるネグロスでは、「通学している」という事実に深い重みがあります。「学校に行ける」ということは、この上ない“有り難い”ことなのです。 ですから、幼・小・高・大学を通して卒業式は、1人の人生にとって、非常に意義深い出来事です。 私共の奨学生は皆、公立校に通学していますが、国の85%がキリスト教ですから、どこの学校でも、卒業式は教会での「卒業感謝のミサ」から始まります。祈りを終えて、校庭の式場と家族の代表と共に入場して来る姿は、非常に、感動的です。 一人のシスターは、虐待・売春・麻薬による障害を受けた5歳から18歳までの孤児たち185人が生活している男子孤児院(ボーイズ・ホーム)の手伝いをしています。シスターは、とくに、幼児とお絵かき、歌、遊び、体操、散歩などをしながら、母親の愛情を補っています。 このホームにとって、皆様からの文房具、下着、Tシャツなどの贈物は、計り知れないはどの貴重品です。 共同体では、昨年5月から修練院が始まり2人の志願者が勉強しています。主な日課は、聖書、修道者としての生き方、修道会の歴史、典礼、祈り、奉仕です。社会奉仕として、州立病院の非常に貧しい入院患者の訪問、農民の子供たちや孤児院で、知育教育の手伝いをしています。 当地の厳しい現実と、それに私共が立ち向かえるように、支えて下さる皆様への感謝は一枚のお便りには言い尽し難いのですが、奨学生の親御さんの感謝の言葉で結ばさせて頂きます。 私たちの恩人の皆様 …私たちの子供達に、皆さまが本当に優しいお気持で、非常に親切にして頂いており深く感謝申し上げます。学校に通うために必要な経済的援助がなければ到底、卒業も出来ませんでした。 今後も、どうぞよろしくお願い致します。親子共々、神様が、皆様のお一人お一人をいつも豊かにご祝福下さいますように、お祈りしています。 両親一同 |