『ネパールから与えられたもの』カトリック信徒宣教者会 徳 恵利子
ネパールに来て早や1年10カ月が経つ。
それでも毎日が驚きの連続だ。人間の力ではどうしようもないことの方が多い。人々の生活は自然の大きな力の中で刻まれて行く。 予測出来ないことが出来る。慌てふためく日本人の私の横で、ネパールの人々はそれを受け入れる。喜びも悲しみも受け入れる。 日本の社会で擦り切れた心を、ネパールの人々や自然が優しく包み込むのだろうか。多勢の日本人がネパールを訪れる。私も苦しかった時、何度もネパールのホスピタリティに救われた。此処は忙し過ぎる日本とは違う。人々は周りの人との関わりを楽しむ余裕があるのだ。 どんなに貧しくても、共に食事を〜と家に招いてくれる。…私は日本人としての自分をより一層強く感じるようになった。ある村で、私は一人の女性の病室に見舞いに言った。彼女は、自分より低いカーストの人と駆け落ちした。 それは実家との縁切りを意味する。意を決した結婚なのに、夫は彼女に直ぐ飽きた。 嫁=労働力のネパールだ。朝から晩まで働いた。が、彼女の味方になってくれる人は居ない。教育も受けていない。家出しようにも、どうすればよいか。彼女は灯油をかぶり、自分に火をつけた。大火傷を負った彼女を、夫は治療どころか、家の外に寝かせて、そのままにしておいた。カーストを理由に、町の病院は彼女の入院を拒んだ。 彼女の住む村の近くに居たシスター達が彼女を入院させ、毎日見舞った。彼女は死ぬ直前に愛されていることを知った。 自分の村から出たことのない人々は、私に、“日本人に生まれてラッキーだ”と言う。胸が、チクッとする。そんなネパール人に“精神的にあなたたちの方が豊かだ”と言うのは簡単だが、それは所詮、物が溢れた国の人が言う言葉なのだ。この世界の構造は、物と金次第だ。豊かな国も貧しい囲も、そこに向かっている。その構造を変えることの出来るのは、やはりキリストの言う“愛”なのだろう。 私はそんなネパール人との関わりの中で持っている物を分かち合うという神様のメッセージを感じる。私が持っている物、豊かな日本で享受した物は、私だけのものではないのだ。 そう、ネパールの人々が私達に与えてくれるように、分かち合う物なのだと。彼、彼女達は、それを頭でなく、体で分かち合っているようだ。やはり、すごい人たちだと思う。 『第70回役員会報告』「会」の第70回役員会が、1999年9月7日(火)午後6時から東京・四ッ谷の上智大学SJハウスで開かれ、次の案件を審議、決定した。議事に入る前に、病床にある海野みずほさんのために全員で祈りを捧げた。 〔T〕「きずな」68号について 編集者から「ジンバブエで宣教に従事、6月28日に帰天された、故シスター深堀清子(ナミュール・ノートルダム修道女会)の追悼のため、修道会管区長の厚意で、ジンバブエからの、最後の報告書を掲載することが出来た」旨の、報告があった。 〔U〕「きずな」69号について 巻頭言は、カトリック信徒宣教者会の現派遣者か帰国者に執筆を依頼。 〔V〕現在、在バチカンの濱尾文郎大司教(教皇庁移住・移動者司教評議会議長)に、各国の実状等の報告を要請する。 〔W〕「きずな」69号 原稿〆切、11月10日、発行日、12月1日、発送作業は12月1日(水)の予定 〔X〕援助竜領(別稿) 〔Y〕その他 (1)「きずな」の製本とその後の処理。 「きずな」は64号までを各10部ずつ残置。それ以後は、暫時保存する。 (2)某旅行社からの「ツアーパンフの同封依頼、某旅行社から「きずな」発送時に、ツアー案内のパンフの同封依頼があったが、諸般の事情で謝絶。広告ページなら要点掲載可能と回答。 (3)中央協発行の「教会住所録」への広告掲載の打診があり、「会」の活動紹介、会員募集、申込方法などをまとめて、1ページ掲載を決定 (4)次回役員会は12月7日(火)18時から、四ッ谷、上智大学SJハウスで開催予定。 『援助決定』(1999年9月7日決定分)
『移動する人々と共に神の国の建設を目指したい』教皇庁移住・移動者司牧評議会議長 大司教 濱尾 文郎
現在の私の仕事が、世界の難民、移民、船員、航空関係者、ロマなど流浪の民、サーカスの人々、外国人留学生、巡礼者、旅行者など、いわゆる移動する人々のお世話ということです。 対象は必ずしもカトリック信者であるわけではなく、どの宗教の人々とも出会います。 世界のそれぞれの国のカトリック教会が、彼らをどのように司牧し、お世話をしているかを、一緒に相談に乗ったり、研修を開いたりしているのです。この一年で、コソボ難民の来たアルバニア、彼らがゴムーボートで辿り着く、南イタリアの受け入れ教会、南アフリカのジンバブエとモザンビークでの多数の難民避難所訪問、台湾でのアジアの船員のための港のチャプレンの会合、やはり先日の地震の時、高雄で開催されたアジア・太平洋移民司牧担当者会議、アメリカでの国際空港付きチャプレンの会議、フィリピンでの、海外出稼ぎに出るフィリピン人の世話担当者会議、ハンガリー・ブタベストでのヨーロッパを移動しているロマのためのチャプレンの会議、北イタリアのサーカス養成学校の卒業式などなどに出席しました。 日本では、80年代にヴェトナムからの難民が到着し、90年代には、フィリピンと中南米から多数の移住者が到来しましたが、ヨーロッパやアフリカ、アメリカ大陸では、数世紀前からの移民や難民の動きがあり、それらに対応するための教会の態勢も出来ているのに感心させられました。 今年の「国際協力の日」のヨハネ・パウロ2世教皇のメッセージで、小教区そのものが、本来「そこでは誰もよそ者がいない場所」という意味のことを言われました。果たして、世界の小教区が、そのように開かれた共同体となっているのかどうか、大いに考えさせられます。同じカトリックの信仰を持った、お互いに気心が分かり合った者同士で、同じ地域の住民である、信者の集団という感覚が強かったのではないでしょうか。世界中で、そうであったと思います。20世紀の終りに近づいているにもかかわらず、相変らず外国人嫌い、民族浄化運動などと、実に恐ろしい動きのある現在、教会は小教区をはじめ、教区としても多民族、多宗教の人々をも、暖かく迎え入れる共同休とななっていくことが新たな課題ではないでしょうか。 この10月には、ローマで「第2回ヨーロッパ・シノドス(代表司教会議)」が開催されました。第1回は、1991年に開催されましたが、当時は未だ、旧ソ連崩壊直後で、東、中央ヨーロッパの司教達が、殆ど、参加出来ない状態でしたが、今回は実に多数のラテン典礼ばかりでなく、東方典礼の司教達も参加しました。20世紀には、ナチ、ファシズム、そして、共産主義の支配下で苦しんだ国々です。数年牢獄に監禁されていたり、仲間の殉教を目撃したりした司教達の話しが多くあり、参加者に感動を与えました。 自由となって約10年、新たな民族主義運動の蜂起によって、平和な時代には、なかなか到達しませんが、将来のヨーロッパ連合が、ただ単に経済的、或いは貨幣の共有に終わるのではなく、今後も増大する難民や移民による他民族、多宗教の人々と共存していくキリスト教的共同体の建設に希望をかけていました。 ここ数年の間に、非キリスト教化されてしまったヨーロッパが、東、中央、西欧が一緒になって、新たな福音宣教に向って前進する意気込みを感じました。 生き生きとした主イエス・キリストを示し、彼に生かされたキリスト者となって、教えていくよりも、態度と生活で、「神の愛の証し」をしていくことを目指しています。 これからの宣教は、他の宗教との対話を通じて、また、エクメ二ズムの実現をも期待しての動きとなるでしょう。 世界の誰でもが、難民も移民も旅行者も総て宣教者となって、行った先で「神の国」の建設に努力する時代の到来を感じています。 |