『アフリカ』『戦争は泥沼化』聖心会 嶋本 操
…先日は、「アジア特別シノドス報告」「きずな66号」などお送り頂きまことにありがとうございました。
…“きずな”ということばが象徴してくれる何か、暖かい心の通いがとてもありがたく言葉に表わしきれません。 アジア・シノドスにつきましてほ、こちらでもDIA(カトリック新聞にあたるもの)を通して報道されましたが、こうしてまとめて下さった「報告」は貴重なものです。各司教様のお言葉の中に、アジアの祈り、いたみ、叫び、希望にのせられた深いキリストの心を感じずにはおられませんでした。 また、“きずな”を通して、世界の教会に働かれる日本人の方々のお姿にふれ、創造的に働いておられる沢山のシスター方、はるか人里離れた宣教地に、日々、御苦労も厭わず働いていらっしゃる、神父様や信徒の方々の御生活に思いを馳せるよすがとして頂くニュースです。 こちらは戦争が泥沼化し、ちょっとのことでは抜け出せない状況に入っております。 アフリカという天然資源がまだまだ埋蔵されている大陸を囲む経済大国の思惑が…アフリカ諸国間の戦争という形に追いやって…時が来次第経済的に有利な体勢に入るという知能戦争をひき起しているのを目の当りにいたします。 コンゴ民主共和国のカピラ氏は、アフリカ諸国間の連帯協力を頼りに戦争を続けることを、主張していますが、重要諸都市はすでにもう、ルワンダ国として占領されてしまっているのをみるとき、疑問を抱かざるを得ません。 『戦争に向けるエネルギーを平和に』クリスト・ロア宣教修道女会 岡崎 繁子
美しい絵と写真入りのカレンダーをありがとうございました。2月24日に頂きました。
…村の人達とカレンダーを囲んで楽しい話題がつづきました。赤い砂の国で見る日本の風景は神秘的です。 私は1年半ぶりに、コート・ジュポアールに戻りました。この国の人達は、内乱や戦争に向けるエネルギーを、平和と生活向上に注いでいます。貧しくとも、平和であることの静かな喜びを、人々と共に味わっています。 −綿はコーヒー、カカオに次いで3番目の主要生産物です− 『生活苦家族への援助』マリアの宣教者フランシスコ修道会 島村 哲子
アレキサンドリアの貧しい人々のためのご援助をありがとうございました。
去年、頂いた援助金を、どのような貧しい家族に用いたか、2件の例の報告をお知らせします。 事例:1の場合 33歳の母親と長男15歳、次男12歳、長女4歳の4人家族の場合です。 母親ファッティヤ(33歳)は3年前、夫をガンで亡くした未亡人です。夫は、かつてアレキサンドリア近郊の村で畑仕事をしていた日雇い労働者ですが、何一つ家族に遺すことなく逝ってしまいました。 良男のアイマン(15歳)は中学1年ですが、夏休みを利用し、父と同じ仕事をして、日当2ポンド(エジプト・1ポンドは35円)を稼ぎます。次男イハーブ(12歳)は小学5年ですが、病弱。末子のファウゼイヤ(4歳)。 この家族には家計の基となる生活費が全く無く、村の人々も殆ど貧しく、この一家の母親にも仕事がありません。粘土で造った家は冬の間の雨で崩れてしまったため、援助金と他の援助金とともに冬の寒さ、雨をしのげるよう、家を建てはじめています。 事例:2の場合 工場労働者の父親と主婦の母親、2人の間には8人の息子と2人の娘が居る12人家族です。 父親ファトウヒは46歳、工場労働者で月給250ポンドです。母ナディア43歳、主婦です。子供は20歳の長男(ファリド)は兵役に従事しており以下3歳の男の子(末子)まで10人います。 子供たちを養うために、食費、学費、衣服費、薬代、住居費(20ポンド)水道代(20ポンド)光熱費などが毎月必要とされています。このような経済的条件と共に、実際住んでいる家の環境、狭さなど、日本では想像出来ない生活です。今回のご援助を、心より御礼申し上げます。 『コレラが大流行』マリアの宣教者フランシスコ修道会 平間 理子
…御復活祭も過ぎ…こちらは雨期(と云っても、雨の少ない年でしたが)も終り、初秋といったところで、これからは乾期の冬に入り、朝晩は寒いくらいです。
こちらは、昨年、コモル島で流行したコレラがマダガスカル西南地方に上陸、初めての流行とかで薬も予防注射もなく、20名近くが亡くなり100名近くが入院隔離されています。 ペストは毎年、あちこちの地方で流行するので薬もあり、皆慣れているようですが、コレラはペストよりもひどい病気と云われています。 でも、他の国の人から見ると、ペストの方がコレラよりも悪質で流行も強いと思っているのでは…と思います。コレラもラクタット・リンゲルの点滴をするとかなり違うのです。私も、昨年9月から探していますが未だに見付かりません。 こちらのTVは、毎日、KOSOVOの民族浄化戦争を1時間にわたって取り上げています。 その点、マダガスカルは温和ですので、今のところ、内戦の心配など全くありませんが、最近は中国人が、マダガスカルに来て、土地を買い家を建てたり、市内にも中国人の店がずい分増えて来ました。インド人、パキスタン人、中国人がここの土地を買うので、マダガスカル人の土地がなくなるのでは…との噂もありますが、真実は分りません。 『難民とチャド人とのはざまで』ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬 小夜子
…(ここで)一番涼しい所を探し回って(も)42度です。昼間は電気、水道が止まっています。自然の熱風でも木の葉が揺れると一息つけますが、微動だにせず、トカゲと蝿が飛び回っています。…この暑さです。伝染病ね流行しています。
まず、皆様にありがとうを申し上げねば…。難民援助です。幾年か前から、シエラレオネの根岸さんの便りを”きずな”で拝見していましたが、あの遠い国から多くの人たちが、毎日、追われて食物を、寝る所をと歩き疲れて…来ます。 皆々様からの援助金で助け始めています。17歳かのら25歳くらいの青年達ばかりです。 (彼らの)中には、シャツをめくり、自分のお腹を見せて「何も入っていない。このままだったら、今に死ぬばかりだ」と、来るなり脅迫めいた脅しをかけられます。 シエラレオネは当然資源も豊富な国だったと聞いています。この青年達は「チャドは何もない」「言葉、とくにイスラムも分からない」「カメルーンは不親切だった」等々、今まで、余りにも苦しかったため、心に傷だけが残っているようです。 しかし、こういう形で、シュラレオーネに出会うとは考えもしないことでした。 Sr根岸が居らしった所です。…出来るだけ、人々を助けてあげたいと懸命です。これが出来るのも皆様のご援助と祈り(のおかげ)です。 あまり、難民の人たちに関わっていると、貧しいチャドの人たちから「…自分達(のこと)は…」と(云われ)、難しい問題です。 『南米』『僻地への宣教ミッション』扶助者聖母会 漢那 和子
…ここボリビアでは、主の復活の喜びに合わせて“トボローチ”の花が美しく咲きはじめました。桜のように美しい花ですが、南国独特の大木で花びらも大きく、桜のようなやわらかさは見られませんがとても綺麗です。
…今年は聖週間に、学生60人とシスター5人、それぞれ3つのグループに分れて、ミッションに行って来ました。それこそ僻地で、水道も電気も無く、雨が降ると通行困難という所です。 全部、モタク(ワラ)の家で、言葉も方言のケチェア語です。若い人はスペイン語を使いますが、年寄りはケチュア語しか話せません。 でも、学生達は、手真似、足真似でいろいろ話しをして居ました。 水や電気の不自由にはすぐ慣れたのですが、蚊の大群にはお手上げです。今でも後遺症に悩まされています。 ここでもプロテスタントの波は押し寄せ、殆どがプロテスタントに改宗し、カトリックは少数という所でした。…自家発電、TV、その他いろいろ誘惑はあるようですが、それでも信者さん達は、自分達の信仰をしっかりと守り、明るく生活していました。やはり働く人の不足が大きな原因かと思います。実際にその土地に住んで生活を共にする宣教者と月に一度ミサに来るのとでは大きな違いがあると思います。サンファンからそれ程離れた場所ではないので、これからも機会を見て出かけようと思っています。 『子供の教育の難しさ』宮崎カリタス修道女会 川端 千鶴子
…ここサンパウロは、カルナパルを境に、朝晩は少しづっ涼しく、過しやすくなっています。
店頭や食卓には、おいしい柿、ぶどうの秋の実りが並べられ、食欲を増進させてくれています。こうしたお恵みに養われ、シスターたち、養護施設の子供たちも、皆元気一杯、感謝の日々を過しています。 先日は美しい日本のカレンダーをお送り下さり、ありがとうございました。早速、かけていたブラジル製のカレンダーと取りかえ、美しい満開の桜とっつじの花見を、目に何回も楽しみながら、おかげさまで、殺風景な部屋も、きれいな感じになりました。 年々、文化、技術の進歩、発展と共に機械化されていく現代、人々の心から、祈り、犠牲は縁遠いものになり、宗教心\道徳観も薄れていっている中での子供たちの教育の難しさを年々、日々感じ、度々お手上げとなることもあります。必死になっているシスター達の苦労も知らず、散らかす、こわす、汚す、喧嘩する、勉強しないで遊ぶなど、シスターを困らせて、幸せ一杯、世界は私のためにという感じの子供たちに泣かされたり笑わされたりの毎日です。 ブラジルの経済も大きく揺れ動きお先真っ暗といった昨今、失業者がどんどん増え、当然、恐るべき犯罪も増えている社会、真の意味で、世界の回心を祈り続けなければなりません。 『アレルヤの花、咲き匂うが…』タピライのカテキスタ会 野田芳子 箕浦まさ
こちらブラジルは、ようやく厳しい暑さが去り、肌寒ささえ感ずる清涼の朝夕が訪れるようになり、山には、人々が“アレルヤ”と名付けている黄色の花々が咲き盛るようになりました。レアル貨が下がり、物の値段はズルズルと値上がりを始め、巷には失業者が溢れるようになり経済は落ち込んでも、自然は神の愛と存在を語ってやみません。
私ども教会のメンバーも「兄弟愛運動」を展開し始めました。 “海外宣教者”のリストと“アジア特別シノドス報告”拝受いたしました。 先日は美しい日本の暦などお送り頂き、ありがとうございました。 こんなに沢山、海外で働く方たちがおられるとは…と、43年前、私どもが、こちらに来ました頃を思い、感無量でございます。 『経済危機で3P(最貧)家庭増える』横浜教区 佐々木治夫神父
今年の初めに3個もの小包を頂きながら、お礼のお手紙が遅れて申訳ありません。
…こちらは、先々週から急に寒くなり、フマニタスの下の川岸は霜で真っ白になりました。 子供達が植えたコーヒーも2割ほど霜害にあいました。ご存知のようにブラジルの家は、皆、夏向きに出来ていますので暖房がなく、洋服の上に洋服を重ね着して我慢する以外方法はありません。殆ど坪で日向ぼっこをしている人も沢山見かけます…。これからは、皆様のお送り下さった衣類が大活躍してくれます。 私たちの所では、家庭調査をするのに、貧しい家庭を3段階に分けています。普通に貧しい家庭を「P1」、少し助けてあげれば何とか生活出来る家庭を「P2」、全面的に助けてあげなければ生活できない家庭を「P3」としています。ブラジルが現在直面している経済危機のため「P3」クラスが増えて来て心配です。 …サンパウロだけでも失業者が200万人にもなってしまい、何が起きても不思議でないような状態です。先日もこの平和なサンジェロニモの銀行に9人組の強盗が入り、1人が殺されました。幸い強盗全員が逮捕されましたが、強盗は5人が未成年者、サンパウロから乗た人たちでした。…こちらの83人の貧困家庭の子供達は、算術の基礎が出来ていないのでソロバンを始めていますが、暗算も上手になり、畑の仕事もよくします。先日も、昨年採れた71俵のコーヒーを売ることができ、子供たちは鼻高々でした。 彼らが食べるお米も豆も、皆、彼ら自身が作ったものです。野菜も無農薬で良いものを作り自分達の食卓を賑わせています。未だ、自給自足までには程遠いですが…。お蔭様で対ハンセン病活動も順調で、もう300人ほどの患者さんが完治しました。まだまだ新患者が現われて来ますので戦いは続きますが…。 1998年4月28日
『待望の放送機器が学校に』コングレガシオン・ド・ノートルダム 渡辺 素子
パラグアイは、まだまだ、日中の暑さは夏ですが、大豆の刈り入れ期に入り秋の季節です。
今年こそは…と農家の方々は期待していましたが、作柄は良いが、価格ダウンでガッカリしています。大豆の収穫によって一年の生活費を賄なっているわけですから、コロニアは明るいムードではありません。自然を相手にずーっと生活して来ているためか、クヨクヨしない様子を見ますと、…開拓魂の強さを感じさせられます。さて、先日、「海外宣教者を支援する会」から援助を頂きまして、早速、放送機器を設置出来、おかげさまで、学校らしい雰囲気。生徒達の授業、活動に大いに役に立ち、私たち教師も大喜びです。 …パラグアイは内紛、外敵、また、極度の貧困の人々は居りませんが、政治の貧困、腐敗はひどく、一握りの役人だけが富み、一般庶民は貧しく、まだまだ、小学生以下の子供たちが労働力から解放されていない状態です。 でも、パラグアイ人は表情も明るく、楽天的な民族のようで、日本人のように時間にしばられ、気にしたりしないところは、うらやましいほどです。 −放送機器に大喜びの生徒たち− 『アジア』『大学生たちと共に』御聖体の宣教クララ修道会 小川和子・山崎三恵子
韓国語が全く話せないメキシコ人のシスター2人と日本人のシスター2人の4人で、釜山の港に着いてから早や11年にもなりました。
はじめの2年間は韓国語の習得のためソウルで過しました。その間、韓国の人々や文化に触れる機会に恵まれ、少しづっ、韓国での生活に慣れて来ました……。 …2年間程の語学々習の後、1990年には、ここ大田(テジョン)教区へ移って来ました。最初の宣教活動として、14名の女子大生を収容できる学生寮と、近所に住む未信者の家庭の子供達を対象に、土曜学校を始めました。 …信仰を持たない若者たち、子供達が、神様、マリア様の御名をロにするようになり、主に向って賛美歌と感謝の歌を歌い、素朴な祈りを信頼のうちに神様に捧げるようになっていくことば、私達の大きな喜びです。 1994年には、60名あまり収容できる学生寮を建てることが出来ました。この学生寮は、大田市内にある4つあまりの大学の女子大生のためのものです。学生には信者、未信者にかかわらず、週1時間の教理が義務づけられています。その他、過2回、10分ほどの祈りの時間など…寮生の中から少しづつですが、洗礼を受ける学生、堅信を受ける学生が出ています。 昨年9月から、教区の依頼で、一般の総合病院の司牧に2人のシスターがお手伝いをしております。…信者には秘蹟に与らせたり、信仰上の問題の相談相手になったり、…直接、患者さん方に接するシスター方と共に、共同体全員が祈りによって宣教に参与しています。 …一つの国を理解するということは易しいことではありませんが、この国に適応した宣教活動を目指し、日々、喜びの中に、神様と人々に奉仕していこうと決意を新たにしています。 『疎外された部族と共に…』キリスト・イエズスの宣教会 渡辺 栄子
…私は1995年11月にフィリピンの大部分に大被害をもたらした「台風ロシンの被災者への協力のお願い」として移住協にもニュースとして送ったところ、そのまま記事として載せて下さったため、有難くも移住協から96年に5個、97年に2個、他にも4名の方々から、大小合わせて、18個のダンボール箱が集まりました。…こちらのテンポののろさに苛立ちながら待って1年後に現地視察をしたのですが、まだ復旧はしていませんでした。
…1994年に再開された私達のミンダナオ島での活動は、ランガルという山の上で、クリスチャンの司牧と、現代文明と開発から疎外された部族の自立援助のそれで、現在、小学校が2カ所、クリニックが5カ所、その他、成人識字教室、衛生指導、畑など数カ所に拠点が広がって来ました。…山の上の子供達は、開校当時、学校に来たくても着る服がなくて来られないという声が聞かれていたのが、送られた古着で、登校できるようになり、さらに昨年度、シスターたちがスカートとズポシを縫って、制服ができました。少しづつ学校らしくなります。 子供たちは生き生きしています。子供たちが使っている紙は、使用ずみの裏紙、鉛筆は購入品もありますが、時々、日本からの物資の中にある使い残りの短いものを与えられます。 他の学校では昨年から給食プロジェクトも始まりました。野菜を作り、食事を作って、貧しいマノポの子供たちを養います。 成人識字教室、衛生指導教室も開いています。 この他、私たちは、ミンダナオ島で奨学生プロジェクト(大学生5、高校生18、小学生58)やハンセン病者自立援助プロジェクトなども行なっています。ですから、古着などはどこでも必要で、山の上と下で、状況に応じて分類して分配できるので助かります。 −シスター手造りの制服を着て勢揃い− 『欧米・オセアニア』『“海外宣教者の一人”を実感』コンベンツアル聖フランシスコ修道会 瀧 憲志
…海外に派遣されている私たちへの暖かいご配慮に感謝いたします。「海外宣教者98」と同封の「アジア特別シノドス報告」を受け取りました。ありがとうございます。
わたしは、アフリカや南米に派遣されて困難な状況の下で現地の方々と苦楽を共にしながら「御国の建設のために」働いておられる方たちとはちがって、恵まれた環境で、日本からの観光客への宣教活動なので、自分が海外に派遣されているという実感がありませんでした。 年4回定期的に送られて来る「きずな」を、この前、97年度版と98年度版をホチキスで綴じて一冊に製本しました。 その時、「ああ、自分も海外宣教者の一人なんだ」という実感が湧きました。 皆さんの「祈りと犠牲」に支えられて、アシジでの日本人相手の宣教に、”希望と喜び”のうちに、これからも従事していきます。 『貧困と戦火に苦しむ人々との連帯』クリスト・ロア宣教修道女会 須藤 昭子
…私は20年間、ハイチ共和国に居りましたが、1996年以来、カナダの本部で働くことになり、任期の終了する2002年を待ち遠しく思っているこの頃です。直接、宣教地で働くことが出来ませんでしたが、間接的に、世界に散らばっている宣教女たちを援助することができ、また、異った国を訪問する機会にも恵まれ、改めて、貧困と、戦火に苦しんでいる兄弟たちへの連帯性の必要を感じております。
カナダは、未だ雪に閉された季節ですが、それも5℃という、まれに、暖かい日が、2、3日あり、春の訪れを感じています。 『公教要理(カテキズム)の再版出来』援助マリア修道会 ポンペイ修道院 赤岩 恵子
…(ポンペイでは)子供の数が多いので、子供達の信仰教育に力を入れたいと願っております。
(しかし)ボナペ語での印刷物がないので、一般信徒が信仰を深めるのも少ないのです。 (カテキズムも)初版は直ぐになくなり、印刷費がないため、なかなか再版できずに因っていましたが、ご援助を頂き、1989年版、改定版を再版することが出来、大変喜んでおります。 昨年から、(このテキストの)利用者が増えて来ております。 再版されたポナペ語の公教要理 〜信者を家庭訪問するSr真浦 |