『海外宣教者の祖国とは…』淳心会 ∨・マルゴット神父
殆ど半世紀前のことですね。
始めて生まれ故郷から離れた一人の若い宣教者は、船の甲板に立って、愛するフランダースの海岸がゆっくりと、霧の中に消えていくのを見ていました。彼は知らなかったが“帰らざる旅”の始まりでした。彼は涙を一滴も流さないで、希望の溢れる心で、見知らない新しい世界に向って、子供の時からの夢を追い求めていました。最も長い旅でしたが、彼は若かったし、まだ、皆があんなに急いで走り回っている時代が始まっていなかったので、旅を楽しむことが出来るのでした。 大西洋を渡ってから一年間、カナダに住んで、それから大陸横断鉄道でサンフランシスコまで行って、そこで小さい貨物船に乗って大西洋を渡って、やっと、日本に着きました。 始めに新しい大陸を発見した探検家のように、この勇ましき新しい世界を探っていましたが、しばらくしたら、ことばの不自由がなくなって、国の習慣、気持ち、考え方などに慣れてきて、もう“外国”のように感じなくなってしまいました。 それから10年経って、初めて自分の国へ帰りました。しかし向うに着いたら、もう自分の国を見つけることが出来ませんでした。風景、習慣、人の話し方と考え方、何でも変って、彼がなつかしい方言で何か言ったら、彼らは皆、“こんなことば、久し振りですね”と笑って、彼は浦島太郎になってしまったように感じて、恥しかった。やはり、あの時、自分の愛したフランダースの故郷が霧の中に沈んで消えてしまったから、再び家へ帰ることが出来ないことが判って、とてもホームシックになりました。 皆がとても親切でしたので、あの淋しさは、誰にも言えない悲しみになりました。 ある時、教会の前を通って、門がまだ開いているのを見て中に入りました。もう暗かったが祭壇の上の赤いランプは、主がおいでになっていたことを伝えていました。彼の子供の時、青年の時と同じ主、カナダと日本で会った同じ主、あそこだけ、あの教会の中だけ、何も変っていませんでした。心の中に”お帰りなさい”という声が聞こえているようでした。彼は祈りをしませんでした。ただ、あそこに、主の前に脆いて、“我が主、我が神”と云って、あの教会の静けさの中、落着いて、やっと“帰国”して、心の故郷を見つけたのです。しかし、それにしても、早く日本へ帰りました。 それからまた、十数年が経って、今度、日本の宣教者として、ブラジルへ行きました。日本の方から見て、ブラジルは地球の反対側にあって、どの面でも日本と全く違うのです。すべてが変って、すべてが珍しいのです。しかし、暫くしたら、ことばの不自由がなくなって、習慣なども馴れてしまいます。 今度、ブラジルの宣教者として日本へ帰って来ました。しかし、前と同じことになりました。“私の日本”は、どこを捜しても、もうありません。そして、ブラジルの、見渡す限り広がる大高原の緑の海、赤い土、心の暖かい、単純なブラジル人の楽観と勇気と信仰、いろんな民族が混った子供たちの明るさと、可愛らしさが思い出して、ホームシックになります。皆さんはとても親切ですけれども、やはりブラジルへ帰りたいです。 私はだれですか、何人ですか、フラマン人か、日本人か、ブラジル人か、私は有名な伝説の“さまようユダヤ人”のように、国のない人になりました。永遠の出稼ぎになりましたが、私の祖国はどうなりましたか、どこにあるのですか。 しかし、考えてみれば、“祖国”というのは、先祖たちの国というのでしょう。しかし、先祖たちはもうこの世にはいません。彼らのいる国は天国なのです。 すると、私にもまだ祖国があるのです。 宣教者はルーツのない旅人と違って、皆と一緒に約束の国、永遠のイスラエルを捜している巡礼者でしょう。 『第68回役員会報告』「会」の第68回役員会が1999年3月16日(火)午後6時から、東京・四谷の上智大学SJハウスで開かれ、次の案件を審議、決定した。
『援助決定』(1999年3月16日決定分)
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