『ザ・メッセージ』(海外短信) いつも美しいお便りを有難うございます。日本は、秋の紅葉が美しい頃ですね。 皆様、お元気でお過しのことと思います。 サンパウロは雨季に入り、時折照る初夏の太陽に、濃い緑の山野が輝いております。 さて、今年に入り、修道院の一室で看護を受けて療養中でした、Srジョアンナ・ダッキス野村さんが、去る8月30日に、神の許に召されました。 修道院の一角にある木々とバラに囲まれた、修道院墓地に埋葬いたしました。謹んでお知らせいたします。 かねてから送って頂くお便り、私たちは二世、三世で、難しい日本語の読み書きが出来ません。この手紙も代筆してもらいました。 もし、続けてお送り下されば、アチバイアの町の日本人のお年寄りにおあげします。 皆様の上に、主のご恩寵が、益々、豊かでありますよう、お祈りいたします。 (INSTITUTO SECULAR DASIRMAS DE MARIA DE CHOENSTATT: IRMA FLORIZA KAZUE OKUDA) 『ECHO』
『〜帰天〜』メリノール女子修道会 故・小合悦子(70) ショエンスタット宣教女子修道会 故・野村月子(67) 1960年3月、信徒宣教者としてブラジルへ。バラマ州アサイで日本人移民のために活躍。 同修道会入会後、サンパウロ、アチバイア等の各地で宣教に献身。 東京教区 千葉 大樹神父(89) 1909年7月22日生。1939年3月ローマで司祭に叙階され、帰国後、神山復生病院長に就任(1910)。その後、東京・浅草、原町田教会等の主任司祭を経て、1971年からブラジルへ。在伯中パラマ州マリンガ、サンパウロ州ガタパラ移住地、サン・ジョゼ・ドス・カンボス等の地で、宣教、司牧にあたる。 1994年12月帰国。 『梶川宏神父・遺稿集』前・日本カトリック移住協積金尊称理事 マリア会 梶川 宏神父 1997年10月31日 午後12時30分・帰天 宣教者は、人々の受身の関係のなかに生きるのではなく、自国から出て、他の人々と手を取りあって生きることにあり、私たちが、宣教者を通して、他の国の人々と積極的にかかわり合うことができるようにしてくれる人ではないかと思います。 シンボル・マークには、三つの手がガッチリと、結び合わされています。一本は黄色い手、一本は黒い手、一本は白い手です。それは、全世界の人種を表わし、丸い地球の上で、すべての人々が手を取り合って生きて行くことを願っています。 「手」というものは、その人自身や意志を表わし「手をさしのべたり」「手を擦ったり」、「手をたたいたり」「じっと手を見たり」します。この手が結び合わされることは、人の心と心の結びつきを表わしていると思います。それも単純な握手ではなく、三本の腕が交差しているのは人種差別や人権無禎のある世界の中での、心の交わりを表現したいと思いました。 「宣教者を支援する」ということは、決して、日本人宣教師を助けるということだけではなく私たたち日本人が、宣教者を通して、世界の人々との”きずな”を作り、日本人であると同時に、世界の人となることを目指しています。 このシンボル・マークの一本の腕は、わたしのものでもあると言えましょう。 (1983.3.10発行「きずな」2号掲載) 一人一人を大切にすることを知り、愛することの喜びを知っている人は、いつも人を新しく発見していくようである。私が南米を旅した時に出会った多くの宣教者…たちは、私に新しい発見を与えてくれたし、彼ら自身に出会う喜びを与えてくれたのを思い出す。誰かに「どうして、あのシスター達は喜びと活気に溢れているのですか」と聞かれたことがある。…シスター達が決して苦しみも悲しみも知らないのではなく、むしろ、人と共に悲しみ、苦しみ、人間の重荷を共に背負っているのである。 …日本で生活していると、どこかいらいらとして、不満とあきらめの中に活き活きとしたところを失って生活している自分に気が付くことがある。 こんな時に、自分の閉ざされた世界から旅立ち、したくなっている。 旅に出ると、まず…(1)自分の世界、なれ親しんだ環境から出て、今まで自分の思いこんでいる価値観が通用しない世界に行かなければならない。次に…(2)いつも自分を支えてくれる人々や、機構がなくなり、自分自身の重さを自分自身が、感じてくる。いつも人に甘えて生活し、自分が人にとってどれだけ重荷であるのかを知らなかったものが、いやと言うほど、自分に突きつけ与れるのである。それから…(3)忙しさの中でごまかしていた孤独と言うものの姿が、はっきりと、自分に見せつけられる。作られた孤独ではなく、現実としての孤独を知らされるのである。それから…(4)感受性にこびりついたあかを削ぎ落されて、まわりに居る人々、出会う人々が新しく感じられるようになる。ほんの小さな微笑や、好意が、嬉しくて嬉しくてたまらなくなってくる。そして…(5)自分が出会う出来事や自然が新鮮な輝きを帯びてくる。なにか、自分にとって新しい意味をもってくるのである。それが、どんな些細な事であっても、抱きしめたくなるような感動を呼ぶこともある。 新しい年を迎えて、私もこんな旅をしなければならないし、したいと思う。宣教者のシスターたちが日々この旅を巡礼をしているように、せめて、人の心を訪れる巡礼を、この1983年にはしたいものだと思う。それでこそ、新しい年を迎える意味があるのかもしれない。 神は、アブラハムを、モイゼを、イスラエルの民を旅に招き、キリストも旅をし、ベトロも、パウロも旅をした。そして、今、教会も『旅する教会』なのではなかろうか。 (1983・新春) である。 …私が与えることによって、いかに神様から与えられているかを発見できる。 また、修道者として、どれだけ人を自分の心の中に見出すことが出来るのだろう。 …神によって人の心に派遣されている者という意識をもって、常に、神が人となって、どこまで我々の中で、ご自分を与えておられるかを発見していかなけれならない」。 (1984.1.23 「海外宣教を考える会・全国研修会・基調講話」 1984.4.22発行「きずな」6号掲載) 海外の宣教者は、異なる民族・国家の現存の中で、民族・国家意識を超えた世界的視野の下に自分と人々とを見ることが出来る人ではないかと思う。他の国や民族の人々とともに生きるということは、自分が持っている国民性や民族性の豊かさや、時には貧しさを見つめて、これを絶対化することなく、むしろ相対的なものであることを知り、人間であることの価値を第一に見つめることに挑戦することではないかと思う。…… 日本の教会が海外に宣教者を派遣しているのは、決して、自国の教会の力を強めそれを発揮することではなく、むしろ、教会が持っている国や民族を超えた真の人間のきずなと愛に目覚めて共に生きることの重要さを表わしているものだと思う。 海外宣教者の存在の意味は、国家・民族間の交流International Communication(国際交流)というよりも国家・民族を超えた世界的視野の下に、神の国における神と人間、人間同士の愛のきずなを深めるGlobal Communication(世界交流)ではないかと思う。 (1984.9.25 「きずな」8号) 現在、日本の国際化は、外形的に凄まじい勢いで進められている。政治・経済・金融・文化の国際交流は、10年前では考えられない程に盛んになって来ている。社会的にも、日本人の海外出航者は1000万人を超え、日本の社会の労働資源不足から、多くの外国人労働者が入国している。地方の教会でも、東南アジア系の人々が100人を超える数で、ミサに参加し、中南米系の人々が日本語教室に70名を超える数でやって来ている。日本人が彼らをどのように見、彼らが日本人をどのように見ているのかは、重大な課題である。 今、300名以上の宣教者を派遣している日本の教会は、これらの課題に答えを出そうとしているのである。そして、派遣している教会として、この国際性に自らを置き、神の国の建設に、キリストのみ業を実現しようとしているのである。これは、宣教者自身の課題であると共に、教会自身の責任でもある。この責任を「海外宣教者を支援する会」は果たして来た。 海外に宣教者を訪問し、一時帰国の宣教者たちと会ってつくづく思うことは、彼らが働く現地の人々と宣教者に対する(われわれの)理解の不足である。別な言葉で言えば、心の交流の欠けていることである。この「絆」誌がそれを補って来た。しかし、教会として一層の努力が必要であろう。 宣教者は、@自分の世界や価値観から出る、自分の世界を相対化する「キリストが神であることを固執しなかった(フィリピ2:6)」ように Aそして他国の人々に自分を委ね「人々を心から受け入れる(同2:7)」Bそして、「共に死に至るまで生きる(同2:7〜8)」この行為によって、父なる神が、その御子キリストを派遣されて全人類と共にいる神を示されたように、すべての人間が共に生きることの可能性を証しする。 これに具体的に、現実的に生きているのが宣教者である。 空想でも、抽象的な神学でもなく、彼らは、キリストの生きざまに生きようとしている。 彼らは人である。その生きざまには喜びも、悲しみも、嬉しさも苦しさもあることを忘れてはならない。私は宣教地で、私の手を握って泣き、一緒に酒を飲んで歌った宣教師を忘れない。 日本の教会も、宣教者一人一人を理解し、心の交流を持たなくてはならないであろう。 教会の人々が宣教者に出会い、……日本の教会から宣教者を訪問してもらいたいと思う。フォーマルな訪問でなく、友人として、内的に語り合える人々が必要である。 私たちも宣教者であり、父なる神からキリストにおいて人の心に派遣されている。……海外宣教者を通して、このことを理解したい。 (1991.9.1「きずな」36号 (創設10周年記念号掲載) 『天国についての冗談』故・梶川宏神父:林大樹神父(横浜教区)「林君、君は私が「狸」と「根っから純粋」のどちらだと思っているのかね?」、「神父様 は「狸」だよ。」「何言っているのかね。私は「根っから純粋」だよ」。 ある日、大和教会で葬儀ミサがありました。梶川神父様は、素晴らしい説教をし、心のこもったミサを捧げました。香部屋に戻り「あー終った、終った。ところで林君、たばこを一つくれないか」。梶川神父様は、おいしそうにたばこをふかしはじめました。「神父様はやっばり「狸」だねえ」。「私はマリア会々員から、死んだら「口だけ天国へ行く」と言われているよハハハJ (この稿は、マリア会の小冊子「マリアニスト」に掲載の林大樹師のエッセイから転用させて頂きました) 『新・会長名簿・数』1998年12月1日現在(敬称略)新加入 個人 6 法人 14 会員数 個人 326 法人1652 賛助 71 総計 2049 『編集後記』今、65号の横組みの誌面いかがでしょうか。創刊以来16年、縦組みでしたが、外国人(地名)数字などが多い本誌では、算用、漢数字が混在して読み難い等の声も出ており、何回かの討議の末、誌面一新に踏切りました。 1997年10月31日に帰天された故・梶川宏神父様の一年祭に当り、同師が生前、本誌をはじめ各誌に書かれた原稿をまとめ、「梶川神父遺稿集」を特集しました。未だに梶川師を慕う声が数多く寄せられ、師の大いなる「遺徳」が偲ばれます。Sr根岸の「ゲリラ地獄からの脱出」のドキュメンタリー・レポートは、読む人に大きな衝撃を与えたようで、“感動”のお便りが多く寄せられ、編集者も、未だ曾てない反響に驚いています。「きずな」は皆様と連帯する「絆」です。お便りをお寄せ下さい。より良い誌面にするため、辛口のご批評もお待ちしています。グローバルな不景気に明け暮れた1998年でしたが、来るべき年が、神に祝福された明るい希望の年とならんことを祈り、また、皆様のご健康への願いをこめて、「きずな」65号をお届けします。 (山鳥)
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