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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『ザ・メッセージ』

 (海外短信)  いつも美しいお便りを有難うございます。
 日本は、秋の紅葉が美しい頃ですね。
 皆様、お元気でお過しのことと思います。
 サンパウロは雨季に入り、時折照る初夏の太陽に、濃い緑の山野が輝いております。
 さて、今年に入り、修道院の一室で看護を受けて療養中でした、Srジョアンナ・ダッキス野村さんが、去る8月30日に、神の許に召されました。
 修道院の一角にある木々とバラに囲まれた、修道院墓地に埋葬いたしました。謹んでお知らせいたします。
 かねてから送って頂くお便り、私たちは二世、三世で、難しい日本語の読み書きが出来ません。この手紙も代筆してもらいました。
 もし、続けてお送り下されば、アチバイアの町の日本人のお年寄りにおあげします。
 皆様の上に、主のご恩寵が、益々、豊かでありますよう、お祈りいたします。
(INSTITUTO SECULAR DASIRMAS DE MARIA DE CHOENSTATT: IRMA FLORIZA KAZUE OKUDA)






『ECHO』

  • 主と共に働くわれらは、主とともにその実りを味わう。毎日のご苦労を感謝致します。
    (佐賀・聖母の騎士修道女会ロザリオの聖母修道院)
  • Sr根岸のアフリカの「ゲリラ地獄からの脱出」には感銘を深く致しました。ぬるま湯のような平和の日本に居て、こんな御苦労をなさっている方々がいらっしゃることを知ることの、大切さを思います。濱尾司教様の新しいお仕事の上に、神様の祝福がありますようにと、お祈り申し上げます。
    (神戸・松本秀俊)
  • 「きずな」をありがとうございます。皆様のために、心を合わせて祈りたいと思います。そして、キリストの平和が、一人でも多くの人に宣べ伝えられますように。
    (東京・福音史家聖ヨハネ布教修道女会)
  • 「きずな」の記事を通して、日本では考えられない貧しさと危険の中で、神様のため、人々のため頑張っていらっしゃる方々、また、その中に働かれる神様のことを知りました。み国の来たらんことを!。
    (静岡市・ショファイユの幼きイエズス修道会(ニコラ・バレ)静岡修道院)
  • 僅かですが、何かのお役に立てれば幸いです。皆様のご活躍を祈りながら……。
    (盛岡市・シャトル聖パウロ修道女会盛岡修道院)
  • お恵みが、海外宣教者お一人、お一人の上にありますように。
    (我孫子市・喜平俊枝)
  • 皆様のご活動の上に、主の御祝福が豊かでありますよう、私共、共同体一同、祈りと共に…。
    (函館市・天使の聖母トラビスチヌ修道院)
  • 前名誉会長濱尾大司教様のご活躍をお祈り申し上げます。
    (鹿児島市・岩崎正幸)
  • …いつも「きずな」に励まされています。
    (坂戸市・村上和子)
  • …会報、毎回、感動して読んで居ります。
    (桧戸市・大石久子)
  • いつもありがとうございます。少しですが、お役に立てればうれしいです。
    (十和田市・ノーl村芳子)
  • 頑張って下さい。祈っています。
    (北九州市・加登本拡)
  • 事務局の皆様もがんばってください。
    (深谷市・藤井孝)
  • 濱尾司教様がローマに行かれてからも、倍旧のエネルギーで続けて下さい。
    (福井・大野市 平沢忠雄)
  • 海外で宣教される方々の、大変な御苦労を偲びながら、日々、お祈り申し上げております。
    (西宮市・聖クララ修道院)
  • …「きずな」6月1日号を拝読し、海外宣教地にて、文字通り命がけで働いていられる宣教 師、シスター、ブラザー方の記事に感動いたしました。そして、不況や教育問題その他が日本で話題になっても、まだまだ平穏な生活を送っている私共の信仰生活を反省せずにおられません。…梶川神父様のご冥福を祈り、貴会のご発展を、主の聖心にお祈り申し上げます。
    (東京・扶助者聖母会日本管区長館)
  • …聖心女子大学定年退職後、過去5年間に亘り、フランス、トウール市の聖心学院(共学)で、中・高生に日本語を教えておりました。 この度、隣接都市サン・シールのトゥレーヌ甲南学園の国語の先生の奥様で、日本語教育の資格を持っていらっしゃる方が、マームチェの聖心の日本語の授業を引さ受けて下さいました。私は9月上旬に帰国いたしました。 新就任先は札幌の聖心会修道院でございます。「会」の皆様に心からの感謝を申し上げ、これからのご活躍に神様のお恵みが豊かに注がれますようお祈り申し上げます。
    (聖心会・加藤章子)
  • 「きずな」63・64号「ゲリラ地獄からの脱出」で、シエラレオーネにおける衝撃的な記事を拝見しました。長い年月をかけて建設された施設をゲリラによって略奪され、破壊された後で、その跡地に立たれた現地の方々の思いと悲しみは如何ばかりかと胸に迫るものがありました。隣国から侵入、部族間の抗争、宗教の対立、貧困など情勢が極めて不安定な地域での活動は、私達が到底想像だに出来ない、厳しい日々の連続だったと思います。私共の教会で毎年秋に行われるバザーでは「海外宣教者を援ける会」のコーナーが設けられています。今年もまた、大勢の会員の方々が、活気に溢れて活動しておられるお姿を拝見して、深い感銘を覚えました。世界の各地に滞在して居られる多くの宣教者の方々と、「宣教者を授ける会」の皆様の、さらなる御活躍とご健康を、心からお祈りしており ます。
    (東京・成城 細谷文子)






『〜帰天〜』

メリノール女子修道会 故・小合悦子(70)
メリノール女子修道会 故・小合悦子(70)
故・シスター小合悦子は、1998年9月10日午後7時45分、ニューヨーク・メリノール総本部で70歳の生涯を閉じられた。


ショエンスタット宣教女子修道会 故・野村月子(67)
ショエンスタット宣教女子修道会 故・野村月子(67)
 1998年8月30日帰天。
 1960年3月、信徒宣教者としてブラジルへ。バラマ州アサイで日本人移民のために活躍。
 同修道会入会後、サンパウロ、アチバイア等の各地で宣教に献身。


東京教区 千葉 大樹神父(89)
東京教区 千葉 大樹神父(89)
 1998年11月5日帰天
 1909年7月22日生。1939年3月ローマで司祭に叙階され、帰国後、神山復生病院長に就任(1910)。その後、東京・浅草、原町田教会等の主任司祭を経て、1971年からブラジルへ。在伯中パラマ州マリンガ、サンパウロ州ガタパラ移住地、サン・ジョゼ・ドス・カンボス等の地で、宣教、司牧にあたる。
 1994年12月帰国。






『梶川宏神父・遺稿集』

前・日本カトリック移住協積金尊称理事 マリア会 梶川 宏神父 1997年10月31日 午後12時30分・帰天
前・日本カトリック移住協積金尊称理事 マリア会 梶川 宏神父 1997年10月31日 午後12時30分・帰天
 「会」の創始者である、故・梶川宏神父様が亡くなられてから1年経ちました。(1997年10月31日午後12時30分帰天)。この1年間、数多くの方々から、梶川神父様の急逝を悼み、その遺徳を慕う声が相次いでいますが、今回、かつて梶川神父様が“きずな”をはじめ、あらゆる機会に書き記されたものをまとめ、「梶川宏遺稿集」として特集しました。

『「きずな」のシンボル・マーク』
 「きずな」のシンボル・マーク……「えにし」とか「縁」とか言うと運命的、受動的な人間関係を感じますが、「きずな」と言うと、もっと人間同士の歩み寄りによる積極的、能動的なものに考えてもよいのではないでしょうか。
 宣教者は、人々の受身の関係のなかに生きるのではなく、自国から出て、他の人々と手を取りあって生きることにあり、私たちが、宣教者を通して、他の国の人々と積極的にかかわり合うことができるようにしてくれる人ではないかと思います。
 シンボル・マークには、三つの手がガッチリと、結び合わされています。一本は黄色い手、一本は黒い手、一本は白い手です。それは、全世界の人種を表わし、丸い地球の上で、すべての人々が手を取り合って生きて行くことを願っています。
 「手」というものは、その人自身や意志を表わし「手をさしのべたり」「手を擦ったり」、「手をたたいたり」「じっと手を見たり」します。この手が結び合わされることは、人の心と心の結びつきを表わしていると思います。それも単純な握手ではなく、三本の腕が交差しているのは人種差別や人権無禎のある世界の中での、心の交わりを表現したいと思いました。
 「宣教者を支援する」ということは、決して、日本人宣教師を助けるということだけではなく私たたち日本人が、宣教者を通して、世界の人々との”きずな”を作り、日本人であると同時に、世界の人となることを目指しています。
 このシンボル・マークの一本の腕は、わたしのものでもあると言えましょう。
 (1983.3.10発行「きずな」2号掲載)

『新しい旅立ち』
 何人かのシスターが、海外の宣教地へ出発して行く。クリスマスには、幾つかのクリスマスのカードが、私の事務所の机の上に置かれている。新しい地で新しい人々と出会い新しい経験を語る生き生きした言葉が躍っている。…人と共に生きる喜びを、休一杯表現しているようである。
 一人一人を大切にすることを知り、愛することの喜びを知っている人は、いつも人を新しく発見していくようである。私が南米を旅した時に出会った多くの宣教者…たちは、私に新しい発見を与えてくれたし、彼ら自身に出会う喜びを与えてくれたのを思い出す。誰かに「どうして、あのシスター達は喜びと活気に溢れているのですか」と聞かれたことがある。…シスター達が決して苦しみも悲しみも知らないのではなく、むしろ、人と共に悲しみ、苦しみ、人間の重荷を共に背負っているのである。
 …日本で生活していると、どこかいらいらとして、不満とあきらめの中に活き活きとしたところを失って生活している自分に気が付くことがある。
 こんな時に、自分の閉ざされた世界から旅立ち、したくなっている。
 旅に出ると、まず…(1)自分の世界、なれ親しんだ環境から出て、今まで自分の思いこんでいる価値観が通用しない世界に行かなければならない。次に…(2)いつも自分を支えてくれる人々や、機構がなくなり、自分自身の重さを自分自身が、感じてくる。いつも人に甘えて生活し、自分が人にとってどれだけ重荷であるのかを知らなかったものが、いやと言うほど、自分に突きつけ与れるのである。それから…(3)忙しさの中でごまかしていた孤独と言うものの姿が、はっきりと、自分に見せつけられる。作られた孤独ではなく、現実としての孤独を知らされるのである。それから…(4)感受性にこびりついたあかを削ぎ落されて、まわりに居る人々、出会う人々が新しく感じられるようになる。ほんの小さな微笑や、好意が、嬉しくて嬉しくてたまらなくなってくる。そして…(5)自分が出会う出来事や自然が新鮮な輝きを帯びてくる。なにか、自分にとって新しい意味をもってくるのである。それが、どんな些細な事であっても、抱きしめたくなるような感動を呼ぶこともある。
 新しい年を迎えて、私もこんな旅をしなければならないし、したいと思う。宣教者のシスターたちが日々この旅を巡礼をしているように、せめて、人の心を訪れる巡礼を、この1983年にはしたいものだと思う。それでこそ、新しい年を迎える意味があるのかもしれない。
 神は、アブラハムを、モイゼを、イスラエルの民を旅に招き、キリストも旅をし、ベトロも、パウロも旅をした。そして、今、教会も『旅する教会』なのではなかろうか。
 (1983・新春)

『修道女・この遣わされた者』
 「…修道者とは、奉献された信徒であり、奉献されたということは与え尽くす者の意味
である。
 …私が与えることによって、いかに神様から与えられているかを発見できる。
 また、修道者として、どれだけ人を自分の心の中に見出すことが出来るのだろう。
 …神によって人の心に派遣されている者という意識をもって、常に、神が人となって、どこまで我々の中で、ご自分を与えておられるかを発見していかなけれならない」。
 (1984.1.23 「海外宣教を考える会・全国研修会・基調講話」
 1984.4.22発行「きずな」6号掲載)

『海外宣教者と世界性』
 この夏には、ロス・アンジェルスのオリンピックが開催され、ソ連や東欧諸国の不参加があっても、その他各国の選手たちは日頃鍛えたスポーツの力量を真剣に競い、人々は自国の選手に懸命な声援を送っていた。ふと、その時、私は、「海外の宣教者達は、どの選手に声援を送っているかなぁ」と思った。日本の選手にか、自分が住んでいる国の選手にか。高校野球でも、自分の出身地や住んでいる地方の高校のチームを一生懸命応援している。その熱狂ぶりは所属意識を強め、相手の国や地方の選手や人々との対抗意識を高めていく。確かに、これは自己の所属意識の強まり、自己の国や地方への愛情の表現であろう。これによって、自分や、所属するグループのアイデンティティと主休性を確かめことが出来るのであろう。……
 海外の宣教者は、異なる民族・国家の現存の中で、民族・国家意識を超えた世界的視野の下に自分と人々とを見ることが出来る人ではないかと思う。他の国や民族の人々とともに生きるということは、自分が持っている国民性や民族性の豊かさや、時には貧しさを見つめて、これを絶対化することなく、むしろ相対的なものであることを知り、人間であることの価値を第一に見つめることに挑戦することではないかと思う。……
 日本の教会が海外に宣教者を派遣しているのは、決して、自国の教会の力を強めそれを発揮することではなく、むしろ、教会が持っている国や民族を超えた真の人間のきずなと愛に目覚めて共に生きることの重要さを表わしているものだと思う。
 海外宣教者の存在の意味は、国家・民族間の交流International Communication(国際交流)というよりも国家・民族を超えた世界的視野の下に、神の国における神と人間、人間同士の愛のきずなを深めるGlobal Communication(世界交流)ではないかと思う。
 (1984.9.25 「きずな」8号)

『海外宣教者を思う』
 「海外宣教者を支援する会」は創設10周年を迎えた。この間に多くの宣教者とその周辺の人々を支援し、日本の教会が世界の教会と共に、日本の人々が世界の国々の人々と共に歩んでいるかを証しして来た。それは、物質的援助だけではなく、援助を通して、手紙や一時帰国の宣教者との出会いによる心と心の絆によって、真の国際交流を行ってきたことになる。日本人が世界に通じる人間にしてきたことにもなろう。この働きが一般の人々の手で行われた事に意義がある。
 現在、日本の国際化は、外形的に凄まじい勢いで進められている。政治・経済・金融・文化の国際交流は、10年前では考えられない程に盛んになって来ている。社会的にも、日本人の海外出航者は1000万人を超え、日本の社会の労働資源不足から、多くの外国人労働者が入国している。地方の教会でも、東南アジア系の人々が100人を超える数で、ミサに参加し、中南米系の人々が日本語教室に70名を超える数でやって来ている。日本人が彼らをどのように見、彼らが日本人をどのように見ているのかは、重大な課題である。
 今、300名以上の宣教者を派遣している日本の教会は、これらの課題に答えを出そうとしているのである。そして、派遣している教会として、この国際性に自らを置き、神の国の建設に、キリストのみ業を実現しようとしているのである。これは、宣教者自身の課題であると共に、教会自身の責任でもある。この責任を「海外宣教者を支援する会」は果たして来た。
 海外に宣教者を訪問し、一時帰国の宣教者たちと会ってつくづく思うことは、彼らが働く現地の人々と宣教者に対する(われわれの)理解の不足である。別な言葉で言えば、心の交流の欠けていることである。この「絆」誌がそれを補って来た。しかし、教会として一層の努力が必要であろう。
 宣教者は、@自分の世界や価値観から出る、自分の世界を相対化する「キリストが神であることを固執しなかった(フィリピ2:6)」ように Aそして他国の人々に自分を委ね「人々を心から受け入れる(同2:7)」Bそして、「共に死に至るまで生きる(同2:7〜8)」この行為によって、父なる神が、その御子キリストを派遣されて全人類と共にいる神を示されたように、すべての人間が共に生きることの可能性を証しする。
 これに具体的に、現実的に生きているのが宣教者である。
 空想でも、抽象的な神学でもなく、彼らは、キリストの生きざまに生きようとしている。
 彼らは人である。その生きざまには喜びも、悲しみも、嬉しさも苦しさもあることを忘れてはならない。私は宣教地で、私の手を握って泣き、一緒に酒を飲んで歌った宣教師を忘れない。
 日本の教会も、宣教者一人一人を理解し、心の交流を持たなくてはならないであろう。
 教会の人々が宣教者に出会い、……日本の教会から宣教者を訪問してもらいたいと思う。フォーマルな訪問でなく、友人として、内的に語り合える人々が必要である。
 私たちも宣教者であり、父なる神からキリストにおいて人の心に派遣されている。……海外宣教者を通して、このことを理解したい。
 (1991.9.1「きずな」36号
 (創設10周年記念号掲載)






『天国についての冗談』

 故・梶川宏神父:林大樹神父(横浜教区)
〔冗談T〕
”口だけ天国へ行く
 教区の神学生が、小教区司祭の性格を分析し、「狸」と「根っから純粋」の大きく2つのタイプに分けました。「狸」とは、司祭が何を考えているのか、信徒には全く分からない、腹の中が見えない司祭です。「根っから純粋」とは、文字どおり、人の良さを売り物にしている司祭です。この分析を私は梶川神父様に話しました。
 「林君、君は私が「狸」と「根っから純粋」のどちらだと思っているのかね?」、「神父様
は「狸」だよ。」「何言っているのかね。私は「根っから純粋」だよ」。
 ある日、大和教会で葬儀ミサがありました。梶川神父様は、素晴らしい説教をし、心のこもったミサを捧げました。香部屋に戻り「あー終った、終った。ところで林君、たばこを一つくれないか」。梶川神父様は、おいしそうにたばこをふかしはじめました。「神父様はやっばり「狸」だねえ」。「私はマリア会々員から、死んだら「口だけ天国へ行く」と言われているよハハハJ

〔冗談II〕
”天国の説教”
 ある日、梶川神父様が説教を考えていました。「林君、君は天国をどういう所だと思うかね?」「♪ 天国良いとこ、一度はおいで。酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ♪」。梶川神父様は頭を押えながら「君みたいな人間が居るから、私は“天国”について説教をしなければならない」と苦笑をしました。

[冗談III]
”よい羊飼いは、羊のために、いのちをすてる”
 ある日、司祭生活について話し合いました。「林君、君は仕事を選ぶのかね。私は信徒から依頼があったら、仕事を断らないようにしている」「でも神父様、仕事を選ばないと体が疲れます。いのちを縮めることになりますよ。神父様は、天国へ行っても働くのですか?」「天国へ行ったら、私は働かない。料理もキリストにやって頂く。洗濯もキリストにやって頂く。全部キリストにやって頂く。私は休んでいる」。

(この稿は、マリア会の小冊子「マリアニスト」に掲載の林大樹師のエッセイから転用させて頂きました)






『新・会長名簿・数』

 1998年12月1日現在(敬称略)
新加入 個人 6  法人 14
会員数 個人 326  法人1652 賛助  71
総計 2049






『編集後記』

 今、65号の横組みの誌面いかがでしょうか。
 創刊以来16年、縦組みでしたが、外国人(地名)数字などが多い本誌では、算用、漢数字が混在して読み難い等の声も出ており、何回かの討議の末、誌面一新に踏切りました。
1997年10月31日に帰天された故・梶川宏神父様の一年祭に当り、同師が生前、本誌をはじめ各誌に書かれた原稿をまとめ、「梶川神父遺稿集」を特集しました。未だに梶川師を慕う声が数多く寄せられ、師の大いなる「遺徳」が偲ばれます。Sr根岸の「ゲリラ地獄からの脱出」のドキュメンタリー・レポートは、読む人に大きな衝撃を与えたようで、“感動”のお便りが多く寄せられ、編集者も、未だ曾てない反響に驚いています。「きずな」は皆様と連帯する「絆」です。お便りをお寄せ下さい。より良い誌面にするため、辛口のご批評もお待ちしています。グローバルな不景気に明け暮れた1998年でしたが、来るべき年が、神に祝福された明るい希望の年とならんことを祈り、また、皆様のご健康への願いをこめて、「きずな」65号をお届けします。
(山鳥)