『アフリカ人の心に種蒔く人々』会員 井上 信一
アフリカの各地で自らの生命の危険を冒しながら、その国の人々と共に生活し、宣教に励んでおられる神父様、シスターの皆様の生々しいレポートを、何時もこのきずなを通じて読ましてもらっております。私自身も、通算10年近くアフリカ生活を経験しているだけに、そのご苦労の凄さを実感しております。実際、命を犠牲にされている聖職者も多々報じられています。
私が最初にコンゴー(旧ザイール)の地に赴いたのは、独立直後の1961年でした。その時、キンシャサ郊外の修道院に日本人の方がおられると聞き、当時駐在されていた日本大使と一緒に、砂でタイヤが埋まりそうな道を何十キロか走り、そのシスターに会うことができました。もう昔のことで、お名前も、修道院の場所も忘れてしまいましたが、当時未だ若かった私は、日本人の女性がこのような場所で活躍されていることに驚くばかりでした。こうしてみると、日本の聖職者によるアフリカでの宣教には長い歴史があるものです。 このコンゴーでは昨年5月に、32年間政権の座にあった独裁者のモプツ大統領が、その座から追われ、代わってカビラという人が登場しました。この人も内外に約束した政治の民主化を進めることができず、内乱状況に陥っています。ただ、1960年代と現在では、全く違うことが一つだけあります。それは、その当時は、冷戦という国際情勢の下で、米ソの覇権争いがコンゴー動乱に深く絡んでおり、アフリカ人自身の幸せとか運命は二の次、三の次にされていたということです。 そんな時代は終わり、今では、アフリカ人自身で問題を解決しなければならない時代が来ています。現在の混乱を収拾するために、周辺のアフリカ諸国がカビラ政権を支援したり、それに反抗する勢力を後押したりしています。複雑な部族構成や言語の違いがあるため、我々には理解できないような争いがその裏にはあります。言語にしても、コンゴ一にはリンガラ、スワヒリ、チルバ、キコンゴという四つの主要な言葉があり、さらにそれが細分化して、数えると200近くになるということです。この内乱は、百万人に近づくような犠牲者を出しているルワンダの部族抗争とも関係があるのです。 1960年代から国際社会は、アフリカに対して、多額の援助を提供し、民間の企業も資源開発や市場開拓のために沢山の投資を行ってきました。しかし、それがアフリカ人の幸福に何をもたらしたのか、反省を強いられています。現実には、コンゴー以外の国々でも激しい紛争が続いており、アフリカの未来に絶望する人もいるかも知れません。でも、アフリカには、アフリカ人のための、彼等の世界観に沿った社会の底流があります。そして、それは現実に少しづつ地道に、発展しているのです。明るい未来を冷静に語る人も少なくありません。 アフリカの奥深くに入り込んで、宣教に身を捧げておられる神父様やシスターたちは、アフリカの人々の心に、大切な種を蒔き続けておられるに違いありません。その種はやがて芽を出し、実を結ぶことになるのでしょう。それは、政府や企業レベルの協力では、残念ながらして上げられなかったことではないか、と私は思っています。 『第66回役員会報告』「会」の第66回役員会が、1998年(平成10年)9月8日(火)午後6暗から、東京・四谷・上智大学SJハウス会議室で開かれ、次の案件を審議、決定した。
『援助決定』(1998年9月8日決定分)
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