『中・南米』『平和と善』フランシスコ会 小川満
四カ月にも及ぶ日本での慌ただしく、いろんな事件に満ちた休暇を終えて、23時間の飛行後、5月2日無事ブラジルに着きました。
…機中手にした新聞で、リオ・デ・ジャネイロのスラムで、麻薬組織間の銃撃戦で、3歳の幼児が流れ弾に当たって即死したことや、また、他の州では、企業家宅に強盗が入り、家族、親族ら7名を人質にして5日間も立て籠もり、…要求が聞き入れられなければ、子供から一人づつ殺していくと言いはじめたので、警察が強行突入し、強盗三名を射殺したことなどが載っていました。ブラジルのこれらのニュースは、いきなり夢の世界から現実に突き落とされた感じでした。カンポ・グランデには主げ仕神父が出迎えに来ていました。帰りの車中の彼の報告によると、私の留守中に現司教と元司教の二人が、小教区を司牧訪問し、また、私の受け持っている共同体でもミサをたて、信者と話し合い、非常に満足したとのこと、また、教会学校の子供たちが二五〇名を越えたことや、カテキスタが16名に増えたこと、共同体が自分たちで教会維持費の組織を作りはじめたことなど…どれも私の喜びでした。 『我が家に帰った気分』マリアの布教修道女会 鹿山ミエ子
長い旅のあと、一五〇名のチビっ子たちが待つパラナ州ロンドリーナの町、ファチマの聖母保育園に無事着きました。中庭には全員の子供たちの作品JAPAO(日本)と書いたぬり絵が私を迎えてくれました。丁度、子供たちがお昼寝から目覚めたところで、いきなり前から後ろから、右から左からキャーキャーと歓声を上げながら押し寄せるチビたちの波…一回り大きく成長した子供たちを、一人一人抱きしめながら、三か月振りにホッと一息、我が家に帰った気がしました。
私の5年ぶりの帰国、懐かしい沢山の人々に出会い、とても嬉しく、長い間見ていなかった素晴らしい桜の時期で、久しぶりに日本の美を満喫した気がします。日本滞在は…短い時期ではありましたが、皆さん一人一人との出会いを心から感謝いたしております。 7月15日には、私たちの修道会創立50周年の感謝のミサがカテドラルでロンドリーナの大司教様によって行われます。 『保育所建設中だが…難航中』大阪聖ヨゼフ宣教修道女会 馬場美保
…私達の住むカスタニヤーウの町は、ブラジルの北パラー州の首都ベレンから80kmほどの所にあり、パラー州で三番目に大きな町です。
人口は14〜15万人と云われますが、ここ数年で大きくなり、今も人口が増え続けている町です。人口増の大きな原因の一つは、東部の恒久的な旱魃で苦しむ貧しい農民達が、流れ込んで来ることにあるそうです。私達がこの地に派遣されて僅か三年の間に、路上生活者(大人も子供も)が急速に増えていることが…よく分ります。私達が今建設している保育所は、とくに貧しい地域の3歳、4歳の栄養不良の子供を受入れ基準としています。家族から費用を集めることが出来ない状況にある子供達なので、修道会と善意の多くの方々の援助で賄っていくことになります。土地は修道会、建築は修道会と善意の皆様の援助でが当初の計画でしたが、建築材料の値上がり、大雨続き、古い建物の予想外の改築、修理の必要などで難航し、資金不足を来してしまいました。そこで、食堂の部分を二期整備とし延期することも考えましたが、子供達にとって昼食とおやつの支給は最も重要な部分でもありますので、なんとか完成させたいと思っています。(建物は)2月に着工、いま建築中ですが、何事も日本のようにスムーズには運びません。 今、新しい姉妹が一人増え、一人暮しの不自由から解放され、感謝しています。なお、本一箱、衣類三箱受取りました。ありがとうございました。どれもこれも嬉しいものばかり。(これらは)保育所で利用させて頂くものと、保育所開設後に計画しているバザーで販売、保育所の資金にさせて頂くものに分類して、その日を待っています。(4・1) 『Sr金永、教皇様に謁見』聖霊奉侍布教修道女会 林静子
…パラグアイも、お聞き及びと思いますが、アッスンシオンの中央銀行の汚職で、何億というお金が失くなってしまいました。責任者をクビにしたり、刑務所に入れたりしておりますが、紛失したお金はなかなか見付からず、毎日、新聞やテレビでも騒がれています。
この汚職事件は、元大統領の親戚とか、上位の位置にある人が、関係しているとか……銀行を信用して金を預けた貧しい人達が、結局、一番困るわけです。…去る5月7日に、ローマで5人の方の列福式がありました。その中の一人は、マザー・マリア・ヘレナと仰言って、聖霊奉侍布教修道女会の創立に関与したシスターです。パラグアイからも3人のシスターが、列福式に参加させて頂きました。シスター金永も、長い間、宣教地パラグアイで働き、まだ一回もローマを訪れたことがありませんでしたので、上長のはからいで、他の2人のパラグアイ生れのシスターと一緒に列席させて頂ました。 …マザー・マリア・ヘレナは、御自身は中国に布教のために行くことは出来ませんでしたが、後継者のシスターたちが中国に派遣されました。パパ様の特別謁見の時、シスター金永と、もう1人の中国生れのシスターが選ばれました。シスター金永は中国生れ(旧満州・奉天の近くが故郷)で、昭和18年に勉強のために満州から日本に入国、そのまま終戦となりました。戦後に入会しましたが、共産圏になってしまった故郷には、まだ、一度も帰っておりません。 教皇様に謁見するSr金永 『多くの善意に支えられて…』宮崎カリタス修道女会 樫山ミユキ
…一時帰国の日本での用事をすませ、ボリビア時間6月29日午前11時45分…無事到着しました。
…オガール・ファティマ(孤児院)の子供達は、死亡した赤ちゃん2人、入院している乳児2人を除き、百名近く皆元気です。ボリビアも冬の季節の寒さを味わっています。スール(南風)が吹き、かなり空気が冷え、気温が下がっています。滅多に着けたことのない冬服が顔を出しています。…頂いた寄付で、早速、下着を買いました。給食費として頂いた分も、不足している栄養補給に使い始めました。朝食はパンと粉ミルクだけでしたが、3日に一度でも卵を加えるようにしました。…できるだけ窮地の人に呼びかけて、少しでもファティマの家への理解を深めて頂こうとしています。今年のはじめ、1月から5月まで、一銭の収入もなく…苦しい時があったため、サン・ファン移住地の方に協力を願い、米や卵を頂きました。 今も続けて、一過に三百個の卵の寄付があり、また、一番苦しかった5カ月間は栄養失調にもなることなく、命をつなぐことが出来ました。 …今は、オガール・ファティマも、いくらか落着いています。保母不足の悩みはありますが、それも、少しずついい方向に解決できると思っています。…2年余り、ボランティアとして全くの奉仕で子供達と保母の指導に当って下さった西千葉教会の酒井志津子さん(10月帰国予定)は、シスター以上の献身で、いつも子どもと関わって下さり、遊ぶことも、ハサミを使うことも、色を塗ることも、絵を画くこと、オルガンを弾くことも出来なかった子供たちが、学び、育って成長して来ました。(7・16) 『活気をもってプロジェクト作成中』聖母被昇天修道会 横山まさ子
…お蔭様でお送り頂いた援助金で、農民会館の会員たちは徐々にプロジェクトを作成しております。…資金を手に入れての活動開始なので慎重に、しかも活気をもって、会合が開かれております。こちらは今雨期が終わろうとしておりますが、連日のように雨が降り続いております。…こちらは、ペルーとの紛争もはっきりした解決を見ないままに、元の生活に戻りつつありますが、様々な複雑な状況を抱えております。私の仕事も、5月に新学期が始まった学校に合わせて、教会では初聖体の準備を始めるにあたって、カテキスタの養成コースが開かれ、6月には要理教育が始まります。
プロテスタントの教会が私どもの町にも建てられ、人々はカトリックもプロテスタントも同じと思い混同しております。 5月のマリアの月には、聖母像を各家庭が持ち回り、毎日、ロザリオの祈りを捧げる地区が出来たことは、大きな喜びで、このつながりから共同休の誕生を期待しております。 「きずな」を通して、エクアドルという小さな国を、少しでも日本の方々が知って頂ければ幸いです。 『豊か?実は最貧困層激増』ベリス・メルセス宣教修道女会 弘田鎮枝
…「もはや貧しい南の国ではない」と豪語していたメキシコも、ついにネオ・リベラル政策のツケが回り、昨年来、通貨暴落と最貧困層の激増などの問題も未解決のまま(です)。…ところが、メキシコの場合は、他の国よりも「豊か」というイメージがあり、ヨーロッパの開発組織から援助を受けるためには、大変な困難があります。
90年以降、東ヨーロッパに目が向いているため、全体として中南米の途上国に対する援助が、どんどん削られている状態です。 メルセス会(メキシコ・中米管区は、ニカラグア、グアテマラ、メキシコ3カ国が管区)は、オアハカ州のサン・ファン・デ・ミスステペクという先住民の村で働いています。三九、〇〇〇ヘクタール、三八、〇〇〇の人口があり、八、四〇〇人が村の中央部に居住し、残りが、海抜一、七〇〇メートルから三、八〇〇メートルの山岳地帯に散在する32の村に住んでいます。32の村々は、それぞれ、18キロから30キロの距離をおいて散在しており、交通の便は皆無のため、自動車がどうしても必要です。住民はミステコ族(85%)とトリキ族(15%)で、土地なし、あるいは零細農民が殆どで、生活の糧を求めてメキシコ北部、あるいはアメリカ南部に季節労働者として行くパターンです。村の中央部にある小教区の教会は司祭が一人、修道会はメルセス会の4人が32村、三八、〇〇〇人の司牧に、携わっているわけです。(2・8) 『毎晩の銃声もなく、一見、平和…』クリスト・ロア宣教修道女会 須藤昭子
…ハイチ共和国に参りまして、まる10年経ちました。その間、実にいろいろなことに出会いました。五指を越えるクーデター、国連の監視下における大統領選挙、軍事クーデターの後の国連の経済制裁、その下に、病と貧困に苦しむ人々と、不正義の世の中を、いやというほど見せつけられました。
今は、国連の平和維持軍の下に、一見、治安は保たれているように見えますが、この国が再起出来、正義と平和の国となるには、まだまだ、程遠い感があります。ガソリンを手に入れることが出来、毎晩のように聞えていた銃声がなくなったことが、せめてもの慰めです。 私ども、クリスト・ロア宣教修道女会の日本人シスターは、ただ今、ハイチに5名居ります。レデンプトール会のシスター1名と共に、在留邦人15名中、宣教女が6名です。(7月2日) 『アフリカ』『ようやく保育室完成』マリアの宣教者フランシスコ修道会 桶野香
…今日は、やっと保育室の完成をお知らせ出来るので、大変嬉しいです。4カ月近くかかってしまいましたが、とても使いやすい保育室が出来上りました。…子供たちも自由に、のびのびと活動ができるようです。小教区の一信徒が、責任をもって建築を担当してくれ、材料を安く手に入れたり、他の信徒にも協力してもらったり、いろいろ便宜をはかってくれたので、見積りより幾分安く済んだので、その分、設備に回させて頂きました。小教区からも、トイレ、流し、水道、整理棚の援助をしてくれました。この部屋を使うようになって、今までの不自由さがかなり解消され、子供達も先生達も大喜び、…5月末の母の日を控え、早速、歌やダンスの練習に重宝しています。
『今、混沌のシュラ・レオーネ』御聖体の宣教クララ修道会 鶴田順子
…イタリアから急に帰国しました。三通間前に、シェラ・レオーネのとても残念なニュースが入り、病院も学校も、反逆軍の占領下にあるというものです。…イタリアで6カ月待って居ましたが、シュラ・レオーネに入れないと判りました。
…今、雨期で、戦闘は少し止んでいるのではと思います。でも、人々は飢えに苦しんで居るということは確かでしょう。 …昨年は、難民の世話をしていたアイルランド人の神父様が、今年の3月には、長年、教育のために身を粉にして働いて来たアイルランド人のブラザーが、盗賊化した兵士達に殺されています。 …訓練不足の兵士、道義心よりお金、麻薬常用による良心や心、行動の麻痺、無差別殺人等々、シェラ・レオーネは混沌とした状態です。…シェラ・レオーネは今、どうなっているか分かりません。ただ、言えることは、一度、内戟、テロが始まると、和解と平和への道は、そんなに簡患Tには得られないということです。 …マベネッセの私達の修道院へはグラナダと呼ばれる手榴弾が投げ込まれ、穴だらけになっています。私達四人のシスター達は、病院やルンサの学校にある修道院に居て無事でした。1月1日元旦早朝、反逆軍が攻撃して来て以来、私達はナイジェリアやイタリアに避難しました。神父様やブラザー達は残って、学校や病院を少しつつ運営させています。(7月20日) 『ガーナで十一年目』マリアの宣教者フランシスコ修道会 玉木志津
…いつも「きずな」を通して、皆様のお祈りと援助に励まされております。
私もガーナで11年目を過ごし、ups&downsの毎日ですが、なんとか生き延びています。ガーナでも部族間の争いがあり、8年間働いてた所の部族と、いま、此処に居る部族とが争っており、複雑な思いでいます。正直言って心はやはり、8年間ともに、panishで過ごした人々の所にあります。ルワンダのように大きな争いにならないように祈っているところです。 panishの仕事から、今は、養成の仕事に移り、ガーナ人の修練長、アメリカ人のシスターと3人の共同体に、6人のノビスと生活しています。毎日、チャレンジの連続です。 神言会の菊地神父様が帰国され、私一人になってしまい、寂しい限りです。 『アジア』『ある母親の死』ヌヴェール愛徳修道会 重松千恵子 村上モ二力 田上美智子 岩村チエ子
…この一年、直接的、間接的にご支援、ご協力下さいました皆々様に心より感謝申し上げます。以下(幾つかのケースを)報告させて頂きます。小学5年生の女子の母親のケースです。この生徒の母親のことは、この報告書にも書きましたので、皆様覚えていらっしゃるかもしれません。リンゴ箱から店を開き、だんだんと大きくして、タイティアオ(うどんの一種)を売るまでになりました。
昨年十月末頃、左手が指先までパンパンに腫れ…ある日、訪問したら、全く、足が立たなくなっていました。会うなり「実家に連れていって……」と涙ながらに訴えられ、本人をスリンから30km離れた彼女の実家に連れて行きました。迎えた実母は、「足腰の立たない者を連れて来られても困る。この人の食い扶持は誰が世話するのか」と怒鳴られ、吃驚しました。しかし、無理もありません。腰の曲がった老人に病人の世話は無理です。しかし、本人が「どうしても此処に居たい」ということで、後ろ髪を引かれる思いで帰途に着きました。彼女は若い頃、売春婦として働き、アメリカ人の恋人と暫く一緒に過ごしたことがあるのです。アメリカ人との間の一人娘はこの祖母が育てたのです。その養育費と実母、家のため仕送りを続けたのだから、彼女は自分の実家に帰って当然と思っていたのです。…それから2週間も経たない中に、生徒から母親が入院しているという知らせを受け、直ぐに見舞いに駆けつけたのですが、…すでにガン末期症状でした。…そして回復の見込みのないまま家に帰され…十二月六日早朝、亡くなりました。死に顔はとても安らかで、四十二歳の彼女の人生はこうして幕が下りました。 次は移動図書館建設のケースです。現在、16校の小学校で移動図書を継続しています。…この3〜4月にかけて2つの学校に、図書館が建ちました。図書館の建設に当たって、学校の先生方は勿論、生徒達、保護者、村人達が一致協力して建設に携わってくれました。 …多くの人々のご援助で、村の人々の教育の場、学びの場が少しづつ整って来ていることは、本当に嬉しいことです。 『バコロド便り』善きサマリア人修道会 景山ひろ 迎衛子
一九九一年から始まったコンセプション教会の奨学生4年生19名が今年3月卒業しました。中にはよく勉強し優等生として表彰された学生もおり、家族又教会全体で喜びを共にしました。卒業生一人一人も皆様のおかげで卒業できたことの感謝を伝えております。農作プロジェクトも皆様からの援助とともに、他の団体の援助も加わり、野菜畑の他に水田利用も可能になり沢山の稲作の収穫で大きな喜びとなりました。
今年の給食サービスは山岳地方のサルバドール・ベネディクト町の中にある村落・ツプランという場所で始めております。その地域の人々ははとんどが農家とさとうきび労働者です。住民の95%が貧困以下の生活を強いられています。週4回の給食を人々がどんなに喜んでいるかを皆様に見て頂きたいほどです。 今年3月から村落・ツプランよりさらに山をいくつも越えたサルバドール・ベネディクト小教区を援助することになりました。想像に絶するでこぼこ道に囲まれたサルバドール・ベネディクトでは命の次に大切なものは、人々の手となり足となる車と言われています。 |