『超一級国』太田 正巳
外務省員は、辞令次第でどんな生活環境が悪い所にも赴任しなければならない。AとBと二つの任地の内どちらがより住みづらいか、いつの間にか、尺度のようなものができたという。それによれば、日曜、休日になると家族で空港に行く任地は、二級である。ゴルフコース、プール、遊園地、劇場、映画館、レストラン等々一切存在していないので、日曜になっても行くところがない。そこで思い付くのが空港である。空港ならば、まずいコーヒーぐらいは飲める。
なによりも、ロンドンやパリなどとの間の航空機の発着を見たり、思いは同じの他の国の外交官に会ったりすれば、少しは気が紛れるというものである。 外国の任地で「着任以来まだ何年です」といえば、楽なポスト、「もう何年何カ月にないます」と答えれば、つらいポストと分かるが、一級の任地ともなると、「もう何百何十日になります」と答えるという。つまり皆が遠島の囚人と同じように毎日毎日ただ日を数えて暮らしているのである。 さて、今から三十数年前、英仏のアフリカの植民地が続々独立した機会に、わが外務省も、将来の進出に備えて、この際すべての新興独立国の首都の生活状況を見ておこうということになり、担当者が各国を回った。帰って来た人から、いろいろ現地の模様を聞いた中に、だれしもこれは超一級と折紙を付けたある国があった。西アフリカ内陸の仏語圏の国である。 その国に大使館を置いているのは、フランスの外、米国とソ連のみであった。米ソとも大使館や宿舎の建築資材は、煉瓦まで一つ一つ空輸しなければならなかったというのが伝説になっている。外務省は、米仏の政府には出張予定を知らせて、世話を頼んであった。現地の生活体験を聞くためである。ホテルがあるかないかも分からず心細かったそうである。 空港に着くと、トタン屋根の建物に家族ぐるみの一団が待っていた。米国とフランスの大使館員と家族である。今夜はこちらの館員、明日はあちらの家が泊めると決まっている。後で聞けば、誰が世話するか大変な競争だったという。夜は両国の大使や他の館員家族の外、ソ連の大使館からも釆て大歓迎、次の日も同じであった。不思議な大歓迎の理由はすぐ分かった。 暑さと挨と蝿の中で、気が狂わんばかりの毎日、毎日同じ日が続くのである。この人たちは、全員が変化と文明の匂いに飢え切っていたのである。 今でも世界で最も貧しいこの国で、ハンセン病患者など最も恵まれない人々のために、わが国のシスター方が献身的な努力を続けておられると聞いて、以上の話を思い出しました。 『第48回役員会報告』「海外宣教者を支援する会」の第48回役員会が、94年3月8日(火)午後6時から、東京・江東区潮見の日本カトリック会館会議室で開かれ、次の案件を審議、決定した。1.”きずな”46号について 中谷神父の巻頭言は、宣教現場での実体験からのことばなので、迫力があり、感動的であった。国内会員からも”エコー”欄に多くの便りが寄せられ、充実したものとなった等の発言があった。 2.”きずな”47号について 巻頭言は太田正巳氏に依頼。発行は6月1日(予定)。発送は6月1日(水)に行う。 3.援助審議(別稿) 4.その他 ◆雄鶏社より寄付された子供の本と女子パウロ会から寄付された本などを海外へ送るため、その発送作業を近日事務局で行うことになった。(3月28日、29日に荷造り作業実施)。 ◆”こんにちは”(日本カトリック移住協議会発行・4月5日・頒布費千五百円)について協力要請があった。 ◆「会」発足から川年以上経ったので、”きずな”についてのアンケートを実施することとし、文面検討の上、6月発送時に同封することになった。 ◆次回会議は、6月8日(水)午後8時より、潮見の日本カトリック会館で。 『援助決定』('94.3.8決定分)
|