『アフリカ』『”沈黙・静寂″死の街の形相』マリアの宣教者フランシスコ修道会 林 節子
…一週間、ローマに滞在して、9月3日にアンゴラに到着しました。
この一年間の間に大きく変化した様子を目の当たりにして、大きなショックでしたが、住んでいる人々は変っていないのだからと、自分自身を励ましながら再出発です。 一週間後、四五〇Km奥地のマランジュにシスター達を訪ねて、国連の食糧援助計画の輸送機に便乗して行って釆ました。 死の形相を見せ始めている町は、何とも表現出来ない印象です。 毎日、子供や年よりが次々に死んでゆき、大人たちも栄養失調でむくんでいます。飢えて死ぬのは、苦しまずに息絶えてゆくので、恐しいほどの沈黙、静寂が全てを覆っていました。泣き叫び、大声で訴える力など無いのです。 このマランジュは、UNITAに包囲されていて、飢えで全滅を強いられているのが、ありありと見えています。 10日後、ルアンダに帰って来ました。司教団の高等学校と小神学校で教え、午後と週末は、小教区で働きます。 ノートやボールペン、裁縫教室のための布や毛糸頬があると、とても助かります。 『欲しい子供専用部屋』マリアの宣教者フランシスコ修道会 桐野 香
…はじめてお便りさせて頂きます。私はモーリシャスに派遣されて、2年半になろうとしています。モーリシャス島はインド洋の西に浮ぶ小さな島で、人口約百万の独立国です。インド系が70%、そして白人、中国系と、クレオールと呼ばれるアフリカ系等、さまざまな人種で構成されています。今年がちょうど、独立して25年目で、比較的若い国です。表面上は平和ですが、取り組んでいかなければならない多くの問題を抱えています。アルコール、麻薬、貧富の差等が、大きな社会問題のようです。また、教育の面でも…教師の質の問題、貧しい子供達、能力的についていかれない子供たちは除外されたり、落ちこぼれたりしている現状です。私がかかわっている幼児教育も、やはり例外ではないようです。
私は現在、小教区の2つの幼稚園(本園と分園に分れている)をお手伝いしております。この幼稚園は20年余り前、主として、貧しい家庭の子供達を対象として始められ現在に至っています。 必要な設備にも事欠き、保育料は最低額しか徴収していないので、教材も充分でなく、紙などは、会社、工場などで頂いたものを使用したりしています。最初の頃はショックでしたが、こういう状況の中でも、工夫しながら、より良いものを生みだしたり、少しでも改善していけたらと、私なりの努力を始めたわけです。幸い、分園の方は、先生達も意欲的で、少しずつよい方向に進んで行っているように思われます。 ところが、この幼稚園は、教会の施設の一部を使用しているため、50名余りの園児のために、少々狭い保育室が一室あるだけで、廊下も庭もないため、子供たちは部屋から自由に出ることが出来ず、時々は、教会関係の集まりの部屋の前のコンクリートのたたきで、集団遊び、遊戯等をすることもあるのです。それさえも、度々ある集まりや祈りの集いなどの邪魔になるので、必然的に制限されてしまいます。小さくてもいいから、子供達が自由に活動出来る部屋があると、どんなにいいかと話し合っています……。 (10・12)
『中・南米』『診療所の”狭き門”』クリスト・ロア宣教修道女会 今田 紀子
貧民街の中心に、シャールド・フコーの会のシスターが経営している学校があります。敷地は50坪ぐらい、生徒数50人。その敷地の一画に、トタン屋根の掘立小屋風の建物が私が働きに行っている、診療所です。回りはコンクリートの塀で囲まれ、1メートルはどの木戸が、学校と診療所に入る唯一の出入口です。その診療所で医者兼看護婦兼薬剤師、即ち一人だけです。午前8時半から12時半頃まで(診療所に居て)で、終ると…修道院に帰ります。
…診療所では、一日30名の診療が精一杯。30名以上は、どうしても受け容れられません。その他、薬局で薬を買えない人が処方箋を持って訪れます。朝来て最大の仕事は患者さんの受付です。私が着く頃は、50人〜60人の患者さんが表で待っています。その人々を掻き分けて、木戸をホンの少し開けて、入るとすぐ戸を閉めます。そうしないと、皆、我れ勝ちに雪崩れ込んで果て、診療等始められません。…私が入ると、シャールド・フコーのフランス人のシスターが緊急を要する患者さん30人に番号札を渡します。そして、しつかり木戸を押えながら、ほんの少しだけ開けて、番号順に一人々々敷地の中に通します。ある日、私の診療の片腕となっているシスターが留守でした。私が入った時、皆、ドットなだれ込んで、狭い所に満員電車のようにギューギューで、喧嘩はするし、収拾がつかなくなりました。その時、私は、ひらめき、番号札の束をつかみ、それをちらつかせながら、木戸から外に出て行きました。そしたら、一人残らず、私の後について来て…学校の回りを、もまれて歩きながら、病人を選んでは番号札を渡し、一回りして…私だけ素早く中に入り…その後はいつものように順序正しく診療を始めることが出来ました。 …診療所の“狭き門”を通過した患者さんの多くは、不衛生が因でいろいろな病気に感染しています。下痢、腸チフス、マラリア、肺炎、性病、勝胱炎、中耳炎、疥癬等々…第一の原因は水不足。無菌の飲料水を飲みたければ、買わなければなりません。沸騰させて消毒したら? それには炭を買わなければなりません。給水所は過に一度だけの配水、それを幾つかのバケツで運んで釆ます。いくら清潔にと心掛けても、少しの水で炊事、洗濯、食器、シャワー、手洗い、掃除等、どれだけのことが出来るでしょうか。おまけに、綺麗にするための石鹸等買うお金があったら、パンを買う方が先決です。 第2の原因として挙げられるのが栄養失調。同じ環境に居ても、栄養状態の悪い、抵抗力のない人が、先に感染します。この診療所の近辺は、とくに貧しく、先進国の20%程度の食糧で、殆どの人が生活していると思います。ある人は、一かけらのパンととうもろこし、他の人はお皿に軽く一杯のご飯、それも一日に一回だけ、育ちざかりの青年がこんな風にして一日をしのいでいます。結核も多く、空気感染ですから四畳半ぐらいの家に何世帯も雑居している所では、どうしようもありません。エイズも、そういう住宅事情に関係していないとは云えないでしょう。…平均年齢は50歳とか、乳幼児死亡率が高いせいです。けれど、いつまで生きられるか分からなくても、子供たちは天真爛漫、若い人もお年寄りも、どうして、あれだけのエネルギーがあるのかしらと、不思議なほど、生き生きしています。 『植付け遅れ、雨乞いも』宮崎カリタス修道女会 山田 初美
「きずな」海外宣教者を支援する会の皆様、マリア様と共に、よろこびの中にお励みのことと存じます。いつも皆様方の温かい、力強いご支援ありがとうございます…。
…こちら、サンタクルスにあるオキナワ移住地の日本人農家は、麦、大豆の収穫と植え付けの時期を迎えております。 例年ですと、植え付けもたけなわというところですが、雨が降らず、遅れています。雨乞いの行列をしようという声も出ています。 一九八八年にも、早魅で、20キロを歩いて、ロザリオを祈ったり、歌ったりして雨乞いをし、すぐに充分、雨が降って、大喜びしたことがあります。 日本の教会では、21日からナイスUが行なわれますね。 私どもも、共に心を合わせ、お祈りさせて頂きます……。 (93・10・19)
『来年は、現地民族との共生を』聖霊奉侍布教修道女会 宮入キワ子
…8月15日は、私達にとって二重の祝日でした。聖母披昇天の日、その聖母を保護者と頂くアスンシオン市では、新大統領の就任式がありました。選挙についてはいろいろ問題もありましたが…はじめての民主的な就任式ということで、ブラジル、アルゼンチン、チリー、ウルグアイ、ペルーの各大統領をはじめ、72カ国の代表者が参加して行なわれました。就任演説中、民衆の中から一人が、大声で意見を述べ、大統領は演説を中止し、全群衆はその声に耳を傾けた後、それに答えるかのように、大統領は演説を続けました。何か、これからのパラグアイ政治の縮図を見たような感じがしました。
…式の終りに、一人の盲目の修道女がマイクの前に現われました。 彼女は、大統領から招かれて、式の終りにあたり、神に祈りを捧げました。彼女は元大統領の娘(エスティガリビア)で、亡き夫や息子等は、国の重職にあるとか、そういう母であり、未亡人であり、そして、訪問会の修道女です。 …私は今、アスンシオンに近いサンロレンソの町にある、私達の養成の家で、会計と看護を受け持ちながら、若い人々と年輩のシスター達と共に過しています。時折、アスンシオンに住む年輩の日本人信者達を訪問し、時には祈りの集いをしたり、病気の方を訪問したりして励まし合っています。こちらに来て、もう24年になりますが、私は、まだ、実際に原地インディアン達の生活の場に接したことがありません。ですから、まだ、真のパラグアイを知らないわけです。 そこで、これから、原地語のグァラニーを学び、彼らと共に過してみたいと希望しています。来年ぐらいには実現するかもしれません。 『時にかなったプレゼント』ベタニア修道女会 木村 依子 松浦 和子 丸山いしい 原 ワ力
病弱な母、毎朝、子供とクレッシュで、ミルクとパンを−ブラジル・ベタニア修道女会 |