『アフリカ』『アンバランスの中の不安』ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬小夜子
…貧しいこの国、クリスマス、正月は何かプレゼントがあるはずと毎日のように人々が並びます(が)全部応えることも出来ず…心の中では、神様がどんなにか、この人たちに祝福を与えて下さっていることかと後ろ姿を見送りつつ、何も無い所で生きる力を持つこの地の人達(は)、奇跡(と) (思います)。
…大きく雨期と乾期に分れてのこの国、雨期、雨が降ると一度に線が生き返りますが、道路はお手上げです。突然出くわす陥没の穴。 いったん雨が降り出すと、ゴウゴウと流れ先のない鼻が出来、何里よじ歩く破目になり、疲れても、どこかに座りたくても、石ころ(さえ)もなし(です)。…水が多くとも作物は出来ず…何もかもがアンバランスで…人々は不安の日々(です)。 今年こそはと希望をかけていますが、こんな日々を暮すのに人々は、祝日はタムタムで踊り、強い酒に酔いつぶれ…酒でも飲まねばの気分なのでしょう…八方塞がりの…毎日ですが、昨日より今日、明日へ向って歩いています。 『再び内乱…力尽きて死ぬ子供・老人…』御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
…最近のシェラ・レオネは、極度の政情不安の中にあります。
…反乱軍は…現在、東部のダイヤモンド鉱山都市、コノ・コイズ市をはじめ、かなりの部分を占領しています。…(反乱は)いまや、部族内乱に変化し、隣国ライベリアと同じ状況になっています。 …世界の新聞で報じられた…と思いますが、ライベリアでは、アメリカ人シスター5人、ポストラント4人が殺害され…私どもの司教も、これをとても憂い、いざという時退去できるように準備をせよとの命令で、ベッドの下には非常袋に水とカンパン、下着、靴を準備して毎日を送っています。 コノ地方から、命からがら逃げて来る人々、途中、力尽きて亡くなっていく子供、老人たち、ルンサに着く頃はとても痩せています。 12月には、日本からコンテナが届き、貧しい人に毛布、靴、衣類と支給され…人々は涙をこぼし、「神様ありがとう。やっぱり助けてくれた」と云っておりました。また「日本人ありがとう」とも云っておりました。 『数の中で、少数民族は?』神言会 菊地 功神父
…さて、一九九二年は、賑やかな年でありました。街を行けば、そこかしこで、老いも若きも「アカタマンソ・アカタマンソ」やら、「クックルドゥ」などと、群れて気勢をあげていたり、拡声機の大音響で同じく叫んで、宣伝車が村を回って来たり…久しぶりの選挙。…だいたい、戸籍がない国で、選挙人名簿を作るとは、つまり、自主的に登録してもらうことですから、登録しなかった人は、もちろん、当分の間、投票はできません。
冒頭のあの叫び声は何なのか〜。識字率の低いこの国での選挙ですから、投票にも工夫が必要です。過去には、候補者の写真を印刷して、その横に印をつける方式でしたが、今回は、各政党のシンボル・マークを印刷して、その横に印をつける方法をとりました。 そこで、シンボル・マークの売り込み…赤、緑、黒か白に塗ったチーフ用の大きい傘(アカタマンソ)は、現大統領側、有力対立侯補氏は、どでかいアフリカ象(タックルドゥ・どでかい)というわけです。…いわゆる民主々義の機構は、ガーナのような多民族国家では、うまく轢能するとは限りません。…結局、異なる民族(部族)間の勢力争いとなってしまうのです。 …数の力の前には、私の居るコロポ族のような少数民族の声は、かき消されてしまいがちです。 『木皮編みのカゴで来る患者』援助修道会 柏瀬 百合子
…ルアンダは、キリスト教が急速に根付いた国で、教会が沢山ありますし、修道会も百を越えるほどです。千の丘の国と云われるほど、山や丘の起伏に富んだ美しい国で、山や丘の頂きまでバナナやコーヒーが植えられ、さつま芋、豆などが、その間を縫って育っています。キリスト教国でありながら、残念なことに2部族間の勢力争いは果てることなく続いています。数年前から内戦が激しくなり…戦争のために森や畑が荒され、住民はウガンダに逃れたり、難民となって膚の方へ移動しています。…北部では飢えがひどく、そのうえ脳膜炎、赤痢が…流行しており、戦争、飢え、疫病と不幸の重なるルアンダです。
私は修道会の診療所(50床、結核、産科等を含む)で働いています。この診療所は創立されて25年…(いま)医師は居りませんが、医療助手1人と看護婦2〜3人、後はシスターが養成した資格なしの職員たちですが、実によく働いています。…私は、診療、治療、薬の他方、処置なんでもします。…医療に関してはタンザニアでの経験が、大分、役に立っています。…とは云え、薬品はいつも不足がちです。この地域のマラリアは大変悪質で、度々、耐性マラリア脳性マラリアの治療をしなければなりません。 毎日、三百人ぐらいの患者も外来で診ます。病棟はいつも満杯です。…ルアンダでは病人をバナナの木の皮で編んだかご″に乗せて、4〜6人が肩で担いで来ます。幾つもの丘を越えて診療所に来るので、これも、生活の知恵…でしょう。 『紙きれだけの小包…ああ!!』マリアの御心会 中村 洋子
…郵送で送って頂いた文房具のことでいろいろなことが重なり、早く早くと思いながらお便りがおくれてしまいました。
9月中旬でした。郵便局から小包が届いているという小さな続きれが届き、数日後にとりに行きました。 私が行かれなかったので、他の姉妹に行ってもらったのですが、家に帰り、包みを開いてガッカリ!。紙きれが。バラバラと出てきたきりで、何が入っていたのかも分らない状態でした! 10月が新学期で、本当にうらめしい話です。 ノート一冊も入っていない包みに税金を取られ!!私が取りに行けば、税金を払わないで、紙包みだけ投げつけて来たかも…(しれません)。マダガスカル宛の郵便局扱いは???……。 11月25日選挙があり、非常に不安定になっています。内乱がなければと思うほどです。いつになったら平等な社会になるのでしょうか。市民の貧しさと忍耐は、イエス様の人生そのものの姿として、共に苦しみを味わっています。 『善意によるプア・ボックス(PoorBox)』マリアの宣教者フランシスコ修道会 小田美津江
世界中のあちこちでご活躍の諸先輩の苦労や喜びを伝える『きずな』は、エチオピアの片田舎にいるわたしどもにとって、大きな励まし、慰めとなっています。いつもありがとうございます
わたしは、エチオピア南部シダモ州のアワサという町から7Kmほど離れた所にある小さな病院で、看護婦として働いています。60床のベッド(内、結核病室に20床)があり、赤ちゃんからお年寄りまで、外科・内科を問わないよろず科です。内科的には、マラリヤ、チフス、回帰熱、赤痢、髄膜炎などが多く、結核がいまだに猛威をふるっています。また手遅れになった破傷風で命を落とす人も珍しくありません。周囲の人々の生活は本当に貧しく、もちろんガスや水道、電気などもありません。 わたしがこの病院に乗て間もないある夕方、すっかりやせこけた行き倒れの男性が運ばれて来ました。声をかけても返事をする元気もない様子。ズボンのポケットには数枚のコインとボロポロになった一枚の写真だけ。幸い一つのベッドが空いていたので、ドロドロになった衣服を脱がせ、寝かせました。入院カルテの支払い欄にはプア・ボックス (Poor Box)と記入し、点滴を開始。 プア・ボックスというのは、貧しい人々のための箱のことで、わたしたちを訪問してくださる友人たちが置いていってくださるお金や、外国からいただいた献金をそこに入れ、治療費や薬代、入院費や食費を払うことのできない貧しい患者さんのために使っています。 数日後、意識が戻った彼は、「トクマタ!トクマタ!」と言い始めました。わたしが最初に覚えたこの国の言葉アムハラ語は、このトクマタ(下痢)でした。写真を頼りに彼の知人を探しましたが誰一人見つからず、やがて治療介護のかいもなく、彼は静かに、平和に息を引き取りました。彼は、わたしたちの病院で天国へ見送った最初のエイズ患者さんでした。 『アジア』『台湾はどこ?』聖心会 深山 厚子
…いつも私どものことをお心にとめて頂き、感謝申し上げます。
…私どもの台湾のミッションは12年半以上になりますが、12年目にして、はじめてお礼を申し上げるのは、ちょっと気恥ずかしいのですが…。 日本語の会話のクラスで、大学の4年生が聞きました。 「日本人が『中国人』と云うとき、わたしたちは含まれますか?」。日本へ行って、若者に触れた四人が答えて日く、「日本の若者は、私たちは台湾人で、中国人でないと思っている」「台湾が、どこにあるか知らない」「台湾と香港をごちゃまぜにしている」「中国語を勉強していた一人の学生だけが、中国本土、香港、台湾のことがはっきりしていた」 何か考えさせられました。 『噴火灰が泥流化』聖母訪問会 フィリピン・コミュニティ 遠藤マツエ
新しい家が出来た/。今世紀最大規模のピナツボ山大噴火から一年半…噴火した灰は雨期には泥流となって流れ落ち、川、田畑一面の海となり、再び大被害を出しています。私達も、被害地ザンバレス州サン・フェリペで、善き牧者会のシスターたちと共に、アユタの人々と交流を待った一年でした。テント生活をしていた人々でしたが、多くの方々の援助によって、家族一同が一つ屋根の下で住む家が完成、10月20日、一一一軒の家の祝別式が行なわれました。
泥流のため川と化した道を、軍隊のトラックと水牛が牽く車に乗って、70名程の人々が出席し、喜びを分かち合いました。 …噴火以前の山に戻ることの出来ない…人々の目には涙が流れ、参加者もその思いを胸に納めました…。 『ガンバレ!CBHDP』聖母訪問会 上野 紘子
ナチュラル・エアコソ”があるワゴンの屋根、竹の家の集会所では、毎週ヘルス・ワーカーの勉強会をしている。皮膚病に良効のカラチナ軟膏、薬草石鹸、腹痛のための薬草シロップは、老若男女の患者に喜ばれている。安価で家庭で保存できる薬草作りに、ヘルス・ワーカーの顔は輝き、手つきは器用で、さすが!と驚く。イサベラのプルガナン司教様は、CBHDP(保健衛生プログラム)に、とても力を入れて助言を与えている。だから人々には向上心が湧いている。今年は、ニュースレターによる人々の教育が主眼であった。
日本の皆様から寄付されたコンピュータを使って、年4回発行した。各地区ごとのニュースを読み「ウワー、私達のことが出ている!」と、その喜びは大きい。ヘルス・ワーカーの子女のひとりは、「大きくなってナースになり、村の病人の世話をしたい」と大きな瞳を拝かせている。 『南米』『援助の粉乳で、改善著しい乳児』マリアの宣教者フランシスコ修道会 拾雄 智子
…日本滞在中は、沢山の援助金を頂き、心から感謝しております。
こちらに乗まして、早速、薬剤、粉ミルクを購入しました。 (乳児には)体重と発育状態により、それぞれ異なった粉乳を上げています。…Denis Menchiは、一九九二年五月二十九日、三五〇〇gで生まれ、4カ月で診療所に連れてこられました。…まだ首が据っていない…体重増加もはかばかしくなく四八〇〇g。しかし、母親は心配している様子もありません。育児指導をすると共に、大豆蛋白質利用の粉乳と蛋白質、動・植物性脂肪、糖質、ビタミン、電解質(の粉乳B)を与えるようにすすめたところ、10月1日の再診にはかなり力がつき、12月1日には首は正常に据わり、体重も六八〇〇gになりました。また、Alnardo(という児)は、11月20日に一歳六カ月で診療所に連れて来られ、体重六五〇〇gで立つことが出来ない状態でした。(B)とカルシウムを与えたところ、12月2日の再診時には、つかまり立ちが出来、体重も七八〇〇gと著しい増加を見せました。…このように、皆様方の援助で、貧しい児たちが改善(されてゆく)姿は、神様の喜びを見るようです 『東洋系の共同体に』聖心会 林 静子
…日本も益々国際的になり、多勢の宣教者を海外に送り出し、皆様のお働きも活発になって行くことと存じます。…(一九九二年)九月十三日に パラグアイ、イグアズ移住地に北海道の地主司教様がいらっしゃって下さいました。僅か数時間でしたが、ごミサのあと、昼食会があり、地主司教様も、ご自分の召出しについてお話し下さいました。
…こちらのニュースとしましては、今までピラポ日本人移住地でお働きになっておられた、神言会の品田豊神父様が、パラグアイのインディオ部落の方に転任されることになりました。また、最近、パラグアイの神言会の管区長が代り、品田神父様は副管区長に選ばれました。日本人が顧問になったのは今回が初めてで、管区長も、初めてパラグアイの神父様が選出されました。他の顧問はアルゼンチン、アイルランド、パラグアイと三つの国籍の方が選ばれました。 私の共同体も三人ですが、新たにフィリピンのSrアメリアが修院長となって来られます。シスター金永は韓国、私は日本籍ですから、東洋系の共同体になります。 『さまよう子供を救うために』淳心会 V.A.マルゴット神父
…私はもうアモレイラの主任神父ではありませんが、この教区でも非常に人手不足で、四つの教会で手伝うことがありますし、旭の日本人ミッショソ、子供の村の責任もあって…相変らず忙しい毎日です。長崎聖母純心会のシスターの助けがなければ、子供の村は…失敗に終ったでしょう。この年(一九九二年)は、私たちのために本当に恵まれた年になりました。皆様のご協力で、子供の村で三軒も新しい家を建てることが出来(ました。)畑、果樹園も出来て鶏、山羊、豚を飼い、小さい子供の農村″になっています。また、子供の村「明けの星」が、やっと社会教育法人として登鐘され、将来 パラナ州政府から少しばかりでも、援助を受けることが可能になりました。
ブラジルの経済、社会状態が悪くなる一方で、さまよっている子供の数も増えるばかりです。…サン・パウロで、この前、二千人の子供が反乱を起して、感化院の建物に火をつけ…全部燃え上ってしまいました。どこでも感化院は混んでいます。中は地獄のようです。エイズになった子どもは半数ぐらいだそうです。ほかの都会にもあったように、ロンドリーナにも子供のギャングが下町に侵入、百貨店、スーパーマーケットで盗んだり、物を壊し、警察と大騒ぎを起 しました。逮捕された子供の中に、数年前に私の家に住んでいた子供もいます。…この神の失なわれた子供たちを…一人でも多く取り戻して、こんな地獄から救うために…頑張っています。 『救われて育つ、チルドレン…』フランシスコ会 マヌエル加藤神父
…2年前に初の日系人大統領が誕生してから、ペルーは…脚光を浴び、日本の裏側にあるにも拘らず、近くなったような気がします。
フジモリ大統領の努力にも拘らず、この国は政治、社会的、そしてとくに経済的にどん底にあります。…現在のペルーには汚職がはびこっています。また、12年前に始まったテロ活動によって、二万五千人以上の尊い命が奪われ、その破壊活動は、いま、ペルーが世界に対して抱えている借金に相当する被害をもたらしています。 その上、いま、世界で消費されているコカインの6割以上がペルーで生産され、このコカドルは、この国の経済を遥さぶっています。その結果、産業は停滞、輸出の伸び悩み、いま、ペルーは非常に不景気です。…貧しい者はますます貧しくなり、いまは千五百万人以上、国民の2/3に達していると言われています。 …ストリート・チルドレンの数は三百万人を越しています。 …家のない…子供達は、公園を、道端の一角をねぐらにしています。 …多くの者は、ヤクザの犠牲になり、麻薬を売らされ…麻薬常習…になるケースが多いのです。このようなストリート・チルドレンを何人かでも救おうとして、10年前に始まったのが、エンマヌエルホームです。今、ここに50人の子供が、4人のシスター、5人の寮母1人の心理学者と民生員の下で、家庭的な雰囲気の中で伸び々々と成長しています。 『絵本を紙芝居に』扶助者聖母会 山口 多香子
(さて)先日ご報告しました(送って頂いた)絵本を紙芝居にしたところです。ミツバチ・マーヤと小公子が出来上り…中学生が描いて、スペイン語で(紙芝居を)子供たちにしてくれます。
ペープサートは三匹の小ブタ、指人形は赤頭巾ちゃんです。 次々とアタックしていく子供のエネルギーを、また、それを見て喜ぶ多くの子供の目の輝きを、幼きイエズス様に託してお届けします。 わたしは、ガリバーが小人にあえたことが、とてもうらやましいと思います。ガリバーは、こうかいをしているとちゅう、あらしにあってしまいました。どんどんながされて小人のくにについたのです。ながいあいだ小人といっしょにくらしていると、きゅうにじぶんのりようしんや、ともだちのことがこいしくなっておうさまにたのみ、じぷんのくにへかえっていったところが、すこしかなしくてとってもすてきでした。 「オズのまほうつかいをよんで」 小5 田村泰路 アメリカのカンザスに広草原がありました。一けんやにドロシーとゆう少女がいました。それと、ヘンリーおじさんとエムおじさん、小犬のトトがすんでいました。ある日、たつまきがおそってきました。ドロシーは、地下室にかくれました。「あ、トトがいない。トトはどこだ」。どろしーが地下室をでていえの中をさがすと、トトはベッドのしたにいました。そのとき、家がたつまきにかこまれれました。家空たかくまいあがるトトとゆう、かわいい小犬のことがおもしろい。 「おやゆびひめをよんで」 小5 川波あさみ 私は「ようせいのくにの王女のかんむりを、おやゆび.ひめにかぶせ、おやゆびひめは、ようせいのくにのみんなにしゅくふくされて、おうじさまとおやゆびひめがけっこんして、しあわせにくらしました」というところが、とってもおもしろかったなとおもいました。 「赤ずきんちゃんをよんで」 小5 中村 慶 赤ずきんちゃんは、かわいい女の子でした。ある日、おかあさんにおつかいをたのまれました。おかあさんは、みちくさをしたり、しらない人とは、はなしたりしてはいけないといいました。でも、おおかみとはなして、わけをはなし、おおかみは、さきまわりをして、おばあちゃんをたべ、つぎに、あかずきんちゃんをたべました。いびきをきいたりょうしは、おばあさんの家にきて、おおかみのおなかをきって、二ともたすかりました。私はあひるがあるが、しやべったところがすてきでした。 「長ぐつをはいた猫をよんで」 小5 中岡睦美 私は、その弟の、いっしょうけんめいはたらいているところが、かんしんです。そして、いつもそのよこで、いっしょにはたらいているこもすきです。そして、とてもかなしかったところは、3人きょうだいのおとうさんがしんで、おにいさんたちが弟にざいさんをすこしもわけないで、おとうとをおいだしたところがかわいそうで、なみだがこぼれそうになりました。そして、弟といつもいっしょにはたらいているねこが、いっしょについていつてたすけようとするところがすきです。そして、たすけかたがとてもおもしろくて、わらいがとまらないほど、おもしろいおはなしでした。 「トムソーヤの冒険をよんで」 小5 石沢 修 ぼくがすきなところは、トムがしょじきをいったのがおもしろかったです。そして、女の子をたすけたのがおもしろかったです。 そして、わるい人がぼくはきらいでした。わるい人は、ひとりだけでした。あとのひとは、わるくなかったです。だだ、けんかをしただけでした。わるい人は、インティアンジョでした。 「小公子(下)をよんで」 小5 竹村いずみ わたしが小公子セドリックですきだったところは、小公子がびんぼうの子どもに松葉づえをかってあげたところでした。 「はだかの王様をよんで」 小5 江島由美 私は、王様がはずかしくなって、行列をやめておしろにかえったところがおもしろかったです。 「シンドバッドの冒険をよんで」 小5 米倉 涼 ぼくがおもしろかったのは、シソドバットたちが、あるしまについて、ひるごはんをたべていると、きゅうにしまがうごいて、くじらがあらわれて、大あばれをして、シンドバッドたちが、すっとんでしまったところが、おもしろかったとおもいます。ぼくがすきなところは、ロックちょうのあしにのって、いっしょにそらをとんで行ったのがすきでした。一番はらがたったのは、かいぞくにおそわれて、シソド.ハッドたちをはたらかせたのが、くやしいと思いました。 贈られた絵本から作った紙芝居〜ボリビア〜 |