『一時帰国宣教者の現地報告』『神父一、信徒二千、ミサに三時間』神言会 菊地 功神父
…ガーナでは、二人の日本人宣教者が働いている。男の宣教者は、多分、私一人だと思うが、他に、マリアの宣教者フランシスコ修道会のSr玉木が働いている。
ガーナは日本人が大変多い所で、日本の海外青年協力隊員が一番多い所がガーナだと思う。ガーナはカカオ豆の主要産出国で、一九五七年独立して以来、カカオ豆を輸出して経済を作り上げて来たが、カカオ豆の国際価格が下落して、経済状態も悪化し、とくに一九八三年の西アフリカの大干魅で、経済はドン底にまで陥ってしまった。一九八一年十二月にクーデターがあり、新たな政府が出来たがそのリーダー(彼はカトリック)が国家の経済再建を提唱して奔走して 以来、経済状態もよくなり、現在、ガーナの首都アクラでは、道路も良くなり、金さえあれば何でも買えるというように、経済は復興している。 ガーナには今、千四百万ぐらいの人が居り、人口の約半分がキリスト信者、人口の約一割(百二十万人)がカトリック信者だ。 他のキリスト教の中には、聖公会、プレスビテリアン、ペンテコステチャーチなどで、いわゆるスピリチュアル・チャーチ(聖霊による刷新運動に属している。 それ以外には、クリスチャンと云い、キリストの名を呼び、聖書も使うが、土着宗教と結びついた形で、病人の癒しとか奇蹟を願うという少しオーバーなことを売物にする教会が非常に多くなっている。残り半分の人口の30%がモスレム(回教徒)で、残りが昔からの原始宗教、宗教というよりも文化の一部と思うが、呪いをかけるというような宗教に属している。 百二十万人のカトリック信者に対して、ガーナ人の教区司祭、修道司祭、われわれのような外国人宣教師は約七百人、日本にくらべて、一人の司祭に対する信徒の数が非常に多い。…一人の司祭が、幾つかの巡回教会を担当することになる。 私は六年前、一人でガーナに行って、首都アクラから百四十キロほど中に入った湖の傍にあるオッソー・ムッソーという部落で働いている。ここにはコロポ族という部族が居る。ガーナには公けには47ほどの部族があり、コロポ族というのは少数部族です。 私の住んでいるオソンソンという村には22の巡回教会がある。名簿の上では、五千人の信者が居ることになっているが、多分(実数は)二千人ぐらいだろう。…そういう所でミサをする。日曜日には朝十時からミサがあるが、ミサに約三時間かかるので…日本のように3回ミサをするといっても出来ない。せめて、もう一つ(ミサに)行こうと思っても出来ない。その代り、月曜から金曜まで、二十幾つかある村を順番に回る。朝行って、ミサをして、病人訪問、悩みの相談を受け、夕方に帰って来る。遠い村には泊りがけで行くこともある…この頃、病人の世話をすることが多くなった。医者や看護婦でもないのに、病人が出ると呼ばれて行く。皆、医者に行く前に必らず神父らを呼び、祈りをしろといいます。 この祈りをしろ″には二つの意味がある。祈りの力で癒るかもしれないという気持は半分あると思うが、神父に来てもらえば病院に連れて行ってもらえるかもしれないという希望があるわけだ。 それからもう一つ、政府の役人を相手に交渉するということも、最近、非常に多くなっている。 これは、村のチーフが外部との交渉などをしなければならないが、言葉が出来ないので、頼って来られて、(彼らの代りに)「道を直してくれ」、「井戸のポンプの修理を」と州の政府に交渉するわけだ。言葉と云えば、ガーナはもと英国植民地だったので、公用語は英語だが、就学率も低く、中学3年までいっても、自分の名前すら書けない子供が沢山居る。英語を話せる人が村には殆ど居ない。 一つの大きな部族(アカン族)の言葉を公用語にしようという動きもあるが、これは、他の部族との対立を生むので、なかなか、そういう訳にもいかない。それで仕方なく英語で話すということになるわけだ。 『ファデーラとストリート・チルドレン』マリアの宣教者フランシスコ修道会 浅沼 みどり
一九七九年からサンパウロに居ます。サンパウロなど大きな都市には、テリテリアという大きな周辺地帯をもっており、(私は)そこに住んでいます。サンバウロの周辺地帯に住んでいるのは、殆ど北東部から来た人たちが多い。北東部というのは、有名な雨の降らない地帯で、土地が全く産物を出さなくなってしまうので、町の生活を夢みて、家族中で国内移住をしているのです。三旦二晩、バスに乗って、全家族で出て来ても、都会に出てみれば、住む所がなく、残っている土地と云えば、傾斜地帯とか、洪水がすぐ起るような川端にしかない。(そこで)どこからか板切れを持って来て(家を)作りあげる。ファデーラ″(スラムと訳されているが)、よく子供たちが「日本にもファデーラがあるの?」と開きます。
「ありましたよ。戦争が終った時、皆、家がなくて掘立小屋を建てて住んでいました」(と答える)。ちょうど、あんな状態の地区を…ファデーラと云っています。 テリテリア(周辺地帯)は、ファデーラばかりでなく、労働者も多く住んでいる。全体に貧しいが、その中に、点々とファデーラが建っています。私の居る所は、サン・マルチウスという、サン・パウロの中の地帯ですが、7つのファデーラがありました。… いま、ブラジルでは、ストリート・チルドレンが問題になっています。これらの子供達は、自分の家に居ても、お手洗がない。風呂、水、電気がない。そういう狭い所で、父母、子供たち10人以上が住んでいる。家庭生活がつまらない、まっ暗で、(そこで)町に出て行ってしまう。私たちも、何をするか分らなかったが、何かする所が欲しい。沢山、人数が集まる場所もないので、(ミサは)野外ミサをする。道端でミサをやるので、車が来ると、神父様もどいて車が居なくなると、また、ミサを続けるということもあります。 私たちは(ご支援によって)共同体センターを建てる日も近いだろうと思い、教材を作り、子供たちの準備をはじめています。 保育園をはじめる予定ですが、こちらでは、設置基準など面倒なことはなく、実績があり、本当に働いていることが証明できれば、市と契約を結んで補助金を貰うことができます。サン・パウロの町には、千六百のファデーラがあります。(しかし)そのすべてが、市の補助の対象にはなっていない。(補助の)一つの条件は、ファデーラが組織だてられているか、集まりがあるか、自立してやっていけるかが証明され、共同体センターを持っている、これから作る可能性があるか〜(などで)、ご支援は共同体センター材料費にしています。 〜現地報告する〜左からSr野間順子、菊地功神父、Sr浅沼みどり 『修道女志願は多いけれど…』マリアの御心会 野間 順子
…ブルキナ・ファソは人口八九八万、総面積は日本の3/4といわれます。…この国はサハラ砂漠に近く、北部に行けば行く程イスラム教が盛んです。国の45%がイスラム教、40%が原始宗教を信ずる人で残りの15%がキリスト教で新教徒と旧教徒が居ます。ここの国ではシスター、修道士になる若い人が沢山居ます。どこの修道会でも、若い人たちが沢山居ます。召命で一番難しいのは、若い子供たちは、本当にキリストに身を捧げていく召命を望んでいるのか、あるいは、シスターになったら、自分たちの田舎より、ちょつといい生活が出来るし、勉強はさせて貰えるということで、入って来る子どもたちも居ます。…私たちの仕事は、この子たちが、本当に修道女として生活できるのか、他のモティべーションでやって来たのかを、見きわめるのは深刻なことが沢山ある。本当に一人前のシスターとして誓願を立てまでには約10年かかります。
ブルキナ・ファソは一九八四年に「アッパー・ポルタ」から「ブルキナ・ファソ」と国の名が改称されました。 ブルキナというのは、大きな部族、モッシー族の言葉で潔白な∞単純な∞清廉な″、ファソは他の大部族ジェニフ族の言葉で「完全な」ということです。農業国と云っても、農産物を外国に輸出する程にはとれず、自分達が食べられるだけのものを耕して、やっと生活している貧しい国です。ですから、医療面でも、二つの国立病院はありますが、内容は何もない。手術をするにしても、麻酔薬、ガーゼ、包帯など、何から何まで家族が用意しないと手術は受けられないという状況です。 教育面では義務教育はないので、識字率はわずか8%ぐらいです。村の人たちは一夫多妻制で沢山の子供がいても、男子は学校に行っている(が)、女子は学校に行かない。女の子は勉強する必要はないという頭があるのでしょうか?。女子の地位は大変低く、朝3時ごろから起きて重労働をしています。20キロも歩いて水汲み、朝食の準備(等々)です。いま村では、正当な結婚式を挙げないでも、15歳ぐらいの女の子と、12〜13歳ぐらいの男の子が同居して…出産するという(ことが)モードのようなものがあります。子供の育て方も分らず、そういう倫理面も教育しなければなりません。 向うの人たちの一カ月の平均所得は日本の金で八千円ぐらい。 貧富の差は非常に激しい。若い人たちのアイドルはオートバイ。 オートバイを買うために、コート・ジュポアールに行き、体を粉々にして働き、オートバイを買って帰って来る、村の人たちはほめる。(すると)次のグループの男の子が出かけていく。(そこで)村には女子は居るが、男子は少ないといった状態です。 若い女子は「自分は学校に行けないが、せめて、弟たちには行かせたい」〜では、何をしたらいいのか、いちばん手取り早いのが、売春、そして売春から来るエイズの問題、これが、今、若い人たちの間で、本当に深刻な問題となっています。 この一連の稿は、去る9月7日、東京・麹町の番町グロリアホールで行なわれた溝演(30名参加)を紙上採録したものです。 三人の宣教者のほか、エチオピアからのシスター道下美和子(マリアの御心会)、シスター玉木志津(マリアの宣教者フランシスコ修道会・ガーナ)も出席され、質疑に参加されました。 現地事情を報告した(左から)Sr道下美和子(エチオピア)、Sr野間順子(ブルキナ・ファソ)、菊地功神父(ガーナ)、Sr浅沼みどり(エチオピア)、Sr玉城志津(ガーナ) 『アフリカ』『パジェロ、大活躍中…』カノッサ修道女会・管区長 アントワネット・クリッパ
…ご厚意により、ご寄贈頂きましたパジェロ″が、ここKUNDUCHIの私どものTegeta診療所に到着。まさにアフリカの大地″ここの診療所でのサービスに活躍していることをお知らせいたします。
車は、私たちの助けを必要とする多くの病人のために、日々走り回っております。感謝とともに― ”アフリカの大地”で活躍するパジェロ 『診療所、強盗団に襲われ、夜警殺さる』援助マリア修道会 佐藤 浩子
8月…こちらカメルーンは雨季。朝夕は日本の初秋を思わせるような肌寒さが続き、厚地のセーターを手放すことが出来ません。…こちらも経済状態は一向に改善されず、バフッサン地区では、小学校教諭のうち50名が解雇されることになり、コプチューでも5名が解雇されました。…首都ウヤンデ、ドアラの治安が良くないことは周知ですが、最近は西部カメルーンにおいても治安が悪くなって来ており、盗難事件が多発しています。強盗は刑務所出所者が多く、数名でグループを作り、盗難車でやって来るらしく、夜中、豪雨の時を狙って来ます。
7月中旬、私の実習先の診療所にも3人組の強盗が侵入し、二人の夜警のうちの一人の両手両足を縛り、頭部を殴打、絞殺して門の鍵を手に入れ、修道院の敷地に侵入。もう一人の夜警を幽閉しました。番犬がけたたましく吠えたため、一人のシスターが不審に思い悪から覗くと、3人組の強盗。〔Je Vous connais!!]と彼女が大声で叫んだため、驚いた3人組強盗はあわてて裏門から逃走しました。 約一〜二キロメートルのところにある警察は、3〜4時間後に到着したとのことです。私たちは、殉職した彼の葬儀に参加しましたが、彼の頭部に巻かれた白い包帯には血が滲み、犯行のひどさを感じさせられました…ミサの中で司式司祭は、生前の彼が信者として誠実に生きたこと、永遠の勝利を得るための最後の苦しみなどについて語り、強く心を打たれました。彼の家は貧しく、何も残しませんでしたが、彼の死を恐れぬ勇気と誠実さという大切なものを、私たちに残してくれました。 彼の顔はすでに平和のうちに憩う人の安らぎを感じさせました。 『増える栄養失調児』マリアの宣教者フランシスコ修道会 黒田 小夜子
日本では、さわやかな季節ではないかと存じます。…栄養失調児センターは、開所以来一カ月、日々、栄養失調児が増しています。治療、教育、料理実習を行なっていますが、栄養失調は貧困に根ざしているので、活動のための手段への援助は必須です。
助からない重症栄養失調児が危機を脱しています(が)完治のためには、3カ月が必要です。(一方)赤貧母子栄養失調も訪れます。皆様のご援助のおかげで、軌道に乗りつつありますが、日々、車の必要を感じています。 こちらの生活は、交通機関はありません。小さなモーターで走りまわっていますが、古いので度々故障します。炎天下をおして修理者を探しますが、彼らは見習いあがりで、完全な修理は出来ずモーター故障の日は、一日お手上げです。 職業人はモーターを持っていますが、殆どの家庭は、何時間も歩くのが常です。現在、約50人の栄養失調児を管理(していますが)栄養失調児家庭では、センター通いは容易でなく、母親ともども病気で、度々、家庭訪問が必要となっています。 『南米』『ボリビア人に高等教育への希望が…』礼拝会 斉藤 クニ子
9月も半ばになり、残暑から秋へと美しい季節に、学校もまた、新しい学期を迎え(ました)。こちらは、ほとんど一年中同じで、今年は雨が多く、今は乾期ですのに、ここ、二、三日は雨に見舞われております。サンファンの道の悪さは有名ですが、9日から工事が始まり、夜6時から朝6時まで、昼間一時間ぐらいだけ車が通れるのですが、私は木曜日に所用で、約5時間かけてサンフアンに参りましたが、降り出した雨のため、道はすべて断たれ、車が出ないので、週末をサンタクルスで過しております。いつ帰れるか見通しもなく、学校の授業にも迷惑をかけると思いながら、どうにも出来ない…状態です。…この頃は電話が入りましたので何かと通話が出来ますが、何処で、何が起っているのか全然分らず、ただ、イライラさせるだけです。
前にお知らせ頂きました可愛いい絵本、世界の有名な文集が、8月末に着きました。…子供たちの喜びは大変で、小学生、中学生、また大人たちも、忘れかけている物語を夢中で読んでおります。 一部は日系人の学校に、一部は公立学校に、ボリビア人の先生方も物語が分るので、絵を見せながら生徒に話しております。そして、一部は教会図書にと、それぞれ嫁入り先で皆から喜ばれております。…この地方も、出稼ぎで同邦人が少なくなる現実の中で、力を合わせて頑張っています。日系人の学力低下も問題になっています。かえってボリビア人の中から、高等教育を受けたい希望者が出ています。経済的に難しいので、私たちも何とかして援助してあげたいと思っているところです。 『寄贈の本で紙芝居を』扶助者聖母会 山口 多香子
8月28日、可愛いい絵本一杯の包みを頂きました。心にかけて頂き、本当に有難うございました。早速、使わせて頂いております。
まず、日系二世、三世の中高生に、紙芝居に大きく描いてもらい、スペイン語に訳して頂いて、こちらの幼稚園児や、日曜学校の子供たちに見て賞うことを始め、皆大喜びで絵を描き、訳を手伝って下さっています。その他、ご老人方や病人の方々に読んで頂いています。字が大きいこと、絵が可愛いいこと、軽いこと、また、なつかしいことで、これまた、喜ばれています。 日系の小さいお子さん方にも貸し出しをしています。こんなに、皆に喜ばれていますことをお知らせ出来ることは、私達も嬉しいです。ボリビアは、今年は冬が長く、寒かったのですが、今は短かい春で、タヒーポの花が咲いています。 花を植えることを余り知らないボリビア人ですので、日系の方々のご家庭に伺うと、庭に色とりどりの花なので、あらためて、日本人の美意識、美感覚のすぐれているのに感心させられています。 |